杉野颯太Ⅵー3

 牛の化け物は蠅でも叩き潰すがごとく、その長い右腕を垂直に振り下ろした。金属質な体からは想像できないほどそのスピードは速く、尋常ではなかった。訓練された人間でも、それを避けることは容易ではないはずだった。それなのに颯太は攻撃をすんでのとこでかわした。熱風が頬をかすめる。彼は強く踏みとどまると、あろうことかカウンターを放った。反撃は左手でガードされ、たいしたダメージを与えることはできなかったが、苦々しい顔が指の隙間から垣間見えた。


 いける! そう颯太は盲信した。体が熱い。活力が溢れて無限のエネルギーを生み出す、そんな気迫が全身に満ちていた。


 颯太に感化されたのか、秀一もすかさず突風を放つ。金属が軋む音を立てる。続く天宮が作り出した氷柱が牛の化け物に襲いかかり、注意をそらした。チャンスと言わんばかりに、再度颯太が電撃を打ち込む。天から降り下ろされた雷は牛の化け物の脳天を直撃し、大きな爆発が起こった。


「やったか!?」


 立ち込めた粉塵で姿は見えなかったが、たしかな手応えはあった。不安を持ちながらも、期待に比重を寄せた表情でじっと経過を伺う。そんな願望を嘲笑うかのように、煙のなかからぬっと赤黒い腕が飛び出した。


 反射的に体を仰け反らせる。だが、数メートルある化け物の身長と同等の、長い腕から逃れることはできなかった。


 弾き飛ばされた颯太の体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。


「颯太くん!」


「だいじょうぶだ!」


 咄嗟に身構えたことと、受け身をとったことにより、衝撃はいくらか緩和された。皆を安心させようと、すかさず立ち上がり、態勢を整える。実際は手をついたときに鋭い痛みが腕に走ったが、平静を装った。


 牛の化け物は手を休めようとはしなかった。追撃されることを懸念した秀一が鋭利な旋風を巻き起こす。けれども、固い金属で構成されたその皮膚を切り裂くことはできなかった。援護に回った天宮の氷塊もまた、壁にぶつかった雪玉のごとく、あっけなく砕け散った。


 希望は淡い夢でしかなかった。生物を超越した不動の肉体は、まるで1枚の分厚い岩壁で、破壊することは不可能に近かった。彼らの放った攻撃はことごとくその堅固な鎧に妨害され、無力に崩れ去った。どんなに力を込めた一撃も、それの前では豆腐を投げつけていると変わりがなかった。


「なんとかしないと……」


 秀一から焦りの汗がにじみ出る。


「杉野くん、楠原くん。私の力であの体を冷却させるわ。急激に温度が下がれば、壊せるかもしれない」


「それなら可能ですけど、超低温の液体窒素でも使って一気に冷やさない限り、割ることは難しいと思います」


「常温ならね。でも、胴体を見て」


 秀一が不思議そうに視線を向ける。


 7つの扉はすべて開かれており、桐山のいる一番上の部屋以外は轟々と赤黒い煙が渦巻いていた。


「あれは炉よ。どういう仕組みかはわからないけど、さっきから感じる煮えたぎる空気といい、あれは車で言うエンジン、つまり熱機関なはず。ということは、あの化け物の体温は通常よりも高い。それならば温度差はそこまでなくても問題ないはずよ」


 たしかに天宮の言うとおりだった。高鳴る気持ちから体がほてっているのかと思っていたが、実際はあの化け物がストーブのように熱を発生させており、気温が上昇しているだけだった。


「いくわよ」


 その言葉を掛け声に天宮は氷の刃ではなく、吹雪を放った。冷気は化け物の長い腕に吸い込まれるように付着し、前腕を白く覆った。すかさず秀一が風を回転させ、凍った部分に衝撃を与える。


 急激に冷やされた化け物の腕は天宮の予想通り脆くなったのか、小さな亀裂が走った。止めと言わんばかりに颯太が雷撃を撃ち込む。噛みつく勢いで放たれたそれは、牛の化け物の長い腕を砕き、へし折った。


「やった!」


 秀一が歓喜の声を上げた。だが、牛の化け物は腕を破壊されたことを意にも返していないようだった。颯太たちの連携攻撃に対して、驚愕することも脅威を感じることもなく、汚らしい歯を見せつけ、あいかわらず不気味な笑みを浮かべていた。


 また、あのシンバルを落としたような音が鳴り響いた。それとともに胸の扉の中に充満していた赤黒い煙が、一気に噴き出した。煙はなくなった部分を補うように傷口を覆うと、すぐに凝固し、壊される前と寸分変わらない腕の形へと変化した。


「そんな……」


 愕然とする天宮に対して、牛の化け物はいま再生したばかりの腕を振り上げた。


「先生!」


 危険を察し、瞬時に展開した秀一の障壁によって、なんとか天宮へ直撃は免れた。天宮はいったん後方へ退くと、ふたたび冷気を放った。地面ごと叩きつけたこぶしが冷却される。それを圧し潰すように、颯太が雷を上から落とす。だが、結果は同じだった。体内に蓄積してある煙によって、粉砕された指はすぐさま修復され、元へ戻った。さらになくなったそれを補充するように、あたりに無尽蔵に存在する赤黒い煙が扉の中へと吸い込まれた。

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