地中海パスタ伝説

兵藤晴佳

第1話


 ええ、メディタレイニアンの海に長靴の如く突き出した半島、その辺りには乾麺を茹でて戻したパスタという、外はコシがあって中は柔らかい食材がございます。

 さて!

 このパスタというものが世に出ました頃のこと。

 その陽光眩しい海辺の町の、紙の束が積まれた薄暗い小屋の中。男2人が古ぼけたテーブルを挟んで、何やら深刻な話をしております。

「お前はバカか、マッケローニ。あんな男と決闘なんて」

 しばらく話を聞いていた恰幅のいい男が、呆れ顔で申します。しょぼくれたほうの男はというと、何度目かの溜息を力無く吐くばかり。

「何と言われてもいい、デュラム。僕の命はあと3日だ。」

「冗談言うな、長い付き合いだろ。俺もな、お前のペンが書いた詩を世に出して、こうやって儲けさせてもらってるんだ」

 マッケローニと呼ばれましたこの男、割と世に知られた詩人でございます。デュラムというこの商人風の男からすれば、今でいう出版社の専属作家といったところでございましょうか。

 情けない声で、また泣き言を申します。

「いいや、あの執念深いパストゥリアのことだ、君がこうして匿ってくれても、きっと見つかる。3日以内に」

「俺が何とかする、外国に逃げたとでも噂を流して」

 頭をテーブルに叩きつけんばかりに、マッケローニは頭を下げます。

「すまん、僕が調子に乗ってあんな場所であんな詩を披露しなければ」

「だからお前はバカだって言ってんだ」

 天井を仰ぐ詩人は深く悔いている様子でございます。

「まさか本人がいるとは」

「いるだろうよ、あんな人の集まる名所なら」

 その名所と申しますのは、水の街、ナバナの広場。

 たいそう大きな噴水が霧雨となって降り注ぐ水盤は、人が追いかけっこをして走り回れるくらいの大きさがございます。

 それを前にしてマッケローニが読み上げましたのは……


  そは山か雲の嶺か、でかい図体の割には

  総身に回りかねたか、あまりに情けなき知恵

  そを恥じてか恨んでか、手にかざすはささやかな短刀ドス

  大剣を振るうには足らざるか、その無駄に太きかいなの力は


「名前は出してない」

「わかるよ、あそこまで歌えば」

 総身に知恵の回りかねるほどに太った巨漢のならず者といえば、この街には1人しかおりません。

 短刀ドスのパストゥリア。

 からかった当の本人も、己の浅はかさを呪わずにはいられません。

「アタマ悪い割に執念深いんだもん……」

「大丈夫、決闘は3日以内に済ませなかったらただの人殺しだ」

 早い話がその間、人目に付かないところでじっとしていればよいわけですが、木石ならぬ人の身では、いかんともしがたいことがございます。

「何食って暮らすんだよ、ここ逃げてくるのがやっとだったのに……」

「俺が何とかする」

 胸を叩くデュラムを、マッケローニは今一つ信じてはいない様子。

「食い物差し入れてくれたところで、足が付くだけだろ」

 肉やパンを大量に買い込めば目立ちますし、デュラムがこの小屋へと頻繁に通って食べ物を届ければ、怪しまれもいたしましょう。

 ですが、この商人は自信たっぷりでございます。

「凌げばいい、ここでこれ食って」

 齧ってみせたのは、長細い針金のようなもの。

「何だ、これは?」

 怪訝そうな友人に、アジアにまで手を伸ばした商人は、にやりと笑ってみせます。

「パスタとかいう小麦粉の塊りでな……ちょっとずつ、茹でて食え」

 顎をしゃくった先にあるのは、この街にはたっぷりとある水を湛えた瓶でございます。


 ところが世の中というものは、とかくままならぬもの。

 明くる日のこと。

 美しい娘が1人、このみすぼらしい小屋を訪ねてまいります。

「見損なったわ、マッケローニ」

「セモリナ! 何でここが」

 唖然とする詩人には答えもせず、セモリナは市井の娘らしく、一方的に言いたいことをまくしたてます。

「急に家から姿をくらましたから、おかしいと思ったの。泣いてデュラムさんを問い詰めたら、教えてくれたわ……だって私、あなたの婚約者だから」

「泣き落としに弱いんだから、あの男は……」

 もちろんセモリナ、こんなボヤキは聞いておりません。

「あたし、卑怯な男は嫌い」

「う……」

 そう来られては、一言もないのが男の悲しさ。

「僕が死んでもいいっていうのかい、セモリナ!」

「勝つわよね、当然」

 話を聞かない娘でございます。

「これ、アタシの気持ち」

 胸に押し付けましたのは、鞘に見事な飾りを施した豪華な短剣。

「うん……」

 あっさりと、ならず者への勝ちを誓わされてしまいました。


「……まず、最初の一撃で死なないことだ」

 詩人が服の中に詰め込んでいるのは、小屋の中の紙。

 アーミング・ダブレットという、鎧の下に着る厚手の服を真似ようとしたのでございましょう。

 婚約者セモリナから手渡された短剣を逆手に持って、腹に突き当てててみますが……。

「痛い痛い痛い!」 

 刃が服と紙の束をまとめて貫いたようで、ペンを手に物を書くしか能のない詩人は床を転げ回ります。

 しばらくすると痛みも引いたらしく、マッケローニは床にうずくまって頭を抱えてしまいました。

「ダメだ……これじゃ」

 ごろんと横になって天井を眺めます。

「まず、パストゥリアが僕を刺すためには、ギリギリまで接近しなくちゃいけないんだ」

 この男、勝負を諦めてはおりません。

「短刀使うのだけは速いから、絶対、先に突き刺される。だけど、そこで死ななかったら、チャンスはある」

 身体を起こして、短剣を床に突き刺して曰く。

「僕を跳ねのける力はないはずだ」

 頭の中では勝利への目算があるようでございますが、それはあくまで机上の空論。

「鎧なんか、どこにもないし……」

 深い溜息をつきますと、それに応えるように、お腹がグウと鳴りました。

「何か食うか」

 

 茹でて食べるのは、例のパスタしかございません。それも大した量はないので、口にできる量は知れております。

「明日の昼には、決闘だよな」

 その1日をここで待てば、命だけは助かります。しかし、気は強いが可憐なセモリナとの結婚はふいになってしまうのですから、逃げるわけにはまいりません。

 詩人マッケローニは遠い目をしながら、皿の上から麺をフォークで啜って口にします。

「コシがあるとはこういうことか……中は柔らかい……」

 そのつぶやきは、目前にした決闘のことを考えるまいとするかのようでございます。

 しかし。

「待てよ……」

 残りの麺を音もなく吸い込んだところで、何か妙案が閃いた様子、マッケローニは再び紙の束をかき集め始めます。

 部屋の隅で裸になると、水がめの水をざんぶとあたまからかぶり、濡れた身体に紙を丁寧に巻きつけ始めました。


 そして、パストゥリアに決闘を挑まれて3日目のお昼のこと。

 ナバナの広場で噴水の水盤によじ登ったマッケローニは、水しぶきを浴びながら声高々と歌い上げます。


  ここまでござれ 

  ワインを一杯進ぜましょう

  この杯を受けぬとあれば

  笑いとなりましょ末代までも

 

 噴水を取り囲む、人の群れ。

 それを待っていたかのように現れたのは、眼つきの鋭い、太った大男でございます。

 これが、かの悪名高きならず者、短刀ドスのパストゥリア。

 吼えるケダモノのように凄みます。

「逃げなかったのは褒めてやるぜ、そこから降りろ卑怯者!」

「では上がっていらっしゃい、負け犬の遠吠えとはこのことでございましょう」

 広場中で笑い声が上がり、満座の中で恥をかかされたならず者、噴水をもたもたとよじ登ります。

 噴水を挟んだ反対側に立つマッケローニの身体は水しぶきにしっとりと濡れ、まさに「水も滴るいい男」。

 やっとの思いで巨大な水盤に這い上がったパストゥリアは、よろよろと水盤の端を歩きます。

 それに合わせて逃げるマッケローニとの間に始まったのは、グルグル回りの追いかけっこ。

 やんやの喝采の中、ひとりの娘が声を上げました。

「負けないで、マッケローニ!」

 セモリナでございました。詩人は余裕たっぷりにしゃれのめします。

「負けろと言ってるのか、負けるなって言ってるのか、どっちなの?」

 見物人たちがどっと笑う中で気が緩んだのでしょうか、逃げ続けるマッケローニはとんでもない失態を見せることと相成ります。

「いけない、マッケローニ!」

 婚約者の声にふと我に返った様子でしたが、時すでに遅し。

 目の前に待ち伏せていたパストゥリア、水盤の縁でふらつきながらも、その短刀でマッケローニのドテっ腹を襲います。

「おっと!」

 悪いことにはこの詩人、足を滑らせたのか、ならず者と共にもんどりうって水盤から転げ落ちます。

「きゃああああ!」

 セモリナの悲鳴が上がって、マッケローニの運命もこれまでかと思われたとき。

「うおおおおお!」

 飾り付きの短剣を放り出し、馬乗りになって相手をタコ殴りしているは、その名の知れたならず者ではなく、音に聞こえた詩人でございました。

 踏みつけられたパストゥリアの手から、その二つ名となった短刀が転げ落ちます。

「……参った!」

 負けを認めたならず者は、詩人の股の下からはい出したかと思うと、すごすごと逃げ出します。

「忘れものだよ!」

 マッケローニが放ってやった短刀を拾うと、見物人たちにわらわれながら、一目散に姿を消しました。

 町の人々の歓声の中で立ち上がったマッケローニに、セモリナが縋りつきます。

「よかった……無事で」

「君が勝てっていったんでしょ」

 恋人を抱きしめに掛かったその腕ですが、するりと逃げられます。

「何で……」

「冷たい」

「そんな、僕のどこが……」

 余りの言葉に口を尖らす恋人を怪訝そうに見つめるマッケローニでしたが、ハタと気付いたかのように、上着を脱いで勝利の秘密を晒します。

「きゃっ!」

 目を覆うセモリナの前には、眩しい陽光に煌く身体に分厚く巻かれた紙の束。

 詩人は種明かしをいたします。

「うまく茹でたパスタは、外にコシがあって、中は柔らかい。濡らした紙も、昨日試したら、意外に丈夫だったんだ」

 この話が評判となりまして、メディタレイニアンの海岸一帯には、マッケローニの名前と共にパスタが広まったということでございます。

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地中海パスタ伝説 兵藤晴佳 @hyoudo

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