103:菌才

(あーあ、こりゃ完全に判断ミスだねえ)


 〝スライム殺し〟などという初耳の二つ名を持つ狩人の青年が、〝眷属〟化したバフォメットさえ仕留めたその凶悪な得物を振り回す光景を目の当たりにして、カワタローははっきりと後悔の念を脳裏に浮かべた。


 彼がこのフロアに現れたとき、物腰からして腕利きだというのは一目でわかっていた。


 およそ二十代半ば、となると高く見積もってもレベル50程度。ウツキのような身体的例外やトロコのような才能的例外というケースもあるかもしれないが、そういった例はごくまれ、シン・トーキョーにおいてほんの一握りだけだ。そう大きく外れてはいないだろうと高を括っていた。


 あの男、なぜこんな不人気メトロにやってきたのか。

 考えればすぐにわかる。この時期にここへやってくるということは、十中八九、あのコロニー討伐隊の後詰めあるいは調査・偵察要員だ。仮にそうでなかったとしても、その前提以上に最悪な想定はない。そう判断して対処すべきだと考えた。


 〝眷属〟の姿を見られるのはまずい、見られた上でその情報を持ち帰られるのはもっとまずい。

 あえて〝眷属〟とかち合わせようか。上質な栄養分として糧になってもらう。

 そうすれば口封じとエサやりを両立できる。いくら腕利きとはいえ、単身であの化け物に勝てるはずがない。


 誘導役としてウツキを向かわせた。討伐隊の戦闘と壊滅において彼女はほぼ無傷のままだったが、「生き残り役としてより信憑性を高めるため」という理由でムジラミが再び彼女を傷つけ、それっぽく服を汚した。トロコはいい顔をしていなかったが、まあ必要な段取りだ。あとでアカガイに【治癒】を使わせればそれで済む。


 元からの仲間でもない彼女が裏切ることも疑ったが、その可能性は低いと踏んだ。仲間の仇や狩人の矜持をかなぐり捨てて命乞いをしてきた女だ、この状況でどちらにつくのが得策か、わかりきった問いだ。


 青年とカーバンクル族はウツキの言葉を信じたようで、彼女に導かれるままに〝眷属〟のほうへと向かっていった。誘導は成功したようだった。


 同時にトロコをひとっ走りさせ、六階で惰眠を貪っていた〝眷属〟を〝骨笛〟で五階まで誘導させた。六階は遮蔽物が少なく、他のメトロ獣の邪魔も多い。尾行や観察に向かないためだった。

 そうして両者をかち合わせた。〝骨笛〟でターゲットに気づかせ、無理やり戦闘へと仕向けた。


(……だったけど)

(なんつー無理ゲーだよ)


 〝眷属〟と彼の死闘が始まってものの数分で。恐ろしく勘のいい彼に気どられないよう、ある程度距離をとって【望遠】を使って観察しながら、カワタローは気づいてしまった。


 あの薄ぼんやりした顔の青年は――尋常ではない。


(ウツキのクソロリめ、嘘つきやがったな)


 彼のレベルを聞き出せたら教えろと言っておいた。ハンドサインでの報告は「レベル55」だったが、明らかにそんなどころではない。強化された〝眷属〟と正面から互角以上に渡り合っている。認めたくないが、レベル60のトロコよりも格上だ。


 青年自身がウツキに虚偽のレベルを教えた可能性もあるが、それよりはウツキになにかしらの思惑があったと見るべきだろう。事前に見抜いていれば作戦変更を検討できたのに。もはや後の祭りだ。


 最初は【戦鎚】を使っていたが、今振るっているのは【大太刀】――いや、それにしては形状がおかしい。別のなんらかの菌糸武器か。【光刃】とおそらく【跳躍】のような機動力系のスキル。しかも(よく見えなかったが)【砲弾】のような射撃系スキルまで持っている。


(いやいや、【阿修羅】と【光刃】使ってるよねえ?)

(上級菌職でも普通無理な組み合わせじゃなかったっけ?)


 達人級なのは間違いない。そしてそれだけでもない。彼には通常の狩人とは異なる特殊性が備わっている。このシン・トーキョーにおいてもほんの一握りの、狩人ランキングとかいうけったいなシステムの上位を占める化け物どもが持つ特別な資質。


(トロコと同じ菌才……最近じゃあギフテッドとか言うんだっけ)

(あるいは……あらゆる菌能を使いこなす〝糸繰士〟――いや、さすがにそれはないよねえ。無理無理)


 〝眷属〟の圧倒的なパワーを前に苦戦はしているが……おそらくあの男の勝ちは揺るがないだろう。

 部下たちの手前だが、頭を抱えたくなった。


(まったくもう。なんでこうなるかねえ)

(明日にでも〝眷属〟連れて地上に出ようって話だったんだけどねえ)


 部下たちの研修は滞りなく済んだ。討伐隊の登場やそれ以外にも多少のトラブルはあったものの、このまま地上で団長と合流して任務完了、いよいよ計画の実行へ秒読み――という段階で、最後の最後でとんでもない貧乏くじを引いてしまった。


(ほとほと成長してないよなあ、俺も)

(引きの悪さは相変わらずだなあ、俺も)


 もはやこれこそ呪いだと自嘲したくなった。子どものときからずっとそうだ。父親にも母親にも、友だちや周囲の大人たちにもさんざん白い目で見られてきた。あるいは最悪のケチがついた七年前からなにも変わらない。


 肝心なときほどいつもこうだ。外しようもない二択でババを引く。ゴールの直前で「振り出しに戻る」のマスに飛び込んでしまう。そうして割りを食うのは自分以上に周りのやつら。「疫病神の河童野郎」とはよく言ったものだ。


(メトロ教なんて信じちゃいないが)

(神様はよっぽど俺のことが嫌いなんだなあ)


 せっかくスカウトした〝眷属〟を失うばかりか、このままウツキとともに地上に戻られれば自分たちの存在が明るみに出てしまう。計画の内容はウツキには一切話していないが、それでも任務失敗以上の損害をこうむることになる。


「この際だから、予定変更さ。――」


 作戦を部下たちに伝えた。〝眷属〟は諦める、確実にあの青年 (とウツキ)をここで殺しておく。


(あの兄ちゃんがどんだけ強かろうと)

(それでも、うちのトロコなら)


 今はもう存在しないトロコたちの故郷、そこに伝わる隠れメトロ。

 その深部に君臨していた封菌の怪獣〝禍津禍尾マガツカビ〟。

 その尾から削り出した呪いのナイフ〝禍尾窮螺カビキュラ〟。


 復讐という悲願を実現するために、神だかメトロだかが寄越した世界にたった一振りの可能性。

 それを手にした今のトロコならば、どんな化け物や強者をも殺しうる。カワタローはそう信じていた。


 あの男がどれだけデタラメに強かろうと、菌能さえ封じれば確実に倒せる。〝暗殺者〟として鍛え上げられたトロコの不意打ちをしのげるやつはこの世にいない。


(まあ……つってもうちのトロコちゃん)

(まだ誰も殺せてないんだけどねえ)


 可愛い甘ったれのガキンチョだが、それでもカワタローの目論見どおり、〝眷属〟を倒した青年に呪いを打ち込むことに成功した。あとは寄ってたかって確実に仕留めるだけ――のはずだった。


 効果が現れる前とはいえ、完全な奇襲を跳ね返された。エンガワたち三人が負傷。最初からトロコの不意打ちだけに攻撃を絞り、彼らには包囲のみに専念するよう徹底しておくべきだった。


 対話での時間稼ぎ、そしていよいよ待ちに待った呪いの表出。ここまで来れば今度こそ――そう思ったのに。


(〝封菌の呪い〟をぶちこまれた状態で、ここまでやるとはなあ)


 呪いは確かに効いている。〝スライム殺し〟と名乗った青年は菌能を奪われ、身体機能に著しい不調をきたしていた。


(普通ならレベルが高けりゃ高いほど崩れてくれるもんだけどなあ)


 それでも彼は折れなかった。最初こそ動きが明確に鈍ったものの、すぐに立て直して逆に三人を押し返しはじめた。あのお兄さん、いかにも「ケンカは苦手です」という薄い顔つきをしているくせに、一皮剥いたらそこらのメトロ獣よりもよっぽど野獣だった。


(うちのエースのトロコ、元狩人のムジラミ)

(このリクギで最後の仕上げとばかりに鍛えまくったコハダやイサキ)

(それでも……仕留めきれないかねえ)


 乾坤一擲の一発はかわされ、援護射撃もことごとく見切られ、挙げ句にはコハダとイサキまでやられて。目を覆いたくなるような想定外を積み上げながら、〝スライム殺し〟はなおも牙を剥き続ける。


 その生い立ちや人生経験から自虐癖の強いカワタロー。自らの過ちを認めることも苦としない性格ながら、今回のそれは強い後悔と自己嫌悪を伴うものだった。


(引きの悪さだけじゃない)

(指導者がポンコツだからいけないんだよなあ)


 神だの運命だの、目に見えないものに責任を転嫁しても意味がない。

 あのジジイに団長の座を譲って正解だったのかもしれない。元々執着もなかったが。


(悪いのは全部俺だ。俺が判断をミスっただけだ)


 杜撰な作戦、甘い見通し、考えなしの強行。そのツケを払うように傷ついたのは、これまで自分を慕ってついてきてくれた子どもたち。もはや自分の頭を撃ち抜いてしまいたいほどだった。


(だけど――まだ無理じゃない)


 呪いの効果が切れるまで、最低でも一時間。それだけあればじゅうぶんだ。


(あの傷、あの出血量)

(あの兄ちゃんだって人間だ、いずれは力尽きる)


「――やるぞ」


 後悔はあとでいい。いくらでも時間の限り反省してやる。

 今度こそ、このおっさんの命すべてを賭けてでも仕留める。

 それでも届かなければ――最後の切り札を切るまでだ。

 

 

    ***

 

 

 普通に考えれば、ナイフで刀に勝てるわけがない。リーチの差は歴然、得物としての強度や威力も大きい。振るう人間の技量が同程度なら、ナイフ使いが刀の間合いをかいくぐって自身の間合いまで詰めることは容易ではない。


 それでも愁は、これまで二度ほど「自分よりもリーチの短い武器を使う格下の相手」に苦戦してきた。スガモ近辺に巣食っていた野党の頭領、近接格闘術の天才にして変態・クレ。果敢に間合いを詰めてくるやつらに【戦刀】から素手や【鉄拳】に切り替えて対処し、結局は圧勝した形だった。


 絶対的な力量差にも関わらず苦戦したのは、ひとえに対人戦の経験のなさ。穴ぐらにこもって獣とばかりやり合ってきたせいで、知性を持った者が培ってきた技術や経験に遅れをとった形だった。


 地上に出てきてからの望まぬすったもんだを経て、愁も多少はそのへんへの対応力が磨かれてきた、と自覚していた。ノアとは訓練として何度も手合わせしてきたし、オウジの街での滞在中も幾度となく迫ってくるピンク毛の変態を地に沈めてきた。


 ――なのに。

 ここへきてまた新手の「間合いにずかずか入り込んでくるデリカシーのない強敵」。しかもこの、目の前でナイフを構えるトロコとかいうバンダナ少女は、いきなり視界から消えて音もなく背後に現れるような、瞬間移動かという得体の知れない機動を見せてくる。


(その正体がわかるまでは、チャージ【戦刀】なしのほうが対応しやすいかもな)


 長く重く、取り回しの利きづらい得物では彼女に当てられる気がしない。ナイフ相手に素手というのも怖い話ではあるが、その程度の不利なら日常茶飯事だ。


(どっかのタイミングで、カワタローの射線から離れたいな)

(広場を出るのもアリだけど、出させてくれないだろうな)

(むしろあいつを先に仕留めたいな)


 【跳躍】が使えない今、背中を向けるのは自殺行為だ。


(むしろあの子に密着されてるほうが狙撃を受けずに済むかな)

(だけど、あの変な機動力だけは早めに対応しないと)


 ここまでに寄ってたかって身体中ガリガリと削られている。思った以上に出血がひどく、傷口をふさいでくれる青黒カビも封じられ中。倒したやつらが【治癒】などで手当されて戦線復帰してこないとも限らない。つまり、時間は味方ではない。


 目を見開き、深く息を吸う。そうして一歩目を踏み出そうとした瞬間。

 屋根の上に立つカワタローの身体がわずかに揺らぐ。放たれた【白弾】が頭のあった場所を通過する――違う、これじゃない。


「アベシュー!」


 目の前からトロコが消えている。本命は――背後。


「しっ!」


 裏拳気味に振り回した拳は空を切る。タイミングをずらされた。さっきと同じ手はくわないということか。

 少女の身体がギュンッと前に出て懐に潜り込もうとする。とっさに出した愁の前蹴りが彼女の脇腹をかすめる。踵が骨に当たった、彼女がわずかに顔を歪める。


「タミコっ、ちゃんとくっついてろっ!」

「くっ、ああっ!」


 おたけびとともにナイフが振るわれる。左右から身体を揺するようにして肉薄してくる。

 そのナイフ捌きは鋭く正確だ。フェイントを混ぜながら間断なく両手を動かし、最小限の動きで刃を滑らせる。ボスメットの荒々しい暴風のような猛攻とははまるで真逆の、鎌鼬のように小さく薄く凝縮された無駄のない連撃。その練度とキレは野党の頭領の鉤爪とは比較にならない。


(だけど)

(なんだこの違和感?)


 今の愁とはレベルによる身体能力の差がない。カワタローに背を向けない位置どりを意識しつつ対応する。集中していなければ一瞬で血祭りにされかねない。


 反射速度だけで切っ先を避け、相手の握り手をいなす。ナイフが愁の腕を削り、カウンターとして繰り出した掌底の指先が彼女の頬を裂く。


 ゆらりと左に揺れた――と思ったら一瞬で右にいる。一歩を踏み出す動作もなく。まるで手品かというありえない切り返し。


「くぉっ!」


 腹を狙った一撃をマントで払いながら、愁は今目にしたものをすばやく考察する。

 瞬間移動ではない。そんな能力が菌糸で実現できてたまるか。できそうなぶっとびワールドだから断言もできないが。

 突っ込んでくる――そう思ったら彼女の身体が一瞬で小さくなる。いや、離れた。ジャンプもステップもなく。


「やべ――」


 慌てて床に転がる。立て続けに四発撃ち込まれた【白弾】がマントを貫く。ほんの少し背中をかすめたがダメージはない。

 見ればカワタローは左腕を前に出し、てのひらを上向け、その上に右手を乗せている。左手に生み出した菌糸の弾丸を四本の指ではじいて連続射出したのか。親指よりも狙いをつけるのが難しそうなのに、そこは本職のテクニックか。


「勘がいいねえっ!」


 さらにカワタローが両腕を広げ、交差させるようにスイングする。かろうじて視認できた弾丸の射出、明後日の方向に飛んだそれがギュンッ! と弧を描いて愁めがけて軌道を変え、愁の二の腕とふくらはぎをえぐる。曲がる弾丸、確か【曲弾】とかいう別の菌能だ。あんなものでこんなに正確に狙えるものなのか。


 カワタローを警戒しつつトロコのほうに目を向ける。

 彼女はいない。正面にも右にも左にも。背後――にも気配を感じない。


(じゃあ――)


 ――上。

 頭上に身を屈めてナイフを構えた彼女がいる。

 鋭い振り下ろし。だが本命ではない。着地と同時に後ろ荷重でかわした愁の懐へ滑るように飛び込んでくる。


「はあっ!」


 ギュルッ!と目の前で独楽のように回転する。叩きつけるような斬撃。回避が間に合わず、とっさにガードする。ギィンッ! とかたいもの同士の衝突音がする。


「っ!」


 その手応えに少女は警戒し、それ以上踏み込むのを躊躇う。

 愁は斬り裂かれたマントの奥からそれをとり出す。


「……これで丸腰からの卒業だわ」


 愁の手には先ほど転がったときにたまたま目にして拾ったもの。ゴツゴツとした歪な円筒形で、節くれだった側面は先端は鋭く尖っている。


 ボスメットの角。愁のチャージ【白弾】で根元からぶち折ったものだ。


 握りは指がギリギリ回らない程度に太く、ナイフより長く通常の【戦刀】よりは若干短い。小太刀といったところか。あの強撃をまともに受けてもびくともしない硬度は今の愁にとって頼もしい限りだ。スガモまで持って帰れた暁には武具にするなり玄関に飾るなりしたい。


「それと、ようやくわかったよ――君の能力」


 ナイフを構え直したトロコが動きを止める。


「……なにがわかったの?」

「滑ってんだろ、地面を」


 もっと早く気づくべきだった。彼女が最初から裸足だということに。


 飛んできたとき、一瞬だがその足の裏が白くなっているように見えた。【鉄拳】や【白鎧】のように特殊な菌糸をまとう菌能。事典でそれらしきものを見かけた記憶はないが、その性能はおそらく、摩擦力を限りなく小さくするようなものだ。


 歩くのではなく、滑る。体重移動だけで高速の機動を可能にする。彼女の捉えどころのない動きはその能力で実現していたのだ。


「それと、たぶんそれだけじゃないんだろうけっどっ!」


 おしゃべりの時間じゃないぞとばかりに【白弾】が飛んでくる。あのおっさんめ、空気読め。


 もう一つ。彼女の動きには音が極端に少ない。あれだけの鋭さがありながらナイフが風を切る音さえほとんど聞こえない。それが途中覚えた違和感の一つだった。

 おそらくはユニおさんと同じような菌能。確か狩人でいう【消音】。ノアの〝細工士〟が主に習得できる菌能だ。


「……だから、なにっ!?」


 同時に彼女が迫ってくる。やや精度を欠いた斬撃を角で打ち落とし、逆に返す刀で叩きつける。ナイフを交差させて受けた彼女が反動を利用して後ろに下がる。


「なにが言いたいかっつーとっ! 君、すっげえなって!」

「……は?」


 彼女の動きがぴたりと止まる。無表情だった彼女の顔に戸惑いが浮かんでいる。愁も握った角を前に突き出しつつ、ちらちらとカワタローのほうも視界の端で窺う。


「いやだって、メッチャクチャ修行したっしょ。それこそ五年とかじゃ利かないくらい」


 地面を滑る菌能。例によって原理などわからないが、その超スピードを見るに、氷の上か昔の体育館かというほどツルツル滑るのだろう。はっきり言ってめちゃくちゃ扱いづらそうだ。愁的にはアイススケート初心者のごとく二秒ですっ転ぶ自信がある。


 始動、加速、静止、旋回……体重移動だけで自在に機動する技術。相手に初動を見せない幻惑的な所作(仲間との連携や誘導で相乗効果を生むのだろう)。あっさりと愁の背後をとる気配の消しかた。フローリングや氷の上ではなく、石くれが転がり石畳の敷き詰められた凸凹の地面の上で一切つまずくことなく足を運ぶ熟練性。


 加えて、速く鋭く正確無比なナイフ捌きと【消音】。それらを融合させ、芸術的にまで磨き上げた「サイレントアサシン」的な厨二心をそそるバトルスタイル。他にも愁が未だに気づいていない細工もあるのだろうが、それらが一つの結晶に凝縮され、極まっている。


 これほどのものが一朝一夕で身につくわけがない。ましてやそんじょそこらのJCが体現できるとも思えない。

 愁がこの五年ですごした地獄の時間と同等の、あるいはそれ以上の、血のにじむような努力と苦心が垣間見える。もちろん本人の資質もあるのだろうが。


「ただの野盗だの悪党だのが、そこまで自分磨きすると思えないんだけど。つーか何歳からそれやってんだって話だし」

「……あんたには関係ない」

「あるわ。むしろそっちから巻き込んでるんだし」


 つーんと口を尖らせる少女。初めて年相応の表情を見た気がする。


「さっきもなんか言いかけてたけど、君らにはなんか目的つーかそういうのがあるんじゃね? ガキンチョのくせに血反吐吐くほど鍛えまくって、それでも成し遂げたいなにかがさ」

 

「……さっきも言ったけど、あたしおしゃべり嫌いだし。知りたけりゃ、命があるうちにおとなしく捕まってよ」

「やだよ。そんで……なめんな」


 戦闘が始まってから感じていた、もう一つの違和感。

 ここまできて、いくらなんでも気づかないわけがない。


 彼女の刃は、明らかに急所以外を狙っている。身長差があるとはいえ、彼女の攻撃は胸から上は肩や腕を狙ったものしかない。

 なめているわけではないのだろう、迷いや躊躇いもないのだろう。なぜなら最初からそうすると決めていたから。先ほど言っていた「できれば殺したくない」という言葉を実地で示しているのだ。


(だからっつって……なめてるよな)


 愁は角を突きつけ、低く身構える。


「殺す気で来いとか言うつもりもないけどさ、むしろありがたいし。だけど……こっちだってさんざん修羅場くぐってきてんだ。そんなんじゃ届かねえよ、俺たちオオツカメトロ組にはな」

 

 

    ***

 

 

 カワタローが【白弾】をばらまいて発破をかけるまでもなく、二人はおしゃべりをやめ、再び刃を交わらせている。


(……よくないねえ)


 〝眷属〟の角を拾ったことで、〝スライム殺し〟の攻防に余裕のようなものさえ生まれている。タネが割れたのか、トロコのユニークスキル【滑走】の動きにも対応しはじめている。


 対照的にトロコときたら、動きに若干のバグがちらつきはじめている。先ほどのおしゃべりでなにかを吹き込まれたのかもしれない。


 そして相変わらず、彼女は未だに直接命に届かせるような攻撃をしていない。この期に及んで、あくまでも相手を戦闘不能に陥らせることに専念している。


(いつまで経っても甘ちゃんが抜けないねえ)

(そこがあいつのいいとこでもあるんだけどねえ)


 八年前のあの日――あの悪夢がやってこなければ、彼女の人生はまるで違ったものになったはずだ。どれほどの才能がその身に詰まっていようとも、間違いなく今のような血なまぐさい道は選んでいなかったはずだ。

 望まなかった才能。望まなかった運命。それでも心が死なないよう、選ぶしかなかった道。


(……俺のせいだもんなあ、全部)


 ならば、この八年間、ずっとそうしてきたように。自分が手を汚せばいい。

 今さら慣れたものだ。最初から、彼女と出会う前から、自分の手は汚れていた。それを苦に思うような優しい人間でもなかった。


 左手に意識を集中する。てのひらから生じた菌糸が形をなす。【白弾】の倍ほども長く、螺旋状に溝の彫られた細長い弾丸。


 【螺旋弾】。はじくと同時に高速で旋回する弾丸は、弾速・威力いずれも【白弾】の数倍、射程も長くより遠くからの狙撃も可能にする。


 弾丸が長尺のため、【白弾】のように親指ではじくのは難しい。また、てのひらに載せてはじけばてのひらがずたずたになる。〝狙撃士〟は九分九厘【治癒】も【自己再生】も持っていないので、専用の銃器を持ち歩く狩人もいるという。


 カワタローはそれをてのひらに寝かせ、手を掲げ、目線に合わせて狙いを定める。


 空気抵抗の大きい【白弾】ではわずかに狙いが狂うことがある。トロコへの誤射を防ぐために牽制と援護に徹していたが、【螺旋弾】なら二人が打ち合っている間でも確実に敵だけを撃ち抜くことができる。彼女と同様、この八年で鍛え上げてきたカワタローの腕ならそれができる。


(ほんの一瞬でいい)

(あいつの足が止まったら、撃つ)


 これまでの【白弾】とは弾速が違う。恐ろしいほどの反射神経を持つ〝スライム殺し〟でも、トロコの猛攻をしのぎながらこれをかわすことは不可能だろう。乾坤一擲、このときのためだけに温存してきた虎の子の一発だ。


 てのひらの延長線上にあの青年の姿を捉えながら、この一発のために神経を研ぎ澄ませる。


「――『糸は呪――――――――』――」


 こだわりも愛着もない「〝旅団〟のお題目」が、無意識に口からこぼれる。そうしてから思わずふっと小さく笑う。無関係の青年の頭を撃ち抜くことに、大義名分でも添えようというのか。今さらなにを、今までだってさんざん手にかけてきたというのに。


(まあ、悪いとは思ってるけどねえ)


 出血や疲労のせいか、青年の動きが鈍ってきている。畳みかけるトロコに対して防御に偏り、足が止まる。


(これで、終わりだ――)


 その瞬間、ふと。

 【望遠】の視線が的とは別の場所に吸い込まれる。


 激しい攻防の中で、彼の右肩にしがみついているカーバンクル族に。呼び名は確か〝ドングリイーター〟だったか。


 そのちんまりした体躯とは裏腹に、これまでバフォメットやムジラミ相手に果敢に立ち向かっていた魔獣が、ここまで二人の戦いには一切手を出していない。相棒の激しい動きに振り落とされないようにしがみついたまま、今も戦局を窺うように沈黙している。

 あの場の二人の力量は桁違いだ、おいそれと手出しできるレベルではないのだろう。


 カワタローなりに一応は警戒していた。あのミニマムサイズでも【白弾】の的にするのは不可能ではない、いくらでも対処は可能だと踏んでいた。


 そして、カワタローは思い至る。

 ここまで、二人が言葉を交わしていたときさえ、あれが一言も発していなかったことに。

 いつの間にだろう。あれの体色が、白っぽく薄らいでいることに。


 目を離したつもりもない。いつの間にすり替わっていたのか。

 ムジラミが同じ手を食っていた。菌糸でつくった囮の分身体――。


 背筋が凍り、身を翻す。

 ビリッと裂けるような音が肌を伝う。同時に首筋に鋭い痛みが走る。


 いくら小さいとはいえ、なぜ接近を許したのだろう。そんなことを思う。まるで姿を消して忍び寄ってきたかのようだ。子どもの頃に本で読んだ忍者かのように。


 勢いよく血が噴き出す中、カワタローは目を瞠る。自分の首を裂いて通過したカーバンクル族。流星のように残像を描くふさっとした尻尾。


(一瞬気づくのが遅れてたら)

(確実にやられてたな――)


 首の血管を狙った不意打ち。トロコとは正反対の、相手の命を奪うことに躊躇いのない一撃。


 しゅたっと着地した〝ドングリイーター〟が「シャーッ!」と歯を剥き出しにする。体毛と尻尾を逆立たせる小さな身体には殺気がみなぎっている。純粋な野生の殺気。

 トロコに見習わせたい。いや、見習ってほしくない。同時にそう思う。裂けた首を右手で圧迫しながら笑いそうになる。


 もう一度飛びかかってきた毛玉に、とっさに【螺旋弾】を捨てた左手で【白弾】を見舞う。カワタローの目と鼻の先でバチンッ! と直撃し、「ぴぎゃっ!」と大きくはじかれて広場のほうへ落ちていく。


 音からして、おそらくガードされた。はっきりとは見えなかったが、カウンターを察して【白鎧】のような菌糸を体表に展開しようとしていたところだった。それでも完全には防げなかっただろう、痛み分けにしておいてやる。


「ぐ……あ……」


 指の隙間からぼたぼたと血がこぼれ、石の屋根に赤黒い斑点を描いている。思ったよりも傷が深い。あの毛玉め、やってくれた。


「カワちゃん!」

「タミコ!」


 広場の二人が同時にさけぶ。膝をついてうなだれたまま見上げれば、二人とも完全に手が止まっている。似た者同士か。


(あーあ、なんてザマだあ)


 引きが悪いとか以前の問題だ。あの小動物を甘く見ていた。まんまとしてやられたとムジラミを笑ったが、自分こそそれ以上の間抜けだった。


(まずいねえ)


 〝スライム殺し〟のほうはともかく、トロコは明らかに動揺している。一度ああなるとあの子は脆い、立て直しが利かない。


(師匠としても育ての親としても)

(ポンコツすぎて申し訳ないなあ)


 自虐的な思考としてはこのまま野垂れ死にしてやりたいところだが、あいにくこんなところで死ぬわけにはいかない。そして最低でも、あの青年とカーバンクル族を仕留められなかったとしても、トロコたちをここから逃さなくてはいけない。


(どうする)

(ここから、どう――)


 視界の端に飛び込んでくるものがある。


(――ムジラミ)


 ギラついた歯を剥いて、【棍棒】を思いきり振りかぶっている。


「がああああっ!」


(いやいや、無理っしょ)


 蛮勇とも言える特攻、振り下ろす渾身の一撃。それも〝スライム殺し〟はあっさりとかわし、お返しとばかりにムジラミの腹を蹴り抜く。ボールのようにふっとばされた長駆が広場の端の石像に激突し、破砕。石塊とともに崩れ落ちる。


(あ、そういうことか)


 なにをしたかったのかと思っていたら、屋根の上にアカガイが現れる。不甲斐ないリーダーの治療のための時間稼ぎだったらしい。もう少しやりようがなかったのかというのはともかく。


「カワさん!」

「ああ……」


 とりあえず出血を止められれば、まだ動ける。まだやれることはある。


「止血頼……む?」


 直後。ゴゴン、と地下から鈍い音が響く。

 そして、ドンッ! と突き上げるように縦に揺れる。広場の中心付近にいるトロコと〝スライム殺し〟が身を低くして堪えている。


(……なんだ?)

(こんな土壇場で……なにを引いた?)


 けたたましい破砕音とともに、広場の石畳が割れる。

 その亀裂から立ちのぼるのは――巨大な水の柱だ。

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