月島なぎさⅡ 差し伸ばした手
月島なぎさⅡ-1
彼女はそこにいた。
どこの学校にもあるスチール製の椅子に腰かけ、微動だにせずにこちらを眺めていた。
ただ、焦点は合っていない。瞳はうつろで生気はなく、肩まで伸びたぼさぼさの横髪と、一直線に切られた前髪が、不均衡なアンバランスさをもたらしていた。
真っ暗闇の空間とは対照的に、肌は驚くほど白い。といっても透明感のある健康さはなく、病的な青白さだった。あきらかに栄養が足りなくて痩せたであろうその体はガリガリで、血管が浮き出ている。着ている水色のワンピースは暗い外観と相まって、病衣にしか見えなかった。
くぼんだ瞳がぎょろりと動いた。そこには一切の希望も、夢も、何もなかった。あらゆる感情が死滅してしまったのか、彼女からは人間というものを感じることができなかった。廃墟に捨てられた日本人形のような不気味さをまとわりつかせ、愛らしさとは正反対の本能的な嫌悪感を醸し出していた。
月島なぎさだった。
小学生姿のなぎさとは違う、本来の、本当の月島なぎさ。その彼女が漆黒の闇の中で光る蛍光灯のように、こちらを見つめていた。
なぎさは不思議な感覚に陥っていた。自分が2人いることはわかっていたが、いざ実際に対面してみると、なんともいえない奇妙さを覚えた。彼女は私であり、私は彼女である。たとえ思考や行動といった、あらゆることが真逆だとしても、私たちは月島なぎさとしていま存在している。そこにアイデンティティはあるのか、その極めて不確かな概念が、なぎさ自身を混乱させていた。
けれども、いまはそんなことを追究している場合ではない。
私がなぜ生まれたのか、私がなぜここにいるのか、それは重要なことではない。
なぎさは顔を引き締めると、本来の自分、高校生の月島なぎさの前へと歩みでた。
「どうして私だけがって思ってた。なんでこんな目にあうんだろって。なぜこんなひどいことされないといけないんだって……」
感情をかみしめるようにつぶやく。
「毎日毎日、辛くて苦しくて、憎くて殺したかった。大嫌いだった。消えたかった。それが私だった」
視線を落とした。さきほど見た胸糞悪い思い出が脳裏を横切る。胸の鼓動が荒々しく高鳴り、冷や汗がにじむ。だか、それはほんのひとときで、すぐに消えた。なぎさの瞳に、おどけたような優しさが浮かぶ。
「でもね……小学校のとき、毎日が楽しかった。はしゃいで笑って、くたくたになるまで遊んで、明日もみんなに会いたい。そう思っていた。大好きだった。それも私だった」
一呼吸する。みんなが、いままで自分のためにしてくれたすべての行動が、彼女に勇気を与えていた。
「私もあなただからわかるよ。どんだけ恨んでいたか、どんだけ憎んでいたか。だから、あなたを殺す以外に方法はないと思っていた。でも、みんなは違った。あなたを助けたいって、もう一度やり直したいって、そう望んだ。だから、私も信じてみることにしたよ。みんなのことが大好きだった私を。自分でない他人を大切に思い、いとおしく感じていた私を、私は信じる!」
なぎさはこぶしを握りしめた。
「ちっぽけな私だけじゃダメだったかもしれないけど、でも、私には優花が、颯太が、秀一が、先生が、そして愛ちゃんがいる。だから私は負けない! 私は超えて見せる。もう一度みんなのことが大好きな私に、私はなってみせる!」
本来の月島なぎさは何も答えない。あいかわらず視点の定まらない瞳で、顔をこちらに向けているだけだ。
暗闇が欠け、破片が落ちた。そこから黒い煙、魔界の瘴気があふれ出す。もうすぐ門が開こうとしている。形容しがたいうめき声とともに、黄色く濁った眼球が、欠落した空間からなぎさたちを覗き込んだ。門の向こう側には幾千万の化け物が待ち構えている。舌なめずりをし、胸を躍らせ、解放されるそのときを待ち望んでいる。阿鼻叫喚の地獄だ。開いたそのときが、この世界の終わりだろう。
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