第四章 日程と収入 (1)
神山隆二が盾という半ばモノ扱いされているとわかっていながら、一海からの依頼を素直に受けているのには、理由がある。それはとてもシンプルなもので、
「そりゃあ、金払ってもらえるなら、引き受けるけどさ」
金銭だ。
人間ではない彼には戸籍がない。一応偽造したものはあるにはあるが、あまり人前には出したくない。そう考えた時に、働く先というのは限られてくる。
そして人間ではなくとも、現代社会で生きて行く上ではお金は必要不可欠だ。光熱費とか、食費とか。服も着ないと変質者だし。
ということで、人外である自分の身の上を知って、その上で割と高値の仕事を依頼してくる一海のことを、隆二は良い金ヅルだと思っていた。
とはいえ、
「日程が悪い。明後日って言われてもな」
自宅のソファーに腰掛け、ケータイで電話している相手は円だ。
ちなみに隆二は機械の類がめっぽう苦手なため、持っているケータイはご老人向けの機種である。
「そりゃあ、短期間で二回お願いしているのは悪いと思ってるけど」
「そこは別にいいんだよ。だけど、明後日はちょっとな。明日じゃダメなのか? 逆に」
「ざっとした怪異の場所はわかってるんだけど、具体的な位置の特定に明日一日かかりそうなの。っていうかなんで明後日じゃダメなの?」
「なんでって」
そこで隆二は、畳に寝っ転がってスマホで動画を見ている同居人に視線を移す。
「明々後日で、二週間経つんだよ。明後日だと終わってから自宅に戻ってくるのが間に合わない」
それだけ言うと、
「あー、なるほど。そういうことか」
電話の向こうの相手は、納得したような声を出す。
「そっか、じゃあ、今回はお願いするのやめとこうかな」
「それで大丈夫か?」
「ねぇ、隆二」
いつの間にかスマホから顔をあげて、真緒がこちらを見ていた。
「電話、円さんでしょ? お仕事の話。あたしなら別に平気だから、引き受けなよ」
「いや、お前、そうは言うけど」
「依頼を断って、円さんが一人で行って、怪我とかしたら、隆二めちゃめちゃ気にするでしょ?」
「いや別に気にしたりは……」
しないとは言い切れないかな、とも思った。変なところで自分はお人好しだから。
いやでも、それよりも、
「わかってんのかよ、真緒。向こうで元に戻るんだぞ」
「わかってるよー。でもあたしの本質は幽霊だよ? 逆ならともかく、問題なくない?」
隆二の同居人である真緒は、ベースが幽霊だ。隆二と同じ研究所で人工的に作られた、幽霊。
なんやかんやあって、今では隆二から分けられたエネルギーを元に存在している。その副産物でエネルギーを与えられたあと二週間は実体化しているのだが、今回はもうすぐ戻ってしまうのだ。
「いやあるだろ、問題。帰り、乗れないだろうが、電車に」
「隆二にくっついてるから、へーきへーき」
へらへらと笑う。わかってんのか、本当に。
幽霊は壁や床をすり抜けられる。逆をいえば電車もすり抜けてしまう。初めて一緒に電車に乗った時は、彼女を一人駅に残す結果になった。
不死の人外である隆二は、幽霊に触れることが出来る。つまり隆二に触れていれば電車移動も可能。というのは実践済みだが。
「いや、というか問題は帰りの電車だけじゃなくてだな」
「もー、ごちゃごちゃうるさいなー」
真緒は立ち上がると、隆二の口元に顔を寄せ、
「円さーん、あたし平気だから隆二持ってってくださーい」
ケータイに向かって怒鳴る。うるさいな。
「だそうだけど」
くすくすと電話の向こうは笑っていた。ああ、なんだか、癪に障る。
「本人がいいっていうなら、引き受けますよ、ええ」
投げやりにそう言う。
「ただ、大道寺さんの予定は空けておいて欲しい。毎度のことで悪いが」
「一人で留守番でも平気なのにー」
隣に座った真緒が膨れる。
お前が平気でも、俺が不安なんだよ。とは、思うが声にはしない。
真緒が一人、自由に行動した結果、右腕を失うことになった。あの事件を自分は忘れられないでいる。自分さえしっかりしていれば、防げたことだ。
実体化していない、幽霊だからといって安心できない。一海円のように、幽霊を祓う力のある人間も存在する。
「おっけーおっけー、東京は物騒だしねー。人間にも幽霊にも」
軽い調子で円が同意する。聡い人だから、隆二の不安もお見通しなのだろう。それはそれで不愉快だが。
待ち合わせの時間などを決めると、通話を終えた。
いつの間にか真緒は、元の位置に戻って動画を見ている。
「なあ、真緒」
「なにー」
「俺が仕事するの、嫌なんじゃないのか?」
いつも怪我をしてないかとしつこいぐらい聞いてくる。それは護衛の仕事に不満を抱いているからだと思っていた。だが、今の感じだとどうもそうではないようだ。
「えー? 別に不満はないよ?」
不思議そうな顔を隆二に向ける。
「危険なことはわかってるけど、隆二がいるなら円さんも大丈夫だろうなって思ってる。でも、それはそれとして、隆二はなんていうのかなー、手を抜いて怪我しそうだから、それは心配してる」
「手を抜いて?」
いや、手を抜くも何も、あの仕事でたいした働きをしてはいないが。
「自分の怪我はすぐ治るからいいや、って思ってるってこと。本気出せば避けられることも、一旦攻撃受けてそれから回避すればいいや、本気出すのめんどくさいし、死なないし、みたいに思ってるところ、あるでしょ?」
そんなことはない、と即答はできなかった。
真緒はきちんと座り直すと、真面目な顔で続ける。
「隆二はもう忘れてるかもしれないけど、最初のとき、あたしを庇って血まみれになったこと、あたしは忘れてないよ」
「いや、忘れちゃいないが……」
確かに真緒を取り戻しに来た研究所と争って結構撃たれたし、あれは久しぶりに大怪我した。忘れちゃいないが、喉元過ぎればなんとやら。気にしてなかった。ああ、それを忘れたというのか。
「ああいうのは、もう嫌なの。そりゃあ、隆二は怪我しても他の人よりすぐ治るけど……でも痛いのには変わりないのに」
いや、別に痛覚切ればいいし。とは思ったが口には出さない程度の自制心はあった。
自分が痛覚を遮断できるのは、兵器利用されるために不死に作り変えられたときの名残だ。痛みを感じて鈍る武器はいらない、という。
それを口にしたら、この同居人はもっと怒るだろう。それを口にしてしまう隆二に対しても、今はもう死んだ研究所の連中にも。怒った挙句に、傷つくだろう。だから、言わない。ひとでなしでもそれぐらいの機微はある。
「あー、うん、それは、まあ、気をつける」
答えながら、白々しい言い方だなと思った。それは真緒も同じようで、どうだかというように、眉を上げた。でも、それでその話は終わりにしたようで、
「そこを心配してるけど、止めるつもりはないよ。だって隆二、楽しそうだもん。あたしを理由に断っちゃうのは申し訳ないよね」
「……は?」
予想していなかった言葉に間抜けな顔を晒してしまう。楽しそう? 誰が? 俺が?
「めんどくさいとかいいながら、割と楽しんでるよね。んー、なんだろう、ずっと同じ生活が続いてた中に新しいスパイみたいな?」
「スパイスな」
にっこり微笑まれた言葉に、反射的に訂正をかぶせながら考える。楽しんでる? いや、めんどくさいだけだし。めんどくさいけど、でもまあ、嫌なわけではない。金銭面の打算だけではないものも、もしかしたらあるのかもしれない。社会貢献的な。いや、なんだそれ。
隆二が一人考えている間に、真緒はまたスマホを眺める作業に戻っていた。
まあ、あの仕事自体は嫌いではないかもしれない。本当に嫌だったら、いくら金につられても、断っていただろう。
「……コーヒー、飲むか?」
「飲むー!」
立ち上がり、台所に向かう途中で思う。真緒に楽しそうだと思われているのは別にいい。だが、一海円にまで楽しそうだと思われていたら、なんだか不愉快だ。気をつけよう、と心に刻んだ。
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