この感情が理不尽と知っても

 今日のご飯はすき焼き。

 みんなで集まるから、みんなで食べられて、満足感のある料理を。……ということで翰川先生が提案し、他の面子で了承した。

 みんなで手分けして具材を切り分けていく。


 翰川先生とミズリさんは野菜を一口サイズに。コウは牛肉を『こんな良い肉食ってもいいのか……?』と興奮気味に呟きながら薄切りにしていた。

 みんな手際が良い。

 一人で豆腐をのろのろ切っているだけの自分が、なんとなく惨めに思える。

(座敷わらしは家事苦手小さいこどもって、なんでこんな変なところまで記号が付いて回るわけ?)

 同じ《子ども》の記号を持つはずのレプラコーンの皆さんは、手際よく家事を熟しているのに。あたしは単品ならともかく数を処理しようとなると途端にのろまになる。

 もうやだ。

(……アパートに戻りたい)

 でも、ここに居たい。お泊り会に参加して、翰川夫妻とおしゃべりしたいし、おばあちゃん孝行もしたい。コウと一緒に勉強したりゲームしたりしたい。

 訳が分からない。

 豆腐を切り終え、白滝を切っていると――台所で土鍋を準備していたおばあちゃんが悲鳴を上げる。

「大変! お醤油足りないわ……‼」

「…………」


 これを抜け出すチャンスと思ってしまったあたしは、なんて心が汚いんだろう。


 近所にコンビニもスーパーもある。ちょっとの間だけでも、確実に1人になれる。

 あたしの打算など露知らず、清廉で誠実で優しいコウは、おろおろするおばあちゃんを宥めてすぐに買い出しを申し出た。

「ひとっ走り買ってくるよ。醤油ないと困るだろ」

「いいのよ、コウちゃん。ばあちゃん買ってくるから」

「いいっていいって! ばあちゃんずっと立ちっぱなしじゃん。座っててよ」

 そう言うコウだって、シャワーから上がって来てからというもの働きっぱなしだ。

 ミズリさんが心配そうに手を軽く挙げる。

「俺行こうか? 疲れてない?」

「大丈夫っすよ。……無いの醤油だけ? 他には?」

「お醤油だけ……ほんとにごめんね、コウちゃん」

 咄嗟に叫んで割り込む。

「あたし! あたし行くわ」

 おばあちゃんとコウがあたしを振り向く。

 ミズリさんはなぜか目を細めた。

「ほら、あたし、何もしてないし! 醤油でしょ?」

「や、佳奈子。いいよ。もう外暗いしさ」

「いいから!」

 泣きそうになるのを抑えながら話していると、コウが言う。

「じゃあ、ついてくよ」

「大丈夫だから!」

「お前なあ……足遅くてちっこいんだから、もっと自衛しろよ」

 こいつは、あたしが足が遅くて小さいから心配している。

 あたしが好きだからじゃない――

「女子はいくら警戒しても足りないだろ」

「放っておいてよ‼」

 コウは怒りではなく、驚き混じりに困惑している。

 おばあちゃんとミズリさんが場の収めどころを探っているのがわかる。でも、いま他の人に収めてもらえる気がしない。

 そう思ったその時、翰川先生が割り込んだ。 

「じゃあ僕と一緒に行こう」

「…………」

「瞬間移動し続けてスーパーまで行こう。帰りも瞬間移動で帰ろう。決まりだ」

 あたしの手を掴んで玄関へ向かう。

 翰川先生は決して腕の力も強くないはずなのに、彼女に反抗する気は起きなかった。



 宣言通り、景色を置き去りにする瞬間移動が連発される。

 人が見ていない場所、見ていない瞬間を見計らって、あたしの手を握ったまま躊躇いなく移動していく。

 辿り着いたのはなぜかカラオケ店。

「か、翰川先生……?」

「誰かと話でもして心を落ち着けるといい。……醤油は僕が買ってくるから」

 彼女が目の前から消え去る。

「……」

 なんとなく、シェル先生に電話を掛ける。

 何回かかけても通じず、着信拒否されていることに気付いた。

「っ……!」

 今までは先生の方から転移してきてたから、気づかなかった。

 苛立って鬼畜の目上である妖精さんに電話をかけると――3コールで出た。

『やっほー、佳奈子』

「何であの鬼畜着拒してやがんのよ――‼」

 怒りと安堵で混乱した末に怒りで絶叫すると、オウキさんが困ったような声を出す。

『俺に言われても……って感じなんだけど?』

「やっぱりあの人あたしのこと嫌いなんだうわーん……‼」

 この世の終わりを感じる。

 シェル先生のことは密かに尊敬して、親しくなれた気がしていたのに!

『わー、愉快な精神状態。……とにかく、泣きやんでおくれよ。女の子を泣かせたままでいる趣味もないし』

「うっう……ひぐっ……」

『あと、シェルは電話番号を教えた相手は必ず着信拒否するから。光太もしおりんも着拒されてたから。安心してね』

「何を安心したらいいの?」

 シェル先生はコミュ障なの?

『あの子、電話嫌いなんだよ。大学の内線でコールがかかるたび、怯えてお隣さんのひぞれを呼びに走るくらい』

 社会生活に向いてないにもほどがある。

『あはー……しっかし、俺にかけてくるとは思わなかったなあ』

「シェル先生より年上なんでしょ……」

『そういう動機か』

 くつくつと笑い声。

「?」

『消去法でしょー? リナは京の教導役だし、ひぞれとミズリは光太に距離が近すぎるしー。シェルは今フランスで奥さんと末っ子ちゃんとラブラブだから、心落ち着かせるためにも連絡先知ってる相手全員着拒してるだろうね』

 ラブラブという言葉がグサッと来た。

 社会生活に向いていない鬼畜の人は、美人で優しい女性と結ばれて、8人もの子どもをもうけている。鬼畜なのに。

『あー、電話かけて来た理由もわかるよお。失恋のダメージがボディーブローのようにじわじわ効いてきて、光太もしくは京ちゃんと上手く接せられなくなった。本日はお泊り会かなんかで光太と顔を合わせざるを得ない状況ではあったものの、なんとか抜け出してきた。こんなところ?』

「ぜんぶわかってるんじゃない……」

 ずるい。

 あたしも心を読む力が欲しかった。

 その力があれば、あたしはもっと上手くコウと接して、あわよくば恋してもらえていたかもしれない。

 ああ、でも、こんなのただのわがままだ。無い物ねだりして駄々をこねているだけ。

『推論の過程を述べようか? ……人間の皆さんは俺たちが心読める心読めるって驚くけど、どうしてわからないのかがわからないんだよねえ』

「…………」

 オウキさんの声音から、少しの怒気を感じる。

 噂が正しいなら――彼はシェル先生と同等かそれ以上の切れ者。

『順番にいこうか』

「……じゅんばん……」

『ひぞれとミズリの滞在も残り1週間。アパートに住まわせてもらったお礼に、大家さんの家に泊まって掃除やら料理をするのは想像に難くない。歳をとると寂しくなるものだしね』

 寂しいのかな。

 寂しいなら、あたし、東京行かない方がいいのかな。

『キミと光太が誘われるのも自然な流れ。でも、光太は凄く鈍感だ。鈍感でいなければ自殺しかねないほどの境遇だったから仕方ない』

「……」

 コウが人の意思に敏感で繊細な性格をしていたら、たぶん小学校の時点で心が折れていたに違いない。

 あの状況で折れず挫けず学校に通い続けるには、鈍感さが必要だったはずだ。

『人から向けられる感情を無意識にシャットアウトしてる。今でもその癖は抜けてない。となれば、自分から誰かに恋するほかないよね。たぶん京ちゃん。光太はキミの心境も知らずお泊り会に参加してるんじゃない?』

「そうね」

『ねえ佳奈子』

 妖精さんが苦笑している。

「……うん」

『俺たちみたいなのは……まあ、たぶん頭の回転が良いんだろうね。だから、何か事情がない限りは、大体人の考えてること思ってることがわかるよ』

「うん」

 知ってる。

『でもね、普通の人はわからないよ。キミは大人だからねえ。押し込めちゃう』

「大人じゃない……」

 こんなの、大人なんかじゃない。

『うんうん。はっきり言おうか』


『俺しか聞いてないんだ。思ってることぶちまけちゃえよ』

「……………………」


 その言葉が決壊の合図だった。

「羨ましいの。すっっごく羨ましいの‼」

 我慢していたはずの涙が勝手に溢れて流れ出す。

「何でミズリさんと翰川先生がラブラブなのに、あたしとコウは恋人じゃないの。どうしてシェル先生は鬼畜なのに家族が居てあたしより幸せなの⁉」

 八つ当たりにもほどがある。

「何で……何でコウはあたしを好きになってくれないの……」

『……』

「もうやだ……」

 醜い感情を喚き散らす自分が嫌だ。

「ねえ、どうしたらいいと思う……?」

 今日家に戻っても、あたしはどうしようもない。お泊り会に参加してもしなくても、空気が悪くなること請け合い。

 おばあちゃん、あんなに楽しみにしてたのに――

『佳奈子はどうしたい?』

「…………」

 オウキさんはあたしの思考を知っているんじゃないかと思えるタイミングで、心を読んでいるのではないかと疑える言葉を投げかける。

『キミは傷心の真っただ中だよね。でも――光太には絶対に伝わらないよ』

 ああ、そうか。

「コウのこと、好きだった。……違うの。今でも好きなの……諦められない」

 あたしは――コウに自分の好意が伝わらないことが悲しいんだ。

「振り向いてくれたらなって思っちゃう」

『そうだねえ』

 彼の声はとても優しい。

「……わかってる。翰川夫婦がラブラブなのは、お互いを支え合ってるから。シェル先生は誠実で優しくて家族思いだから、幸せ」

『うん』

「コウはあたしを振り向かない。……わかってる」

 さっきのあれは、醜い嫉妬をぶちまけたのだ。

「ごめんなさい」

 よく知らない女からこんなこと聞かされても、オウキさんも不愉快だろうに、彼は静かに聞いてくれている。

『いいんだよ。僻んだり妬んだりするのは誰だって起こる。吐き出してもいいさ』

 本人たちには秘密。

 そう言って笑う声に、涙が出てきた。

『佳奈子。今日はおうちに帰りなさい』

「でも……」

 どっちに帰っても角が立つ。

 おばあちゃん、コウが泊まるの楽しみにしてたのに。

『大丈夫だよ。ひぞれとミズリは鋭いし、光太は鈍感だけど優しい子だ。……買い物のことはひぞれにちゃんと謝りなね?』

「……」

 なんでこの人知ってるの。

 わけわかんない。

『えー……これも言わないとダメえ?』

 ぶすくれたような声。彼はとても素直に感情を映し出す。

 妖精らしさってこういうことなのかな。

『夕食の準備をしようとしたところ、調味料が切れてた。予想では醤油か味噌?』

 ビンゴ。

『おばあちゃんが買いに走ろうとするのを光太が止めて引き受けようとして、キミが脇からかっさらった。……ついでに光太がついてこようとするのを振り切って、ひぞれが場を収めてたら予測完璧なんだけど……どう?』

「……見えてんじゃないのかってくらい正解よ。自信もって下さい」

『あはは。まあまあ、長引いてもあれだし、ひぞれのとこ行っておいで』

「うん」

 このカラオケ店のはす向かいがスーパーだ。翰川先生はそこに居るだろう。

「……オウキさん、ありがとう。八つ当たりのために電話したのに、こんな真剣に相談乗ってくれて……」

 はなをすする。

『あはは! 別にいいよ。……シェルがいつもごめんね』

「……お世話になってます」

『ならいいんだけど』

「怒鳴ったり酷いこと言ったりして、ごめんなさい」

『気にしないよ』

 くすくすと笑ってから、ああそうだと呟く。

『佳奈子、東京に来てよ』

「え」

 彼が言葉を続ける。

『ミドリさんが東京で治療受けたの、キミに心置きなく勉強してきてほしいからだよ』

「――」

『保険で割安にはなったけど、決して安いものじゃない。キミにお金を残したいって渋るミドリさんをみんなで説得した。これで東京行かないどころか、大学にも専門学校にも行かないってなったら、おばあちゃんの気持ちがどこにも行き場ないじゃないか』

 文字が魔法でしか書けないあたしは、寛光以外行けない。

 あれだけ極端な大学は寛光しかない。

「…………」

『シェルたちがキミの行く道を全部お膳立てしてくれてるんだしさー。あの子が教導役の義務もなしに生徒一人にここまで入れ込むなんて、まずないんだよ?』

「なんであの人そこまでするの」

『……本人から聞きなよ』

 くすりと笑う。

『また何かあれば電話してよ。相談に乗るからさ』

「うん……」

 電話が切れた。


 スーパーでは翰川先生が醤油を買って待っていて、優しい笑顔で『帰ろ?』と言ってくれた。

 また泣いた。

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