106:旅鮫のさがしもの②

「ワシらがこのリクギメトロを訪れたのは、二週間ほど前のことだ。五年前に深層でウツケを拾って以来だったかの」

「そうですね、懐かしい……あの日の運命の出会いは今もあたしの中で鮮明に」

「それはどうでもいいんだがの」


 ぷりぷりするロリ。


「ワシは旅鮫。そこのチンチクリンを連れてメトロからメトロへと渡り、あるものをさがしてさすらう身だ。まあそのへんは年寄りの長話になるんで割愛するがの」

「ってか、メトロって水流でつながってるんですね」

「全部が全部じゃないがの。そもそもメトロっちゅうのは、百年前の文明じゃあ国中を結ぶ地下の道だったと聞いとる。ワシの古き友は、メトロの水流はその名残じゃないかと言っちょったの」


 愁もそこは疑問に思っていた。


 シン・トーキョーの地下という地下にはびこるメトロ。リクギメトロのように複数の出入り口を持つものはあっても、メトロ同士がつながっているわけではない。


 東都メトロから氾濫した迷宮メトロ。なぜそのつながりは絶たれたのか。〝東京審判〟を生き延びた人々もその謎を解明できず、今の世では疑問に思う人さえいなくなっているということだ。


「サトウさんはともかく、ウツキさんも泳いで渡ってるんですか?」

「いえいえ、あたしには見てのとおりエラもヒレもありませんから。師匠の菌能のおかげですね」


 サトウがてのひらを上向けると、そこに薄い膜が生じ、ぷくっと膨らむ。巨大なシャボン玉、あるいは透明な風船のようだ。焚き火の明かりをちらちらと反射している。


「まんま【泡膜】と呼んどるがの、空気を詰めた薄い菌糸の膜さな。これを頭にかぶらしとるんだ。お主らをここまで運ぶにも使ったぞ」

「なるほど……その節はお世話になりました」

「りすした」


 【泡膜】はしっかりしたシャボン玉で、タミコがつんつんしても割れない。愁も触れてみるが、表面はべたつかないしさらっとしている。指をぐぐっと深く突き刺してみるとようやく穴が開き、ぷしゅーっとゆっくり空気が抜けていく。

「もっとも、これをかぶせても抱えて泳ぐのはワシだからの。なぜにこんなお荷物抱えて旅しとるのか、自分でもときどき疑問に思うさな」

「可愛い弟子をおんぶできるサービスタイムじゃないですか。師匠の鮫肌、あたしは好きですよっ?」


 本音半分、あざとさ半分。と予想する。愁なら多少ドギマギしなくもなくはなくなくないが、慣れっこらしいサトウは太い首をすくめるだけだ。


「やれやれ、また脱線したの。とにかくワシらがここへやってきたとき、あの連中と変異個体のバフォメットが五階で暴れとったところだった。人間どもは異常繁殖したバフォメットどもを狩り、力を蓄えとった。狩っても狩っても涌いてくるコロニーは絶好の狩り場だったのだろうな。同時に、あの変異個体を笛のようなもので操り、無慈悲にも共食いを促しとった」

「うへえ……」


 共食いの強要とは、これまでの中でも輪をかけてブラックだ。


「〝骨笛〟って言ってましたね、あれ。なんの骨かは教えてもらえなかったですけど、どうせろくなもんじゃないですよね。つーか骨を吹くとかおっさんって生き物はほんとデリカシーないですよね。足くさいしくしゃみはでかいし」

「偏見です。タミコ、こっち見んな」

「あの厳ついヤギっころが放っとった禍々しい臭気は、あのクソったれの菌糸ナメクジどものそれとよく似とった。こう見えて鼻には自信があっての、魔人の〝眷属〟に違いないとワシは確信した」


 つんと尖った鮫鼻を上向けるサトウ。鮫の嗅覚は魚類の中でも特に鋭いとネットで読んだことがある。50mプールに垂らした一滴の血にも反応するとかなんとか。


「魔人……」


 表向きは五十年もの間、その存在を世に晒すことはなかった魔人。

 それがなんの因果か、愁が地上に出てからの約二カ月で、二度もそれに関わることになった。これは偶然なのだろうか、それともなにか因縁や運命のようなものが――なんて、あまり考えたくないことではある。


「……あの悲惨な戦争により、多くの命がいたずらに失われていった。ワシに言葉や人の世の理を教えてくれた古き友もな。あれから五十年……今なお世に災いをもたらそうというか――忌々しい化け物どもめ」


 一瞬。サトウのまとう空気が目に見えて変わる。先ほどの怒りをその身の内に凝縮したかのように、濃密な殺気を漂わせる。

 愁の背中を冷や汗が伝う。水筒をあおって喉の乾きを潤す。

 サトウは――〝魔人戦争〟まで経験しているのか。口調のとおり相当な年配者のようだ。四百歳を超える鮫が発見されたことがある、とこれもネットで仕入れた知識だ。


「話の順序がちょっと前後してしもうたが、ともかくワシらはこっそりとやつらの観察を続けとったんだ。やつらの目的などどうでもよかったがの、魔人と関わりがあるとなると捨て置けんでの。そんなときにやってきたのが地上の狩人の集団だった。ボスの討伐とコロニーの鎮圧が任務のようだったが……残念ながら、あの〝眷属〟には歯が立たなかったの。彼らが全滅したあと、ウツキを狩人たちの残党としてやつらの元に寄越し、接触させたのさ」

「あたしの会心の土下座と靴を舐めんばかりの命乞いが炸裂しまして、見事やつらの懐に潜り込むことに成功したわけです。えっへん」


 むんっとない胸を張るウツキ。


「そこからはデキる女スパイウツキの独壇場。訝る彼らの警戒心を解き、ぎゅっと旨味が凝縮したこのボディーで年下のうまそうな男子どもを少年マンガの規制コードギリギリ寸止め誘惑しまくって情報だけはきっちり絞りとって文字どおりの丸裸……といきたいところだったんですが」


 えほんっと咳払いするウツキ。


「サーセン、ろくな情報得られませんでした。てへっ」


 ぺろっと舌を出すウツキ。誰もなにも言わないのでいたたまれなくなって体育座りする。


「罵声の一つでもあったほうがマシなんですけど。シカトが一番傷つくんですけど」

「まあ、お前の無能は今に始まったことでもないからのう」

「だって、あの子たちみんな若かったんだもん。【魅了】も効きづらいし、それ以前にグラサンがあたしを警戒してあんまり近づけさせなかったりしたんで」

「【魅了】?」


 ウツキがてのひらを軽く振るう。その手からふわっと放たれた極小の埃のような粒子が、ほんのわずかに焚き火の明かりをキラキラ反射するのが見える。


 まさか――と思いかけた頭がくらりとする。

 愁は慌てて口を押さえる。にやりとするウツキの顔がわずかに艶かしく見えてくる。


「これが【魅了】です。フェロモンに近い成分の胞子を散布して、吸引した人をかるーく誘惑状態にする能力です。好意を植えつけたり敵意を削いだり、ごく簡単なお願いごとを聞いてもらえたりとか。結構レアな菌能なんですよ」

「……それ、めっちゃチートスキルなんじゃ……」

「いやいや、そこまで強い催眠効果はないですよ。たとえばガチで殺し合いしてる最中にガンギメとか無理ですし。胞子散布型って範囲攻撃には向くけど、その分効力は菌糸武器や菌糸玉より低めですからね」

「……吸引した人って、男でも女でも……?」

「そのへんは使い手によるらしいですね。あたしの場合、全パターン試したことはないですが、メトロ獣でも人間でもオスのほうがかかりやすいっつーかメスはほとんど効果なしですね。あとなぜか未成年とか若い子には効果が薄かったり、逆にあんまり嬉しくないけどおっさんは異様にかかりやすかったり。【毒耐性】や【精神汚染耐性】持ちとかだとやっぱり効き目薄いんですけどね」


 愁としては血が凍る思いだ。色もにおいもなく、光の加減がなければほとんど視認できない蠱惑の胞子。これまで見てきた中である意味一番えげつない菌能だ。


 そして、この女――。


「……もしかして、俺らが最初に会ったとき、こっそり使ってたんじゃないっすか?」

「……さあ、どうでしたかねえ?」


 そっぽを向くウツキ。目を合わせない。それが答えかと愁は歯ぎしりする。


(このロリババア、あんとき使ってやがったな)


 初対面のときにやけにドキドキさせられたのはそれが原因か。変だと思っていた、そんな性癖は持ち合わせていないというのに。


 【不滅】が働いてくれたおかげで新たな扉を開かずに済んだということか。「おっさんほどかかりやすい」というのも気に食わない。こちとらまだ二十八歳だというのに。実年齢で言えばジジイどころか化石だが。


「あ、でも、ならカワタローとかあのけひひ男? ならイケたんじゃないすか?」

「グラサンはダメでしたね、【耐性】持ちってより猜疑心こじらせすぎって感じで。ああいうオヤジは相性的に合わないんですよ。けひひヤローのほうは……ちょろっとやった感じ効きやすいっぽかったんですけど……ガチで貞操狙われそうだったんで自重しました。あれ見たまんまのド最低ド変態野郎ですよ」

「古くはコマゴメの狩人界隈で悪名を轟かせたビッチ娘だったというに、まともな貞操観念が芽生えたようで師匠としてもひと安心よの」

「やっぱビッチだったんすね」

「ウツキソウはロリババアのくせにビッチりすか?」


 ウツキが無言でてのひらから大量の胞子をばら撒く。サトウは慣れっこだから? 鮫だから? 平然としたままで、タミコはオトメな上に十歳なので効かず、ちょっと吸い込んだ愁は「やめようぜ! 彼女だってがんばってんだよ!」とベタベタに庇いたくなる。助けてフメツえもん。


「最初のときもそうだったけど、アベさんも効くっぽいけどすぐに抵抗レジストされちゃう感じですね。耐性持ちなんかに多い反応です」

「やっぱ使ってたんじゃねえか」


 くいっとタミコに顎で指示する。うなずいた相棒はてとてととウツキの身体を登り、首に抱きつく。尻尾を巻きつけ、尻尾を握り、ぎゅーっと締めつける。サブミッションマスター・クレ直伝、〝ウロボロス・チョーク・リスリーパー〟。飾り気のないレディーの首元をキュートな毛色で彩りつつじわじわと窒息に追い込むタミコの必殺技だ。「うぎぎ」とウツキの顔色が青白くなっていく。


「今後それの不意打ちは絶対NGでお願いします」

「ドーテーをユーワクするのはわるいビッチりす」

「タミコ黙ってろ」

「げほげほ……サーセンサーセン……リス怖い……」

「申し訳ないの、うちのウツケが無礼な真似をして。こいつなりの自己防衛本能みたいなもんでの、堪忍しとくれ」

「まあ……使えそうな男とか童貞っぽい男とか見たらとりあえず誘惑しとくのがあたしのスタイルなもんで」

「ぶっちゃけすぎだろ。つーか童貞じゃねえし」

「ともあれ、これ以上情報も得られそうにないんで、アベくんに〝眷属〟を退治させてさっさと任務を終わらそうとしたってところかの」

「それもありますけど、そもそもあれはグラサンの指示で。偵察に来たっぽいアベさんを帰さずに〝眷属〟のエサにしようって、あたしにその誘導役をやらせたんです。あのグラサン、たぶんですけどあたしも一緒に処分する腹積もりだったと思いますよ。あの疑り深さは病的でしたもん。あの場で裏切るようなそぶりを見せれば狙撃の的になってただろうし、師匠に助けてもらおうにもうちはピンチでも自力でなんとしろって教育方針だし。結局ああするしか道はなかったんですよ」


 そのあとは身をもって体験したとおりか。愁たちはまんまとボスメットの前に誘導させられ、思いがけずガチンコ勝負を強いられた。一応これで話はつながったわけだ。


「俺があのバケモンに食われるとか、あいつらにリンチくらうとか思わなかったんすか?」

「そこはまあ……いざとなったらあたしも最後の切り札を切るつもりでしたし」


 【魅了】以外にも切り札があるのか。知りたいような知るのが怖いような。


「それに、あたしはタミコちゃんの【看破】? みたいな力はないですけど、こう見えて長年生きてきてるんで、人を見る目くらいはありますから。アベさんが〝眷属〟でもあいつらでも束になっても敵わないツワモノだってのはわかってましたし」

「菌能封じられて危うくフルボッコになるところだったけど」

「それは……あたしも予想外というか。トロコがギフテッドってのは薄々勘づいてましたけど、まさかあそこまで強かったとは……」

「ギフテッド?」

「昔ながらの言いかただと菌才ってやつです」

「菌才?」

「それも知らないんですね……なんていうか、いわゆる『人間でいう変異個体』ってやつです。生まれながらの天才や特異体質。アベさんは生まれたとき、レベルいくつでした?」

「えっと……確か3だったかと」


 厳密にはこの世に誕生したときにはレベルなどという概念すらなかった。出生体重は2974グラム、「にくなし」で記憶。


「あの子、トロコ。まだ十五歳くらいだと思いますが、現時点ですでに達人級です。生まれたときには20とか30とかあったんじゃないかなあ」

「マジかよ」


 生まれながらの天才で本物のJCだったわけか。驚愕は驚愕だが、ウツキのような若づくりババアでないことに少しほっとする。

 それにしても、菌才とは。

 メトロ獣に生まれながらの強者がいるのなら、人間でも同じものがいてもおかしくはないということか。あるいはトップクラスの狩人などもそういった出自を持った人がいるのかもしれない。この世は広く、上には上がいるものだ。


「そんな子が菌能封じの呪いのナイフ? あんなチートなもん持ってるなんて思わなかったし、あたしもグラサンに頭殴られて援護できなくて……そこは役に立てなくてすいませんでした」

「このやくたたずのビッチめ! ドングリひゃっこくってでなおすりす!」


 かー、ぺっ! とツバを吐きかける上官。今回に限っては彼女の活躍っぷりは本物なので誰も文句を言えない。


「あーもうヘコむわー、あたしリス以下だったなんて……ってか師匠、あの呪いってなんなんですか?」

「そもそも呪いとか実在するもんなんすかね?」

「呪いというのは定義が曖昧での。要は「防ぎようのない原因もよくわからないもん」と思っとけばええ」


 まあ、前の世界でもそんなものと言えばそんなものだ。科学では立証できないから呪いと言われるわけで。


「見たところ、あれは耐性を無効化して効果を及ぼす類の毒だの。ごくまれにそういう厄介な能力を持つメトロ獣がおるが、あのナイフはそういう変わり種を由来とする武具といったところかの。耐性そのものを破って菌能を封じる毒……厄介なものを持っとるわの」


 【不滅】でも無効化できない種類の毒、ということか。呪いなどと言われるよりは納得はいくが、怖いことに変わりはない。


「という感じで、スパイウツキが知りえた情報としては……①あいつらはただの無法者集団じゃなく、なんらかの目的を持った犯罪組織だってこと。②カワタローの上に『団長』とかいうボスがいること。③〝眷属化〟はおそらくその団長の力? によるものってこと。④カワタローたちはおそらくシン・トーキョーの東側出身者ってこと――あいつらがお互いの呼び名に使ってた寿司ネタって、トーキョー湾に遠い西側じゃあ馴染みがないですからね。とまあ、これくらいですね」

「その団長とやらが、魔人……もしくは魔人と同じ力を持つ者ということかの」

「あいつら締め上げたらそいつに会えたのかもですけど、それは師匠のやりかたじゃないですもんね。もっかい調べ直しですね」

「お前が動くんだがの」

「ぐぎぎ、ブラック」


 とりあえずここまでの話は理解できた。だが愁としては、未だにいくつか疑問が残っている。

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