紙とペンと言霊 ~ 怪異譚は眼帯の巫女とたゆたう ~

佐久間零式改

紙とペンと言霊

「用意するのは紙とペン、そして言霊。それだけで十分なのです」


 それは、菊田志郎きくた しろうが開いている自己改革セミナーでの決まり文句であった。


「言霊を込めるように願いを書く。それが自己革命の第一歩なのです。言霊が作用していけばいずれは自分の心もその言霊に沿って変化していき、自分そのものが変化し、言霊の通りになっていくのです。自己改革とは変に知識を付けるのでは無く、他者から言われて変革していくものでもなく、自分の内部から改革していく事なのです。それが菊田流自己改革です」


 そのように説明してから、セミナーの参加者に願いを書かせる。


 当然、言霊を込めながらと指示するのであった。


「言霊を信じる。それだけです。つまり、私の自己改革は『紙とペンと言霊』……それだけで真の自己改革がなされるのです」


 これもまたお決まりの台詞で、菊田志郎はそう言って、唇の左端を上げて微笑むのだった。




        * * *



「最近、奇妙な事がずっと続いていまして。それで、この界隈では名の通っている稲荷原流香いなはら るかさんに相談を持ちかけた次第です」


 私は妻のりん、そして、今年で七歳になる将五しょうごを連れて、賀茂美稲荷神社を訪れていた。


 退魔師として有能と聞き及び、予約までしてわざわざ来たのだ。


「菊田志郎さんですね。お噂はかねがね聞き及んでいます。多くはあまり良い話ではありませんけれども」


 小さな社務所で、私達には折りたたみ椅子をすすめるも、自分は床に正座して見上げるように私達を見ている稲荷原流香がそう言って苦笑して見せた。


 左目に眼帯をしているので、稲荷原流香本人であろう事は紛れもない事実なのだろうが、対面している少女は想像以上に年が若かった。


 高校生か、大学生といったところだろうか。


 有能と聞いていたので、老女の退魔師とすっかり思い込んでいたので、不覚にも面食らってしまった。


「言いたい人には好きに言わせておけばいいのですよ」


 金を巻き上げすぎていると囁かれていることは知っている。


 だが、私のおかげで自己改革に成功した人から金を絞り取って何が悪いというのだろうか。


 私がいなければ、自己改革などできなかった人なのだ。


「お金の稼ぎ方は人ぞれぞれですので、それを否定する気は毛頭ありません。ですが……」


 稲荷原流香はそう言いながら、ちらりちらりと凜と将五を見ていた。


 まるで私などに興味が無いように。


 不意に稲荷原流香は右目で私をすっと見つめる。


 私を値踏みしているのだろうか?


「怪異が多発しているのは自宅だけなのではないでしょうか?」


「は、はい。一ヶ月くらい前からです」


「菊田志郎さんはあまり家には帰らないのではないでしょうか? 体験しているのは、奥さんとお子様だけですよね?」


 まだ何も言っていないのに、何故だ?


 ここ最近、家にいるとポルターガイスト現象に近い事が多く起こるようになったのだ。


「どうして分かる?」


「それと、言霊を使うのは賛同しかねます。言霊は良き方にも悪き方にも働きます。姉もそう言っています」


「……姉?」


 姉の存在は話には聞いてはいた。


 だが、視界にはその姿が見えないし、一体どこにいるというのだろうか?


「説明が足りませんでしたね。姉の魂は削り取られた私の左目に居座っているのです。ふふっ、おかしいでしょう? 死んでもなお現世に居続けようとする、生に対して貪欲な姉なんですよ」


 奇っ怪な女だ。


「ねえ、お姉ちゃん」


 大人しくしていた将五がやにわ口を開いた。


「目の中にいるお姉ちゃんって見えるの?」


「将五、なんて事を言うんだ」


「将五ちゃん、そういう事を言ってはダメよ」


 稲荷原流香の前で初めて妻の鈴が口を開いた。


 緊張しているのか知らないが、鈴は口を開こうとはしてはいなかった。


「……構いません」


 稲荷原流香は左目を隠している眼帯に手をかけて、手慣れた手つきで上へと持ち上げた。


 本当に左目がそこには無かった。


 あるのは、虚無のような闇のみ。


 目が取れたら、その下にある身体の組織などが見えそうなものなのだが、闇が居座っているかのように深淵があるだけだった。


 この闇が稲荷原流香の姉なのか。


「姉が子供達の姿が見えて嬉しいと言っていました。それと、見られて恥ずかしいとも」


 表情を変えずに稲荷原流香は眼帯を元の位置に戻して、左目の深淵を隠した。


「菊田志郎さん、質問が二つほどあります」


「……質問? なんですか、唐突に」


「一つ目の質問は……」


 稲荷原流香は右手を挙げた後、人差し指で天を指した。


「奥さんの鈴さんに優しくしていますか?」


「奥さんに優しくしていないと化け物が来るという話が最近あったような気がしましたが、それ系の話なんですかね?」


「いえ、優しくしているかどうかが知りたいのです」


「常に優しくしている。今でも愛していると言っておこう」


 その言葉に嘘偽りはない。


 今でも妻の鈴を愛しているし、鈴も私の事を愛している。


「……まだでしたか。それでは、二つ目の質問なのですが……」


 知りたい回答が出てきたからなのか、次の質問をしてきた。


「最近、家の改装などはしませんでしたか?」


 まだ詳細を話していないというのに、何故知っている?


「隣の土地が売りに出たので買い取りました。数ヶ月前に、そこにもう一軒建てましたね。それがポルターガイスト現象の原因とでもいうのでしょうか? 隣の土地に曰くでもあったというのでしょうか?」


「数ヶ月前? 関係はなさそうですね」


 何か分かったのだろうか?


「一週間経っても続いているようでしたら、私に連絡をしてください。私が直接出向きましょう」


「このまま放置しろというのでしょうか? 噂とは違って無責任ですな」


「一週間続くのであれば、本物でしょうから」


 話はそれで終わり、私達は社務所を後にしたのだが、帰り際、鈴に何かを渡していた。


 鈴に訊ねるも何も答えてくれず、疑念だけが残った。


 ポルターガイストに対する備えのような物だったのだろうか?




 * * *




 ポルターガイスト現象はほぼ毎日発生していた。


 誰もいない部屋から話し声や足音が聞こえたり、家具などが勝手に動いたりと、自分達以外にも誰かがいるような気配さえしていた。


 現象が続いた事もあり、言われたとおり連絡すると、稲荷原流香は御札で中の物を封印でもしているかのような面妖な長細い包みを携えて我が家に現れた。


「奥さんには優しくしていましたか?」


 やにわそう訊ねられて、


「だから、何なんだ。前も言ったように、相も変わらず優しくしている。それがなんだというのです?」


「鈴さん。あの事は菊田志郎さんにはまだ話していませんよね?」


 鈴の前へ行き、そのような問いかけをした。


「はい。まだ誰にも告げてはいません。一ヶ月前に分かりましたが、驚かせたくて……」


 不可解でしかない二人の会話の意味を訊ねるようとすると、


「鈴さんはまだ菊田志郎さんには告げてはいないようですが、。妊娠しているのを知っていたら、奥さんへの優しさに対する菊田さんの返答は違ったでしょう。それと、あの時渡したのは安産のお守りです」


「はっ?!」


 私は驚きながらも、心は躍動するほどの喜びで満たされて、どんな表情を見せるべきであるのか当惑してしまった。


 妊娠しているにしては、鈴の体型は以前と遜色ないように見える。


 お腹の辺りはふっくらとしていないし、それらしい変化も見せてはいなかったはずだ。


「言霊使いは、鈴さんが通っている病院の関係者である可能性が高いようですね。家に仕掛けた者がいるかもしれないと思っていましたが、数ヶ月前ならば、まだ妊娠はしていません」


「言霊使い?」


 何を言っているのだ、稲荷原流香は。


「あなたの自己改革セミナーを受けて知ったのではないでしょうか? 言葉の力を。故にその力を呪いに使った……そんなところでしょうか」


 流香は不敵に笑い、私の顔をのぞき込むようにして見てきて、


「あなたは言霊の力を信じてはいないのですね? あれだけ熱心に語っている方が言霊を信じていない。ですが、あなたのセミナーを受けて、言霊の力に目覚めた人がいたらどうでしょうか? その人があなたに恨みを抱いているとしたらどうするでしょうか? さて、鈴さん。病院の関係者から何かプレゼントされた物はありませんでしたか?」


「ええと……鉢植えに植えられた花を。子供が生まれる頃に綺麗な花が咲くからと」


「その鉢植えが元凶でしょう。そこに込められた言霊、私が断ちましょう。このエペタムで……」


 稲荷原流香は妖艶な笑みを浮かべ、手にしている包みをぎゅっと握った。


「エペタム?」


「とあるアイヌ人から託された『人喰い刀エペタム』ですよ。言霊返しをするには、エペタムほどの化け物を持ち出さなければ不可能です」


「その刀で何をするというです?」


「言霊返しですよ。言霊の力を言霊を作り出した人に返してあげるのです。一ヶ月以上も続く言霊の力が帰ってくるのですから、言霊使いは当然死ぬでしょうね」


 流香の予想通り、鉢植えの土の中に『菊田鈴の子供は死ね』と書かれた紙が入っているのが見つかった。


 流香はその紙を躊躇せずにエペタムで断った後、


「言霊使いの死は自業自得なので悔やむ必要はありません。鈴さんに優しくしてあげるのを第一に考えてください。偽りの言霊使いさん」


 そう言って、稲荷原流香は我が家を去って行った。


 その後、ポルターガイスト現象はぱったりと止んだ。


 誰かの呪いのような言霊が消滅したからなのだろうか?


『用意するのは紙とペン、そして言霊。それだけで十分なのです』


 私の言葉が巡り巡って、私に返ってきた事件だったのだろうか?


 偽りの言霊使いの私には、信じられないような事件であったものの、私はまだセミナーを開いている。


 そうする事でしか、産まれてくる子供を養うことができないのだから……。





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