天宮聖羅Ⅱ 発端

天宮聖羅Ⅱ-1

 車を走らせている間、誰も言葉を発しなかった。


 助手席に乗った優花はうつむき、背筋を伸ばして唇をかみしめたまま、こぶしを太ももの上で握りしめてじっとしていた。あきらかに彼女は自分のしたことを後悔し、反省していた。半面、後部座席に座った颯太はまったく気にしていないようだった。ルームミラー越しの彼は、スマートフォンで動画でも視聴しているのだろう、視線は画面に釘付けで、時折含み笑いを浮かべていた。反対車線を車が通るたびに風を切る豪快な音が起こり、同時にヘッドライトに照らされた彼の顔はにやけていた。颯太は自分のしたことに対して、罪の意識などこれっぽっちも感じてはいなかった。


 静観とした木々の間を抜け、坂を上り切ると、目の前に老朽化した校舎が姿を現した。明かりのついていない真っ暗闇に塗りつぶされた校舎とは対照的に、解体工事のときに設置された街灯が、まぶしいほど校庭を照らしていた。門の脇には、無人の車が放棄されたように止まっている。何か底知れぬ不気味さを感じ、天宮は小さく身震いした。


「どこに閉じ込めたの?」


「校舎の端にある体育倉庫です」


 すぐにその場所に向かおうとする2人とは反対に、颯太はあいかわらずスマートフォンを眺めたまま、降りる素振りすら見せようとはしなかった。天宮が後部座席の扉を開け、そんな颯太をじっと睨みつけた。怒りに満ちたその視線に根負けしたのか、しばらくすると颯太はスマートフォンをポケットにしまい、さも面倒くさそうに車から出た。静まり返った校舎を目の前に、彼はなまった体をほぐすように、大きく背伸びをした。


 天宮は、さきほどから微塵も反省の色を示さない颯太に憤りを覚えながらも、まずは神那の無事の確認の方が先決だと、彼を戒めたり、咎めたりはしなかった。彼女は小走りで体育倉庫へ移動しようとしたが、颯太がのろのろと歩くため、進んでは立ち止まり、彼を待たなくてはならなかった。無視してもよかったが、颯太が元凶なのだから、しっかりと現状を把握させたかった。


 やっとのことでたどり着いた体育倉庫の入り口は、颯太がこの場所を離れたときの何ら変わりがなく、鉄パイプがしっかりと入り口を塞いでいた。それがそのままになっていたがことが意外だったのか、颯太はすこし驚いているようだった。


 鉄パイプを外し、力を込めて勢いよく扉を引く。中には体育座りをしたままの秀一と神那がいた。天宮の顔を見て安堵の表情を浮かべる秀一。一方で神那は眉一つ動かそうとせず、扉が開いた事実を呆然と眺めていた。


「神那くん、それにキミ、だいじょうぶ?」


「は、はい。ありがとうございます」


 秀一は慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。泣いていたのだろう、その目は赤く純血していた。


「私は杉野くんと柊さんのクラスの担任をしている天宮と言います。今日はうちの生徒がひどいことをして、本当にごめんなさい」


 天宮は2人の前で深々と首を垂れた。


「あ、僕は楠原秀一と言います。杉野くんや柊さんとは小学校が一緒で、えっとなんというか……」


 こうなってしまった事情を説明しようとでも思ったのだろう。でも、うまく言葉にできないらしい。


「楠原くん、ケガとかはしていない? 神那くんは?」


「はい、だいじょうぶです。ただ閉じ込められただけですから」


 天宮は秀一を見渡した。制服の裾がすこし汚れてはいたが、たしかに目立った外傷はない。神那もまたとくにケガなどしていないようだった。天宮はひとまず安心した。


「杉野くん、柊さん、彼らに謝りなさい!」


 天宮の厳しい言葉に、優花は2人の前に出て、小さな声で「ごめんなさい」と謝罪した。しかし、颯太は呆れたように口をあんぐりと開け、棒立ちのままだった。反省しているどころか、2人がまだここにいたことに対して、あきらかに苛立っているようだった。


「携帯で助けを呼ばなかったのかよ?」


「そういう問題じゃないでしょ、2人に謝りなさい!」


「別に謝るようなことをしてないだろ」


「閉じ込めておいて、何を言っているの!」


「別に閉じこめたわけじゃねぇよ、かくれんぼしてただけさ」


 瞬間、パーンっという風船が割れたような音が、深夜の闇の中に響き渡った。


 やってしまった。


 天宮はすぐに自分のしたことの重大さに気づき、我に返った。いま颯太の頬を叩いた右手を戒めるように、反対の左手で手首をつかむ。


 教師が生徒に手をあげてしまった。いくら頭に血が上っていたとはいえ、やってはいけないことをしてしまった。手のひらに広がりつつある痺れとともに、後悔と懺悔の念が、雨宮のなかでふつふつと湧きおこった。


 だが、殴られた颯太は、意外にも沈黙していた。赤く腫れあがった頬を押さえようともせず、ぶたれたことに対して怒りをあらわにし、天宮を睨み返そうとも暴言を吐こうともしなかった。ただ叩かれ動かされた向きのまま、じっとしていた。そこには何の感情もなく、死んでしまったかのように静かだった。


 そんな颯太の横顔に、火照った怒りは急速に冷やされ、代わりに哀れみに似た複雑な感情が、天宮のなかで広がった。目の前の、もどかしくて辛い事実だけが、喉につかえた小骨のように引っかかっていた。

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