柊優花Ⅰ-2
昨日のことを思い出す。
あれは絶対になぎさだった。
でも、どうして小学生の姿だったのだろうか?
それにあの影のような化け物。
考えても答えは出てこない。颯太や秀一に質問しようかと携帯を手に取ったけど、帰宅したのは深夜だったし、結局なんの連絡もしなかった。夢だったのか。いや、そんなわけがない。あれはたしかに現実だった。
その証拠にこの力。
優花は指先にまいた絆創膏をめくった。何度見てもそこには傷1つない。
昨日の夜までにはそこには誤って包丁で傷つけてしまった切り傷があった。だが、それはいま跡形もなく消えていた。朝起きて昨日のことが本当だったのか確かめたくて、力を使ってみたのだ。手をかざすと指先に心地よい暖かさが広がり、傷跡がふさがった。じんじんとした痛みもなくなった。絆創膏に付着した血液だけが、ケガをしていたという事実を物語っていた。間違いなく不思議な力が自分には宿っている。
映画や漫画の世界でしか見たことのない魔法のような力。あんなことが現実に起こるはずはない。だが、厳に私はその力で傷を治すことができた。私の体はどうなってしまったのだろうか。人間ではなくなったのだろうか。
「あれは人間じゃなかった!」
急に大きな声がして、優花はそちらの方に目をやった。
そこではすこし離れたところに座っていた大学生らしき人物の1人が、椅子から立ち上がりまわりなど気にせず興奮気味に声を荒げていた。
「だから、見たんだって! あれは絶対人間じゃなかった」
唾を飛ばしながら、まくしたてている男性とは対照的に、もう1人の男性は「はいはい」と生返事をしながらあきれたようポテトをつまんでいる。
「そいつはさ、急に道路に飛び出してきてさ。俺は慌ててハンドルを切ったんだよ」
座っている男性は口を動かすのに夢中でそれに答えない。
「もしかして轢いちまったかと思って、俺は慌てて車から降りたんだよ。そしたらそこに何がいたと思う?」
「さあな」
「翼の生えた人間がいたんだよ」
「ふーん。で、どうしたんだ?」
男性はつまらなそうにストローに口をつけた。
「どうしたって、逃げたさ。逃げるに決まってるだろ」
「写真とか撮ってないのか?」
「そんな余裕とかあるわけないだろ。化け物が目の前にいたんだぞ!」
「じゃあ、証拠がわけじゃないんだな」
「たしかにそうだけど……でもあれは絶対人間じゃなかったって!」
「どうせコスプレした奴か、変質者か何かと勘違いしたんだろ」
「変質者でもコスプレした人でもない。ヘッドライトに照らされて、はっきりと見たんだ。羽が背中から生えていてた。あれは絶対に宇宙人かなんかだ。俺はこの目で見たんだよ!」
「とにかく落ち着けよ。まわりが見てるぞ」
スーツ姿の男性があきらかに苛立った様子で大学生たちを睨んでいる。その事に気付いたのだろう、座っている男性が立ち上がっている方を戒めるように注意した。だが、もう1人の大学生は納得がいかないといった感じで怒りが収まらないようだった。
優花はカバンの中からスマートフォンを取り出すと、イヤホンを端子にさした。そしてそのまま音楽アプリを立ち上げる。
曲目に目新しいものはなく、もうすでに何回も聞いたものばかりが並ぶ。
この曲が聞きたいというわけではなかったので、ランダム再生のボタンを押す。かなり前に流行った音楽が流れ始めた。
音楽番組やCMで流れている曲などを聞いてもわざわざCDを借りるのも面倒だし、ダウンロードはお金がかかるし、動画サイトで聞こうにも通信料が気になるし、そもそもどれもピンとくるものがなく、結局いつもの曲をループしてしまう。何も変わらないラインナップ、何度も繰り返して全部覚えてしまった歌詞。
それでも音楽を聴くのは好きだった。誰にも邪魔されず、孤独になれるような気がした。女子高生たちのおしゃべりも、大学生の喧嘩も、すべてがかき消えされて、広大な海に1人浮かんでいる、そんな感覚に浸れた。
曲が切り替わり、やたらテンションの高い女性ボーカルの曲が流れ始める。なぎさがおすすめだよと、貸してくれたCDに収録されている曲だった。
小学3年生のとき、優花はこの町に引っ越してきた。そこで初めて話しかけてくれたのがなぎさだった。
なぎさと優花は正反対の性格をしていた。比較的おとなしく、いつもおびえているような優花に対して、何に対しても物怖じせず、積極的に行動するなぎさ。それが優花にとっては羨ましくもあり、憧れでもあった。
それから卒業するまでの3年間ほとんど毎日一緒にいた。口下手でおとなしい性格だった優花は、なぎさと颯太と秀一以外友達らしい友達もいなかったけれど、それでも毎日が楽しくて学校が好きだった。みんなに会えることが嬉しかった。
だからこそ小学生最後の冬、なぎさから違う中学に進学すると聞いたときは本当にショックだった。
中学も高校もこれからもずっと一緒だとそう思っていたから、それが当たり前だと感じていたから、彼女の口から発せられた事実を受け入れることができなかった。裏切られたような気がして彼女を一時期恨みもした。
なぎさはすぐに戻ってくるから、離れていてもずっと友達だからと言ってくれた。それに会えなくなるわけじゃない。夏休みは帰ってくるし、連休も遊びに来るよ。そしたらまたみんなで遊ぼう。一緒にお祭り行ったり、ライブ行ったりしよう。そう励ましてくれた。私は泣きながらうんうんとうなずいた。
そのときはたとえ離れても、この関係はずっと続くと、そう信じていた。でも、両親が離婚して、何もかもが変わって、当たり前だったものがそうでなくなると、毎日取り合っていた連絡もいつの間にか途絶えてしまった。それからずっとそのままだ。私たちの関係はこんなにも脆く弱いものだったのだろうか。
夏休みになぎさがこっちに戻ってきたということを颯太から聞いた。それが事実であることを証明するように、なぎさが転校してきたけど、声をかけることはできなかった。長い間連絡も取らずにいたため気まずさがあったということもあるが、それ以上にあまりに変わってしまった彼女の姿が私は怖かった。私はもしかしてとんでもないことをしてしまったのではないだろうか。そう不安になって彼女に話しかけることができなかった。それ以来、なぎさは学校に登校してきていない。
どんなときも明るくて、お調子者で、ムードメーカーで、誰に対しても優しかったなぎさの印象は、あの日を境に音を立てて崩れ去ってしまった。
何があったのか。なぎさと連絡を取らなくなってからの空白の時間、そこで起こったことは何も知らない。
なぎさの家は知っている。
幾度となく、会いに行こうかなと考えた。
でも、いまさら1人では行けるはずがない。
まず会ったとしても何を話していいのかわからない。
でも、私たちは毎日おしゃべりとしていたんだよね。優花は懐かしむように、携帯に表示されているアーティストの名前をなぞった。
小学校の頃はなんであんなに会話に困らなかったのだろう。
学校でもずっとしゃべっていて、家に帰ってからもSNSで連絡を取り合っていた。
TVのドラマの話題とか、この服が可愛いとか、誰々がかっこいいとか、取るに足らないことばかりだったのに話題が尽きなかった。
友達だった。
かけがえのない親友だった。
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