オチつかない話

 京ちゃんの教え方はとてもわかりやすく、それでいて人に考えることを促すような……

「京さんは先生できるよ。すっごくわかりやすかった!」

 数学の難問を解き終えて、美織が興奮気味に言います。

「え、ええ……そんな。だって、私、まだまだで」

 もじもじな京ちゃんも可愛いです。

「塾の先生なんて似合いそう……」

「スーツ着て子どもたちに勉強を教えるんだね。カッコいい」

「も、もう。……紫織だって美人だし、スーツ着て塾の先生でもいいと思うけど?」

「私はヒール履いたら転びますので」

 切実な理由でお断りすると、美織が笑い始めました。

「ローヒールにすればいいだけじゃん……!」

「ふえ⁉︎ で、でも、ヒールがない靴でも、履き慣れてないと私すっ転んで……」

 入試の面接試験のために、ルピネさんがスーツと靴を見繕ってくださったのですが、その時は革靴を履いて歩いた瞬間にすっ転びました。

「履き慣れればなんとかなるよ」

「うっ。あ、でも、京ちゃんのスーツ姿は見たいです。入学式スーツですよね。その時撮影を」

「気が早いなあ」

「うちも見たい!」

「美織ちゃんまで……」

 なんだかんだで美織も年頃の女子。

 そういう話は大好きです。

「というか、京さんモテそうだよね。スーツ似合う美人だし」

「えっ。私なんて、もう。モテたことなんて人生で一度もないよ」

「…………」

 京ちゃんの親友:エマちゃんや、その手の噂に詳しい佳奈子ちゃんから、京ちゃんの鈍感伝説は聞き及んでいます。

「恋愛対象に見られてないみたいだし……」

 バリバリ見られておりますよ。

 言いませんがそうなんですよ。

 ……心の中でメッセージを送っておきます。

「えー。仲のいい男子は?」

「うーん……同じクラスで喋る人はいるけど……」

「あっ、そうだ。光太さん!」

 おお、禁断の質問ですね。

 思えば、京ちゃん自身の気持ちを聞いたことはありませんでした。ナイス美織!

「光太さんとはどうなの? 前、一緒に帰り道歩いてたよね?」

「……森山くん?」

「うん」

 てっきり『友達だよ』で済ませるかと思いきや、考え込み始めました。

「森山くんは、仲良いかも」

 おおお。

 これは好印象なのでは。

「翰川先生のファンだから、同好の士みたいな」

 そうじゃないです京ちゃん。

「翰川先生?」

「森山くんの家庭教師してる女性で、すっごく美人で優しくて頭のいい教授さんなんだよ」

「へえ……もしかして、その人が寛光にいる人?」

「そう。その人に憧れて……大学に行きたいなって」

 美織、もっと粘り強く……!

 京ちゃん天然なんですから、一度話がズレたら戻せなくなっちゃいます。

「か、翰川先生素敵な人ですよね。……森山くんも、優しい人ですよねー」

「そうだね。優しくて頼れる男子だ」

 軌道修正に成功しました。

「あっ、そうだ。前、光太さん、京さんのこと守って助けてたもんね! 付き合ってるの?」

「え? いやあれは、私が彼にご迷惑をかけただけで……」

 そんなことしてたんですね。

「美織、目撃者だったの?」

「当事者というか」

 少し気まずそうでしたが、話してくれました。

「光太さん格好良かったんだよ。京さんが倒れそうになった時、ベンチに導いて、自分のブレザー脱いで京さんに被せてたの。日差しがあったし、周りに顔見せないように……」

 さすが光太くん。昔から思い切りの良い優しさをお持ちでしたから、そこは変わらないのですね。

「……うちのせいだったのに、うちが気にしないようにってフォローもしてくれて。いい人だった」

「お姉ちゃんもそう思う。今度、お礼しに行きましょう」

 光太くんのいるアパートは、私たちの暮らすマンションからはそこそこ近所です。

「うん!」

 さて、京ちゃんはどうなってるでしょう?


「……え、あ……も、森山くんは……そのう。と、友達……友達だよ? 友達です? トモダチ……」

 真っ赤な顔で壊れたレコードのようになっていました。


「け、京ちゃーん……?」

「トモダチ。マイフレンド。……ボーイフレンド? ひぁぁ……!」

 カエルちゃんビーズクッションにぼすぼす顔を埋めています。

 私が美織と密談を試みるタイミングはほぼ同時。

「……とりあえず、光太さん、脈ありで良かったね」

「そうだね……」

 もちろん光太くんにこれを伝えることはしませんが、佳奈子ちゃんには落ち着いた頃に伝えておこうと思います。

 複雑な気持ちであれど、幼馴染である光太くんの恋を応援する気持ちに嘘はないのでしょうし。

 本人の知らぬところで鈍感クイーンとあだ名される京ちゃんがこんなリアクションなのですから、これはもう決定したようなものです。

 しばらくカエルちゃんを抱きしめて何やら呟いていましたが、ふっ切ってベッドの上で立ち上がりました。

「も、森山くんは、友達! この胸は不整脈!」

「なんで不整脈なの?」

「へっ?」

「ドキドキしてるんでしょ?」

「…………」

 京ちゃん頑張れ。

 質問ぜめにされていた京ちゃんがギブアップしました。

「その。……森山くんとは、まだ会う機会があるし……私、こういうの、わからないから。ゆっくり……考えて、いきたい」

 あー、可愛いですねー。

「でも、たまに不整脈が起こるの……びょ、病気じゃない……んだよね」

「病気じゃないよ。ときめきです」

「ときめっ……あうぅ」

 クッションにぼすぼすしていましたが、振り切って私たちに言いました。

「お布団! 敷きましょう! うん‼」

「そうだね」

 京ちゃんは微妙にぎこちない動きで立ち上がって、部屋の端のクローゼットを開けました。

 極限圧縮パックに入ったお布団を引っ張り出します。

 その間に、私と美織で勉強机にしていた折り畳みテーブルの足を畳んで、元の収納スペースに移動させました。

「一つずつ布団一式が入ってるから、どっちでも」

「ありがとう、京ちゃん。応援してます」

「うん。うちも陰ながら応援します!」

 京ちゃんが泣きながらクローゼットと向き合う作業に戻りました。枕とタオルケットを出してくれているようです。

「ひあああ……」

 聡明な京ちゃんが動揺したり混乱したりする姿は滅多に見ません。

 なんだか、ますます愛おしくなりました。



  ――*――

 ケイの部屋を通りかかって戻ってきたアスが告げる。

「女の子たち、こいばな。可愛い」

 両親兄弟とカル以外には目を合わせられないアスだが、その程度で気品はかすみもしない。きちんと俺たちの方を向いて、小さめながら良く通る澄んだ声を出す。

「こいばな?」

 なんかのゲームの名前か?

 そう思っていると、カルが教えてくれた。

「恋の話の略だよ」

「それならコイハナじゃね?」

 不思議だ。

「それだと、そういう名前の花があるように聞こえるからじゃないかな」

「そっか」

「日本語は音が同じ言葉が多いからね。単音なら良くても、くっついた時に違和感を覚えるような音の並びだったら濁音に変わることもあるよ。音便というやつだね」

「納得」

 アスがぽつりと呟く。

「あなたたちは、どうして学問視点から入るのかな……」

「人の感覚なんて共有できないものより全知性体に平等な学問の方が優秀だと思う」

「同感」

 ため息をつかれた。

「結局は、あーちゃんの同類……」

「シェルと一緒にするなよ」

 真剣に学問に挑むシェルが可哀想だ。

 鬼の名前が出たことでカルが震え始めた。

「カル。どうしたの?」

「……いや……昼間のことを思い出して……」

「あーちゃんは可愛くて優しい弟だよ」

「それはアスに対してだからじゃないかな」

 自他ともに認めるシスコンのシェルは、アスとカルの仲を慎重に見極めていた。カルが信頼に足る人物だと判定してからは、同じく二人の仲を心配していた養父母にも連絡を回している。

 シスコン込みでスパイじみた真似をしてはいたものの、アスの精神外傷の根深さを考えれば過保護になるのも仕方がないと思う。

 きちんと父さんに許可取って探ってたらしいし。

「どうして? あーちゃんは誰にでも優しくて、常識的」

「それは無茶だ」

 友人の一人として冷静に考えて無理。

「?」

 アスが不思議そうにしている。……きっと、これからもカルは苦労するんだろう。

「電話、した方がいいかな」

「しないと殺されることを除けば何も問題ないんじゃね?」

「つまり問題しかないということだよね」

「そうともいうな」

 カルは息を吐いて心を決め、スマホを取り出しながらキッチンに向かった。

 取引先に電話するサラリーマンのような口調で話し始めた兄を見捨てて、アスに話しかける。

「アス、返事してもらえたのか?」

「……うん。なので、リナはワタシの弟」

「そりゃいいな。幸せだ」

 アスが義理の姉。カルの隣に立っている姿はしっくりくる。

「ん。明日の朝ご飯、どうするの?」

「さすがに俺が作るよ。客のもてなしくらいさせてくれ」

「……ありがと」

 カルの声が悲痛な色を帯び始めたが、アスを長年待たせた罰だから受け入れろ。

 養父母を引っ張り出してこないだけ恩情だぞ。

「まあ、さすがに同居して告白しといて、これ以上待たせることもないだろ。プロポーズも早いんじゃね?」

「だと嬉しい。……でも、カルのことならいつまでも待つ」

「そんなことで待たせてたら、今度こそお前らの父さん母さん出てくるだろ」

 俺としても女性をプロポーズで待たせるような兄は嫌だ。

 カルの半殺しも確定してしまう。

「お父さん、お母さんは。二人とも、優しい」

「はいはい」

 竜たちの家族愛が凄まじい。

「明日はどうすんだ?」

「二人でね、本屋さんと、レストラン」

「デートか。楽しんで来いよ」

「ありがと」

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