当麻叶泰Ⅰ-2

 遠い昔に置き忘れてきた記憶を頼りに、それらしい場所を回ってはみる。けれども、そこに当時の面影を感じるということは、まったくといっていいほどなかった。


 数年前から大規模な都市計画が進められていたのは風の噂で知っていたが、ここまで変わってしまっているとは思わなかった。通いなれたはずの駅も、いまいちピンとこなかった。もしかしたら過去を省みることを自分が拒否しているのかもしれない。終電がなくなり、シャッターに閉ざされたその姿を見慣れていないというのもあったかもしれないが……。


 その後もいろいろ車を走らせてはみたが、かろうじて商店街に昔の名残があったのみで、ほとんどは見覚えのない初めての道だった。


 長い時間が経っていた。


 20年という歳月は思い出というものを完膚までに破壊尽くしていた。


 当麻は半ばなげやりになりながら、町の郊外へと向かった。自分が通っていた高校。教育施設なら、当時のまま残っている、そう考えてのことだった。


 だが、そんな当麻の希望は脆くも打ち砕かれた。かつてあった高校はすでに跡形もなく、代わりに高い塀に囲まれた、目新しい白い建物が連立していた。門の入り口には、よくCMで目にする大企業の名前が刻まれていた。おそらくその研究施設だろう。ご丁寧に塀の上には侵入者防止のための鋭いトゲが設置されており、あらゆる外敵の侵入を拒んでいた。当麻はその分厚い壁を見上げ、自分がこの町で過ごした一切はすでにないことを理解した。それを望んでいたはずなのに、寂しさを捨てきれていない自分がいることがもどかしかった。


 当麻は途中のコンビニで買ったブラックコーヒーを飲み干すと、その空き缶を塀の向こうへ投げ込んだ。


 帰ろう。


 明日、業者を呼んで部屋の中のものをすべて処分してもらおう。そして午後にはこの町を離れよう。あとの休暇は適当に消化すればいい。すくなくともここでやることはもう何もない。


 当麻は踵を返し、車へと戻った。ポケットからキーを取り出し、それを押す。ヘッドランプが一瞬ついて、ロックが解除されると同時に、何かが反射したような気がした。


 何気なく、その光った方に視線を向ける。無駄に広いだけの道路の真ん中を1人の人物が歩いていた。街灯もろくにない暗闇のなか、その人物だけが白くゆらめきぼやけていた。


 こんな深夜にいったい誰が?


 酔っぱらいかと思ったが、足取りはしっかりしている。当麻はいぶかしげに感じながらも、電灯に誘われる羽虫のように、ふらふらとその人物の元へと近づいていった。


 それは人間ではなかった。


 最初、当麻はその人物がなにか発行体を持っていると思っていた。だから、まわりが明るくなっているのだと。だが、そうではなかった。そいつは上半身裸であり、何も手にしてはいなかった。そいつ自体が白くぼんやりと光を放っているのだった。


 さらにそいつの背中には小さいながらも羽が生えていた。コスプレや作り物ではない、あまりにも生々しいそれ。どう目を凝らしても体の一部としか思えない。

当麻は愕然として、足を止めた。手のひらから車のキーが滑り落ちる。それが地面に落ちた音に気づいたのか、そいつはこちらに振り向いた。目と目が合う。パッと見は人間と大差なかったが、当麻はあきらかにそれが未知の生物であることを確信していた。


 逃げることも叫ぶこともできなかった。


 思考はすでに肉体を離れ、迷走し、狼狽していた。あらゆる選択肢が消え失せていた。ただ、どうしていいかわからず、当麻はその場に立ち尽くしたまま、そいつを眺めているだけだった。


 遠くの方からエンジン音が聞こえてきた。意識が現実へと引き戻される。

エンジン音はどんどん大きくなっていった。回転数から、かなりの速度で飛ばしていることがわかった。おそらくすぐにここを通るだろう。


 この場所に来る?


 当麻は道路の真ん中でじっとしているそいつをあらためて確認した。あいかわらずこちらを見つめたまま、微動だにしない。


 エンジン音は津波のように巨大になっていく。たしかな質量で唸りをあげて、恐るべきスピードでいまこの場所を走り抜けようとしている。


 それが事実であるように、2つのまぶしい光が暗闇を引き裂いた。


 当麻の脳裏に1つの光景がフラッシュバックした。


 目も開けられないほどのまぶしいヘッドライト。巨大で強靭な速度。耳をつんざくクラクション音。肉が食い込むほど激しく掴まれ、厚い筋肉に包まれる感覚。小さな砂利が口のなかに入り、頬を掠る感触。


 記憶が走馬灯のように駆け巡る。


 当麻は道路に飛び出していた。


 凄まじいブレーキ音が真夜中の空を切り裂き、アスファルトにその跡をくっきりと残して、回転しながらも車は止まった。


 上向きになったヘッドライトがあたりを照らす。そのまぶしさに耐えかねて、当麻は目をゆっくりと開けた。彼は庇うように、道路に立っていたそいつを抱きかかえていた。痛みはどこもない。車は間一髪のところで当麻たちを避け停止したのだった。


 車のドアが勢いよく開き、誰かが降りてきた。見た目からか大学生らしき人物がこちらに駆け寄ってくる。深夜に、それもこんな人気のない場所に誰かがいるとは思わなかったのだろう、安否の言葉をかけるわけでもなく、オロオロとうろたえている。


 当麻は掴んでいた手を離すと、無事なことを証明するように立ち上がった。大学生は一瞬安堵した表情を見せたが、すぐに顔をこわばらせた。視線はもう当麻に向いてはいなかった。呆然とした面持ちで、うずくまっているそいつを見つめていた。


 瞳孔は開かれ、あきらかに緊張している。体が小刻みに震え、怯えているのがわかった。


「あっ、あっ」


 大学生は叫びとも悲鳴とも取れない情けない声を上げると、一目散に自分の車へと戻った。大きくバックしたのち、急発進する。目新しいスポーツカーだったそれは、情けないほどふらつきながら、彼方へと去っていった。


 当麻は車が走り去るのを見送ったのち、気づいたようにうずくまっているそいつを見た。そこには羽の生えた人間ではない、何かがこちらを見上げていた。


 どこかでサイレンの音が聞こえてくる。当麻の中で言い表せない、不思議な感覚が彼を支配した。


「こっちへ来い!」


 そう言って、当麻はそいつの腕を引っ張り上げると、自分の車の中へと引きずり中へ押し込んだ。


「これを着ろ」


 着ているジャケットを脱ぎ、そいつに手渡す。


「すぐにここを離れるぞ!」


 当麻はエンジンをかけ、その場からできるだけ離れようとアクセルを踏み込んだ。とにかく誰かに見つかったらまずい、その感情だけが当麻を動かしていた。


 駅の近くまで進み、看板の明かりが見えたところで緊張がほどけたのか、当麻は脇に車を止めた。隣を振り向く。そいつはきちんとジャケットを羽織っていた。


「おい、シートベルトを締めろ」


 そいつは首を傾げた。


「シートベルトだよ、ってわかんねーか。ええっと、そこにあるこれをひっぱってな……」


 当麻はシートベルトのつけ方をレクチャーした。


「いいか、車に乗ったときはシートベルトを締めろ。おまわりに見つかったら終わりだぞ」


 そいつははじめはきょとんとしていたが、やがて把握したのか静かにうなずいた。


 その様子に満足すると、当麻は荒々しく車を再度発進させた。

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