第三章 恋人と仕事

 翌日、約束の喫茶店で本に目をとおしながら、円は恋人を待っていた。

「すみません、遅くなりました」

  その前の足音で気づいてはいたが、声をかけられてから顔をあげる。

 この人相手にそこに気を使う必要はないと、頭ではわかっていても長年染み付いた習慣は抜けない。声をかけられるより早く気づくことが続くと、勘の良い子を通り越して、ちょっと気味の悪い子扱いされることは、子供の頃に嫌という程知った。

「遅れるって連絡してくれてたんだし、そんな慌てなくてよかったのに」

 巽翔はいつもどおりのクールな顔をしているが、少しだけ息が荒い。走ってきたのかもしれない。

 座れば?  の言葉に、翔は向かいの席に腰をおろす。お冷とおしぼりを持ってきてくれた店員に、アイスコーヒーを頼んだ。

「いえ、でも、この時間を指定したのは僕なので」

「昨日、断ったのは私でしょ?」

「仕事だったなら当たり前のことです」

「あのねぇ、翔くんが遅れたのも授業が長引いてでしょ?  それ、学生の本業だから。仕事だから」

 そう言うと、翔はなんだか不満そうな顔をした。

「そんな顔をしても、あなたがまだ大学生な事実は消えません」

 まったく、呆れてしまう。

  大人ぶりたい彼にも、なんだかんだで一回りも年下の彼と付き合っている自分にも。

 巽翔は、一海と同じ祓い屋の一族だ。ただ、ある程度怪異との共存を目指す一海と、全て祓って解決する巽とでは微妙な対立があるが。近年では手を組むことも増えていたが、それは上の方だけでの話。末端ではまだ微妙ないがみ合いが続いている。そんな家の跡取りの青年と、本当に交際することになるなんて、翔に告白された時には考えもしなかった。

「あと二年だけ待っていてください。それまでに円さんの恋愛対象に入って、なおかつ一海と巽の関係を改善させます」

 悔しいのは、三年前のあの言葉どおり、だいぶいい男になったことだ。付き合ってもいいな、と思えるほどに。

 残念ながら、一海と巽の関係はまったく改善されていないけれども、そこは円自身も力不足だったのだからしかたない。

 それに、やはりお子様なところがある。自分の年齢を過度に気にするところとか。過去の円が年上好きだったことは確かだが、それでもこちらは人間性を見て付き合っているのであって、そこまで年齢を気にしてはないんだけれども。

 アイスコーヒーが運ばれてくると、彼は一息に半分ぐらい飲んだ。やはり、走ったのだろう。

「昨日の仕事って、例の壺の件ですか?」

「巽の君には教えません」

 落ち着いて口を開いたと思ったら、なんて色気のない話だ。

「まだ、神山隆二を雇ってるんですか?」

「ちょっと、人の話聞きなさいよ」

「一海の外の人間をわざわざ雇うなんて、何を考えているんですか?」

 円の抗議の声など無視して、畳み掛けてくる。彼が神山隆二を怪しんでいるのは知っているし、円を心配しての発言だというのもわかるが、それにしたってめんどくさい。

「じゃあ、逆に聞くけど」

 そんな疑うようなこと言ったって、どうしようもないのに。

「誰だったら私の護衛ができるの? 父様とか、直とか? それ、意味ある?」

 問いかけた言葉に、ぐっと翔が言葉に詰まったのがわかった。

 伊達に一海の次期宗主ではない。自分の能力の高さは、自分でちゃんとわかっている。

 そこら辺の霊相手ならば、ひとりで、どうにでもできる。

 それに今相手にしているのは、普段の人霊とは違い、実態のある怪異だ。言い方は悪いが、下手な人間を護衛役にしたら足手まといになるだけだ。

 だからと言って自分より能力のある一海宗主である父親や、同程度の従弟を連れ出すのも話が違う。そうなるとどちらが守られるべき存在なのか、わからなくなる。父親も従弟も、一海にはなくてはならない存在だ。

「神山さんだったら、私の盾になってくれる。他に誰が、それをできる?」

「……そりゃあそうでしょうけど」

 まっすぐ目を見て、言葉を重ねると、しぶしぶ翔は答えた。でも、すぐに、

「だったら、巽と手を組めばいいじゃないですか。あんなわけのわからないやつよりも」

「わがままを言わない」

 仲が良くない、むしろ敵対している巽の人間を護衛に連れて行くのもリスキーすぎる。それぐらい、翔だってわかっているだろう。

 まあ、彼のこの発言は、どちらかというとヤキモチだろう。かつては一緒に仕事をしたこともあるが、最近ではその機会もない。それに対する、同業者として、そして恋人としての嫉妬。そう思えば、少し可愛くもある。

「まあ、悪いけど、私だって神山さんのこと完全に信頼しきってるわけじゃないし」

 すっかり冷めてしまったコーヒーに口をつける。

「だって、人じゃないんだから」

 そのまま続けると、翔がわかってるならいいです、とつぶやいた。

 神山隆二は、人間じゃない。かつては人間だったらしいが、今は不死の物の怪だ。聞いた話によると、変な研究所での研究の成果により、死なない体を手に入れたらしい。通常の人間よりも優れた身体能力、五感。どれだけ怪我をしても、時間さえあれば治ってしまうという体。

 実態のある怪異と聞いた時、すぐに彼に依頼することを思いついた。護衛として、盾として。彼の能力ならば自分を守ってくれるだろうし、傷ついても治るのならば彼のことは放っておいて戦いに集中できる。そんな非道な依頼でも、金銭で合意したら神山隆二は引き受けてくれた。そのことには感謝している。

 でも、信頼しているかどうかは、また別だ。だって、彼一人で円どころか、一海の人間全員を殺すことだって朝飯前だろうから。

「ねぇ、せっかく逢ってるのに、こんなキナ臭い話やめない?」

「ああ、そうですね。すみません」

 翔は素直に引いた。

「これからどうする? とりあえず、夕飯食べに行く? なんか食べたいものある?」

「大学の友人に聞いたんですが、焼き鳥の美味しい店がこの近くにあるらしいんですよ」

「あら翔くん、学校に友達いるの? よかったわね」

「いますよ、失礼な」

 不満そうな顔をするが、三年前なら考えられなかったことだ。巽翔が霊視能力のない普通の人間と友人関係を築いて、美味しい焼き鳥屋の話なんてするなんて。

 円は思わず、少し微笑んでしまう。もともと能力は高い子だ。それが社交性を身に付けて、良い方に磨かれている。彼はまだ若い。色々な方向でぐんぐん成長していくのを、近くで見ているのは楽しい。

「じゃあ、その焼き鳥屋に行きましょうか」

「そうですね。ただそこ、テイクアウト専門らしいんですよ」

 翔がにっこりと微笑んだ。

「円さん家にお邪魔していいですかね?」

 なるほど、そっちが本題か。本当に、色々な方向でぐんぐん成長している。ちょっと前までは、うちに来るのにおっかなびっくりだったのに。

「もちろん、どうぞ」

 まあ、こちらとしても断る理由はないが。

 翔がアイスコーヒーを飲み終えたところで、連れ立って喫茶店を後にする。

 歩き出すと翔が自然と手を繋いできて、それにも思わず苦笑する。手を繋ぐタイミングを伺っていた半年前が懐かしい。

「何笑ってるんですか」

「別にぃー」

 でも、成長していく彼を見ているのは楽しい。

 今日はもう、仕事のことは忘れよう。そう思いながら、繋いだ手に少しだけ力をいれた。

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