第五章 盾と建前(3)
たっと隆二が先に駆けていく。赤く染まった背中に、一瞬心が動くのを深呼吸して耐えた。
走りながら隆二が蹴り上げた石に反応して、触手が一本動く。
近づいた隆二に残りの二本が振り上げられる。高く跳びあがり、隆二はそれを避けた。
その辺りで、円も走り出した。触手の二本を隆二が相手している間に本体に近づく。蹴り上げられた石に反応していた一本が、こっちにやってくるからその先端を切り落とす。ざっと砂になるのを視界にとらえ、さらに一歩飛び込むようにして近づき、刃を振るう。
刃は本体に傷を負わせたが、消滅させるには足らなかった。痛みに耐えるように、本体が震える。
一回で足らないのならば、さらに斬りつけるだけのこと。確かに自分は力だけで解決しようとする節がある。でも、力で解決できる能力がある。それは円の誇りだ。
円の方が自分に害をなすことがわかったのか、触手が隆二の相手をやめ、円に向かってくる。
「させるかよ」
スライディングする要領で触手の下を通り抜け、隆二は先回りする。円に振り下ろされそうになった一本を、隆二が腕に巻き付けるようにして受け止める。それを円は斬り落とした。
さらに円は袖口に仕込んでいたお札を投げる。力を込めて放ったそれは、まっすぐに触手に向かって飛んでいく。ばちっと音を立てて張り付くと、触手の動きが封じられた。実体のあるこの物の怪に効くかどうか、ちょっと疑わしかったが、ちゃんと動きを止めてくれた。
「円、あいつの背中だ!」
隆二が本体の上の方を指差す。
「短いがあそこだけ触手が密集している。多分、あっちを攻撃した方がいい」
「なるほど、弱点ってことね」
しかし見上げたものの、簡単に届く距離ではない。
最初に斬り落とした一本が復活して、こちらに振り下ろされそうになる。のを、隆二が蹴るようにして迎撃した。
「いって」
さすがに衝撃で後ろに転げるが、すぐに起き上がる。動きが鈍った触手を円は再び、斬り落とした。
「よし、今のうちに行くぞ」
隆二が、円の腰のあたりを抱えると一度後方に跳ぶ。しかし、円よりも小さいくせに、人のことを軽々抱き上げてくれるな、こいつは。
「札の残りは?」
「三枚」
「上に跳ぶから、全部背中に向かって投げろ。あとはこっちが重力を利用して、刺す」
「めちゃくちゃな。失敗したら?」
「しねーよ」
どっからその自信が来るのか、隆二は鼻で笑った。まったく根拠のない言い分だが、この男がそういうのならば大丈夫なのだろう。そう思ってしまう。
完全に信頼しているわけではない。それでも、護衛としての力は認めている。そして、頼りにしている。それは、この男にも自分にも帰る場所があるからだ。待っている人がいるからだ。そこを読み間違えて、帰れなくなるようなヘマをこの人はしない。無理だと思ったら命を一番大切にして、引くことができる。この人はそういう人だ。
そして、この人は仕事であることを除いても、円を傷つけるようなことを、ましてや見捨てるようなことはしないだろう。そんなことになったら、真緒に怒られるから。真緒が悲しむから。かなり間接的だが、そのことは強く信じられる。
ならば、やるだけだ。
隆二は円の膝の裏に手を差し込み、お姫様だっこの状態で抱えなおすと、ぐっと足に力をいれて、地面を蹴った。物の怪の真上に来るように跳びあがる。
ちょうど上に来たタイミングで、円はお札を放った。物の怪の背中でイソギンチャクのようにうごめいていた触手が、動きを止める。
隆二の腕を蹴るようにして、下に飛び降りる。あとは自重で、落ちていくだけ。
ぐにょり、と触れた物の怪の背中は不自然に柔らかくて気持ち悪い。そんなことを思っている間にも、刃が物の怪の体に入り込む。
短いうなり声のようなものをあげて、物の怪が体をよじる。
触手の一本が自分の襟元を撫でる。
でも、無駄だ。こっちが、早い。
「消えなさいっ」
叫ぶと同時に、刀に力を。刺された傷口から物の怪は砂になり、消えていく。円に触れていた触手も。
物の怪全体が砂になって消え、それに伴い円の体は地面へと引き寄せられる。三メートルほどの高さから落下したが、
「ご苦労さん」
軽い言葉とともに、先に地面で待っていた隆二に抱き留められた。ひんやりとした彼の手が、動いたあとの体にはちょうどいい。
しかし、勢いに任せてしまったが、結構な無茶苦茶だったな。なんとかなったが、無我夢中だった。
「あなた、いつもこんなことしてるの?」
地面におろされながら、恨みがましい口調で聞いてしまう。
もうちょっと冷静な人だと思っていたが、ずいぶんと乱暴だ。
「何言ってんだ?」
隆二は小ばかにするように笑うと、
「いつもはこんな目に遭ってない」
「そりゃ、そうでしょうよ!」
聞いた円がバカだった。
「でもまあ、無茶でも無謀でも、帰らなきゃいけないんだから仕方ないだろ」
照れたように視線を外して言われた言葉に、ふっと肩の力が抜ける。
「そうね」
ああ、やはり、この人を信じた自分の眼は間違ってはいなかった。
だから、
「帰りましょうか」
「ああ」
「あ、靴」
「いい、いい。山おりるまで履いとけ」
「じゃあ、ありがたく」
ヒールの折れた自分の靴も抱えて、山をおりる。
車のところに戻ったところで、隆二に靴を返した。自分のドライビングシューズに履き替えて、車に乗り込もうとしたところで、
「乗らないの?」
なぜか、車のわきに突っ立ったままの隆二に声をかける。
「あーいや、車汚すんじゃないかと思って。高いだろ、これ」
確かに血まみれ、土まみれだ。でも、円だって似たようなもんだし、そうなった原因はこちらにあるんだからしょうがない。
「いいわよ、そんなこと。変な人。気になるなら泥ぐらいは、はたいて落として」
自分の服の汚れを払い、まだ渋っている隆二を、後部座席のドアをあけて半ば押し込む。
自分も運転席に滑り込むと、いつものように刀を透明化し、助手席に。そのまま、車を走らせる。
「あー、しっかし、こっから運転して東京まで帰るのつらいなー」
山をおりている間に、すっかり日が暮れてしまった。こんなことになるとわかっていたなら、もっとはやく集合すればよかった。っていうか、思ってたよりここ、遠かった。
「俺も、せめて傷口が消えるまでは帰れないな」
もう血は止まったけど、と隆二が続ける。
「どっかで一泊して帰る? って言っても、何もないなー」
車も少ないし。民家もなさそうだし。もう少し都内に近づけばいいのかもしれないが、自分はさっさと休みたい。
「あー、あそこは?」
隆二が指差した方に視線をやると、そこだけやたらと煌々とライトがついた建物が一つ。ホテル・ヴェルサイユと書かれた看板。豪華さとダサさを履き違えたようなそれは、古の外観のラブホテルだった。
「え、正気?」
「別に何もしねーよ」
「そこは心配してないわよ。明かりはついてるけど大丈夫? あそこやってるの? 変なものでない?」
「幽霊とか? 退治できるだろ」
「それはどうでもいいし。ネズミとか」
「もっとどうでもいいだろ。退治できるだろ」
「したことないわよ」
くだらない会話をしながらも、円は目的地をそこに切り替えた。
訳ありだし、あれぐらい詮索されなさそうな、緩いホテルの方が都合がいいのは確かだ。
「神山さん、後部座席に私のストールあるでしょ。一応それ、肩からかけといて。背中血だらけは、さすがにまずいし」
「汚れるんじゃ……」
「はいはい、いいから」
なんでこんなに汚すことを気にしてるんだか。変な人。しょうもないやり取りをしながら、なんやかんや部屋に入る。まあまあ綺麗だし、客はいるようだ。
「あー、つっかれた」
一応持ってきた刀を邪魔にならないところに置くと、ベッドに倒れこむ。
あ、ちょっとほこりっぽいかも。
「風呂入っていいか?」
「どうぞー」
隆二がお風呂場に消えていく。ケータイを取り出し、最低限の連絡をしたところまでが限界だった。
眠い。だめだ。隆二が出てくるまでちょっと寝よう。そう思って目を閉じた。
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