心は青いほど複雑に揺れ動く

 小樽旅行も終わり、シェル先生との距離感にも慣れてきた夏休みのある日。あたしは彼にこんな質問をしてみた。

「……何であたしが文字書けないってわかったの?」

 あたしは書字障がいを持っている。

 一度死んで幽霊になったんだから治っててくれてもいいのにとは思ったけど、実際にそうなんだからどうしようもない。

 どうしようもないのは、あたしが幽霊だったからだ。そういった障がいを支援する機関や病院施設はあれど、戸籍もなく生きてもいないあたしが利用できるはずがない。

 自分が上手く字を書けないと気づいた小学生時代、おばあちゃんにも言い出せなかった。

 言えばあたしが偽物だと気づかれてしまうと思って。

「まあ、いろいろと。……あなたがどうやって日々の生活を乗り切っていたのかの方が不思議です」

「そういう訓練の方法をネットで調べたり、コウに代筆してもらったり。訓練はネット参考の自己流だったから、改善どころか改悪だったかも……」

 未だに漢字は上手く書けないものの、平仮名とカタカナ、アルファベットならなんとか書けるようになった。

「俺は専門家ではないので細かく言えませんが、ある程度書けるようになったのなら悪くはなかったのでは? ……そういったことに詳しい施設の予約が取れましたので、お祖母様と相談して都合のいい日を決めて連絡してください」

「…………。先生、いい人過ぎじゃない? 鬼畜の癖に」

 このときは本当に鬼だとは知らなくて、鬼畜と自称するのも彼の謙遜――あるいは自虐だと解釈していた。

 鬼畜と名乗る割に、彼は優しい。

「若者は幸せであってほしいので、助けられるならそうします」

「ありがと」

 ふと自分の手を見下ろす。

 集中すると文字を書けるようになった自分の手。

「……あたしに教えてくれた魔法は何?」

「あなたが座敷わらしだから使える手です。自動書記に近いですね」

「自動書記って、コックリさんみたいなやつ?」

 幽霊だかなんだかを自分の身に降ろし、そいつに自分の手を任せてそいつが伝えたい言葉を書き出す。

 日本より海外の方が主流なような気がする。

「本気で場を整えて術者が呼び込めば別ですが、常人がするのはおまじないレベルです。自動書記は魔術において単なる技術でもあります」

「へえ。……あたしは何を降ろしてるの?」

 自動書記と言うのならば、あたしの腕を動かして文字を書かせている何かがあるはずだ。夏に似合う怪談話は嫌だぞ。

 そう思って問いかけると、先生は夏だというのに長袖の分厚いローブ姿で炭酸飲料をすすりながら答えた。

「座敷わらしである佳奈子の自意識が、幽霊――人間である佳奈子の手に伝えて言葉を書き取らせています」

「たとえるなら、『ロンリー二人羽織り自動書記』ってこと?」

 解釈が正しければ、あたしが半分幽霊で半分座敷童だったから出来たことだ。半分は文字を書けともう半分に囁き、もう半分は囁きを受け取って文字を書く。

「上手い表現ですね。その名前で術式登録をしたら間違いなく弾かれますが」

「……」

「あなたの存在が危ういバランスだったからこそです。今ではその手段も安定したようで」

 のんきに『良かったです』と言う。

 物静かで理知的で厳格に見えるけれど、この人の中身は意外と柔和だ。ついでにけっこう天然。

「教えた術式のメリットは、あなたが文字を正確に覚えている限り決して書き間違いが起きないこと。デメリットは長時間持続するのが難しいということ、です」

「それはわかるわ」

 この魔法は2時間続けばいい方だ。

「脳から心臓。心臓から手へと、意思伝達のための魔術的な神経を繋げています。あまりに長い時間意思が伝わり続けると負担がかかってショートしますので、あなたの無意識がストッパーを作動させます」

「ストッパー……防衛本能みたいな?」

「そんなところです。訓練次第で神経は頑丈になりますし、無理をせず地道に」

「その説明、教えてくれた時にしてるべきだと思うんだけど」

「初対面でこの話をしたら信じましたか?」

「…………」

「納得して頂けたようで嬉しいです」

 皮肉ではなく素直にそう言っている。あたしに魔法を教えた時点でそこまで考えていたなんて、頭の回転が速すぎて付いていけない。

 追及を諦めて、気になったことを質問する。

「ところで、さっきの術式登録ってなに?」

「特許のようなものです。魔法も技術に落とし込まれる時代ですから、役立ちそうな魔法を発明したら、一定の審査を受けることによってデータベースに登録されます」

「良い制度があるんじゃない」

 新しい製品を作りたい人、自分の魔法を役立てたい人。両方の意思が合致する制度だ。

「一番人気はやはり時間停止箱です」

「あれ凄いわよね。ステンドグラスみたいに綺麗で」

 光が差し込むと色鮮やかに照らされたケーキが垣間見えて、なかなか素敵。見た目と実用性を両立した製品だと思う。

「リーネアの大叔父考案です」

「妖精さん、そういうの得意そう……」

 というか登録のほとんど、レプラコーンなんじゃないのか。

 そう思って質問すると首は横に振られた。

「そうでもないですよ。著作権の概念がない魔法の世界に嫌気がさして、人生一発逆転を狙って術式を作る魔法使いもいます」

 世知辛いなあ。

「魔法の界隈では、真似されれば『真似されるような魔法を作ったお前が悪い』と嘲笑われますし、逆に真似した方は『猿真似しかできないのかお前は』と罵られます」

「どうしろってのよ?」

「師から学び、師を真似て師から盗み、そして師を超えていく。理想はこれです」

「なんだか不穏だけど……魔法を真似たらそれは一旦褒められる。で、その魔法を元に新しい魔法とか、もっとすごい魔法とか作ったらもっと褒められる……ってこと?」

「はい」

「大変ねえ」

 新しい魔法を作るには才能が必要だろうし、毎回それを求められても困るだろう。

「魔法も科学のように発展と維持が必要です。魔法使いで食べていくには財力が必須ですよ。人間単体で魔法を使い続けては干からびてしまうので、魔力を補うものを買う必要も」

「夢もクソもないわね」

 小学生の時、10歳検査で魔法使いになれるかもとはしゃぐ奴らは多かったけど、そいつらがこのことを知ったらどうなるんだろうか。

「中高生相手に出張講義をしにいくと決まって『呪文唱えないんですか』と聞かれるんですが、呪文を唱えただけで魔法を使えたら誰だって苦労しないと思うんですよね」

「ほんっと世知辛い」

 他ならぬ魔法使いによって夢がぶち壊されていく。



  ――*――

 そんなことを思い出しつつ、あたしは彼の残していった問題集を地道に解いて練習していた。

 今日の科目は国語だ。

「……あー、もう。著者の気持ちなんか知るかー!」

 普段なら『著者の気持ちを読むのではありません。著者の気持ちをわかったつもりで問題を考える製作者の気持ちを読むのです』と身も蓋もない言葉が返ってくるところだが、生憎、シェル先生は『妻と末っ子とヨーロッパに行ってきます』と外に出ている。

 大学出禁の翰川かんかわ先生と違って、彼は夏休みの間も大学に行っていたらしい。

 特殊な転移で東京と札幌を往復することは苦でもない彼にとって、ヨーロッパも家から3歩程度なんだとか。

 羨ましかったが、あたしは学生。将来ヨーロッパに行きたいのなら自分の金で行くしかない。

「…………」

 ここ最近傍に居てくれてた鬼畜の人が居ないのは、なんだか寂しいな。

 とはいえ、いまの心境でお隣さんの幼馴染に突撃する気も起きないし……

(あいつ、翰川夫妻と蜜月だしなあー)

 コウの恩人である翰川瑞理ミズリ緋叛ひぞれの二人は、あと1週間で東京に帰ってしまう。シェル先生とは違ってその二人は気安く東京―札幌往復は出来ないので、あいつは1週間できっちり恩返しするつもりらしい。

 きっとそこには、翰川先生のファンである京もたまに登場するのだろう。

「あー、やだやだ。……応援するって決めたのに」

 諦めの悪い女だ、あたし。

 ちなみに、両想いを応援するという意味ではなく、コウの片思いを応援するというだけだ。京の気持ちを無視して無理やり後押しするのは嫌だしね。

「……」

 失恋したことは、おばあちゃんにだけ報告した。

 翰川夫妻とシェル先生、ルピネさんには何も言わずとも察せられ、優しくしてもらってしまった。

 紫織とは会って少し話しただけでなんとなく通じ合った。お互いほぼ同時に失恋したと知り、妙な連帯感も生まれた。

 しかし、紫織はあたしよりずっと大人で、京とは何のわだかまりもなく接している。

 もちろん苦い感情はあったのだろうけれど、飲み込んで、今では前と変わらない親愛を京に注いでいた。

「みんな強い……」

 女子たちに謝罪する時だって京に頼りっぱなしだったのに、薄情者な自分が憎い。


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