序章(追加エピソード)

当麻叶泰Ⅰ 理由

当麻叶泰Ⅰ-1

 嫌な町だった。


 もう二度と戻ってくることはないと思っていた。


 たとえ当時の面影が跡形もなく消え去り、俺のことを覚えている人間が1人もいなくなったとしても、未来永劫、足を踏み入れることはないと誓ったはずだった。


 それなのに当麻叶泰とうまかなたはいまその町に立っていた。


「いやー、こういうと失礼かもしれませんが、本当に良かったです」


 隣の男は嬉々として語りだした。


「いまはその孤独死というか、誰にも見届けられずに亡くなる人が多くなってるっていうでしょう? 数日間、いやもっとか、音沙汰がなくて部屋に入ったら、すでにこと切れて腐ってたなんて、発見した人にとっても貸してる私にとってもたまったもんじゃないですからねー。そういう意味ではお父様は幸運でしたよー」


 男はさも満足そうに何度も頷いた。


「しっかし、財布に入ってた電話番号にかけて正解でしたわー。誰にも気づかれずに最期を迎えるなんて、ホント寂しいことですからねー。お父様も、こうして息子さんが駆けつけてくれて嬉しいでしょう」


 べらべらとよくしゃべる男だと、当麻は不快に感じた。


 この男にとっては部屋が汚れなかったことがなによりであって、父親が死んだことなどは二の次なのだろう。腐乱した死体は臭いがひどく、ハエなどの害虫もわいて悲惨極まりないという。なによりも孤独死は自然死として処理されることが多く、保証人がいない場合は損害賠償を家主が負担しなければならない。死体の処理は別のものがやってくれるとはいえ、部屋の掃除は家主の責務だ。費用も馬鹿にはならないだろうし、次の入居者への告知義務もある。おのずと家賃を下げなければ、人が死んだ部屋など好んで借りようとする者は少ない。そういう意味でも入居者が外で亡くなり、その家族と連絡が取れたという事実は、男にとってラッキーなことだったはずだ。浮ついた軽々しい口調からも、それはあきらかだった。


 だが、当麻は大家を責める気にはならなかった。どうでもいい、というのが正直な感想だった。


 20年ぶりに再会した父親にいまさら何の感情もわいてはこない。ましてやすでに死体となっているならなおさらだ。


 できるだけ面倒ごとは避け、一刻も早くこの町を離れたい。それだけがいまの当麻とってのすべてだった。


 病院のベッドで白い布を被せられている遺体を見下ろしながら、当麻は携帯を取り出した。取引先に事情を説明すると、納期は1ヶ月後でいいとの返事をもらった。正直、そんな時間をかけるつもりはなかったが、言葉に甘えることにした。続いて葬儀屋に連絡する。葬儀屋はものの数分で病院に駆けつけてきてくれた。


「ご遺体はご自宅にお運びしたほうがよろしいでしょうか?」


 ある程度の説明をしたところで、そう葬儀屋が切り出した。なんでも法律上、火葬が行えるのは24時間後らしい。最後の時間を家族とともに過ごせるよう、彼らなりにこちらを配慮してくれているようだった。


 そんな葬儀屋の提案を当麻はやんわりと断った。死体と一緒に過ごすなど冗談じゃない。むしろ無理にでも、いますぐ直葬して欲しいというのが正直な気持ちだった。だが、法令でそう決まっているなら仕方がない。当麻は葬儀屋に遺体を安置所に置いてもらうよう頼んだ。葬式も行う意思はないことを伝えた。自分以外まったく身寄りのない父親の葬儀をする必要性は皆無でしかない。もしかしたら父親と会わなかった空白の期間に、近所の人などなんらかの交流があったかもしれないが、わざわざ調べるのも億劫だ。


 乱雑な当麻の態度に事情を察したのか、葬儀屋は2度うなずいたのち、とくに意見を述べるわけでもなく、手際よく遺体を霊柩車へと搬送した。促されるまま、当麻も自分の車に乗り込む。哀悼の意を述べ、病院の入り口で並んで見送ってくれる看護師たちの姿が、なんの感慨もない当麻には奇妙なものに思えて仕方がなかった。


 その後、市役所に行き死亡届を出す。口座や携帯を解約など、必要な手続きを行う。翌日には遺体は燃やされ、骨の欠片となった。事は驚くほどスムーズに運んだ。費用も予想していたよりもはるかに安かった。


 軽くなった遺骨を胸に、かつて父親が住んでいたアパートへと帰宅した当麻は、早くも1ヶ月暇をもらったことを後悔し始めていた。


 今月分の家賃は払われているので、部屋は末まで利用してよいと大家は言っていた。駐車場もあいているので使用していいとのことだった。事後処理や遺品整理などいろいろ大変でしょうと気を使ってのことだったが、6畳1間のほとんど物のない室内を見渡す限り、それは余計な心配でしかなかった。


 古いアパートだった。


 狭い廊下の並びに備え付けられたとてもキッチンとは呼べない浅いシンクと、その横に設置された安物のガスコンロ。ユニットバスではなかったが、バスタブは小さく、体を小さく折り曲げなければとても肩まで浸かれるようなものではなかった。床に直接置かれた20インチのテレビと、2ドアしかない冷蔵庫。その上にはただ温めるだけの電子レンジ。狭いクローゼットのなかには数着の衣類と下着と、あらゆる状況が質素で貧しい生活を表していた。ただ寝泊まりするだけの部屋。そんな印象だった。


 連絡を受けたとき、遺品は業者を呼んですべて処分してもらうつもりだったが、この量なら自分一人でもなんとかなるのではないかと考えるほど、物と呼べるものはわずかにしかなかった。


 当麻は父親の骨壺を部屋のすみに置くと、疲れからか置いてあった枕を頭に薄いカーペットの上にごろんと横になった。窮屈な部屋だったが、室内は整理整頓され掃除が行き届いており、不自由ということはなかった。無音だと寂しいのでテレビをつける。バラエティ番組か、出演者たちの笑い声が部屋に響いた。


 ここで父親はどんな生活をし、何を考えていたのだろう。そんなことを思いながら天井を見上げる。蛍光灯は切れかかっているのか、時折チカチカと点滅した。


 どれくらいそうしていただろうか。いつのまにかテレビの画像は陽気にボケを連発する芸人から、厳格にニュースを読み上げるアナウンサーへ変わっていた。


 ふと、当麻はいまこの町がどうなっているか知りたくなった。あんなにも拒否していたにもかかわらず、ノスタルジックな感情が湧き起こっている自分に、当麻は苦笑いを浮かべた。


 腕時計を見ると、時刻は0時前を指していた。この時間帯なら誰かに会うということもあるまい。もっとも出会ったところで、俺が誰かだと気づくこともない。当麻は車のキーを掴むと、施錠もせずに外へとでた。

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