第五章 盾と建前(4)
まさか寝ているとは思わなかった。油断しすぎじゃないか、こいつ。
風呂場から出てきた隆二は、普通に寝ている円を見て若干引いた。自分がバケモノだとかそういう話を抜きにして、年頃の女としてどうよ、それ。
一応洗ったものの汚れが落ちきらなかったシャツを干す。中に着ていたTシャツは黒だから、汚れは目立たなくてよかった。めっちゃ穴あいたけど。穴っていうか、裂けてるけど。
ケータイを取り出す。
あまりに気は進まないが、連絡しない方が酷いことになるのは目に見えている。
まあ電話越しなら、怪我はバレないだろう。
真緒に電話をかけると、三コールで出た。はやい。
「隆二? 大丈夫?」
そしてすごい勢いで話しかけてくる。
「あー、今、平気か? どこ?」
「沙耶の家。円さんから連絡あって、今日は帰れないっていうから泊めてもらうことになった」
いつの間に連絡したんだ、あの人。すぐ寝たのかと思ったが、やるべき事はやってたらしい。
「あとでお礼しないと」
「それはそうだけど、そうじゃなくて! 大丈夫?」
「いつもどおり」
「怪我したの?」
「なんだその聞き方。怪我してねーって本当に」
「嘘」
いつもならこれで引き下がるのに、今日は強く否定された。
「嘘ってお前」
「なんとなくわかる。怪我してるでしょ?」
なんでバレた? いつもどおりに会話したはずだし、電話だから見えないはずなのに。
「してないってば」
「大怪我?」
「おまえさぁ」
「してないっていうなら、写真送って」
「俺が機械苦手なの知ってるだろ」
「円さんに頼めばいいじゃん」
「真緒」
ちょっときつく名前を呼ぶと、しぶしぶと言った感じで黙った。
「真緒、平気だから」
「あたしが言ったこと、覚えてる?」
「……手を抜いて怪我するなってやつだろ、覚えてる覚えてる」
手抜いたというか、今回は油断したが。だってあんな愚鈍そうなナマコになんか生えてくるとは思わないじゃないか。
「嘘、ついてないよね?」
「ついてない」
咄嗟に嘘に嘘を重ねた。怪我は治るけど服は誤魔化しきれないかもしれない。どうしようかな。
「なら、いい」
返ってきた声は、低く冷たかった。怒ってるな、これは。
「あー、うん。あれだ、大道寺さんに代わってもらっていいか?」
考えることを放棄して、真緒から逃げた。
「真緒がご迷惑をおかけして」
電話口に出た沙耶に挨拶したら、なんだか楽しそうに笑われた。
「普通に挨拶するんですね」
「社会常識だろ」
なんでそれぐらいで笑われるんだ。人のことなんだと思ってるんだ。人じゃないけど。
「こちらこそ、円姉がご迷惑をおかけしてます。というか、こちらがお仕事をお願いしている立場なので。真緒のことなら大丈夫ですよ。明日の朝、霊体に戻ってもちゃんと一緒にいますから」
「すまない、本当に。すまないついでに、真緒に代わらずにこのまま切って欲しい」
「別にいいですけど……。あの、神山さん」
「ん?」
「真緒を泣かせないでくださいね」
沙耶にしては冷たい声でそう言って電話は切れた。
え、なんだ今の。もしかしてあいつ、泣いてんのか。急に罪悪感がのしかかってくる。あと、帰るの嫌だなーっていう後ろ向きな思いも。
「怒られたのー? 真緒ちゃんに」
いつの間にか、円がベッドに寝転がったまま、でも目は開けてこちらを見ていた。口元がニヤニヤ笑ってる。
意地の悪い顔をしやがって。というか、
「靴のヒールが折れた話、大道寺さんにバレたらあんたも怒られんだろ」
「げっ」
くしゃっと不愉快そうに円の顔が歪む。
「そうだった。同じ靴買ってったらバレないかな?」
「子供みたいな隠し方だな。だが、俺もそれにのりたい。同じ服、買って帰りたい」
「そうね、そうしましょう。明日、買い物して。それ、どこの服?」
大人になりきれない者達は、大変ダメな方向で結託した。
そんな話をしているとベッドに投げ出してあった円のケータイが鳴る。電話のようだったが、円はチラリとそれを見ると、無視を決め込んだ。
「でなくていいのか?」
「カレシ。多分、今話ししたらヘマしたの気づかれるから出たくない」
「あー、なるほど」
お互い似たようなもんだな、と苦笑を交わす。
「あれってなんでバレるんだろうな」
「ホントにねー」
しばらくして、ケータイは静かになった。
「そういや、ずっと気になってたんだが、あんたライバルの家の息子と付き合ってていいのか?」
「ぶっちゃけ、良くはないわねー」
うわぁ、ストレートに聞くわねぇ、などと言いながらも、円は笑って答える。
「父様は容認してるけど、ジジイ連中は割とブーブー言ってるし、分家には隠してる。翔くんの方も、似たようなもんじゃないかな。でも、まあ」
よいしょっと、とちゃんと座ると、円は笑った。嬉しそうに。
「それが別れる理由にはならないわよね」
その顔に、ああ、なんだかんだ本当に好きで付き合ってるんだろうなーと思う。そして、いいことだなと思う。家に縛られすぎないのは、いいことだ。
「でも、跡取りで結婚しろとか、言われないのか?」
「言われる。でも、最近はお見合い避けてる」
「それがちょっと謎なんだよなー。確かにあんたは自分の意思を押し通すタイプだとは思うが、それはそれとして責任感はある。跡取り娘として、結婚して子供を……ってこれまで考えてなさそうなのが、ちょっと不思議だ」 かねてから薄ぼんやり思っていたことを告げると、円がちょっと微妙な顔した。苦虫を噛み潰したような。
「あーいや言いたくないなら別に」
ちょっと興味があったから聞いてみただけで、別にすっごく知りたいわけでもないし。
「いやー、なんていうか、そこつっこまれるか、と思って。原因部分は失敗で恥ずかしいから言いたくなくて、結果部分は気を使わせちゃうから言いたくないんだけど、あなたにはもう失敗見られてるし、気は使わなさそうだしねぇ……。今回の仕事に絡んでる部分もあるし」
せっかくだし言っちゃおうかな、と円がつぶやく。
しかし、気を使わなさそう? どいつもこいつも人のことをなんだと思っているのか。ひとでなしか。そのとおりだ。
「あのね、これは沙耶にも言ってない」
「やめろよ、重いな」
「私、子供ができないの」
「へぇ」
前振りの割には、軽い話だと思ってしまった。いや、当事者にとっては大事なことだろうが、よくある結婚しない理由に思える。
「跡取り産めないなら別にいいか、ってことか」
「そう。それがね、高校の時の仕事のミスが原因なの」
訂正。やっぱり、重い話のようだ。
円は右手を真っ直ぐ伸ばすと、
「おいで」
小さく呼ぶ。次の瞬間、その右手の中に、いつもの刀が現れてた。透明にはなっていない。
「それ、そんな便利機能もついてたのか」
「視界に入っている範囲内で、の限定的だけどね。所有者が呼べばくる」
なるほど。さきほど武器も手元に置かずに無防備に寝ていると思ったが、これなら武器が手元にあるのも同然か。
「これは代々一海の跡取りに伝わっていてね。私は高校生の時に、これと契約した。選ばれた」
「そりゃあ、おめでとう」
「でも、当時の私はやたらと自分の力を過信しているタイプで」
「今でも、では?」
油断したのは自分もだが、ついつっこんでしまう。
「今よりも、もっと。過信しかしてなかったというか、まあ若かったし」
「あー、なんとなくわかった。それが力を手に入れてさらに調子に乗ったんだな」
「そのとおり」
刀を脇に置くと、円は話を続ける。
「撤退する場面を見極め損なった。怪我もまあまあして、ついでに取り憑かれた。ここに」
言って親指で腹部を指す。
わざわざその場所に言及する。この話の流れで。
「……なあ、その時、まさか」
「そ、妊娠してたの。私もまだ気づいてなかったんだけどね。……あ、子供はちゃんと当時付き合ってた人の子よ?」
そりゃあ大道寺沙耶には言えない話だ。原因は失敗、結果は気を使わせるってこういうことか。
「育つ前に気づいたから、堕ろして事なきを得たんだけど。体調悪いというか、ずっと体内が気持ち悪いと思ったら、まさか中にいるなんてねぇ」
あっけらかんと言うが、当時はかなり大変だったのだろうな、というのは想像できる。中から取り憑かれるのは、苦痛だろう。普通にしてたら生まれていたかもしれない子供も、失ったのだ。精神的にもかなりの苦痛のはず。
そして一海の跡取り娘がそんなことになったのはスキャンダルだから口止めもしていたのだろう。沙耶達が知らないのも無理はない。
「だからね、しばらく使うの止めてたの。この刀」
そっと鞘を撫でる。
「これがあると調子に乗っちゃうから。この子が悪いんじゃなくて、私が悪いんだけど。大人になったし、対象があれだし、いいかなと思って解禁したらこのザマ」
本当にごめんなさい、と頭を下げられる。
「それについては反省してもらって、ついでに服買い直して貰えればいい。油断してたのは、俺も同じだ」
答えると、意外そうな顔をされた。
「いや、なんだよ、その顔」
「あなた、油断してたの?」
「してた。依頼主に先に行かせる場面じゃなかった。護衛が状況確認するぐらいやるべきだなって思った」
「真面目ねー、意外と」
意外は余計だろ。
「退治したらクリアじゃないだろ。無事に帰って百点満点だ」
「そうなのよね」
うんうんと円は頷き、
「だから、あなたは信頼出来る。うちの分家の若者とかはダメねー。この身に代えても任務を遂行って部分があるから、ハラハラする。あなたは、まあ死なないからいいやって部分もあるんだろうけど、周りも含めて命を最優先しようとするから、そこは信頼してる」
「そりゃどうも」
真っ直ぐに投げかけられた言葉に、なんだか照れくさくて視線を外す。そしてふと気づく。違和感の、正体。
「だから、自分でやってるのか? この仕事」
「え?」
「本家のお姫様が自ら体を張るなんておかしいとは思ってたんだ。わざわざ俺を護衛にすることで周りを説得してまで」
「あー、うん、そう。他の人に任せると下手したら死人がでるかなって思ったのはある。でも、あとはね」
がしがしと片手で頭を掻く。なんでもスパスパ発言する彼女には珍しく、ちょっと言い淀むと、
「あの壺の中には、いるはずなの。私の、子が」
見たこともないからわかんないんだけどね、と続ける。
「なんでまた始末せずに……」
言いかけて、自分で気づいてしまう。
「ああ、実験サンプルか」
「そう。ただ、今すぐにって状況じゃなかったから一緒くたにしまわれてた」
雑よね、と円は苦笑した。
「なるほどな。でも、それは子供が産めないとはちょっと違うな」
「そうね、それが本当に人の子かわからない、が正しいかな。子宮が汚染されてしまったというか」
円の手が、自分の腹部をおさえる。綺麗なネイルが施されているが、よく見ると傷だらけの手。
「利用しようとするやつもいるだろ。一海の娘が生む、化け物の血を持つものならば、使い勝手はいろいろあるはずだ」
「だから、黙ってるんじゃない」
「俺に言うのはいいわけ?」
部外者中の部外者だが。
「あなたが他人に言うなんて考えられないし、言う相手もいないだろうし」
「友達いないみたいに言うなよ」
いないけど。
「そもそも一海のことに興味なんかないし、人体実験なんて絶対しないでしょ?」
うっすら挑戦的に微笑まれる。人体実験で不死となった。自分の身の上を呪っているのに、それをするわけが無い。
「はっ、違いない。でも、よく言うねぇ」
そのとおりだが、それを直接言ってくるのは豪胆だ。思わず笑ってしまう。
「まあだからお見合いとかも、逃げてるの。以前は隠してお見合いしてたんだけどね。子供はなかなか出来ないふりして養子でもって思って。でも、直のところに子供産まれたから」
「あー、従弟の?」
「そう。なら私が偽装することないかなって」
内緒よ、と人差し指を立てて笑う、悪戯っぽく。
「この話は父様しか知らない。直も、沙耶も。医者のセンセは亡くなったし」
「あんたの恋人は?」
「翔くん? 彼にはちゃんと伝えた。だって必要でしょ? 彼は巽の跡取りなんだから。最初は黙ってたけど、本気になったあたりでやっぱりだめだなって」
ふぅと息を吐く。さすがにこの話題は少し、困ったように、つらそうに見えた。
「彼は少し考えさせてくださいって。まあ、急にそんなこと言われても困るよな、とはいえもうお別れかなーって、思ったんだけどね」
だが、円はそこでふっと思い出し笑いを浮かべる。
「思ったんだけど……その後すぐに次のデートの予定を詰められて、さすがにはぁ? って思ったわ。考えるんじゃなかったの? って聞いたら、珍しくきょとんとして「考えますよ? どうすれば円さんと結婚して、巽も一海も納得させられるのか」とか言うし」
それに思わず笑ってしまう。初対面で人のことを睨み付けてくるいけ好かないガキだと思ったが、いいところもある。
そんなことでは別れる気はないのなら、この二人はどうにかするだろう。現状を。
「いい子だなぁ」
「そうなのよ」
やたらと嬉しそうに円が頷く。この女でも、恋をしている表情をつくるんだな、と思った。顔に出ないタイプかと思った。指摘すると怒りそうだから言わないけど。
「あ、せっかくだから私からも聞いていい? 人の名前を呼ばないようにしているのは、わざと?」
聞いていいとは言ってないのに、聞いてくる。
「私のこともずっとあんたって言ってるし、直のことは従弟、翔くんのことはあんたの恋人。沙耶のことは大道寺さんって呼んでるけど、それ以外って基本呼ばないよね、名前を。さっき、円って呼ばれて、ああこの人私の名前覚えてるんだって思った」
「……呼んだっけ? さっき」
「呼んだ呼んだ」
「あー、咄嗟にかな」
咄嗟になら呼んだかもしれない。
「実はあまりにも名前呼んでくれないからムカついて、こっちもしばらく神山さんって呼ぶのやめたの、気づいてた?」
「いや、まったく」
なーんだ、つまんないのーと円が言う。言葉の割にはなんだか楽しそうだ。この人は、人をからかって遊ぶ傾向がある。
「名前は、まあ、呼ばないようにしてるな」
誤魔化そうかと思ったが、先に向こうに素直に話されてしまっている。フェアではないだろう。
「なんかこう、呼んだら愛着がわいてしまうだろ? 俺みたいな化け物との距離は、遠い方がいい」
「化け物、ねぇ」
円は口元に指をあて、何かを考えるような間を置いてから、
「失礼を承知で言うけど、神山さんが自分で思っているよりも、あなたの精神構造は人間だと思うけど? 忘れられない人がいて、守りたいものがあるのなら」
真っ直ぐに目を見て言われて、思わずたじろぐ。
忘れられない大切な人。守りたい同居人。帰る場所。確かにそれがある今は、何も持たなかった昔よりも、生きている感はある。でも、それだけだ。
「納得してない感じね。ま、人と人じゃないものの境目はどこにあるのかしらねぇ」
「……戸籍?」
「戸籍制度ない国はどうするの?」
「ああ、そうか。あとは見た目か。見た目だと俺は限りなく人に近いんだけどな」
「でも、あなたの自認は人でないのでしょう?」
「形がどうあれ化け物だろ」
確かに見た目は人かもしれない。でも、人より優れた身体能力がある。怪我をしてもすぐ治る。そんなの、化け物だ。なによりも、
「死ねないのは、化け物だろ」
命の決定権は、自分にすらないのだ。
「死ねない、ね。死なないって言わないのね」
円はどこか、寂しそうに微笑んだ。
「ということは、神山さん。あなた、死にたいと思ったことがあるのね?」
円にしては気を使うような、ゆったりとした柔らかい声色だった。だからこそ刺さった。自分の、心に。
「俺、は……」
無意識に死ねないと言った。その言葉の意味。
円は黙って、隆二の答えを待っている。
確かに死にたいと思ったことはある。消えたいと思った。不死を呪った。でも、そう答えるのは、今は正解ではない気がした。
沈黙が続く。
何かの羽音のようなものがする。
「……ん?」
考えるのをやめて、自然と俯いていた顔を上げる。羽音?
「どうしたの?」
異変を感じた円が問いかけてくるが、静かにするように促す。
何かが、変だ。どこからしている、この音は?
目の前で首を傾げている、この女から。
「失礼」
ひと声かけると、座っていた円をベッドにうつ伏せに倒した。
「はあっ?! ちょっ、神山さん!?」
騒ぐ円を無視して、その背に指を這わせる。多分、この辺。
「っち、おいでっ!」
円が舌打ちして、刀を呼んだのと、
「あった」
隆二が目的のものを見つけたのは同時だった。
「ひゃっ」
円の襟元に着いていた、黒いものをとる。僅かな羽音を立てている、虫。
「なに、それ」
刀を持ったまま、開放された円が隆二の手元をのぞき込む。
「やられた、でるぞ」
「は? ちょっと」
文句を言いながらも、円は手早く放り出していた荷物を手に取る。
駆け足で車に向かいながら、
「説明!」
「発信機的なものだよ、多分な」
「いつの間に……あ、最後の触手?」
心当たりがあるらしい。
「なんの目的かは知らんが、ここにいるべきじゃないだろ。人を巻き込む」
「そりゃそうだわ」
隆二は助手席に滑り込む。
「あら、珍しい」
「この状況なら、こっちだろ」
「で、どうすんの?」
「発信機がついたってことは、黒幕の息がかかってるはず。それなら」
「お出迎えするしかないわね」
「そういうこと。そっちがその気なら」
「こっちは戻るだけね」
人が少ない方がいいに決まってる。
さっきの山に向かって、円がアクセルを踏み込んだ。
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