第2話

 真っ暗だ。

 ふと目が覚めて、枕元に置いてあったスマホで時刻を見ると夜中の三時だった。

 なにか物音がした気がした。

 眠りが浅かったとはいえ確かなことは言えないのだけれど、明らかに、屋鳴りだとか隣部屋からの物音だとか、そういったものとは別種の音がした気がするのだ。ゴキブリでもわいたのか? それかあれだ、微妙な位置にあった食器か何かが自然的に動いたか。

 色々考えていると、変に頭が冴えてきた。ああだめだ、こうなるともう眠れない。もしかしたら、という子どもじみた悪寒が背中を走る。人間は目に見えないものを恐れる。それは例えば中身のわからないびっくり箱であったり、先の見えない暗闇だったり、あるいは幽霊だったりする。僕は、暗闇を怖がっているのだろうか。いま部屋は真っ暗で、まさしく先の見えない暗闇の中にある。僕はその暗闇を恐れている。断じて、そう、断じてそれ以外ではない。僕は別に理科やら科学に詳しいわけでもない馬鹿者であるけれど、幽霊というものが科学的に考えて存在しないことくらい、とっくに理解している。

 では、この悪寒はなんなのだろう。ベッドの布団にくるまりながらも、僕はなんだか寒くって仕方がない。ちん、となにかの音が間近で鳴った。それは僕が炬燵の上に置きっぱなしにしたマグカップを、指で軽く弾いたみたいな音である。もちろんこの部屋にはいま、布団にくるまる僕ひとりしかいないのであって、そんな音が発生する道理はない。ああ、これはおかしいぞ。なにか、なにかおかしいぞ。僕は目を閉じて息を止めた。頭の中で、ない知恵を振り絞って必死に幽霊の存在に否を唱え続けた。抱きまくらを絞め殺さんばかりに抱きしめて、布団の中で丸くなった。

 ずっとそうしていると、馬鹿な僕を睡魔が襲い、眠り、目が覚めるとそこはなんの変哲もない、カーテンの隙間から朝日の差し込む自室があるのみである。

 昨夜のことは夢だったのではないかと思えるほどの変哲のなさだった。ただ、体は相変わらず重く、そればっかりは夢じゃない。しばらくベッドで横になって、動けるようになって立ち上がると、あらおかしい、炬燵の上のマグカップが消えている。僕の記憶違いだろうか、キッチンに行くと置いた覚えのないマグカップが置いた覚えのない場所で鎮座している。昨夜の悪寒が蘇る。ああ、ああ、……ああ。




 お祓いに行くことにした。

 僕の体にはなにかよからぬものが取り憑いているに違いない。だから体が異常なまでに重いし、自室ではへんてこな怪奇現象が起こるのだ。

 行くと決めれば行動は早いほうがいい。僕はインターネットでお祓いをしてくれる人を探した。すると案外すぐに見つかり、サイトなどを読んでみたところ、どうやらその彼は昔、神職に就いていて、いまはお祓い業一本で生計を立てているらしい。

 さっそくサイトに載っている番号に電話をかける。

 誠実そうな男の声がスマートフォン越しに聞こえた。僕がお祓いを依頼したいということを伝えると、すぐに日程の調整に入った。どうやらいまスマートフォン越しで話しているのが、お祓いをしてくれるというマキタなる男のようだった。

 決まった日程は明後日の早朝だった。僕はマキタにいまの自分の現状を軽く伝えた。マキタは鷹揚に頷き、「その程度ならまだ大丈夫でしょう」と言った。なにが大丈夫なものか、こちとら大学にもバイトにも同級生の葬式にも行けないのだ、とは思ったけれど飲み込んだ。

 それにしても、果たしてこのマキタとかいう男は信用できるのかどうか。電話をして日程まで決めておいて言うことではないのかもしれないけれど、やはり僕は、というより世間一般の人間はこういうスピリチュアルな話には懐疑的なのである。幽霊を信じている人間は、この世界にどれだけいるのだろう。正直、僕はまったく信じていなかった。実を言うと今も信じ切れていないというのが本音だ。人間は死んだらどうなるのか、というのはよく議題にされることだけれども、話は簡単、人間なんて言ってもただの物質に過ぎない。心臓が止まって脳機能が停止すれば、それはかつて動いていたというだけの人だったものになる。言うなれば僕たちは、高機能な、動く縦長の肉塊にすぎないのである。そこには幽霊なんていう非科学的でスピリチュアルな現象の存在する余地がない。世界というのは案外完璧にできているのだなあ、うん。

 じゃあ僕がなぜこのマキタ某に、高い金を払ってまでお祓いをしてもらおうと思ったかといえば、それはやっぱり僕の周りで起きている怪奇現象としか言えないものがあまりにも恐ろしかったからである。

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