杉野颯太Ⅰ-2

 颯太はTVを消した。


 食べかけのパンをそのままに立ち上がると、椅子に掛けてあったかばんを掴む。時刻はすでに午後2時を回っていた。今日は平日だ。学校はとうに始まっている。それなのに叔母は何も言わない。叔母だけではない。叔父もまたあくまで最低限のこと以外、何も関与してこない。前に深夜に補導され、警察署に身柄を迎えに来てくれたときも颯太を注意したり、責めたりはしなかった。ただ黙って車に乗せ、家までの帰路を無言で送ってくれた。街灯の明かりだけがおぼろげに光る暗闇の中、雨とワイパーの音だけがむなしく響き渡っていた。


 他人の家だった。


 叔父と叔母はけしてひどい人間ではなかった。むしろ優しい人で、両親を亡くした颯太に対しても自分の子供と同様に食事や寝床を与えてくれた。携帯もいまの時代ガラケーなのはおかしいだろうと、最新のスマートフォンに変更してくれた。できる限りのことをしようという気持ちがそこには表れていた。だが、やはりどう接していいのかわからないのか、どこか他人行儀で仰々しく、居心地は悪かった。かといって他に行く当てもなかった。自立しようとも考えたこともあった。だが、まだ高校生である自分に何ができるのか、何をすればいいのか、見当もつかなかった。両親が死んで間も経っていなく、心の整理ができていないということもあった。


 颯太は靴を履き、外へ出た。いま出発しても今日最後の授業にギリギリ間に合うかどうかという時間だったが、彼は学校へと歩き始めた。


 べつに学校が好きなわけではなかった。小学校からのなじみで話しかけてくれる人はいるが、それ以外に友達らしい友達もいない。クラスメイトとは業務的に何かを頼むということ以外、ほとんど会話はない。高校生活が始まってもうすぐ半年が過ぎようとしているが、すでにその溝は修復不可能なほど深く、大きな距離があるのを颯太は理解していた。見えなくて壊せない高い壁が他人と自分との間に確固と存在していて、それを打ち砕く意志も労力も、彼にはなかった。


 それでも毎日欠かさず学校へ行くのはやはりこの家が苦手に他ならなかった。どこにも居場所はなかった。ただ1ヶ所に長時間留まることが気まずいから、時間ごとに場所を変えてずらしているにすぎなかった。他人の家族の中に混じって食事をし、他人とともに授業を受け、放課後は街をうろうろして帰る。そうやってできるだけ同じ人間と一緒に過ごす時間を減らす。あてのない放浪者のようだった。


 買い物客もひと段落したのか、町を歩く人々はまばらだった。たまにすれ違う人はこんな時間に学生服で出歩いている自分を見ていぶかしげな視線を投げかけたが、颯太が顔を向けるとすぐに目をそらした。途中、誰彼構わずポケットテッシュを配っている茶髪の男性がいたが、彼もまた颯太の方を一瞥はしたが、彼が目の前を通ってもテッシュを差し出そうとはしなかった。


 商店街を抜け校門に差し掛かったとき、誰かと肩がぶつかり、颯太はすこしよろめいた。


「すまない」


 ぶつかった相手であろう壮年の男性は謝罪した。


「すこしぼうっとしていて……」


 そう言いかけた男の言葉を無視して、颯太はふたたび歩き始めた。男の視線が背後に感じられたが、男はそれ以上話しかけることも、追及することもしなかった。


 他人だろうと身内だろうと関わりを持たれるのが面倒だった。できる限り孤独になりたかった。どこか遠いところでずっと1人でいたかった。このまま樹海にでも行って、ひっそりと消えてしまおうか。最近よくそう思う。でも、やっぱりそれを実行する気力が颯太にはなかった。何もかもが億劫ですべてがどうでもよかった。


 たとえ余命が明日までだと医者に宣告されても、俺は気にしないだろう。


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