ツギハギ

藤野ハレタカ

1章

杉野颯太Ⅰ 転校生

杉野颯太Ⅰ-1

 5歳の子供が虐待死したというニュースを横目に、杉野颯太すぎのそうたはぼんやりと窓の外を眺めていた。


 昼前から晴れるという天気予報は外れ、空にはいまだ鬱屈とした雨雲が広がっている。継ぎ目なくつづく絨毯 じゅうたんのような灰色の雲を眺めていると、今日はもう好晴になることはないように思われた。


 ふと、視線をTVに戻すと、画面には死亡した女の子の写真が映し出されていた。

お気に入りのアニメだろうか、表紙にキャラクターが描かれたノートを大事そうに抱え、ぎこちないながらも笑みを浮かべている。無邪気であどけないその笑顔には、その子が抱いていたと思われる苦しみや悲しみといった感情は微塵も見受けられず、むしろ他の子供の写真と変わらない、見つめるだけで笑みがこぼれるような柔らかな優しさが表れていた。


 虐待問題について1人のコメンテーターが苦言を吐く。今回は行政が両親と会っていたにもかかわらず、事件を未然に防ぐことができなかったらしい。あきらかに異常が見て取れても、子供を保護することも、隔離することすらできない。そんな自治体に意味があるのか、権限をもっと与えるべきだと、もっともらしいことを述べている。脇に並ぶコメンテーターも同じ意見なのか、賛同するようにうなずいている。


 場面が変わり、さきほどのノートに書かれていた内容が映し出される。ひらがなの練習の一環でもあったのだろうか、それは女の子の日記で、そこには家族と一緒に食事に行って楽しかったという当たり障りのない文章が書いてあった。そしてその文の下部には、おそらく表紙のキャラクターを描いたのだろう、女の子が魔法の杖のようなものを持って元気よくポーズを決めている。いかにも子供らしい、どこにでもある普通の日記のように思えた。


 だが、そのほのぼのした雰囲気は次のページで一変する。そこにはたどたどしい筆跡で“ゆるしてください”、“たたかないでください”と哀願の言葉が綴られていた。とても子供が書いたとは思えない緊迫した言葉の数々。それは虐待が日常的に行われていたことを物語っていた。


 それが事実であることを証明するように、正座し、うつむいている女の子の写真が合わせて画面に表示された。その表情はとても悲しそうでいまにも泣きだしそうなのに、わめいたらまた叩かれると思っているのか、こぶしをぎゅっと握りしめたまま口を固く閉ざし、じっと我慢しているようだった。いいわけをすることも、足を伸ばすことも許されず、反省させられる。それは5歳の子供にとってあまりに過酷なことだった。そもそもなぜこんな写真が存在しているのか。親が面白がって撮ったのか。嫌悪や怒りが混ざり合った異常な不快感が、たった1枚の写真からにじみでていた。


 その次のページにもその後も、ノートには反省と謝罪の言葉が隙間なくびっしりと羅列してあった。さわいでごめんなさい。ないてごめんなさい。わがままいってごめんなさい。もうしません。やくそくします。そういった言葉が否応なしに目についた。


 最後のページには虐待死する前の言葉だろうか、そこには震えるような筆跡で“どうか、たすけて”、そう書かれていた。


 感極まったのかそのニュースの内容を読み上げていた女性アナウンサーが声を詰まらせ、嗚咽する。「すみません」と言いながらポケットからハンカチを出し、涙をぬぐう。隣にいた男性アナウンサーが慰めるように女性アナウンサーの肩に手を置いた。コメンテーターは無言のまま、神妙な面持ちでその様子を見守っていた。

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