杉野颯太Ⅵー4

 絶望だった。


 それでも、颯太たちは敵を打破しようと死力を尽くした。しかしながら、何度でも復活し続ける現実に気力は減っていった。こちらの力の底部を見定めたのか、牛の化け物は途中から積極的に襲い掛かってはこなかった。虫が岸に上がることができず、水に溺れていくさまを眺めるように、余裕を持ち、下衆な視線で颯太たちを見下していた。


 焦りが増長し、それが疲労を急速に膨れさせた。研究所、商店街と連続してい力を使い続けたことによる疲弊もまた、ここにきて一気に過大化し始めていた。慣れない力を連続して使用したことによってか、全員の体力は大きく消耗していた。呼吸は荒く、目がチカチカとして、視点が定まらない。体が鉛のように重い。もうこれ以上は無理だと、全身が警告している。


「あきらめろ」


 胸の小部屋に格納された桐山が話しかけてきた。取り込まれたと思ったが、意外にも意識ははっきりとしているようだった。


「もう終わりなんだ。努力は報われたか? 何かを信じることで願いは叶ったか?」


 颯太がその口を塞がんと、電撃を撃ち込む。だが、勢いを失った攻撃は簡単に防がれ、あっけなく霧散した。


「この世界はもう滅びる。娘はどうあがいても助からない。医師も無理だといった。悪魔を呼び出しても無駄だった。それが現実なんだ。お前たちもわかっているだろう」


「ああ、知ってるよ」


 素直な颯太の返事に桐山は驚きを隠せなかったのか、意外そうな顔をした。


「どんなに努力したところで、どんなに願ったところで、結局何も変わらない。現実は非情だ。これから先もきっと、たくさんの命が奪われていくんだろう」


 虐待死した少女の、せつなげな瞳が思い浮かんだ。


「だけどさ、だからなんなんだよ。変えられないことがなんだよ。覆せないことがなんだよ。そんなもの全部な、クソくらえなんだよ!!」


 颯太の目は血走り、瞬きすらせず桐山を睨みつけていた。


 体が悲鳴を上げている。次にあいつが攻撃を仕掛けてきたら、もう避ける余力はない。それこそ一巻の終わりだ。視界が揺らぎ、ぼやけた。化け物の中にいる桐山の顔が、鏡に映った自分の顔に見えた。


 颯太は突然、はっきりと理解した。なぜ、あのとき自室を飛び出したのかを。小学校の体育倉庫の前で、秀一に質問された答えを。どうして、自分がなぎさにもう一度会いたいと思ったのかを。


「殺されることが運命だった? 惨めに死んでいくことが人生だった? そんなもん何もかも、俺がぶっ壊してやるよ!!」


 最後まで挫けようとしない颯太に嫌気が差したのか、牛の化け物から卑猥な笑みが消えた。胸の扉から漂う赤黒い煙をより一層全身に巻きつけ、その禍々しい体に満たした。おそらく決着をつけるつもりだ。


「まわりにあの黒い煙がある限り、再生し続けてしまう。なんとかしないと。でも、どうすれば……」


 天宮は必死に活路を見出そうと、頭を働かせているようだった。


「あの煙を何とかすればいいんですよね?」


 急に秀一が天宮に問いかけてきた。天宮はこんなときになんだろうといぶかしげに顔をしかめたが、すぐに何かに気付いたのか、あたりに塵のように漂う黒い煙にそっと触れた。


「楠原くん、あなたの力でまわりの煙を遮断することはできる?」


「わかりません。でも、たぶんそれしか方法がないと思います。だから、やります。絶対に真空状態を作り出してみせます」


「杉野くん」


 天宮が呼びかけたが、颯太は反応しなかった。天宮は言葉を続けた。


「楠原くんが煙を遮断したら、私がありったけの力を使って、あの化け物の胴体の部分にある扉を全部凍らせるわ。そしたら杉野くんも全力で力をあいつにぶつけて」


 乱れた呼吸が止まった。それが返事だった。


「孤独だと思ってた。いや、孤独でありたいと願ってた。誰かと付き合えば裏切られるから。捨てられるから。そう信じてた。言いなりがよかった。何も考えなくて済むから。言われたことだけをやっていればそれでよかったから……」


 秀一は化け物の気迫に負けないよう、自分を鼓舞するように言い放った。


「でも、いまは違う。自分の意志ではっきりと思う。僕はこれからもみんなと一緒にいたい。たとえその先に別れや裏切りがあるとしても、でもいまはすこしでも長く、颯太くんと、優花ちゃんと、なぎさと、またみんなで一緒に笑ったり、泣いたりしたい。だから、僕は戦う。この世界を救って見せる!」


 すさまじい暴風が起こり、化け物の体を囲った。それは空気の牙となり、化け物のまわりだけをくりぬいたように、赤黒く隠滅な煙を振り払った。


「先生!」


 天宮もまた懸命に自分を勇気づけているようだった。胸の前でこぶしを固く握り締め、じっと桐山を見つめている。天宮がつぶやいた小さな言葉が風に乗って颯太の耳に入った。


「お父さん、いまならわかるような気がする。あの少年を庇った理由が……」


 天宮の体全体が青白く光った。まわりに水滴が集まる。それは即座に氷結し、雪の乱舞となって降り注ぐ。


 体内に溜めこんでいた煙を吐き出そうとした化け物の7つの扉を塞ぐように、天宮が生み出した吹雪が化け物の体を捕らえた。開いていた扉が一瞬で凍り付き、その入り口を堅く閉ざした。我ながらどこにそんな力が残っていたのか、大地を蹴り上げると、颯太は牛の化け物に向かって走りだした。化け物は胸を覆った氷をはたき落そうと、腕を動かそうとしている。


「自分のすべてを投げうってまで助けたかったんだろ? 救いたかったんだろ? その想いを一切なかったことにしようとしているお前の気持ちなんて、何1つわかんねーよ!」


 颯太は大地を力強く蹴り上げ、大きくジャンプをした。殴りかかるように右腕を引く。桐山のうつろな表情が見えた。その瞳を破るように、颯太がこぶしを突き出す。まっすぐに伸びたその腕は雷光となり、一直線に牛の化け物の腹を貫いた。体にひびが入り、隙間から瘴気が噴出したかと思うと、牛の化け物は木っ端微塵に破裂した。


 中にいた桐山が放り出される。颯太もまた着地のことを全く考えていなかったため、体制を崩したまま地面にダイブした。


「颯太くん!」


 秀一が駆け寄ろうとしたが、すべての力を使い果たしたのだろう。彼は歩くことすらできず、その場に転び倒れこんだ。颯太は「だいじょうぶだ」と言いながら立ち上がった。負傷した右肩を再度強く殴打したのだろう、腕が痺れ、激痛が止まなかった。


 牛の化け物の体は霧散し、煙と同化して消えて始めていた。熱く重苦しい空気は、すこしずつだが薄れていった。

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