天宮聖羅Ⅶ-2

 1人のときはいつも広すぎると辟易していたリビングも、6人集まるとやはりすこし窮屈だった。全員は座り切れないので、前と同じように生徒たちを優先させ、天宮は立つことにした。


「天宮先生も疲れてるんじゃないんですか?」


「心遣いをありがとう。でも、平気よ」


 そう断ったが、颯太が立ち上がった。


「ここに座れよ」


「だから、だいじょぶだって。あなたたちが座って」


「じゃあ、私、優花の膝の上にいく」


 なぎさが覆いかぶさるように優花の膝上へと移動する。


「先生、ここへどうぞ」


 なぎさがどいたことにより、空いた場所へ座るよう優花が促す。


「ごめんなさい。ありがとう」


 意固地になる必要もないと思い、天宮は言葉に甘えることにした。それを見て、なぎさが嬉しそうに微笑む。颯太も納得したように、座りなおした。


 あの体育倉庫での緊迫した冷たさとは違う、温かみのある空気が流れているのを実感し、天宮は安心したように腰を深く下ろした。暗いニュースが続くなか、1種の清涼剤のようにそれは部屋を満たしていた。とくになにをするわけではなかったが、不和も緊張感もまるで水に溶けて消えてしまったかのごとく、感じられなかった。それを表すかのように、誰かのおなかが鳴る音がした。


 優花が顔を赤くしてうつむいている。


「そういえば、昨日からろくなもの食べてなかったわね」


 適当なお菓子をほおばっただけで、まともな食事をした記憶がない。お腹がすくのも仕方ないだろう。


「橘さんの知らせも時間がかかると思うし、とりあえず食事にしましょう。腹が減っては戦はできぬって言うしね」


 天宮は台所に向かい、意気揚々と冷蔵庫を開けた。


「何にする? チャーハンにピラフに唐揚げに焼きおにぎり、なんでもあるわよ」


 天宮は両手いっぱいの冷凍食品を取り出すと、机の上に置いた。颯太と秀一が苦笑する。


「なによ、その顔。教師は忙しいの。贅沢言わない」


「最近の冷凍食品美味しいですもんね」


 秀一がすかさずフォローする。


「そうそう楠原くん、よく知ってるわね」


「勉強の夜食でたまに食べるんです」


「熱心ね」


「そんなことないです」


 秀一は照れ臭そうに身を縮こませた。


「先生、ちょっと冷蔵庫のなか見てもいいですか?」


 並べられた冷凍食品とにらめっこしていた優花が、おもむろに問いかけた。


「どうぞどうぞ。でも、どうして?」


「このままでもおいしいと思うけど、すこしアレンジした方がさらにおいしいかなと思って……」


「へー、柊さん料理できるの?」


「私の家、母子家庭だから、一通りは。あんまり自信ないですけど……」


 優花は気後れしながらも、台所に行って冷蔵庫を確認した。中はほとんど空で、お茶やジュースといった飲み物以外目につくようなものは何も入っていない。優花はその内容量と大きさの不釣り合いな冷蔵庫をくまなくチェックした。


「うーん、調味料は一通りそろってる。卵もある。先生、塩と砂糖はありますか? あとみりんとか」


「塩とかは台所の上の棚に入ってるわ。みりんはあったかなー。そこの下の引き出しに入ってれば……。というか、たいしたものないなくてごめんなさい」


「いいえ、だいじょうぶです。ちょっとエプロン借ります」


 優花は冷蔵庫の横に立てかけてあった、まったく汚れのないエプロンを手に取った。冷凍食品をお皿に盛りレンジで温めるとともに、フライパンに油をしき、火をつける。手慣れているように片手で卵を割り、ボウルの中に入れた。


 数十分後、机の上にはいつも天宮が食べている冷凍食品とは一味も二味も見た目の違う料理が、いっぱいに並べられていた。


「作りすぎちゃったかな……」


 予想外に多かったのか、優花が口元をゆがめた。


 天宮はそのレストランのような出来栄えに圧倒されながらも、まだ湯気が漂っているからあげを1つ摘んで口に運んだ。


「おいしい……」


「よかった」


 優花がほっと胸をなでおろす。


「この唐揚げにかかってるの何?」


油淋鶏風ユーリンチーのタレです」


 さも当然のように優花が答える。


「へー、ユーリンチー。へー」


 天宮はオウム返しにつぶやいた。


「これチャーハンか、卵かかってるからオムライスかと思った」


「冷凍食品のチャーハンは味が濃いから、こうすると卵のまろやな甘さで優しい味わいになるんだよ。食材がなかったからできなかったけど、キムチとか乗せると韓国風に、溶けるチーズならイタリア風にといろいろアレンジできておいしいよ」


「へー、そうなんだー。へー」


 天宮はさきほどから「へー」と繰り返し、感心ししきっている。


「先生は自炊とかしないんですか?」


「えっ、そりゃするわよ! ご飯炊いたり、パスタゆでたり」


「おかずとかソースは?」


「おかずはスーパーの惣菜とか、ソースは市販のものを温めてかけるとか……」


「それって自炊っていうのかよ」


「だから、最近は忙しくて……それにしょっちゅう母が料理を持ってきてくれるから、自分で作る必要がないというかなんというか……」


 こらえきれなかったのか、なぎさが噴出した。


「料理に関しては優花の方が先生だね」


 いたずらっぽくそうほほ笑む。


「そうね、完敗だわ」


 天宮は卵かけのチャーハンをスプーンですくいながら、敗北宣言をした。


「それにしても、柊さんって完璧よね」


「えっ、どういうことですか?」


「容姿よし、スタイルよし、家事もできる」


「……そんなことないです」


 優花は顔を真っ赤にして照れ臭そうにうつむいた。


「そりゃ私の優花だもん」


 なぎさがスプーンを片手に自信満々に答えた。


「べつにお前のじゃないだろ」


「いいの。そういうことなの!」


 反ば強引なその態度に秀一が苦笑する。


「でも、本当に柊さんは昔からすごいモテてたよね」


「だな」


「えっ、そうなの?」


「そうなのって……お前気づいてなかったのかよ」


「だってその、べつに誰かに告白されたこととかないし……」


「サッカー部の宮田とか好きだって言ってたぞ」


「ええっ、宮田くんが!?」


 優花は本当に恋心に気づいていなかったらしく、大声をあげ目を丸くした。


「あーあいつね。たしかに。まあ、私が睨み利かせていたからだいじょうぶだったけど」


「えっ、どういうこと?」


「優花に変な虫が近寄らないよう私が見張ってたんだよ」


「ええっ!」


 優花がさきほどと負けないくらい声を張り上げた。


「まあ、宮田は他の女にもちょっかいだしてたみたいだし、チャラいんでアウト」


「ちょっと、なぎさひどくない?」


「ひどくない! そもそも小学生に恋愛なんて早いでしょ」


「でも、そんなことしなくても……」


「たしかに月島さんってすごい勢いで、柊さんを守ってたよね」


「だな。みんななぎさを恐れて優花に近づかなかったよな」


「そうだったんだ……全然気づかなかった……」


 優花は呆然としている。


「別に優花の恋路を邪魔する気はないけど、なんていうかなー、もうちょっと良いのいるでしょ」


 そこで何か思い立ったのか、なぎさはドンと机を叩きソファーから立ち上がると、鋭いまなざしで優花を顔を覗き込んだ。急な態度の変化に驚いたのか優花がすこし体をこわばらせる。


「ねぇ、優花。中学3年間は彼氏とかいなかったでしょうね?」


「いっ、いないから」


 なぎさの気迫に押されたのか、物怖じしながら優花が答える。


「ホントにホント?」


「本当だよ」


「そっかーそれならいいんだけど。優花は昔から背が高くて、大人びてたから年上から人気があったんだよね」


「たしかに。なぎさと並んでも同級生には見えなかったな」


「そのくせ、男を見る目がまったくない」


「はぁー? そんなことないから!」


「いや、そんなことある! なんか町で大学生とかに声かけられてついていってないよね? 秋らしいカーキ色のニットに、シックなチェスターコートを羽織っているような、いかにも清潔感のある学生やってますみたいな奴に」


「つ、ついていってないから!」


「そういう男が一番危ないんだから、見た目はいかにも安全ですよーみたいな雰囲気を醸し出しといて、裏では平然と二股するんだから」


 ひどい偏見ねと天宮は呆れた。


「優花の彼氏になる人は私が徹底的にチェックします」


 なぎさは高校生球児が宣誓するように、手を垂直に揚げた。だが、すぐに腕を下ろし、まるでなにか悪巧みを思いついたかのように、不敵に神那のほうへ振り返った。


「まっ、愛ちゃんなら優花の恋人にいいけどね」


「なっ……」


 優花は顔を真っ赤にしたまま、絶句している。対照的に神那はそんな2人のやり取りはどこ吹く風といった感じで、黙々と唐揚げをほおばっている。


「愛ちゃんなら優花とも釣り合うと思うんだよねー。優花もこんなイケメンならまんざらでもないでしょ」


 硬直している優花の頬を指でつつきながら、なぎさがいたずらっぽくにやける。


「なぎさのバカ!」


 優花は今日一番の大きな声で、そう叫んだ。


 そんな様子を天宮はほほえましく見守っていた。


 ふざけ合い、楽しげに話しているみんなを見て、天宮は感傷に浸っていた。


 柊さんは美人だけれど、クラスでは打ち解けていない感じだった。話をする友達らしい人はいるみたいだったけど、それでもどこか馴染めてなかった。高嶺の花というよりは、孤独で近寄りがたい、そんな雰囲気を醸し出していた。


 杉野くんは柊さん以外、まともにしゃべっているのを見たことがなかった。他の生徒から話しかけられても会話を続けようとはしなかった。彼は自分から壁を作り、何もかもを拒否しているようだった。クラスの女子からも何を考えているかわからない、怖いといった意見がでていた。


 月島さんは言わずもがな。今と昔では全然違う。


 でも——。


「てかさ、なぎさ。そもそもお前幻覚かなにかなのに、なんでそんな食欲があるんだよ」


「だっておいしいんだもん」


「食いすぎだろ」


「小学生は一番の成長期なんです! ってことで最後の唐揚げ、私がもらうね」


「いや、俺だろ」


「僕、1つしか食べてないんだけど……」


「なら、じゃんけんで勝負!」


「いや、僕じゃない? みんな2つくらい食べたでしょ」


「そうだな、ここは公平にじゃんけんにしよう」


「杉野くんもひどい!」


「いくよ、勝っても負けても恨みっこなし!」


「わかってるって」


「せーの、じゃんけん——」


 みんなが腕を出そうとした瞬間、神那が最後の唐揚げを口に運んだ。


「ちょっと愛ちゃん!」


「神那、てめぇやりやがったな」


「僕の唐揚げ……」


「もう喧嘩しないの!」


「しょうがない、秀一には私のギョーザあげるね」


「俺の焼きおにぎりもやるよ」


「ありがとう。でも唐揚げが良かったなー」


「全部終わったら、また作ってあげるから」


「本当に!? ぜひお願いします」


「俺の分も頼む」


「私のも!」


「はいはい、全員分作るから安心して」


 ——みんな普通の子たちじゃない。


 天宮は涙があふれそうになるのを、ぐっとこらえた。

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