当麻叶泰Ⅰ-6
事務室と書かれた場所で転校したい旨を告げ、封筒にまとめた書類を受付の女性に渡した。
女性は中身を一通り確認したのち、こちらでお待ちくださいと、応接室のような部屋に案内してくれた。
「どうぞくつろいでおまちください」
そういうと、その女性はもらった書類を手に部屋を後にした。
どうやらうまくいきそうだと、当麻は顔を緩めた。別のサイトで、転入の際、テストを受けなければならない場合もあると書いてあるのを読んで一瞬ヒヤッとしたが、この学校は面接だけでいいらしい。
当麻はポケットの中から携帯電話を取り出すと、同じく座っている悪魔に渡した。
「使い方は覚えたか?」
悪魔は無言でうなずいた。
「やはり物覚えはいいな」
当麻は感心してそう答えた。
「いまどき、携帯電話の1つも持ってないと怪しまれるからな。中古で買った型落ち機種にプリペイドの格安SIMだ。べつに壊れてもかまない。好きに使え。あと名前だけど、俺の本名を使うのは嫌だったから、神那葉子から拝借したぞ。だから、お前は神那愛。神那が苗字で、愛が名前だ。正直女にしか思えないから、別のにしようかとも思ったが、面倒だからやめた。しっかりと覚えておけよ」
悪魔こと、神那は理解したというように目で訴えた。
無茶苦茶だった。人間でない化け物を高校へ入学させる。背中の羽を見られたら終わりだし、そもそもまともに会話すらできない。名前も偽名だ。正体がばれたら、大パニックになってもおかしくはない。
けれども、当麻にはそれがおもしろかった。むしろ結果として、人類が苦しむことになることを望んでいた。
どうでもいい、どうでもいいんだ。そんなことを思案していると、突然ノックの音がして、Ⅰ人の女性が入ってきた。
見た目から20代前半といったところか、おそらく新米教師だろう。清潔感のある白いシャツに黒いタイトスカートを履いていた。スカートは長めで、年齢にしては色気がないことからも、しっかりと自分の立場というものを理解しているようだった。
彼女は部屋に関係者が誰もいないことに慌てふためきながらも、すぐに我々に気づいたのか、失礼のない丁寧な口調で挨拶をしてきた。
「転校の手続きをされたいという神那さんですね」
「ええ。ただ私は姉の弟でして。姉は仕事が忙しく、代理として今日は来ました」
当麻は立ち上がりながらそう答えた。
「そうなのですか、わざわざご足労ありがとうございます」
あきらかな嘘だったが、その女性はすこしも疑う気配を見せずにそう答えた。
「失礼ですが、あなたは……」
「ああ、すいません。申し遅れました。この度、神那くんの担任を務めさせていただきます、天宮聖羅と申します」
女性は深々とお辞儀をした。
天宮?
当麻の中で電流が走るようにその名前が響いた。脳にこびりついた、けして忘れることのない名前。急速に意識が過去へと舞い戻っていく。
出所するときの、熟練の刑事の言葉が当時の音量のまま、寸分もなく蘇った。
娘がいること。
女の子だということ。
その子は1人ぼっちになってしまったということ。
熟練の刑事は責める気はないと言った。あいつが勝手にやったことだからと。
ただそれだけを覚えてほしい。その事実だけを忘れないでいてほしい。
そう、哀願した。
そのとき俺はずっと知りたかったことを刑事に聞いた。
名前はなんというのかと。
熟練の刑事は空を仰いで、ぽつりとつぶやいた。
天宮だ。天宮——。
「あの、どうかしましたか?」
じっとこちらを注視したまま、何もしゃべらない当麻を気遣うように、天宮がしゃべりかけてきた。
「すいません。すこし考え事をしてまして……」
当麻は襟を正すと、あらためて天宮の顔を見た。黒い瞳の中にくたびれた自分の姿が投影されていた。
「失礼ですが、先生はご結婚されていますでしょうか? もしくはいまお付き合いされてる方などいますか?」
彼女は面食らったのかぽかんと目を丸くした。
「良かったら今度食事にでも、どうです?」
「ありがとうございます。でも、生徒の保護者とプライベートで会うのは、コンプライアンス的にも問題かと思われますので、遠慮させていただきます」
天宮はにこやかに微笑むとそう諫めた。
「天宮先生ちょっと……」
いつのまに扉を開けたのか、白髪の目立った恰幅の良い男性が呼びかけていた。
「すみません。すこし失礼します」
天宮は再度、笑顔を見せると男性と一緒に部屋をあとにした。
ふたたび、神那と二人きりになる。当麻は倒れこむように椅子に腰を降ろした。
天井を見上げ、なにげなしに部屋を見渡す。いくつかの賞状とトロフィーが棚に飾られていた。
——1つ教えてほしい。
頭の中に声が響いた。当麻はさっきからじっと何かを考えこんでいる神那の方へ顔を向けた。
——あの車という物体。あれだけの速度と質量だ、もしぶつかっていたら、ただではすまなかったはず。なぜ自分の身を顧みず、危険を冒してまで私を助けた?
当麻はじっと神那の表情を伺ったまま、何も答えない。
——あの女性もそうだった。熱湯がこぼれたとき、身を庇って助けてくれた。それによって自身が傷ついたにもかかわらず、そんなこと気にも留めずに怪我がないか心配そうに聞いてきた。無事だとわかると安心したように喜んでいた。自分の腕が赤く腫れあがり、ただれていたのに。あきらかに異形の者である俺に対して、毎日違った食事を出しては味はどうかなとか、おいしいかなと聞いてきた。俺がうなずくと女はひどく嬉しそうだった。まったくの他人なのに、同じ種族ですらないのに、なぜそこまで俺を想う? なぜ大切にしようとする?
一呼吸おいて、神那はもう一度訪ねた。
——どうして助けてくれたんだ?
当麻はぼんやりと神那を眺めた。彼は神那を見ていなかった。そのはるか先にある、何かを見つめていた。“天宮”という言葉が、彼の中で反芻し続けていた。
「なんでだろうな。何で助けたんだろうな。他人どころか、人様の家から金を盗むような、とんだクソ野郎だったのに。生きてても仕方のない、最低のゴミだったのに。それなのに、どうして命を投げ打ってまで、助けようとしてくれたんだろうな……」
無駄なことだった。
意味のないことだった。
たった1人の、どうしようもないクズを助けるために、あの刑事は死んだ。
堅く強い筋肉に覆われた、あのとき強く掴まれた腕の感触が、ありありと思い出された。
「20年間ずっと考えているけど、まだ答えは出ないよ」
そう言って、当麻は目を閉じた。
本当にどうして、あの刑事は俺を助けてくれたんだろう。
死んでしまったいまとなっては、知る手段は何も残されていない。何もわからない。
「でも……」
そう言って当麻はまぶたを開けた。神那の純粋な視線が目の前にあった。用意した制服はサイズが合ってなく、手首がすこし露出していた。もっと大きいものにするべきだった、失敗したなと当麻は後悔した。と同時にきわめて率直に浮かんだ想いを、素直に、驚くほど自然に彼に告げた。
「無事でよかった」
神那の目がはっと見開かれたような気がした。
さきほど退出した天宮が戻ってきた。どうやら神那を教室へと案内するらしい。まだすこしいいですかと訊ねると、心情を察してくれたのか、廊下で待っているので準備が来てくださいと了承してくれた。当麻は軽く一礼した。
「部屋は好きに使っていい。しばらくは帰らないと思うしな。もし全部終わった
ら、鍵やケータイは適当に机の上にでも置いといてくれ」
当麻は立ち上がり、服のしわを伸ばしながらそうつぶやいた。
「あー、そうそう。その頭ん中に話しかけるやつ。やめたほうがいいぞ。俺だからよかったもの、ふつうの人間ならパニックをおこすからな」
神那は静かにうなずいた。
「いい子だ」
いつからかわからないほど、ひさしぶりに当麻は心の底から微笑んだ。
「心を救う方法、見つかるといいな」
別れ際、神那の耳元でそう囁いた。
神那は聖母のように笑った。
その目に迷いはなかった。かならず願いを叶えてみせる、そんな気迫に満ちていた。
当麻は安堵すると、廊下に出た。神那を天宮に託し、玄関へと向かう。校舎を抜け、校庭へ出た。
偶然か、それとも運命か。
誰もいない校庭を歩きながら、当麻は物思いにふけっていた。
天宮といったあの女性、彼女が自分を助けてくれた刑事の子であるという確証はない。
だが、同じ苗字だった。
それだけで十分だった。
当麻は空を見上げた。あいからずどんよりとした天気がそこには広がっていた。
だが、当麻の心は晴れ晴れとしていた。ここに来て当麻は、なぜ自分があんなにも神那に対して親身になったのか、その答えをようやく見つけ出していた。
神那は昔の自分だった。車に引かれそうになったあのときの俺だ。
もし、あの刑事が生き延びだのなら、同じことをしただろう。
きっと優しい表情でケガはないかと心配してくれただろう。
そして、俺が無事なことがわかると、穏やかな笑みを浮かべ、ほっと胸をなでおろし、喜んでくれただろう。
当麻はなぜかそう信じた。
人間の本質は行動に出る。
神那に言い放った言葉を自嘲的に当麻はかみしめた。
俺が本当に望んでいたことは幸せだった。
当麻は祈るように目をつぶり、はじめて運命というものに感謝した。
戻ってきてよかった。
ドンという衝撃が体に走り、よろめき倒れそうになった。見ると制服を着た男子高校生も同じようにバランスを崩していた。
「すまない」
とっさに謝罪する。
「すこしぼうっとしていて……」
そこまでいいかけたが、男子高校生は怒るわけでも、いやな顔をするわけでもなく、ただこちらを一瞥すると、何も言わずにそのまま歩き去っていった。
その姿を見て、当麻はなぜかそれが昔の自分の姿のように感じられた。
16歳の罪を犯すときの、自分の姿と重なって見えた。
どうかあの少年が俺と同じ道を進まないように。
どうかあの少年が俺と同じ過ちを犯さないように。
灰色がかった空に向かって、当麻はそう願った。
遠くで雲の継ぎ目が裂け、隙間から、わずかな光が差し込んでいた。
<了>
ツギハギ 藤野ハレタカ @fujino_harutaka
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