105:旅鮫のさがしもの①
サトウと名乗る、鮫の魔獣らしき男。
そういえばシン・トーキョーには鮫のメトロ獣もいるらしい。
鮫は海水魚だが、淡水に適応して河川を逆流するような種もいるとなにかで読んだことがある。まあ、ゴーレムやら巨大アリジゴクやら出没する国で淡水を泳ぐ鮫などインパクトとしては微々たるものだ。
まだ遭遇した経験はないが、硬質なトゲのような鱗で覆われたスパイク・ジョー、イカの足に似た触手を持つイヴィルシャークなどの名前は、スガモの市場でも食材として並ぶことがあるので愁も知っている。
「チウカのフカヒレはおいしかったりすね」
「同じこと思ったけど今言わんでいいから」
思い返してみると、この世界に目覚めてから「サトウ姓」の人? に出会うのは初めてかもしれない。百年前ならクラスや職場にほぼ確実に一人や二人いたというのに。
(あれ、なんだっけ?)
(サトウってどっかで聞いたことなかったっけ?)
どこかでそんな名前を聞いた気がする。ノアだったか誰だったか、ちらっと話の流れで。どこかのトライブの偉人だかなんだかだったろうか。
「おい、ウツケ。アレが向こうに転がってるから、早く持ってきなさい」
「はっ、はい、師匠。てゆーかウツケって呼ばないでくださいよう……」
サトウの命令を受けて、ウツキがとぼとぼと焚き火の向こうに歩いていく。
その間に愁は火のそばに敷かれた肌着とジャージを着る。ほんのちょっと湿っているが気にしない。なんならもっとひどい湿りかたをしょっちゅう体験している。フラグではない。
かたわらに置かれているリュックも、中は水浸しになっている。ちょっとげんなりするが、貴重品などは特に持っていないし、紙幣も乾かせば使えそうだ。
というか、あの広場に置き去りになっていたリュックがどうしてここにあるのだろう。一緒にここに流れ着いたのだろうか。
「ワシが持ってきたのさ」と鮫男。「あのフロアのもんはあらかた水に呑まれたがの、お主の荷物はワシが拾っといた。お主らを運ぶついでにな」
「え、あ……ありがとうございます……」
さらっと言われたが、この人が助けてくれたのか。あのとき溺れかけたところをここまで連れてきてくれたわけか。命の恩人? 恩鮫?
「なに、礼には及ばん。むしろお主のほうこそ、ワシらが巻き込んでしまったようなもんだしの」
「へ?」
「うわっ、重っ! うひー、あたし肉体労働とか苦手なのにー……」
ずるずると引きずる音とともにウツキが戻ってくる。彼女は掴んでいるのは巨大な腕……ボスメットの首なし死体だ。
「なんで……?」
「それもお主の立派な戦利品だろうからの、一緒に持ってきたのよ。そこにお主が振るっとった角もあるだろうのう?」
「あ、ほんとだ」
焚き火のかたわらに、愁が武器代わりに使った角も転がっている。お土産にしようと思っていたのでなおさらありがたい。
「まあ、積もる話は置いといて、まずはそれの胞子嚢を食うこった。狩人とは生きるため食べるために命をもらうんだろう? ワシは親友の狩人からそう教わったぞ」
「あ、はい」
さっき言っていた「狩人として先にやるべきこと」というのはそういうことか。
鮫肌紳士のおっしゃるとおり、胞子嚢のお残しはギルティだと上官から口酸っぱく言われて育ってきた。どのような経緯であれ、自分で仕留めた獲物であれば、その恵みを無駄にするわけにはいかない。
首なし死体を前に手を合わせ、【戦刀】で腹を捌く。そこからは持参したナイフに持ち替えて肉を削いでいく。
「お主、〝眷属化〟というのを知っとるか?」
「え?」
「対象――メトロ獣や人間などを、生きたまま隷属的な存在へと変える術だ。お主ら狩人が用いる【調教】とは異なる、種としてのありかたすら捻じ曲げる邪法だな」
なにが言いたいのかわからないが、とりあえず作業を続けながら聞く。ボスメットの死体、肉がかたくて捌きにくい。こういうときにもノアの不在が痛い。彼女なら【短刀】ですいすい肉と皮を切り離していくのに。
「それを用いる者は、このシン・トーキョーの歴史においてもごくわずかだ。お主のような不勉強そうな若者にはあまり馴染みがないかもしれんがの。見かけどおりの年でもあるまいが」
「すいませ……え、えっと?」
「あたしが子どもの頃ですけど」とウツキ。「コマゴメの北東にあるオクメトロに、黒いマント羽織ってシルクハットかぶった〝オクの吸血鬼〟っていうオーガがいたんですけど。血を吸われた獣は生きたままそいつの言いなりになって、同種ですら敵視したりするようになったりして。〝眷属〟ってのはそういうやつのことですね」
「へー」
「りすー」
生きたまま精神的に支配するというところか。抜きとった胞子嚢の代わりに菌糸を寄生させてゾンビをつくるオウジメトロのビショップの能力とは別物のようだ。
「当時はずいぶん派手に暴れて、地上に出てきて自由民の集落をまるごと一個滅ぼしたりとかして。結局当時の上位ランカーの狩人に退治されたんですけど、子どもの頃はイタズラがバレたりするとお母さんに『いい子にしてないと吸血鬼が攫いに来るよ』なんて怒られたりして」
「ウツキさんの子どもの頃って、何年前っすか?」
「ウツキソウはうまれたときからロリババアりすか?」
「師匠、あいつら凍らしちゃってください。弟子を侮辱されたまま黙ってるつもりですか?」
「不憫には思うが、彼らのヘイトはワシらに責任がある。というかお前ももう少しやりようがあったろうに」
不満をぶつけるように焼き魚に食らいつくウツキ。皮の焦げた香ばしいにおいが愁の鼻を撫でる。胞子嚢を頂戴したらすぐにでもそっちにとりかかろうと心に誓いつつ、ふらふらと引き寄せられるリスの尻尾を踏んづけてホールドしておく。抜け駆けは許さん。
「話を戻そうかの。〝眷属化〟の最も重要な点は、対象の胞子嚢を変質させることにある。胞子嚢は神経などを通じて脳ともつながっておるからな、文字どおり頭からそいつの意思を塗り替えることができる。また、通常なら同族の胞子嚢を捕食しても成長は起こらんが、変質してしまえばまったく別物さな、つまり共食いでもどんどん成長していく」
「あー……」
話がつながった気がする。
ウツキが語ったボスメットのコロニーでの共食い説――こいつは同族を食って力をつけてきたという仮説。〝眷属化〟で胞子嚢が変質していたとしたら、話の筋は通ることになる。
だがそうなると一つ、大きな疑問が浮上する。
「……こいつが、もっと上位のナニカの〝眷属〟だったってことですか?」
ナイフを握る手を止める。
あと一枚、組織を覆う皮膜を割けば、そこに胞子嚢がある。いつものことだ。
だが――それを目にすることがわずかに躊躇われている。後戻りできない最後の一歩に踏み込もうとしているかのような。
「変質した胞子嚢は、その色も変わったりする。ワシも二・三度見たくらいだから、全部がそうかと言われるとわからんがの」
意を決して刃の先端を刺す。ほんの少し力を入れると、ほとんど手応えなくぴりぴりと破れていく。
「……これって……」
そこに現れたのは、いつもの見慣れた白い胞子嚢ではない。サトウの言うとおり、変色している。
だが――愁はこれと同じものを見たことがある。
ほんの一カ月ほど前、ここより北のオウジメトロ、その三十一階で。
「……黒い胞子嚢……」
ナイト、ビショップ、ルーク。チェスの駒を倣った名を冠した三体の強力なゴーレム。
やつらの体内にあったそれと同じく、ボスメットの胞子嚢は、墨を塗り込んだかのような黒色だ。
「黒の胞子嚢はのう」とサトウ。「――魔人の〝眷属〟である証なのさな」
思いがけない魔人の気配との再遭遇。
なぜこんなところで魔人が? どうしてバフォメットが?
あの襲撃者たちとの関係は? サトウとの関係は? そもそもサトウは何者なのか?
疑問は山積みになるばかりだが、なにより今一番訊きたいことは――。
「……これ、食っていいやつなんかな……?」
魔人の〝眷属〟の胞子嚢。オウジではよくわからないままにモッタイナイの精神で食べてしまった。アビリティゲットやらレベルアップやらしてしまったが、その由来的にも(今さらだが色的にも)人間が口に運んでいいものかどうか。お腹を壊すくらいで済むならまだしも、自分までその〝眷属〟とやらになったり魔人病に罹ったりしたら笑えない。
「問題ないさ」とサトウ。「あくまでも質が変わっただけで、胞子嚢は胞子嚢ぞ。腐ったり毒化したもんでもなけりゃ、普通に力になってくれる。食ったところで魔人や〝眷属〟になったりせんからの」
「あ、そうすか……」
彼の言葉を信じていい保証はどこにもないが、実体験からしても問題はないと思っておこう。願望込みで。
「あ、あたいはおサカナがまってるりすから」
「どこまでも一緒だろ、相棒」
巨体に見合わず胞子嚢のサイズはそれほどでもない。スガモが誇るデブリスの胃袋なら余裕だ。というわけでコンビで仲よく一つずつ。分け合うっていいね。
「……相変わらず……」
色が変わっても胞子嚢のまずさというアイデンティティーに変質はないらしい。舌は一切喜んでいないが、身体のほうは歓喜している。疲労と空腹でくたくただった身体が満たされ、力が戻ってくる。
「ぐっ、おおっ?」
と、筋肉と骨がポカポカしてくる。レベルアップや菌能獲得とは違う……確かビショップのときも同じ感覚があった。ステータスアップらしき現象だ。前回はそのあとすぐにボス戦、そしてレベルアップとなったので変化は実感できなかったが、大幅なパワーアップというわけでないのは確かだろう。
それでも、現時点で人類基準で高レベル帯に差しかかっているのだから、むしろ地力の向上というのはレベルアップよりも貴重でありがたいと思うべきか。同レベルの人よりもアドバンテージになるかもしれない。
「ふおおお! あたい、どこまでつよくなっちゃうりす……!?」
頬袋ぱんぱんのままビキビキと背中をのけぞらせるタミコ。レベルアップしたようだ、これで43か。
「しゃほほ、どうやら一つ成長できたみたいだの。お主らの奮闘が報われたようで、ワシとしても多少は救われた思いさな」
「……今回の件は、サトウさんがなにか仕組んだんですか?」
水筒の水を飲み干しながら愁は尋ねる。これまでの言動からして彼が、最後に登場したシーンだけでなく、それより前からなにかしら関与しているのは間違いなさそうだ。
サトウが椅子代わりの岩から下りて近づいてくる。立ち上がるとやはりでかい。愁たちの前でどかっとあぐらをかく。間近で見るとスクリーンの中に飛び込んだかのようなド迫力。
「そうさな、お主らには知る権利がある。順を追って話そうかの」
***
話が長くなりそうとのことで、その前に焼き魚をいただくことにする。
なんの魚かもわからないが、とりあえずうまい。間違いない。
ぱりっとした皮の下にはうっすら脂が乗り、白身はほくほくと柔らかく、腸はほんのり苦い。なにより塩加減が絶妙だ。ビール飲みたい。
久々に「うまたにえん!」を出したタミコは、腹をパンパンにして愁の膝の上で仰向けになっている。リスヌーピー状態。
向かいに座るサトウは一匹を一口で呑み込み、計三匹を瞬時にたいらげて満足そうにしている。さすがは鮫。
「タミコ」
「りす?」
「ひそひそ(あの人のレベルは?)」
「ひそひそ(えっと……みえないりす)」
「ひそひそ(見えない?)」
「しゃほほ、毛玉の嬢ちゃんや。ワシのレベルが見えんかの?」
ひそひそ話が聞こえていたようだ。鮫の聴覚、耳がないくせに侮りがたし。
「お主、【看破】を持っとるようだの。前途有望と言いたいところだが、まだまだワシのレベルを見抜くまでには至らんようだの。毛玉の頂点をめざすなら、もっともっと精進せんとな」
【看破】というのがリスカウターの正式名称だろうか。リスカウターのほうがカッコいいのに。
「そういや、前にも見えないってことあったよな?」
「りっす。キラキラのマジンビョーのときとか、オウジのマジンがカクセータイ? になったときもみえなかったりす」
「コラァッ! ワシを魔人なんぞと一緒にするかぁっ!!」
「ぎゃあっ!」
「ぴぎゃあっ!」
いきなり怒られる。怒声はフロア中にわんわんと響くほどで、そこらのメトロ獣なら裸足で逃げ出す迫力だ。くわっと開かれた目と歯もさすがにおっかない。下手したらチビるところだ。
「……いやあ、いきなり怒鳴ってすまんかった。あのクソナメクジどもと一緒にされるのは心外での」
サトウはあっさりと元の好々爺然とした態度に戻り、頭をさすりながら詫びる。
「いえ……こっちこそすいません」
「ごめんなさいりす」
タミコがそそくさと左膝から右膝に移る。左膝にほんのり湿った温かみを残して。
「そうか……お主らも魔人とは因縁浅からぬようだの。どこぞであやつらに粉でもかけられたかの?」
「まあ……そんな感じですかね」
話すと長いし、そもそも箝口令を敷かれている。この世捨て人感のある二人にそれを守る必要があるかどうかはともかく。
サトウのほうも魔人となにかしらの接点があるようだ。口ぶりからしてあまりいい印象ではないようだが。
さて、とサトウが膝を打つ。ようやく本題に入るようだ。
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