天宮聖羅Ⅶー3

 食事も終わり際に差しかかろうとしていた。みんなよほどお腹がすいていたのか、ほとんどのお皿が空になっていた。優花は空になった皿を持つと、台所へ運んで洗おうとしたが、天宮が止めた。


「食器は水につけといてくれるだけでいいわ」


「でも……」


「さすがに生徒にそこまではさせられないわよ」


「そうですか、わかりました」


 言われた通り優花は食器を水に浸すと、台所を離れた。


「一息ついたら、またなぎささんを探すのを再開しましょう」


「そうですね……」


 和気藹々とした談笑に忘れがちになっていたが、いまこの町は黒い煙で覆われていて、たくさんの人が苦しんでいる。そしてそのなかには、本当の月島なぎさも含まれている。


 天宮の中で無理やり押し込んだはずの不安が、隙間からにじみ出るように這い出し歩き始めた。


 本当に私たちはこの原因不明の黒い煙の謎を突き止め、解決することができるのだろうか。月島さんを助け出すことができるのだろうか。不登校という事実から、彼女が心に闇を抱えているのは間違いない。無事に救い出したとしても、いざ対面したとき、彼女に対してかける言葉をおそらく全員が知らない。ただ何とかしなくてはという思いから、とりあえずもがいているにすぎない。桐山がこの世界に絶望し、滅ぼそうとしているのはわかったが、それが月島さんの誘拐とどうかかわりがあるのか、あいかわらず見当はついてない。


 そもそも桐山を止めれば、本当にそれで終わるのか。彼を何とかできたとしても、いま町を覆っている黒い煙が急速に収縮するとはとても考えられない。


 いくつもの懸念や疑問が浮かび、ループする。だが、一向に答えは出ず、逆に絡まったコードのように一層複雑に入り組んでしまう。私たちはもうすでに袋小路にいるのではないだろうか。後に引き返そうにも、そこはもう崩れ崖になり、飛び降りるしかないのではないか。


 天宮は波のように押し寄せる不安を紛らわせようと、また何か目新しい情報はないかと、TVをつけようとした。だが、リモコンが所定の位置になく、見当たらなかった。


「先生、どうしたんですか?」


 あたりをきょろきょろとしていると、その視線に気づいたのか優花が質問してきた。


「えっと、TVのリモコンを探していて……」


「リモコンならここにありますよ」


 優花は部屋の脇に置いてある机の上のリモコンを掴み、天宮に渡そうとした。そのとき同じく机にあった1枚の用紙がひらりと落ちた。優花はそれをおもむろに拾い上げた。そこにはついこの前学んだばかりの授業内容が、ルーズリーフのマス目に沿ってびっしりと書き込まれていた。天宮の担当は国語だ。なのに記載されているのは英文だった。


「先生、これ……」


「ああ、それね、月島さん用」


「なぎさ用?」


「授業内容をまとめたプリントとかを作っているの。いつ月島さんが戻ってきても、だいじょうぶなように。読んでくれているか、わからないけどね……」


 寂しそうに天宮が目を伏せた。優花の動きが止まる。


「だから、私が自炊をしてないのはしょうがいない!」


 天宮は沈みかかった場を和ませようと冗談っぽくおどけてみせたが、一度顔を出したそれを引っ込めるまでには至らなかった。


「ごめんなさい、先生」


 突然、なぎさが頭を下げた。


「どうしたの急に……」


「私のせいで、みんなに迷惑をかけて……」


「迷惑だなんて思ってないわ。このプリント用紙だって、私が勝手にやっていること。気にすることはないわ」


 天宮は優花が持っていたその用紙を半ば強引に奪い取ると、小さく折りたたみポケットへとねじ込んだ。真剣な表情で物思いにふけっているなぎさを安心させようと口もを緩めたが、彼女には伝わらなかった。


「先生、みんな、聞いてほしいことがあるの……」


 なぎさが意を決したように顔を上げる。


「私、みんなに言わなきゃならないことがあるの」


 全員の視線がなぎさに集まる。が、タイミング悪く、天宮の携帯が鳴った。画面には橘の名前が表示されている。なぎさの言葉の先が気になったが、無視するわけにもいかず、天宮は電話に出た。


「もしもし橘さん、なにかわかったの?」


「残念だが、これといってたいしたものはないな。まず月島なぎさだが、こちらは当初の病院での目撃のほかに有用な証言はなかった」


「そう……」


「あと、桐山っていう男だが、お前の言った条件に該当するのが1人しかいないから、おそらくこいつに間違いないと思うが……」


 受話器越しにキーボードをたたく音がする。天宮は息をのんだ。


「本名、桐山隆治。年齢は32歳。どこにでもいる普通のサラリーマンだ。ただ奥さんが3年前に他界し、さっきお前が言っていた芽実っていう5歳になる娘と、親子2人で暮らしているみたいだな」


「奥さんが他界……」


「お前はこの2人になにか関連性があるんじゃないかと考えているようだが、その月島なぎさって子は何かいかがわしいことでもしていたのか? はっきり言って、それくらいじゃないと正直接点があるとは思えないぞ」


「それはないと思う。でも、わざわざありがとう、橘さん。助かったわ」


「もっと有益な情報があればよかったんだがな。なにぶんこっちはあの黒い煙のせいでてんやわんやだ。あと、いまは非常事態だし、お前だから教えたんだからな。くれぐれも俺から個人情報を聞いたとか他言するなよ」


「わかってますって」


「天宮……」


 橘は声のトーンを落とした。


「お前が何をしようとしているかはわからんし、聞こうとも思わん。だが、本当に無茶なことだけはしないでくれ。お前に何かあったら、俺は天国のあいつに申し訳が立たん」


「心配してくれてありがとう、橘さん。でも、いまこの状況を何とかできるのは私たち以外にいないと思うの。それに……これは私がやらなければならないことに思えて仕方がないの」


 亡くなった父の真摯なまなざしが、追懐される。

 

「それに父さんも生きていたら、きっと同じことをしていたと思うわ」


「そうか」


 橘はしばらく沈黙したのち、重い口調で言った。


「商店街に巨大な化け物がでた。警官と自衛隊が応戦したが、銃火器類にたいした効果が見られず、数名が負傷したのと、この忌々しい黒い煙のせいで全員が体調不良を起こしたため、一時撤退したらしい」


「商店街に……?」


「もし、そっち方面に行くようなことがあったら、くれぐれも注意しろ」


「わかったわ。橘さん。あと……」


「なんだ」


「理由を話してないのに、いろいろ協力してくれて本当に感謝している。全部終わったらすべてを話すわ」


「ああ」


 短い返事だったが、そこには天宮に対しての信頼と優しさが十分なほど含まれていた。思いを汲み取ってくれたことに感謝しつつ、天宮は電話を切った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る