101:呪い

 あのバンダナ小娘にナイフで刺された左手がずきずきと痛んでいる。


 百年前のマンガではてのひらは緊急用刺突防止装備として乱用されていた。ナイフとか矢とか銃弾とかを受け止め、ぶしゅっと引き抜いて指をわなわなし、「ふん、問題ない」みたいな。


 現実はというと、当たり前ながら肉だけでなく骨も神経もきっちりぶち抜かれているわけで。涙目必至の激痛の上に指が痺れて動かせない。トンデモ菌糸ワールドでもない限り大手術とリハビリ必須級の大怪我だろう。やっててよかった菌糸式。


「アカガイ、ハマチ。三人を連れて離脱。残りはそのまま待機、無理やり仕掛けちゃダメだからなあ」


 屋根の上に立つアロハシャツの中年男が指示を出す。けひひ男が加わった包囲網の六人のうち二人がその輪から離れ、負傷した三人を連れて物陰に隠れる。やはりあの男が一味のリーダーか。


「さて、と。タイマン勝利の余韻に浸ってるところ、ムリから邪魔しちゃって悪かったねえ。必要ならあとでその手も手当してあげるから」


 頭を掻きながらそんなことを言うアロハ男だが、全然悪びれていないのは明白だ。サングラスの奥のその目はちっとも笑っていないだろう。


「お兄さん、プロの狩人ってことで間違いないよねえ? 名前を伺っても?」


 なんとも緊張感のない、道端で世間話でもするかのようなのほほんとした口調、態度。それが逆に不気味でもある。


「スガモの……〝スライム殺し〟」


 問答無用で襲いかかってくるような悪漢に個人情報を渡してはいけないという最低限のセキュリティー意識くらい平成生まれの端くれとして残っている。タミコにも一応目配せする。


「あたいは〝ドングリイーター〟りす。じゅっさいりす」

「それ意外と気に入ってたのね」


 ともあれ、自分たちをとり囲む輩を【感知胞子】で警戒しながらも、愁はあえて話に付き合うことにする。現状の把握、この襲撃者たちの正体を聞き出す、穴の開いた左手の再生を待つ。それらと「ここまでの消耗を考慮してなるべく早くケリをつけるべき」という思惑と、天秤にかけて前者を選んだ形だ。あと一応、人質のウツキも気になるし。


(ってか、あれって人質だよな?)

(にしては拘束が緩いような)


 アロハ男に首根っこを掴まれたままのウツキは、顔面蒼白で引きつった笑みを浮かべている。そのせいでどことなく悲壮感がないように見えてしまう。ピンポンダッシュがバレて捕まった小学生と親元に連行する家主のチンピラみたいた。


「へえ、面白い二つ名だねえ。スガモ所属かあ……あ、俺はカワタローとでも呼んでねえ」

「そっちも偽名やん」

「本名なんて忘れちゃったからねえ。それはともかく、その二つ名も初耳だなあ。スガモにも君たちみたいな腕っこきがいたとは知らなかったねえ。〝撃ち柳〟のワンマン支部って認識だったんだけど」

「あんたらのほうは?」

「あっはっは。カタギに見えるかい? さすがに無理かなあ?」

「えっと、やっぱ野盗?」

「うーん……当たらずとも遠からずってとこかなあ。似たようなことは何度もやってきたしねえ。まあ、そのへんの名もなき無法者集団とでも思ってくれればいいよお」


 愁は目線だけで周囲を窺う。四十代くらいのカワタローと三十代くらいのけひひ男以外はみんな若い。おそらく二十代前半くらい、ヘタしたら十代もいるかもしれない。さらには紅一点のバンダナ少女――明らかにこの中で最年少、ノアよりも年下だ。ちなみに愁スカウターによる戦乳力測定ではAからA+(ノアは推定F以上)。


 ともあれ、二カ月前に愁が戦った野盗の頭領のような〝腕落ち〟はいない。

 あくまで印象だが……野に下った犯罪者というより、訓練された少年兵のようなピリピリした空気を感じる。


「ひそひそ(――――)」

「……嘘だろ?」

「え?」

「あ、いや。なんでも」


 愁は慌ててごまかす。タミコの戦力分析の結果をこっそり耳打ちしてもらったが、ちょっと信じられない結果だった。


 カワタローはレベル40、けひひ男は33。その他の若手は逃げたやつらも含めておおよそ30前後。このあたりは特に不自然な点はない。思ったよりもボスが低レベルだなというくらいだ。

 だが、問題は――明らかにおかしいのは――。

 視界の端でちらりと見る。バンダナ少女は愁からじっと目を逸らさずにいる。愁が不意をついて動きだす瞬間を見逃すまいとするかのように。


「んで……なんで俺らを襲ったんすか? 金目のもん目当てとか?」

「いやいや、そんなこっちゃないんだけどねえ。まあ……君にも知る権利くらいはあるかなあ」


 うんうんとひとりうなずくカワタロー。


「説明するとちょっと長いんだけどねえ……元々俺らはさあ、ここには若手研修のために来たんだよねえ。だいたい二十日くらい前かなあ?」


 研修?


「だってさあ、無限のごとくヤギザルが湧いてくるんだよ? 修行中の若手にはもってこいじゃん? なんつって俺も偉そうに言えるほど強かないんだけどさあ。そんなときに、たまたまここでよさそうな子を見つけたもんで、スカウトしてみたのさ」


 スカウト?


「何日かかけてようやくスカウトが成功したところで、間が悪いことに狩人の御一行が退治しにやってきちゃってねえ。俺らはこっそり見守ってただけだけど、そこは期待の大型新人、いや新ヤギかなあ? やっぱ無理だよねえ、狩人さんたちは哀れ返り討ちさあ。一応骨は拾ってあげたけどねえ」

「……スカウトって……」


 あのバフォメット?


「そんなこんなでここでやれることも少なくなってきてさあ、明日あたり地上に戻ろうかって話になってたんだけど、そこへお兄さんたちがこの階にやってきちゃってねえ。せっかくだしお兄さんたちもあいつのおやつ兼経験値になってもらおうかなって、エスコート役としてウツキちゃんを派遣したわけよ。お兄さんが途中で引き返したりしないようにねえ」

「……待って待って」


 ウツキさん、まさかそっち側?


「あーバレちゃったぁー! うわーんごめんなさいぃー!」

「マジで裏切りかよ……」

「オンドゥルルラギッタンりすかー!」

「元ネタ知ってんの? それとも偶然?」

「ししししかたなかったんですぅー! やらないと叩いて薄切りにしてヤギにもしゃもしゃさせるってぇー!」

「はいはい、泣かないの泣かないの。話せばわかってくれるさあ」


 泣きわめくウツキとなだめるカワタロー。愁としては情報が錯綜気味だが半分くらいは理解できてきた。


 カワタローが適当ぶっこいているわけでないのなら、「カワタローがスカウト(【調教】のことだろうか?)したのはあのボスメット」であり、「ボスメットに討伐隊が壊滅させられた」のは間違いなく、「ウツキは愁たちを撤退させずに山猫のレストランに連れ込むための案内役」だったわけだ。山猫というか山羊だが。


「あんまりこの娘を責めないであげてほしいなあ。討伐隊で一人だけ生き残っちゃって、もう気の毒なくらい必死に命乞いするもんだからさあ。こんなおっさんの素足でも舐めますって勢いでさあ。さすがに不憫すぎて無理だなあって思って、ちょっと面倒見てあげてたんだけどさあ――」


 ウツキが目を見開き、「かはっ」と震えながら息を詰まらる。カワタローが片手で彼女の首を掴む手に力をこめているようだ。


「……ソウちゃんさあ、ただ見てるだけだったならまだしも、なんで手を貸したのお? ひょっとして、あのお兄さんに俺らのこともやっつけてもらっちゃおうとか企んだりしてたあ?」

「そ……んな……ああっ……!」

「おいっ!」


 思わず愁が身を乗り出すと、周りの手下たちがぐっと身を屈めるように構える。上司の指示さえもらえば飛びかかってくるのに一秒もかからないだろう。

 ――さて、どうしよう。


 さっきは反射的に抗議してしまったが、ウツキ≠人質ということが判明したわけで(それでもなにか腑に落ちない部分も残っているが)。少なくとも自分たちの身を呈してまで彼女を助ける必要はないと思ってもいいだろう。

 自分たちだけなら逃げきれるだろうか。この中に【跳躍】などの機動力系スキルを持っているやつがいるとしても、レベル差を考えれば追いすがれもしないだろう――一人を除けば。


(まあ、このまま見殺しってのも後味悪いし)

(本人の口から訊きたいこともあるし)


 完全に彼らの仲間ではないようだし、可能な範囲でウツキを救出する方向も視野に入れておこう。

 ウツキ以外で敵はこの場に五人。負傷者を連れていったやつが戻ってきても七人(【聖癒】クラスの治療系スキルがあれば三人も戦列に復帰してくるかもしれない)。伏兵がいなければ総勢十人。


 少し多いが、レベル差を考慮すればオウジのゾンビ軍団を相手にしたときよりも多少マシか――一人を除けば。


(問題はやっぱあの子だよな)


 バンダナ少女。

 なにかの間違いだと思いたいが、そこは我らが優秀なるクノイチ。今まで確認できた限りでは彼女のリスカウターが目測を誤ったことは一度もない。


 あの尋常ではないスピードも気になる。【感知胞子】を解いていたとはいえ、背後をとられるまで気配すら感じられなかった。加速系スキルか、それともなにかタネがあるのか。


(どっちにしても、戦うにしても逃げるにしても)

(あの子だけは要注意だ)


 左手は――まだ青黒カビが必死に穴をふさごうとしている最中か。指の痺れも残っている。

 再生が少し遅い? いや、骨まで断たれているのだからしかたない。文句を言ったらバチが――


「ところで……おーい、トロコぉ」


 カワタローがバンダナ少女に呼びかける。


「具合はどうだあ?」


 愁と少女の目が合う。彼女はなぜか少しだけ悲しげな表情をしている。


「……そうだね、だいぶ時間が経ってるけど……」


 ――ズクン。

 ほんの一瞬、身体が内側から揺さぶられる。


「……来たみたい」

「が、ああっ……?」

「アベシュー!?」


 ――なんだこれ。

 身体から力が抜けていく。膝をつきそうになる。【戦刀】にすがるようにして身体を支える。


「……なんだよ、これ……」


 めまいと悪寒、吐き気も――いや、それどころではない。

 【感知胞子】のフィードバックが消えている。


「いやー、兄ちゃん。腕っぷしのわりにはウブだねえ。ベラボーに強いくせに垢抜けてないっつーか、知識や経験がアンバランスっつーか。もしかして童貞かい?」

「ドーティルディナニガワルイりすかー!」

「オン○ゥル語はもういいから……ぐっ……」


 満足にツッコめないもどかしさはともかく、明らかに身体がおかしい。息まで苦しい。


「お人好しの兄ちゃんさあ。こうして武装状態でお互い向かい合ってるっつーのに、いかにもうさんくさいおっさんが『おしゃべりしよう』なんて言い出した時点でさあ、考えるべきだよねえ? 時間稼ぎの可能性をさあ」


 わかっている。それも考えた上で、自分自身の利益でもなるとあえて乗った。


「じゃあなんで時間が必要かって? 大がかりな仕掛けの準備をしているとか、時間の経過でなにか有利になる仕掛けとか。たとえば……毒とか?」


 わかっている。それも考えた。


 前者はない。そんなものがあるなら、愁がボスメットと戦っている間に準備をして、初手でぶっぱしていたはずだ。

 後者についてはその可能性を疑っていた。バンダナ少女のナイフ――左手のそれは菌糸武器の【短刀】だが、愁の手を貫いた右のナイフは本物だ。濃褐色の刀身でいかにもそれっぽく、わざわざそれを使う理由を推測すれば、毒を仕込んだ武器である可能性も想定できた。


 とはいえ、それならそれで好都合だった。相手からすれば毒が身体にめぐる時間をほしいのだろうが、愁からすれば【不滅】の耐毒効果で時間さえあれば勝手にデトックスしてくれる。ギランを苦しめた魔人の毒さえ愁には効かなかったし、そこらへんのちっぽけな毒などコレステロールと変わらない――はずなのに。


 というか、今の今までその兆候さえなかったというのに。

 なんで急に、いきなりこんな。

 指先に【解毒】を生み出そうとして――、


「兄ちゃんくらい強けりゃさあ、【毒耐性】や解毒薬くらい持っててもおかしくないもんねえ。だとしたらむしろそれに乗っかるのかもしんないけどさあ。そんな兄ちゃんでも、さすがに知らなかったかなあ? ――〝呪い〟ってやつはさあ」


 ――菌糸玉が出てこない。


(なんで?)


 【感知胞子】のフィードバックは途絶えている。【解毒】も【聖癒】も、【戦鎚】も【阿修羅】も。

 どれだけ意識を集中しても、てのひらに力をこめても、そこに体内を菌糸が動く感覚は現れない。

 【跳躍】もダメだ。足腰に力が集まってこない。


(これが――呪い?)


 いくらシン・トーキョーでも、そんなオカルトがまかりとおるなんて話、今まで一度も聞いたことがない。

 けれど――実際にこの異変は――。


(マジかよ)


 使


「ああ、いけないいけない。もうおしゃべりする必要もないのにねえ」


 左手の傷の修復も止まっている。つまり、【不滅】も無効化されている。

 全身が半分融けてさえも命を守ってくれた青黒カビの命綱がない。


 つまり――恐怖がじわりと胸に広がる。

 今傷を負えば、命に関わる。


「あんまりうだうだ時間をかけるのもアレだし、このへんにしとかなきゃねえ。つーわけで――やれ」

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