100:〝眷属〟と副団長

 菌糸武器を構成する材質は、「旧世界の人類にとって未知の成分」がその大部分を占めているという。


 カルシウムや炭素、あるいはごく微量のリンや鉄分なども含まれていることは判明しているが、シン・トーキョー百年の歴史においてもその全容は未だに解明されていない。詳細な分析を行なうに足る科学技術が途絶えてしまっているからだ。


 〝超菌類〟そのものに由来するものなのか、それとも〝超菌類〟によって設計図を書き換えられた新生物の生態に由来するものなのか。それすらも推測することしかできていない。


 いずれにせよ菌糸武器には、それ同士の衝突で激しく火花が散るほどの鉄分は含有されていない。


 ――だから今、一人と一体が打ち合うたびに瞬いて散っているのは火花ではない。愁の【戦刀】にまとった青白い光の粒子だ。


「ふっ!」


 愁の頭を叩き割らんと迫る巨刀が、受け止めた【戦刀】の表面をギャリギャリと削って滑る。攻撃を流しきって横に逸れた愁は、そのまま頭上でぐるんと柄尻を返して上段から振り下ろす。下がりながらでリーチも足らない一撃は巨刀の持ち手である右腕を浅く薙ぐに留まる。


 すぐさまボスメットの反撃、無造作に振り回す横薙ぎの一撃。それを愁は【戦刀】の腹で受け止め、勢いのまま五・六メートル飛び退く、というか飛ばされる。靴底でふんばり、片手で地面を引っ掻くようにしてダウンを回避する。


「ヴェエエッ!」

「があああっ!」


 呼吸を整える間も不要とばかりに、開いた間合いを互いに一気に詰める。

 ボスメットが野生を剥き出しにしてだんびらを握った豪腕を振るう。

 それに応じるように、愁も野獣じみたおたけびとともにチャージ【戦刀】をぶつける。


 互いの鈍重な刀が交錯するたび、「ガッ」とも「ゴッ」とも形容しがたい硬質な衝突音が響く。

 愁の鼓膜が震える。背骨が軋む。柄を握る手が裂けて血が噴く。


「くああっ!」


 正面からぶつかれば、重く強いほうが勝つのが当然。

 すべてが全力の殺気を含んだ暴力。愁は押され、削られ、消耗させられる。


 それでも退かない。歯を食いしばり、突き飛ばされても叩きつけられても前に出続ける。


 ――相棒の覚悟にほだされた蛮勇、ではない。長年患ってきた「調子こき病」や「負けず嫌い病」が発症したわけでもない。

 胸に灯った熱を全身へとめぐらせながら、それでも頭は冷静さを失っていない。


(目を開けろ!)

(ビビんな!)


 デタラメに迎撃したりはしない。死地の縁をギリギリ見極め、潜り込む。望んだ角度、選んだタイミングでそれをぶつける。

 飛び散るのは光の粒子だけではない。細かな白い破片が舞っている。

 骨のように白いだんびらの刀身に幾筋ものひびが入っている。

 血まみれ汗まみれの顔で愁は笑う。


(もう一歩前へ!)


 ボスメットのだんびら、愁のチャージ【戦刀】。

 刃渡りはほぼ同じ。だが幅と厚みは前者が上回っている。


「いい加減――」


 だが愁は、確信している。

 その刃を構成する菌糸の密度、そして【光刃】による強化。

 兵器としての破壊力は、自分の握るそれのほうが上だと。


「――ぶっ壊れろ!」


 ボスメットの斜め下から地面ごと裂くような斬り上げ。

 愁の身体ごとぶつけるような振り下ろし。

 重機同士の衝突にも似た破砕音。衝撃の波が水気を含んだ空気を吹き飛ばす。

 握りしめた柄を残してだんびらが砕ける。粉々の破片が二人の間に舞い散る。


 返す刀ががら空きの右手首を断つ。

 ボスメットが目を見開き、短い悲鳴をあげる。


 とった、と愁はさらに一歩踏み込む。

 とどめを刺さんと前のめりになった瞬間、逸り気を読んだかのようにボスメットが足を振り上げる。愁を突き放すようにスナップを利かせた前蹴り、関節をしならせた回し蹴り。


 「んがっ!」と上半身をよじってそれらをかわした直後、愁は見る。すばやく足を引いたボスメットが、胸を反らせて羽を広げているのを。

 全身を突風が打ちつける。蹴りでの牽制から至近距離での羽ばたきのコンボ。


「ぐっ!」


 水の礫をまともに受けて目を開けられなくなる。すさまじい風圧で愁の身体が浮く。空中で身をよじり、とっさに床に【戦刀】を突き立て、ガガガッと削りながらあとずさる。またも背中が石像にぶつかる。先ほど砕かれたものとは別の像だ。


「ヴェエエッ!」


 ボスメットが羽ばたきを繰り返す。愁を近づけまいと、あるいは時間を稼ごうとしているかのように。

 愁は石像の後ろに回り込む。ミシミシと軋む風除けを身体で支えながら、相手の位置を脳裏に捉え――


「らあっ!」


 撃ち抜く。チャージ【白弾】。

 拳大の穴を穿たれ、ひび割れ、石像が崩れ落ちる。

 風除けがなくなるが、同時に風が止む。


「……ヴェエエ……」


 片膝をついたボスメットが憎々しげにうめいている。愁の一撃が右の太腿を深々とえぐったようだ。やはり急所からは盛大に外れているが、石像越しだからしかたない。結果オーライ。


 血走った目がまっすぐに愁を捉えている。怒りや屈辱といった感情がぎりりと臼歯を噛みしめる表情から透けて見える。

 左手にだんびらを生み出し、それを支えに立ち上がる。

 ぶふううううっと蒸気の息を吐き出す。愁も短く呼吸して息を整える。


 距離にして十数メートル。対峙したまま、ほんの二・三秒の静止。

 再びボスメットが羽を広げた瞬間、愁は床を蹴る――横に。


 同じ技を何度もくらえば、欠点の一つや二つ見えてくる。単なる羽ばたきだけで水の礫を放つ原理も、あれだけデタラメな風力を生み出せる仕組みも文系平成人の愁には見当もつかないが、その効果範囲はおおよそ掴めている。


 突風が勢力を発揮できる射角は思いの外広くない。風力を前面に凝縮しているからこその威力ということか。

 横から弧を描くように回り込む。案の定風の影響はほとんど受けない。減衰した水の礫を側面に受けながら、ボスメットが向き直って再び突風を放つより先に、愁は直角に向きを変え、【跳躍】で一気に距離を縮める。


 脳天を狙った愁の渾身の振り下ろし。反応が遅れたボスメットがかろうじてだんびらで受け止める。


 ――愁はチャージ【戦刀】を片手では振るわない。


 重量的にはできないこともないが、柄の握りが太いので思いきり振り抜くとずるっとすっぽ抜けることがある。力をこめづらいのもあり、両手持ちで扱うのが一番しっくりくる。


 一番警戒していたのは、突風よりもだんびら二刀流でぶんぶん振り回してくることだった。その知恵がないのか、それとも他に理由でもあるのか、結局右腕を失うまで左腕は使ってこなかった。そういう意味では一刀対一刀、潔いイーブンの勝負と言えた。


 ――愁の腕が二本だけだったなら。


「ああああっ!」


 空中で交錯したまま【戦刀】を振り抜き、その勢いで身体を前に回転させる。菌糸腕の握る二振り目のチャージ【戦刀】が二撃目を叩きつける。

 相手に背中を向けた形になるが、愁は相手の体勢を知覚している。

 だんびらの刀身が半分砕け、二撃目の切っ先で腹が裂けた。致命傷になってはいないが、菌糸腕から伝わった手応えとしては浅くない。


「ヴェ、エエエエエエッ!」


 痛みにうめいたのも一瞬だけ。ボスメットはそれでも怯まず巨刀を振り上げる。

 頭上に降ってくる一撃は鈍い。それを愁は払い落とすように打ち込み、もう一度身体を回転させる。


 ――今度こそ。


 二度目の菌糸腕の連撃が、斜めに走った腹の傷と交差する傷をつける。今度こそそれは、相手の生命に届いている。


 ごぽっと血が噴き出る。傷口と、ヤギ頭の口から。


「――終わりだ」


 前のめりに崩れかかるその頭を、介錯とばかりに走った愁の刃が刎ねる。

 

 

    ***

 

 

 愁とボスメットの戦闘が決着する、数分前。


「……ねえ、団長?」

「トロコ、俺はもう団長じゃねえって何度言ったら済むのさ? 団長の椅子はあのバケモンジジイにくれてやったっしょ」

「……ごめん、副団長。これ、どうするの? あの子、やられちゃうよ? あのお兄さん、デタラメに強いよ」

「そうだなあ、やっぱり半端じゃないよなあ、あの塩顔の兄ちゃん。達人級、いやヘタしたら上位ランカークラスかもなあ。こりゃ無理かもなあ。あのロリクソ女、貧乏くじどころか鬼無理カード引きやがって」

「……あの子、せっかく〝眷属〟にしたのに、助けなくていいの?」

「〝眷属〟つってもなあ、別に俺の部下ってわけじゃないしねえ。あのジジイの飼い犬? 飼いヤギ? 言うこと全然聞かないけど」

「……計画に必要って、団長言ってなかった?」

「そりゃそうだけどさあ、あそこに割って入るのとか無理でしょ? 俺は絶対無理、弱いもん。尾行とかスリとか小悪党プレイしかできないもん。無理無理、無理寄りの無理」

「……あたしが行く?」

「いやいや、やめとけ。〝骨笛〟でも自由に操れるわけじゃないし、共闘なんかまず無理さ、飛んで火に入る夏の無理。最悪三つ巴になるだけさ。いくらお前でも、正面からあのバケモンどもとやり合えば無理死確実だ」

「……じゃあ、どうすんの?」

「この際だから、予定変更さ。〝眷属〟はここで使い捨てになってもいい、だけどあの兄ちゃんは無理やりにでも必ずここで始末しておく。あいつは危険だ、今後の計画の邪魔になりそうな気がするからな」

「……殺すの?」

「うーんと……まあ、生かしとくのは無理だと思うけどな。生け捕りにできるならそれでいいけどさ、でも無理はすんなよ? お前にここで死なれるのが一番無理なんだからな」

「………………わかった」

「けひひひ……副団長、俺らはどうすりゃいい?」

「〝眷属〟があいつに負けたら、その直後だ。全員で隙をつく。俺とムジラミはウツキとカーバンクル族を押さえる。トロコと他のメンツはあの兄ちゃんだ。タイミングを合わせろよ、無理せずにな」

 

 

    ***

 

 

 首から上を失い、仰向けに倒れる巨体。押しつぶされないように横に退いた愁は、【戦刀】を床に突き立てて大きく息をつく。


「……っぶねー……」


 想定以上に強敵だった。ジャガーと同等とまではいかないが、実際にオウジでの経験やレベルアップがなければもっと苦戦したかもしれない。


 【阿修羅】+チャージ【戦刀】の組み合わせは、愁としては禁じ手の一つだった。

 自分の腕と同様、菌糸腕でも片手では振るえない。しかも肩甲骨付近から生えているので可動域が若干狭く、両手持ちすればなおさら振るう向きや角度が限定されてしまう。刃渡りの長さ的にも邪魔になりかねないし、通常の【戦刀】四刀流よりも扱いが難しい。


 さっきのように正面から特攻してゴリ押しできればいいが、やはり通常の立ち回りでは封印しておいたほうがよさそうだ。


「……んで」


 休んでいる暇はない。まだすべて片づいたわけではない。タミコとウツキの状況を確認しないと。

 屋根のほうを見上げたとき、


「――え?」


 若い男が立っている。

 ボサボサの黒髪、四角い顔立ち、バフォメットみたいにひょろっとした長い手足。糸のように細い目をにたりとして、「けひひ」と下品な笑い声を漏らしている。

 愁に向けて突き出したその手には、見慣れたシルエットが鷲掴みにされている――タミコだ。


「タミコ――」


 次の瞬間、背筋が凍る。


 ――油断?

 その二文字が愁の脳裏によぎる。


 突風を使うボスメットを前に、いつしか【感知胞子】の散布を解除して戦闘に集中していた。

 だから、それが間合いに入ってくる瞬間を察するのが遅れた。

 あるいはこのフロアを牛耳る強敵を打倒して、それ以上の襲撃はないと勝手に踏んでいた。


 いや、違う。それらを別にしても――


(速――)


 音もなく背後に現れた気配。振り返った瞬間――血が飛び散る。

 鋭利な刃物による刺突。脇腹めがけて伸びてきたナイフの切っ先。

 それが愁の――とっさに庇うように突き出した左手を貫いている。


「っ痛……」

「……びっくり。この距離で反応……」


 どろりと血が伝うナイフ、それを握る――額にバンダナを巻いた小柄な少女が、驚いて目を見開いている。

 女の子、と愁が怯んだ一瞬の隙に、少女の左手が走る。そちらにも逆手に握られたナイフがある。

 首狙いかと思いきや、ナイフの軌道は中途半端に二の腕あたりを切りつけてくる。刃がマントを破って入ってくる寸前、愁は前蹴りで少女の腹を打ち抜いて突き放す。その勢いで左手に刺さったナイフも抜かれる。


「っくしょう、なんなん――」


 間髪入れず、上から飛び込んでくる三人の影。それぞれが刀や槍などの菌糸武器を振りかぶっている。


「がああっ!」


 地面に突き立ったままのチャージ【戦刀】を引き抜き、一振りでまとめて薙ぎ払う。とっさに菌糸武器でガードした三人をもろともふっとばす。 さらに視界の端に捉えた五人目から放たれた【白弾】を刀の腹で受け止める。


「まだいんのかよ……」


 〝狙撃士〟らしき男を含め、遠巻きに愁を囲む四人の男たち。先ほどふっとばした三人は菌糸武器も腕もぐしゃぐしゃでまだ起き上がれていないが、腹を蹴り抜かれたはずの少女は「……いてて……」とうめきながら包囲網に加わる。これで広場には八人、屋根の上に一人。少なくとも九人か。


(思いきり蹴っ飛ばしたんだけどな)


 あのときの手応えからして、おそらく蹴られる瞬間に後ろに跳んだのだろう。この場にいる他の男たちの誰よりも、この子が一番の手練だ。


「はーいそこまでぇっ!」


 頭上で声がする。見上げると、タミコを握った男の隣に、十人目の新手が立っている。


 この場にいる男たちはみんな若く、ボロボロの小汚いマントやシャツなどの「いかにも野盗っぽい」格好をしているが、その中年の男だけが(少年を除いて)明らかに異彩を放っている。というか場違い感がすごい。


 小太りの体型、短髪にヒゲだらけの顔、黒い色つきメガネ。そしてなにより黄色のアロハシャツに膝丈のハーフパンツ。まだそんな文化が残っていたのか、シン・トーキョー。


 そのうさんくさい的屋ルックの男の手は、隣で怯えるように身をすくめたウツキの肩に置かれている。


「お兄さん、無駄な抵抗は無理だよ、無理無理、りーむー。ありきたりな言いかたになるけどさ、君のお仲間がどうなってもいいの?」

「けひひっ!」


 タミコを握った男が広場に飛び降りてくる。


「このおチビがバフォメットを噛み殺したのはびっくりしたぜ。小動物の分際でなかなか立派な戦いっぷりだったが、俺の【毒手】にかかりゃあイチコロよ」

「タミコ!」


 にたにたと笑いながら、その手を氷の入ったコップでもそうするように軽く振っている。タミコはぐにゃりと弛緩したまま動かない、うめき声すら発しない。


「まだちょっとあったけえけどよ、さっきからぴくりとも動かねえぜ? このままほっときゃ死ぬだろうな、剥製にして飾ってやるぜ。けひひ!」


 愁の頭が一瞬で沸騰しかける。目の前が真っ赤に染まり、衝動が足を踏み出し――に気づき、ほっとして肩から力が抜ける。必死に笑みを噛み殺す。


「……あん? どうした?」

「……いや、なんでも……」


 愁は気づいている。あの下卑た男の手の中にあるのは、タミコではない。その片割れ、というか分身だ。


 タミコ第六の菌能、リス分身。

 菌糸で自身にそっくりな人形をつくり、遠隔操作で操ることもできる能力。


 当初は一度に一体のみ、それも菌糸感そのままの真っ白なものしかつくれず、「ハツカネズミ」と揶揄しては耳たぶを噛まれたりした。


 今でも一体が限度なのは変わらないが、その後のレベルアップや熟練度の向上により「ほんのりタミコの体色に似た分身」を生み出せるようになっていた。つまり分身としてよりクオリティーとリアリティーが増した形だ。


 今、あのけひひ男がドヤ顔で握っているのは分身だ。よく似ているが体毛の色は薄く、頭の宝石も白が混じってピンク色だ。明らかに本人とは違う。この五年、毎日その顔を見てきた愁にはそれがわかる。


 まさか平成を超えた先で身代わりの術を実現させるとは。さすがクノイチリス。


 となると、タミコ本人は身を潜めて反撃の機会を窺っているはず。できればあいつにウツキを助けてもらって――。


 と思いきや、とてとてと包囲網をくぐった毛玉が愁の肩に飛び乗る。


「ふいー、あぶなかったりす」

「出てきてんじゃねえよ。頭の宝石ぐいっと拭うんじゃねえよ」


 けひひ男が手の中のそれと登場したご本人を見くらべ、ようやく偽物と気づき、「クソがっ!」と床に叩きつけて踏みにじる。なにかしらの感覚的なフィードバックがあったのか「きゃうんっ!」とビクつくタミコ。


「あっはっは、一杯食わされたねえ」


 アロハの男が笑う。少しも動じる様子はない、雰囲気的にもあれが頭か。


「……まあいい。全員出揃ったところで、少し話をしようか。狩人のお兄さん」

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