第六章 金銭と番号

「ああもう、なんなのよっ、あれっ!」

「知るかっ!」

 最悪! と叫びながら、円はスピードをあげる。

 ラブホを抜けて、先ほどの山に戻りかけたところで、背後に不穏な空気を感じた。いつの間にか、車の背後に大量の虫がいたのだ。先ほど円に付いていたものと、同じような小さな黒い物体。

「げっ」

 円が声をあげたのをきっかけにしてか、虫たちは寄り集まって、大きな一匹の虫になる。

「追いつかれるなよっ」

「わかってるわよっ!」

 結果、謎の追いかけっこが始まったのだ。

 他に車がいないのをいいことに、さらにスピードを上げる。

 しかし、虫は攻撃してくる気配は見せない。

「これは追い込まれてるな」

「攻め込むつもりだったから、ちょうどいいし!」

「強がるなぁ」

 たどり着いたのは、先ほどの山だ。

 月が明るい夜だが、やはり暗い。

 先ほどと同じ場所に車を止めたいところだが、後ろの虫は止まる気配を見せない。むしろ近づいてくる。

「ああっ、もうっ!」

 円はそのまま、山道に車を突っ込む。そんなに広くはない道なので、木の枝が窓ガラスに当たる。

 適当なところで止めないと、と思っていると、ヘッドライトの先に人影が現れた。

「なっ」

 とっさに円はハンドルを右に切る。道を外れ、大きめの岩に乗り上げる。

「円っ」

 隆二が円の頭をかばうように、運転席に身を乗り出す。察した円はシートベルトを外すと、刀を掴んだ。

 車が横転。車が逆さまになる直前に、扉を蹴破って、隆二は円を抱えて飛び出した。

 転がって衝撃を逃がす。

「痛っ」

「平気か?」

「ありがと」

 会話しながらも、二人とも油断なく先ほどの人影の方を見る。こんな時間にこんなところにいるなんて、普通の人間ではない。

「やあ、大丈夫かい?」

 人影が近づいてくる。先ほど、円たちを追いかけていた、虫を背後に従えて。

「あんたが、盗人?」

「失礼だな。一海で死蔵されていたものを、有効活用しただけなのに」

 年の頃は、四十代前半か。月明かりに浮かび上がったのは、あまり特徴のない顔をした、男だ。

「君たちは頑張っているからね。一度挨拶をしようかと思ってね。こんな場を用意したんだ」

「ずいぶんなご挨拶だこと」

 まあ、そう言わずに、と男が笑う。どこか、優しそうにも見える笑みで。

「なあ、一海円。そして、U〇七八」

「なっ」

 声を上げたのは隆二だった。

「お前っ、なんでそれをっ」

 捨てたはずの、番号。研究所にいた時の、実験体番号だ。

 へらへらと、男は笑っている。

「ちょっと、神山さん!」

 円の制止を無視して、男に駆け寄るとその胸倉を掴み、幹に押し付けた。

「お前、研究所の一員か? 一海から壺を盗んだのも、研究所の差し金かっ?」

 隆二が睨みつけても、男は笑ったまま。

「答えろ、何を企んでる?!」

 つかんだ手に力を込める。

 もうかかわりたくないのに、捨てたはずの番号を呼ばれると、いい気はしない。ろくなことにならない。そう思ってしまう。

 さらに男を問い詰めようとしたところで、背後に不穏な空気を感じる。とっさに、男を投げ捨て、振り返る。目の前に、先ほどの虫がいた。いつのまにか、近づいていたそれが、ストローのような口を隆二に近づけところで、

「はっ!」

 砂になって消える。

「後ろがガラ空き、これで貸し借りなしね」

 刀を構えた円が、立っていた。

 その姿を見たら、自然と肩の力が抜けた。冷静になれた。今は仕事中だ、私怨はなし。

「こっちは仕事なんだから、俺が借り一だろ」

「私の気持ちってもんがあるの」

 そんなこと言いながら、男に対して構えをとる。いつの間にか、男の周りには三体ほどの物の怪がいた。

「偽名でもいいから、名乗るぐらいのことしたらどう?」

 円の言葉に、男は軽く肩をすくめ、

「まあ、そうだね。私は、一条修平。U〇七八が作られた研究所の、元研究員だ」

「一条ね、どうりで腹の立つ顔をしている」

 真緒の右腕が欠損した一件。あれに絡んでいたのも、一条という名の研究所の人間だ。狭い世界だ、どうせ無関係ではないだろう。聞きたくないから、聞かないけど。

「元研究所の人間が何をしている?」

「研究だよ。決まってるだろ?」

「決まってねーよ」

「最近、研究所では規制が厳しくなってね。前みたいに、好きなことができなくなったから辞めたんだ。いろいろ作ったものを退職金代わりに、いただいてね。無許可だが。今は、実体のある怪異の繁殖性や行動について調べている」

「うわぁ、マジで繁殖させてた」

 円が嫌そうに呟く。壺の中の、物の怪たち。増えている気はしたが、やはりそうか。

「一海で持て余していたんだ、ちょうどいいだろ」

「よくない。あの蔵、よく侵入できたわね」

「あれぐらいの霊的手段、研究所のアイテムでいくらでも突破できる」

「なんなのよ、その研究所……」

「俺を作るぐらいなんだ。スキルは高いんだよ」

 どうなっているのかはわからないが、人工的に不死者や幽霊を作れるのだ。そこに対する知識は、祓うだけの一海よりもある部分では高いはずだ。

「可哀想だと思わないのかい? 一海円。あんな壺の中に閉じ込めて。寒かったろうに」

「そりゃあ、暖房器具はついてないからね。ってか、返しなさいよ、この盗人」

 円が怒鳴っても、一条は涼しい顔を崩さない。

「しかし、君たちはよくやるねぇ。人間と化け物のペアなんておかしいと、自分達でも思わないかい? ただ、お金で繋がってるだけなんて不健全だ」

「何を言っているの?」

「こっちに来ないか、と言ってるんだ。神山隆二」

 ここに来て一条は、隆二を番号ではなく、名前で呼んだ。

「化け物は化け物サイドにいるのが、正しいと思わないかい? 私に協力してくれれば、君もG〇一六も……、今は真緒という名前だったか? 彼女も快適に生活できるようにすることを約束する」

「何を言って……」

「実体化するG〇一六に、気を揉んでいるんだろ? 体があるということは、死ぬということだから。肉体の死が生じるから」

 ずっと気にしていたことを言われ、言葉につまる。

 真緒を手元に置くことを決めたのは、その時点では彼女が幽霊だったからだ。幽霊は、死なない。隆二を置いていかない。独りにしない。その前提が崩れた時、心は乱れた。

「私のところに来れば、G〇一六の肉体の死が生じることを避ける研究だってできる。もちろん、君が死ぬための手段だって、探せる。そうしたいのならば、その永遠を手放せる」

 死ぬことが、できる?

「ちょっと、神山さんっ」

 隆二の表情に何を読み取ったのか、円が袖をひっぱった。

「あんなのの言うこと、本気で聞いてるでしょ?」

「そりゃあ、本気で聞くさ。一海円のように、神山隆二を利用するだけの扱いはしないと言っているんだから。盾になんて、しない」

「それはっ」

 気にしていたところを突かれて、円は何か言い返そうと口を開き、

「そうだな」

 隆二の冷えた声が、それを遮った。

「金の切れ目が縁の切れ目っていうしな」

 自分の袖をつかんでいる円の手をとると、そのまま地面に押し倒す。

「痛つ」

 仰向けに倒れた円の上に乗ると、その首筋に手を置く。

「なあ、依頼主様?」

 円の目が驚愕に大きく見開かれる。

「ああ、これは予想外だ。だが、そのまま縊るのも面白いな」

 一条が楽しそうに笑う。

「神山さんっ」

「確かに依頼だし、金もらってるけど、人の言うこと聞かないでヒール履き続けるし、その足で人のこと踏み台にするし、不満は溜まってたんだ、ずっと」

 隆二はまっすぐに円を見下ろす。

「だから、それも」

 喉に置いた手はそのままに、右手を円が持つ刀に伸ばす。

「ありかもしれない」

 鞘から抜かれたままの刀を円から奪い取り、

「なんて、な」

 それを一条に向けて、投げた。

 まっすぐ飛んできた刃を、

「っち」

 一条が舌打ちし、指を鳴らすと一体の物の怪が代わりに受ける。

 それを見ることなく、隆二は円を立ち上がらせる。円はその手を借り、隆二の背中に足をかけると、跳んだ。

「おいでっ」

 丁度、物の怪を砂にした刀を呼び戻す。そのまま、一条の近くにいる一体を斬り倒した。

 円が地面に着地するところを残った一体が狙う。それを隆二は蹴りつけて阻止し、着地しかけた円を受け止めると、そのまま後退。距離を取り直した。

「あー、やっぱ、持ち主以外は拒否るな」

 刀を持っていた右手、その掌は真っ赤に爛れていた。痛てぇとボヤきながらその手を振る。次の瞬間には、その怪我は治っていた。

「無茶苦茶して……。普通だったら、持てないのに」

「だから投げただろ?」

 円が睨んでも、飄々と言われるだけ。人の持ち物をなんだと思っているのか。人んちの家宝を投げるな。

「交渉は決裂、かな?」

「ああ」

 隆二は一条に軽く頷く。買い物の誘いを断る程度の気安さで。

「金の切れ目が縁の切れ目っていうけど、一海の収入が安定してそうなことはこの前聞いたんでな」

「現金ねぇ」

「動じてなかったくせによく言う」

「あなたが真緒ちゃんの生活を脅かすような選択肢、とるわけないと思って。ガチャガチャのフルコンプを狙うような子が、人から離れた場所で生きていけないでしょ」

「それな」

 そうじゃなくても、真緒との因縁が深い一条の人間に関わる気はないが。本気で隆二を勧誘していたのだとしたら、下調べが手ぬるいとしか言いようがない。隆二が一条の人間を、かつて真緒の右腕を奪った存在を、昔人間だった真緒の父親だった存在を、自分の亡くなった恋人を冷遇していた一族を、認めるわけがない。手をとるわけがない。

「一海円、君は化け物と手を組むのかい?」

「神山さんが人間だろうと化け物だろうと悪魔だろうと私には関係ない」

 ふっと円は不敵に笑う。一海の女王の呼び名に恥じない、美しい笑み。

「確かに全面的に信じられるわけじゃない。でも、私たち、大切な人がいる世界を守る、そこに帰るっていう、ただ一点では気があうの」

 円の言い分に隆二も笑う。

「良いな、その言い方」

 そうか、だから自分はこの仕事を楽しく引き受けているのかもしれない。大切なものをもう二度と失わないために、気の合う仲間と戦うから。

「ま、金の切れ目が縁の切れ目だろうけど」

「言葉のあやだ、気にすんな」

「でも、利害関係がある限り信じていられるっていうのも大きなことよ。お金が絡んでても信じられないものだってあるし」

「なるほど」

 一条は嘆息し、

「ダメ元だったからな。交渉決裂も仕方あるまい」

 芝居がかった動作で肩をすくめた。

「壺の中身はまだある。こちらの実験は続けさせてもらうよ」

「逃がすかっ」

 走り出した隆二の前に残っていた物の怪が立ちふさがる。一つ目の、白いぬちゃりとした三メートルほどの丸い塊。

 腕を振り上げてくるので、横にとんで避ける。

「動かないで」

 いつかも聞いたような声に、隆二はため息をつくと、踏み台になる心構えをした。

 ヒールがないからか、いつもよりも控えめな足音。背中に当たる足。踏み込む。

「ヒールじゃなきゃ、いいってもんじゃないなー」

 隆二がぼやいた時には、円は残った物の怪を斬りつけていた。

 でかい図体が砂になる。見晴らしがよくなった先に、一条の姿はなかった。

「逃げられたか」

「仕方ない。ここで黒幕に会うなんて予想外だったし。暗いし。あなたは良くても、私はこの中を走って追いかける自信はない」

「あー、そうだな。となると、あいつもなんか夜目が効く道具使ってんだろうなー」

 研究所の人間は、霊視能力がなくても道具で霊体が見えるし、触れる。暗闇でも普段どおり動くぐらい余裕だろう。

「あー、つっかれた。お腹すいたしー」

 円がぼやくと、地面に倒れ込む。

「同意」

 周りに危険がないことを確認すると、隆二もそれに倣った。

 ひんやりとした地面が意外と心地よい。

「ってか、車壊れたけど、帰りどうするんだ?」

「家に電話して誰かに来てもらうわー。あー、やってらんない」

 確かにこれでは、無茶したことがバレバレだ。とはいえ、

「お疲れ様」

 片手をあげて告げると、

「そちらも」

 円も同じように片手をあげる。

 隣同士寝転んだまま、なんとなく、その手を打ち合わせた。

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