第五章 盾と建前(2)

 着いた場所は隣県の山奥だった。

「これまた、自然が豊かだなぁ」

 起こせと言った割に、起きていた隆二がぼやく。

「ホント、いつも山ばかりね。都心をうろつかれるよりはマシだけど」

「まあ、山は異界の入口だからなー」

 のんびりと言い、隆二は車から降りる。靴をはきかえた円もあとに続いた。もちろん、刀を忘れずに。人目がないので見えるようにしておく。

「なんで履き替えるんだよ、靴」

「ハイヒールで、車運転しちゃダメでしょ」

「それがダメならハイヒールで、山ん中走り回るのもおかしいって気づけよ」

「法令で禁止されてない」

 はぁ、と大きく隆二はため息をついた。

 ただすぐに表情を引き締めると、

「あっちだな、気配がする」

 サクサクと山道を登り始める。

 護衛として雇ったが、彼の鋭い感覚は怪異探しにも役に立っている。本当、神山隆二様々だ。

 あまり道は整備されていない。登山にも向いていないのだろう。

 そこそこのぼり、軽く息が切れてきたところで、

「あれだな」

 隆二が足を止めた。

 しかし、割と鍛えている自分でも息切れしてるのに、顔色ひとつ変えないなんて……。さすがだ、良くも悪くも。

 そこでは物の怪が、ずるずると地面を這っていた。

「結構、大きいわね」

 高さが三メートル、長さは七、八メートルぐらいありそうだ。手足もない物体が、木々の間をただ蠢いている。

「まあ、動きは遅そうだな」

「そうね」

 あれなら、そんな手間もなく倒せるだろう。

 刀を握り直す。

 代々、一海に伝わるこの刀は、妖刀の一種だ。一海の血が流れる、選ばれた一人のみが持てる刀。

 高校生の時に、刀に認められて以来、所有者は円になっている。お札で姿を隠しても、円にだけはどこにあるかわかる。

 完全なる霊体にはあまり効かないが、ある程度実態を帯びている怪異ならば、容易に斬りつけることができる。霊視能力の高い人間にしか視えないような霊は無理だが、目撃情報の多い地縛霊程度ならば一振りで簡単に。

 這いずり回る物の怪に視線をやる。

 これぐらい大きいと、一発で仕留めるのは無理かもしれない。しかし、どんな物の怪でも中心がある。人で言うのならば、心臓が。そこを上手いこと叩き斬れば、いける。

「何かあったら、援護をよろしく」

 隆二に声をかけると、一つ息を吸い、神経を集中。物の怪が遠ざかるタイミング、つまり、おそらく背中を向けたタイミングで駈け出す。

 近寄り、鞘から抜いた刃を、その背中に振り下ろそうとしたところで、

「後ろっ!」

 隆二の言葉と、不穏な空気に右に飛び退く。

 次の瞬間、先ほどまで円がいた場所に、触手が叩きつけられた。

「うっそ」

 さっきまでナマコみたいな、手足のない図体をしていたくせに、謎の触手を何本も生やしている。

 一旦距離を取り直そうとしたところで、二本の触手が左右から振り下ろされる。後ろに跳躍し、避ける。

 たんっと着地した先に、大きめの石があり、体勢が崩れる。

「っと」

 慌てて片手をついてバランスを保つが、みしっと嫌な音が足元からした。

 間髪入れずに降ってきた触手を、地面を転がるようにして避ける。走って距離を取り直そう。そう思い、立ち上がり、駆け出したところで、がくっと右足が崩れた。先ほどの嫌な音は、右足のヒールが折れた音だったようだ。

 完全にバランスを崩したところに、触手が叩きつけられそうになる。左右両方から迫ってくるそれに、避け方が見出せず、一瞬固まってしまう。

 迎撃して、切り落とせば活路はあるかと頭が答えを弾き出す前に、視界が青に覆われる。

 冷たい何かが、円の頭を押さえ込む。

 ばしっという鞭がしなるような音と、それに合わせて揺れる青と、

「ぐっ」

 耳元に聞こえたうめき声に、この青は、神山隆二のシャツの色だと気付いた。

 脳が現実をきちんと認識する。物の怪に背を向けた隆二は、円の頭を抱え込むようにして庇ってくれていた。その顔が、珍しく歪んでいる。痛みで。

 さらに物の怪が触手を振るおうとするのを視界に捉えると、今度は円が隆二を押しのけるようにして前にでて、刀を振るう。切り落とされた触手が、砂になって消えた。

 円が斬り落としたのとほぼ同じタイミングで、隆二は円を荷物のように肩に抱え、跳ぶようにして一気に物の怪から距離をとった。

 抱えられた円の視界にうつったのは、二つの大きな傷口ができている背中。えぐれたように裂けた皮膚と、赤く染まったシャツ、流れる血。一瞬動揺して、取り乱しそうになったが大きく息を吸い、堪えた。

 謝るのは、いつでもできる。今することじゃない。

 一定区域内に自分以外の存在を感じると、センサーが働き、触手を生やすタイプだったようだ。隆二の俊足で、物の怪から一気に距離をとると、ソイツは触手をしまい、またのしりのしりと這いずりだした。当面の安全性を確認すると、隆二が円を肩からおろす。

「平気か?」

「おかげさまで。ありがとう」

 いつものように円としては答えたつもりだったが、なぜか隆二はふっと笑った。

「……何?」

「そんな顔しなくても、これぐらいなら数時間もあれば治る」

 痛いのは嫌だから痛覚切ろう、などと人間離れしたことをつぶやいた後、隆二は肩を回す。

「神経も平気そうだし、問題ない。だから、そんな顔するな」

「……どんな顔してる? 私」

「後悔と憤りと申し訳なさ、ってとこだな」

 冷静に言われ、片手で顔を覆うとため息をついた。

 ごめんなさい! 大丈夫? そんな風に大声をあげて取り乱すことは避けられたが、気持ち自体はフラットにはならなかった。

 いくら、神山隆二は自分の盾だと言っていても、いざ本当に盾になられると心臓に悪い。

「難儀な性格してるな。もうちょっと悪に振り切ったほうが、楽なんじゃないか?」

 何故かこちらを心配するかのように、背中から血を流した男が言う。

「そこまで非人道には振る舞えない」

「そもそも人じゃないから気にすることないのに」

  自分のミスだ。この人がいたから自分は傷つかなかったが、いなかったら死んでいたかもしれない。護衛役がこの人じゃなかったら、他の誰かを死なせていたかもしれない。 盾があるからと油断した、己の力を過信した、円のミスだ。

「ごめんなさい、怪我をさせてしまって」

 反省は後だ、とは思っても一度、謝罪はしておきたかった。

「わかったら、護衛の言うこと聞けよ。ヒールはやめろ」

「そうね、考えておく」

「反省してんのかよ」

 呆れたように隆二が笑った。それは気持ちを切り替える合図。

「さて、作戦会議といこうか」

 向こうの方で相変わらず這いずり回っているソレ。

「遅いし、多分知能レベルはそれほど高くないな。何してんのか知らんし」

「と思ったら、なんか生えてきた」

「この前のに、似てるよな、交配でもしたんじゃないか?」

「有り得るから最悪」

 話ながら隆二は、足元に視線をやる。握り拳大の石を拾うと、

「ま、ちょっと確認」

 そのまま物の怪に向かって投擲した。 石が物の怪にある程度近づいたところで、びゅっと生えてきた触手が叩き落す。

「残念なお知らせだな」

「触手は復活する」

 それはさっき円が切り落としたところのはずだ。

「ただ、生えてくる位置は固定みたいだな」

「なんでわかるの?」

「自由に生やせるなら、石が飛んでくる方に全部まとめて出せばいいだろ。さっきだってそうだ。あんたを襲ってたのはこっち側にある三本だけ」

 またナマコみたいに歩き出したそれを見る。全然わからない。

「よく見てるのね」

「いや、あんたはもうちょい、ちゃんと見ろよ、脳筋がすぎる」

「それね、よく言われる」

 ついつい力でゴリ押ししてしまうのが、自分の悪いくせだ。

「あんた、頭は悪くないが、考えたがらない傾向にあるよな。あのさらに頭良さそうな従弟の影響か?」

 さらっと言われた言葉に、慌てて隆二の顔を見る。油断なく物の怪を見ていたが、円の視線が向けられているのに気づくと、こちらに顔を向けた。

「なに?」

「こっちの台詞、今のどういう意味?」

「いや、どういう意味も何もそのままだが」

 再び物の怪に視線を移し、

「大方、子供の頃に役割分担でもしたんじゃないか? 私は力、あんたは頭脳、って感じに。それぞれが自分の良いところを伸ばした方がいい、それで次代の一海を担って行きましょうとか言って」

 図星だ。確かに、知能派の従弟に作戦は全部押し付けてきた。

「別にそれでもいいと思うけど、そのせいかあんたは考えることを無意識に放棄してる節がある。放棄してるというか、力で押せばいいって結論に持っていきがち。従弟には頭脳で勝てないと思ってるのかもしれないが、あんたの頭も、普通からしたら回転早い方だ。引け目に思うことはない。さらに言ったら、あんたが考えたところで従弟の立場を奪うことにはならないから、気にすることは無い」

 こちらを見ずにサラサラ言われた言葉。何をわかったようなことを……とも思ったが、次の瞬間には素直に呑み込めてしまった。ああ、そうだ。「私は力で切り開いていくから」そう自分をラベリングしている節が、ないとは言えない。

「ああ、悪い。余計なこと言った」

 円が黙ってしまったのをどう捉えたのか、隆二が軽く謝罪する。

「いいえ、あなたの言うとおりかもしれない。ちょっと考えるわ」

 まったく、もういい年した大人なのに、ちっともしっかりできない。この人には怪我をさせるし。はぁ、と大きくため息。

「大丈夫か?」

「平気平気。三十も過ぎて、なんでこうも大人になれないんだろうって落ち込んではいるけど、冷静にはなってるから。なんか、普通の話をしたから、逆に?」

「今のは別に普通の話じゃないと思うがな。まあでも、年を重ねたぐらいじゃ大人にはなれないだろ」

 と、こちらもため息。

「百年以上生きてきて、生まれて五年以内の幽霊と本気で揉めるの、自分でもヤバイってたまに思う」

「真緒ちゃんと? それは、まあ……」

 確かに、言われてみればこの人は長生きしている割には、幼いところがあるかもしれない。

「そうかもね」

 ふふっと笑いが漏れる。七十以上年上の存在が、コレなのだ。そこまで悩むことはないのかもしれない。反省はするし、次には生かすけれど。

「さて、それじゃあ、あんまり大人になれないもの同士、がんばりましょうか」

「ああ。こっち側から攻めるとして、触手は三本。二本防ぐのが限度だな。努力はするが」

「気にするのが一か所でいいなら、斬り捨てながら進めるはず」

「了解。先に道作るから、真ん中ぶった斬れ」

「あなたも対外、力業ね」

「観察力はあるんだけどな。年の割には頭がよくないんだ」

 言いながら隆二は靴を脱ぎ、

「で、嫌かもしれないけど、これを履け。その靴じゃ、走れないだろ」

 円は自分のヒールが折れた靴と、隆二のくたびれたスニーカーを見比べ、

「ありがたいんだけど、あなたはそれでいいの?」

「そっちが裸足になるよりマシだろ。こっちは痛覚切ってるし」

「生き物としてどうなのよ、それ」

「ほっとけ。仮にガラス片とかを踏んだところで、それぐらいなら一瞬で治る」

「……わかった、借りる」

 靴を脱ぐと、履きかえる。スニーカーとか、久しぶりだな。

「行けるな?」

「もちろん。後ろは頼んだ」

「はいはい」

 ろくな打ち合わせをしていない。作戦と呼べるほどのものはない。それでも、不思議と隆二ならば合わせてくれるだろうと思えた。翔に言ったように、信頼しきっているわけではない。だってこの人は、人じゃないから。それでも、護衛としての働きは十分に期待できる。

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