天宮聖羅Ⅲ-2
しかし、ずいぶんイメージが違ったわね。
昨日出会った月島なぎさは明るく、あっけらかんとしていて、とても自分が知っている彼女と同一人物だとは思えなかった。
あれが小学校の頃のなぎさだとしたら、いまに至るまで何があったのだろうか。
短期間であんなにも人間は変わるものなのだろうか。
彼女に何があったのか、昔からの知り合いであろう颯太と優花に聞いてみたかったのだが、2人とも今日は学校を休んでいた。特に連絡もない。昨日あんなことがあったのだから、仕方のないことだろう。当人たちもまだ整理ができておらず、もしかしたらショックを受けているかもしれない。今日の放課後、それぞれの家を尋ねてみるのもいいかもしれない。
逆に神那は遅刻こそしたが、普通に登校してきた。授業が始まる前に教室へ入る彼を見かけて声をかけようとしたが、始業時間ギリギリだったのと、昨日のことをおくびにも出さずにあまりに堂々していたため、気後れして聞きそびれてしまった。彼はあの奇怪な現象をどう思っているのだろうか。この授業が終わったらすこし話を伺ってみよう、そう天宮は考えていた。
さまざまな思考が頭の中を巡る。それらを振り切るように空席から目をそらし、黒板を見る。チョークを持ち、授業を続けようとするが、その手が止まった。
ダメだ。やっぱり昨日のことがひっかかって離れない。教科書を読もうにも、書いてある文字が浮かび、バラバラになって1つも頭に入ってこない。
「ええっと、ごめんなさい。どこまで読んだかしら」
生徒たちが軽蔑のまなざしで天宮を見つめた。
そりゃそうだ。生徒ならまだしも、教師が授業内容を忘れるなんて聞いたことがない。天宮は片手で軽く頬を叩いた。
月島さんのことは放課後、自宅の方に伺ってみよう。拾ったあの猫の人形も返さないといけない。もっとも疲れ果てていて、ろくに睡眠がとれなかったためか、完全に忘れてリビングに置きっぱなしになっているが。
一度、自宅に戻って取りに行かないとね。そう思ったとき、ふいに廊下を何か通っていくような気がした。
なにげなく視線をそちらに向ける。
そこには昨日見たものと同じ、形容しがたい影のような化け物がゆっくりと廊下を進んでいるところだった。だが、違うのはその色は黒くではなく、半透明のように薄かった。
チョークが落ちる。堅い地面に当たり、2つに割れた。
——これから大変なことが起こる。
なぎさの言葉が思い出された。やはり、あれで終わりではなかった。あきらかなに異常なことが、いまこの町で始まろうとしている。
ガタンと大きな音がした。我に返り教室に目線を戻すと、神那が席を立ち廊下へといまにも飛び出そうとするとこだった。
「えっ、神那くん」
名前を呼ぶが彼は止まらず、扉を開け、外と駆け出していってしまった。
「ちょっと、神那くん!」
慌てて天宮も廊下を見たが、すごい勢いで出ていった彼の姿はもうすでに遠くなっている。
「今日は自習にします」
急な出来事に呆然としているクラスメイトを尻目に、天宮はそれだけ言うと、教科書もそのまま急いで彼の後を追いかけた。
「神那くん、待って!」
だが、神那は止まらない。すでにその姿は廊下を曲がろうとしていた。
あの化け物を追いかけている。神那はあれが危険だと認識している。確信が雨宮のなかで強く脈打った。
「天宮先生、何をしてるんですか!?」
急に声を掛けられ立ち止まる。教頭が厳格な形相をしてこちらを睨んでいた。
「怪しい影を追いかけているんです」
「影ぇ?」
教頭が素っ頓狂な声を上げた。
「いまこの廊下を通っていきましたよね?」
教頭はこいつ正気かという気持ちをすこしも隠さずに、まじまじと天宮の顔を見下すと、呆れたようにため息をついた。
「天宮先生、だいじょうぶですか? 私は向こうから歩いてきましたが、そんなものは通りませんでしたよ」
「えっ、だっていま……」
「夜更かしでもしていたんですか? だいたいいまは授業中ですよね? 授業はどうしたんですか?」
その口調はあきらかに天宮を馬鹿にしており、持っているボールペンを天宮に向けて指さすようにしていることからも、苛立っているのがまるわかりだった。
「授業は自習にしました」
「で、あなたは何をしているんですか?」
「えっと……」
天宮は言葉に詰まった。あの影のことを説明すべきなのだろうか。だが、見えてないとしたら、発言したところでますます頭がおかしくなったと思われるのがオチだろう。
「すいません、急いでますので!」
結局話を遮ると天宮は教頭の脇を走り抜けた。背後から大声で名前を叫ばれたが、無視した。
教頭のせいで完全に神那を見失ってしまった。神那はどこへ向かったのだろう。外へ出たのだろうか? 天宮は窓の外から校庭を見渡したが、彼の姿は見当たらなかった。
外に出ていないのなら上だと判断し、天宮は階段を駆け上がった。途中廊下をチェックしたが、神那の姿はどこにもなく、結局最上階まで登っていった。しまっているはずの屋上の扉があいている。天宮はその半開きの扉を勢いよく押した。そこには神那とあの化け物が、睨み合ったまま対峙にしていた。
「神那くん!」
神那はちらりとこちらに視線を動かしたが、すぐ元に戻した。神経が張り詰めているのが、ピリピリと感じ取れた。彼は化け物との間合いを図って、攻撃するタイミングを見計らっているようだった。
一方で化け物も神那に向けて敵意をむき出しにしているかというと、そうではなかった。あきらかに様子がおかしかった。昨日は天宮たちを見つけるなり、問答無用で襲い掛かってきたのだが、いま屋上にいる化け物はおびえているようだった。こちらに対して積極的に攻撃を仕掛けるというよりは、どうやって逃げようかと隙を窺っているように見えた。
神那は相手が戦慄しているのがわかっているのか、じりじりと化け物との距離を詰めていった。やがて、ある程度の距離まで近づくと、彼は光の弾を化け物に向けて放った。化け物はそれを寸でのところでかわすと、こちらのほうへ直進してきた。動きはそこまで速くはなく、しっかりと肉眼で追うことができる。
「危ない!」
咄嗟の行動にもかかわらず、天宮の意志を反映するかのように生み出された氷塊が、化け物へと投げられ、まるでカウンターが決まるように直撃した。うめき声のような音を発して、化け物の体が消滅する。その一連の流れがあまりにあっさりとしていて、天宮はすこし拍子抜けした。だが、すぐに気持ちを切り替えると、神那の元へ駆け寄った。
「だいじょうぶ、ケガはない?」
神那は静かにうなずいた。
「よかった……」
生徒が無事であることに、天宮はほっと胸をなでおろした。
それにしてもいまの化け物はかなり脆かった。昨日は無我夢中でそんな余裕はなかったが、実際はそこまで脅威というわけでもないのかもしれない。小学校にいた複数の化け物を一掃したように、一朝一夕で所得したこの力でも十分対抗することができる。天宮は自負するように、氷を放った手のひらを見つめ、指を閉じた。
「だけど、ホントなんなの——」
言いかけて天宮は言葉を止めた。天宮の視線は消え去った化け物のあとを見てはいなかった。そのはるか先の上空を凝視していた。
そこには秋の寒空にありえない、どす黒い煙が一面に広がっていた。
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