柊優花Ⅰ-3
——私を探してほしい。
昨日のなぎさの言葉が頭の中に浮かぶ。
優花は立ち上があると、紙に包まれたままのハンバーガーごとトレーの上のものをゴミ箱に投げ入れ、ファーストフード店を後にした。
本当はこんな場所に来るつもりはなかった。最初からなぎさの家に行こう。そう決めていたはずだった。
でも、足がそちらの方に向かおうとしない。意志とは反対にどうしても躊躇してしまう。
結局優花はふたたびあてもなく歩き始めた。なぎさの家に行かなきゃという気持ちと、どうしようという迷いが交互に揺れていた。
ふいに誰かに肩を軽くたたかれた。
振り返ると知らない男性が私に話しかけているようなそぶりを見せている。見た目は20代後半くらいだろうか? さきほどファーストフード店で騒いでいた大学生らしい人物よりは年上のように思えた。パーマのかかった黒い髪に高い鼻と二重の瞳、まさにイケメンといって差し支えないほど整った顔立ちをしていた。服装も秋らしいカーキ色のニットに、シックなチェスターコートを羽織っている。ネックレスはしていたが、けして嫌味はなく、むしろさりげない主張に一役買っていた。全身から清潔感のある雰囲気を漂わせていて、誰に対しても好意的な印象を与えることができる、そんな男性だった。
優花は不審に思いながらも、片方のイヤホンを外した。対応してくれたのが嬉しかったのか、男は意気揚々と話し始めた。
「ねえねえ、1人? これからどこかで待ち合わせとか?」
ナンパかと優花は思った。
「いえ、とくに……」
「ならよかったらこれからどう食事でも?」
男は優花があきらかに難色を見せたにもかかわらず、かまわず話しを続けた。
「いま食べましたから」
実際はポテトをすこしつまんだだけだったが、食欲がないのは事実だった。
「じゃあ、お茶だけでもどう? もちろん奢るよ」
「私、高校生ですけど」
「うん、制服だしそうだと思った」
「捕まりますよ」
そういうとその男は噴き出した。
「だいじょうぶ、へんなことはしないよ。ちょっと何か飲みながら話すだけ」
「学生ですか?」
「うん、大学院生」
「授業とか行かなくていいんですか?」
「今日は単位がない日なんだ。それに君だって学校をさぼってるだろ」
たしかにと優花は変に納得してしまった。
「変なことしないでください」
「だから、お茶するだけだって」
「なんで私なんですか? ほかにいっぱい高校生がいますけど」
「だってキミかわいいじゃん」
褒められたにもかかわらず優花はむっとした。調子の良いことを言うなと、あきらかに不機嫌な態度を示した。
私は15年間生きてきて1度も男性から告白されたことはない。だから自分がモテるとうぬぼれたことはない。急にかわいいと言われてもピンとこないのは当たり前だった。
そもそも私は自分が大嫌いだった。
おどおどしていて、すぐ人の顔色をうかがう。自分の意見を言わないで、相手の態度に合わせてばかりいる。笑顔も下手で、愛想よくふるまうことすらできない。いつもネガティブな方ばかり考えてしまう。
こんな私の何がいいのかわからない。
だから、この男が自分のどこの部分に好意を抱いたのか、優花は理解ができなかった。
それでも、優花は彼を無下にあしらおうとはしなかった。怒りにも似た不満が噴出しているにもかかわらず、優花は彼を極端に拒絶しようとはしなかった。
何もかもがどうでもよくなってきた。
いまなぎさに会っても、私はなにもしゃべることができない。
嫌なことや面倒なことがあるとすぐ逃げようとする。自分でも悪い癖だと思う。卑怯なのはそのことを正当化しようとすることだ。いまも別にこの男と一緒に過ごしたいわけじゃない。でも、この男とデートをすれば、それを口実に今日はなぎさの家に行かなくていい。馬鹿げた理論だったが、そんな理由をでっちあげても優花はなぎさの家に行くことを恐れていた。
私はいつでも逃げる理由を探している。
「べつにいいですけど……」
「ホントやった」
そういうと男はなれなれしく肩に手を回してきた。
触れられたとき、優花の中から絶望にも似た吐息が漏れた。
あのファーストフード店にいた女子高生たちと自分との決定的な違いを、優花は気づかされた。
私は物だった。
何の感情も持たないただのモノ。それが私なのだ。
颯太のやることに対して何も言いだせないのも、ただ促されるまま流されるのも、私に意志というものがないからだ。それが私なのだ。いままではなぎさがいたから、ある程度の方向性を保っていたにすぎない。
誰かに胸を触られたことはないけれど、きっと揉まれても私は無表情だろう。何か反応があったとしても、それはカエルの死体に電気を通すとピクリと動くように、ただの反射に過ぎない。
何の感情も持たず、誰に触れられても何も感じない。私は無だ。
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