天宮聖羅Ⅱー4

「そうだよ、月島なぎさ」


 あっけらかんとして、少女は自分がなぎさだと認めた。


「でも、その姿……」


「あーこれね、わかんない」


「えっ?」


「気づいたらここにいて、気づいたらこの姿で、気づいたら颯太たちがいたってわけ」


「気づいたらって、そんな適当な……」


「まあ、みんな無事だったし、いいじゃない」


「ちょっと、キミが月島さんってどういうこと? どうしてこんな夜中に学校にいるの? 親御さんは?」


 状況が理解できないのか、混乱する頭をオープンに、天宮はとめどなく質問を投げかけた。


「ノープロブレム。何の問題もありません。こう見えても中身は高校生なんです」


 腰に手を当てまま、偉そうになぎさが答える。


「わけわかんねぇよ。てか、さっきの化け物は何だよ。それになぎさはなんでその……」


 そこまで言って颯太は言葉に詰まった。


 颯太だけでなく、優花も秀一もどこか気まずそうでぎこちなかった。誰もなぎさと目を合わそうとしない。


 なぜだろう? さっき颯太は毎日一緒にいたと言っていた。つまり、かなり親しい間柄だったはずだ。それなのになぜこんなにも他人行儀なのか。峡谷のような深く暗い溝が、なぎさと颯太たちの間に存在している。その穴から吹き荒れる風は冷たく、徹底した疎外感をもたらしていた。


 なぎさはそのことがわかっているのか、悲しそうにうつむいた。秋の夜長に似合わない、寂しげな冬の沈黙が場に満ちていく。


「優花、颯太、秀一、お願いがあるの」


「お願い?」


「私を探してほしいの」


「私を探してほしい? いや、キミはここにいるじゃない?」


 意味がわからないといった表情で天宮が質問する。


「だから、小学生の私じゃなくて、本当の、高校生の私!」


「言ってる意味がわかんねーよ」


「高校生って……じゃあ、やっぱりあなたはなぎさじゃないの?」


「うーん、なんて言っていいのかな。正確にはね、いま月島なぎさは2人いるの」


「2人?」


「そう、いまここにいる小学生の私と、高校生の本来の私」


 全員が呆然とその話を聞いている。普通なら頭のおかしな子供だろうと思うところだろう。だがいまさっき起こった現実離れした出来事と、なによりもその姿が小学生の時の月島なぎさそのものであるという事実が、やけに言葉に現実味を持たせていた。


「もちろん本物の私は高校生の私のほうね。でも、記憶もばっちり共有してるみたいだし、どっちも本物みたいなものかな」


 なぎさは自問自答しながら首を傾げた。


「ちょっと待って、なぎさが2人いるとして、高校生の方が本物としたら、じゃあ、いまここにいるなぎさはなんなの?」


「さっきも言ったけど、それはわかんない」


「わからないって……」


「でも——」


 なぎさは唇をかんだ。どこか物憂げでせつなげな瞳だった。だが、それは一瞬で、すぐに何かを振り払うかのように、落ち着きのある力強い口調で言った。


「私が存在する理由はわかる」


「存在する理由?」


「うん、きっと私はね、止めるために生まれたんだと思う」


「止める? 何を?」


 独りよがりななぎさの問答に皆、意味がさっぱりわからないといった感じだ。


「これから大変なことが起こるの」


「大変なこと?」


 天宮が訪ねた。


「そう、この世界が終わるような大変なことが……」


「はぁ、世界が終わる? どういうことだよ?」


「それを止めなくちゃいけない。絶対に。どんなことをしても阻止しなくちゃいけない」


 なぎさは遠いところを見て、まるで自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。


「そのために私を探してほしい。高校生の、本当の私を」


「探すって……家にいるんじゃないの?」


 優花の疑問に、なぎさは首を振った。


「家にはいない。最後の記憶だと町の病院」


「最後の記憶って……」


 そこまで言いかけると、なぎさの姿が急に薄くなった。線が不確かになり、輪郭が曖昧になる。まるでいまにも消えかけようとしているようだった。


「煙が薄くなってきてる……」


「えっ?」


「もう姿が保てない」


「ちょっとさっきからどういうことなの。もっと詳しく事情を説明して」


「とにかく私を探して! そして、私を——」


 なぎさは言葉を止めた。こぶしを握り締め、目を大きく見開き、その先の言葉を発するのをためらっているようだった。その間も姿はどんどん透明になっていっている。手足が半透明になり、背後の風景がうっすらと透けて見えた。


 そんななぎさを引き止めようと、優花は手を差し出そうとした。だが恐怖心からか、不安感からか、彼女は腕を伸ばしきることができなかった。やがてあきらめたのか、中途半端にうなだれていたその手を胸の前に戻すと、やりきれないように首元の制服を強く握った。


 そんな優花の動作を、なぎさは悲愴な面持ちで眺めていた。唐突に、彼女は笑みを浮かべた。まるで悲しさを振りきるように、せつなげだけど、どこか暖かい、優しい笑顔だった。その笑みをたたえたまま、なぎさの姿は漆黒の夜のなかに溶けていった。


「なんなのいったい……」


 天宮はなぎさのいなくなった虚空に向かって、うわごとのようにつぶやいた。誰もがその問いに対して回答しない。だが、颯太も優花も秀一も、いま起こったことをはっきりと現実だと認識しているようだった。


 ふと、天宮はいまなぎさのいた場所に何かが置いてあるのに気づいた。それは猫の人形だった。


 陶器でできたその人形は一度割れたものを元に戻したのかヒビだらけだった。量を間違えて多くつけたのだろう、接着剤があちこちからはみ出したまま凝固している。取り付けられた尻尾は明らかに変な方向に曲がっており、お世辞にもきちんと修理された物のようには思えなかった。天宮はかがみこむと、そっとそれを拾い上げた。


「それ、小学生のころ行った陶器教室のときの……」


「うん、なぎさが色塗りした猫の人形」


「なんでこんなとこにあるんだよ」


 3人はこの人形がなぎさの物であることを知っているようだった。


「さっきの子が持ってきたのかしら?」


 ヒビだらけの猫の人形は沈黙を守ったまま、佇んでいる。


「とにかく今日は遅いから、もう帰りなさい。先生が送っていくから」


 だが、その言葉を無視して、颯太は1人歩き始めた。


「ちょっと杉野くん!」


「1人で帰れる」


 ぶっきらぼうにそう答えると、颯太は早々に校舎を去っていった。


「ホント自分勝手ね」


 あきれたように天宮がため息をつく。


「あなたたちは車に乗って。あっ、その前にご両親に無事なことを伝えて」


 そう言いかけて、いつのかにか神那の姿も見当たらないことに気づいた。


「神那くんは?」


 優花も秀一もわからないといった表情で首を振った。


「彼も帰ったのかしら……」


 天宮は手にした猫の人形をさすった。ボロボロな状態と、無邪気でにこやかな表情がひどく相反して滑稽に感じられた。


「これは月島さんのものなのよね?」


 優花が黙ってうなずく。


「じゃあ、いったん先生が預かります。明日、月島さんの自宅に届けるわ」


 天宮は猫の人形を壊れないようにそっと抱きかかえた。


 車の助手席に猫の人形を置く、後部座席に優花と秀一が乗り込む。しばらく車を走らせると、優花が不安げにつぶやいた。


「さっきの出来事……」


「深く考えない。いまはとにかく早く帰って体を休めましょう」


 坂道を降りきったところで、急に携帯が鳴り響いた。秀一が慌ててそれに出る。おそらく母親だろう、受話器越しからでもヒステリックな声が聞こえた。秀一はどう弁明していいのかわからず、ただひたすら謝っている。


 不意に天宮はどうして急に電話が鳴ったのか疑問に思った。颯太の携帯で助けを呼ばなかったのかという言葉が思い起こされる。あの場所は電波の届かない場所だったのだろうか。たしかに深い山奥や山頂なら、そうとも考えられる。だが、あの小学校は小高い山の中腹にある。携帯が使えない場所だとは考えにくい。


 ルームミラーから背後を見る。すでに住宅街に入ったため、校舎の姿は完全に視野の外だった。人も、車さえもない、真夜中の無音のなかで、何か得体のしれない不安が胸のなかで渦巻き、しこりのように頭から離れなかった。

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