99:真っ向勝負

 濃紫色のマントを羽織った背中から、骨のように白くか細い腕がしゅるしゅると突き出てくる。


 これまではこの【阿修羅】を使う際、カトブレパスマントや狩人ジャージは事前に脱いだりしてきた。マントのほうは自動修復機能があるが、ジャージには一度穴を開ければそのままパンクルック化が待っている。戦闘のたびにジャージを新調するのでは経費が馬鹿にならないし、そのまま使うにしてもギランのときのような目ざとい人にはギルドにも秘匿している切り札(【阿修羅】)の存在がバレてしまう。


 この問題を解決するため、スガモに戻った愁は、マントをつくってくれた職人の親方に相談した。【阿修羅】のことは内緒のまま、「背中がムレるから」とか適当な理由をつけ、背中にスリットを入れてもらうことになった。上側がフラップのようになっているので隙間は見えないし、通気性も多少上がった気がする。冬でもボタンで留めれば保温効果も損なわれないオールシーズン仕様だ。


 ジャージのほうもノアによる素人裁縫ながら、同様にスリットを入れてもらった。インナーも体操のお兄さんかという背中のばっくり開いたタンクトップなので完璧。菌糸腕用の袖穴問題はこれにて一件落着となったわけだ。


 ――本当はウツキの前で使うつもりはなかった。


 もちろん秘密だからというのもあるが……なんとなくというか、明確な根拠のある話ではないが、彼女の言動や人柄について、なんとなく信用できない自分がいるのだ。


 けれど、しかたない。こいつは――ボスメットは、レベルが下だからと舐めプできるような相手ではない。手札を出し惜しみしていては間違いなく足元をすくわれる。まだ一合として打ち合ってはいないが、それほどの強敵だと全身で理解できている。


 菌糸腕の形成にかかる時間は、レベルが上がるにつれ、熟練するにつれて向上してきている。今ではギリギリ一秒切るくらいで完成する。

 その間は完全に無防備になる、というわけではないが、ある程度意識や集中力は持っていかれる。そのわずかな間も愁は警戒を解かないが、とり囲む五匹が先んじて襲いかかってくることはない。


 異形化する愁をむしろ最大限警戒して身構えている――のは四匹のザコメットであり、ボスメットは違う。ボス自身もそのてのひらから多量の菌糸を生み出している最中だからだ。


 対峙する二者の菌糸はほぼ同時に形成は完了する。愁の菌糸腕【阿修羅】に対して、ボスメットがその手に握るのは刃渡りが愁の背丈ほどもありそうな巨大なだんびらだ。片刃で反りは鈍く、切っ先がやや丸みを帯びた、粗暴な巨刀。


 事前にウツキから聞いている。討伐隊はあの恐ろしい菌糸武器を前に虫けらのごとく蹴散らされたのだと。それ以外にも菌能や自身固有の能力を持っているかもしれないが、あのときの混戦の中でそれを暴くには至らなかったと。


 互いの戦闘態勢が整うと、ボスメットは胸を反らせて息を吸い込み――


「ヴェェエエエエエエエエエエッ!!」


 びりびりと石造りの風景を震わせる咆哮。低く重く、ギランの【咆哮】の能力のように轟音を直接叩きつけるおたけび。その衝撃は愁の肉と骨を揺るがし、背中に冷や汗をにじませる。


 次の瞬間、ボスメットが正面から愁の間合いに飛び込んでくる。巨刀を振りかぶったまま。


(速ぇ――)


 とっさに小さくバックステップした愁の足下に、巨刀が叩きつけられる。爆撃かというほどの衝撃音とともに床が破砕する。


 さらに一歩踏み込み、返す刀での横薙ぎ。それを愁は【戦鎚】を交差させて受け止め――身体ごと後ろに吹っ飛ばされる。


「ぐうっ!」


 靴底を削るようにしてどうにかダウンせずにふんばるが――「マジ?」、受けた【戦鎚】の柄が折れ曲がってひび割れている。

 金槌状に膨れ上がったヘッドはともかく、柄の部分は確かに細い。とはいえ【光刃】をまとった柄を一撃で。


 気をとられた一瞬の隙をつくように、背後からザコメットが飛びかかってくる。「らあっ!」と無造作に【戦鎚】を振るってはじき飛ばす。拍子に柄が折れる。そのせいで大したダメージを与えられていない。


 【感知胞子】の領域を突っ切り、背後に迫る巨大な気配。振り返らずに身を翻す。袈裟斬りの巨刀がうなりをあげて通過する。


「ヴェエエエッ!」


 まるでデタラメな、子どもが木枝を振り回すかのような、斬るというよりぶつける叩きつけるような乱雑な剣戟。

 だがその余波だけで愁の身体を削り、吹き飛ばす空気の圧だけで愁の背筋を凍らせる。必死にそれをかわしながら、「一撃でもまともに受けたら上半身ごと消し飛ぶかもしれない」などと脳裏に恐怖がちらつく。

 そのパワーはオウジメトロのジャガーゴーレム以上かもしれない。だがその戦闘スタイルはまるで違う、あれが機械のような正確な連撃だったのにくらべ、これはただ血に飢えた獣の力任せの暴力だ。


「な、め、んなっ!」


 恐怖を噛み殺し、必死にかいくぐり、一瞬の隙を狙って前に飛び込む。貫手の形にかためた【鉄拳】をがら空きの左の脇腹へ。


 指先が皮膚を貫き、感触が腕に伝わる――だがほんの数センチで食い止められる。

 貫手は脇腹ではなく、持ち上げられたぶ厚い太腿に食い込み、膨大な筋肉に押し止められている。


 愁を突き放すように拳の鉄槌が落ちてくる。間一髪頭を屈めてかわした先、今度は下からの追撃。愁は不安定な体勢から無理やり【跳躍】で地面を蹴り、後ろへと飛び退く。


 膝立ちの状態から起き上がろうとして、気づく。生ぬるい液体が眉間から流れ落ちる――額が斜めに裂かれている。


「――あれか」

「ヴェェエエエエッ!」


 一心不乱に突っ込んでくる巨躯の影。愁の目はその足先を捉えている。


 足の甲から突き出た、ナイフのような白い刃。ノアの【短刀】と似た菌能を足に直接生やしているのか。まるでフィクションの暗殺者みたいな有様だが、あれの先端が額をかすめたようだ。


 ビュンッ! と鋭い風切り音とともにそれが振るわれる。かわしたと思ったのに二の腕が削られる。


「くあっ! おあっ!」


 巨刀による雑な振り回しから一転、武道の達人かのような華麗な足技が吹き荒れる。関節のスナップを利かせ、両脚をめまぐるしく振り抜いてくる。変則的で接地する隙が掴めない、まるで空中を小さく躍っているかのようだ。


 想定以上のスピードと精密性。愁はこれでもかと目を見開き、とにかく回避。そして【鉄拳】でいなす。ギャリギャリと耳をつんざく摩擦音、表面を削られる銀色の腕、あまりの威力に肩ごと持っていかれそうになる。


 ボスメットの脚は短い、それでも三メートル近い巨体のせいでリーチは愁の腕と同等以上。その間合いから離れると頭上から巨刀が降ってくる。


「なろっ!」


 巨刀と蹴りの間合いの中間、一瞬相手が硬直した隙をついて菌糸腕が指をはじく。【白弾】。至近距離からの一発目はぶ厚い胸板に小さく穴を開けるに留まり、目を狙ったもう一発は首を倒すようにしてかわされる。


「ヴェエッ!」

「うっせえ! 声が汚えっての!」


 【鉄拳】と足の刃が交錯し、刃のほうが砕ける。内心「ざまあ!」と思った瞬間、今度は新たに踵に生えたそれが脳天に降ってきて髪を引きちぎられる。美少女暗殺者ロールしやがって。


「くそっ!」


 ここに愁の間合いはない、少なくとも今はつくれない。

 かわし、はじき、いなし、側面を叩く。刹那の隙を必死に手繰り寄せ、もう一度【跳躍】で一気に離れる。靴底を滑らせて後退、その背中を広場の端に立つ石像に預ける。


 切れかけた酸素を必死に肺に送り込みながら、同じように呼吸を整えている水平の瞳孔と睨み合う。


(くっそ、つえーじゃんかよ)

(身体能力的にはジャガーと同レベルだわ)


 愁もジャガーと戦ったときより一つレベルが上がっているし、瞬発力強化のアクアマリンも身につけている。スピード勝負はついていけているが、力勝負や我慢くらべでは分が悪い。


 総合的なフィジカルはやはり向こうが一枚上手。悲しきかな、人間種族の非力さよ。

 だがしかし、そこは人間だからこその小賢しさ。経験と戦略で上回ればいいのだ。


 ミドルレンジでの巨刀とショートレンジでの蹴り、近接戦では自分の間合いが持てない。アバウトさと精密さのコンビネーション、変則的でリズムが掴めない。


 救いはザコメットでさえ割って入る隙がないことか。あの巨刀の暴風域には入ってこれず、おそらく菌糸玉などの遠距離攻撃手段も持っていない。今こそとじりじりと間合いを詰めようとしているので間違いないだろう。


(パワーとスピードがジャガー並みだとしても)

(じゃあ頑丈さはどうかね)


 貫手で突いた太腿や【白弾】をくらった胸板は血で汚れている。あのジャガーの鋼鉄かという装甲ほどの防御力ではない。


 相手のリズムを掴むまでは回避に専念し、遠距離から削りまくる。それがベターか。

 呼吸を整え、あたりを警戒しつつ、石像に面した背後では菌糸腕が【火球】のチャージを終えている。


 そしてそれを投擲しようと菌糸腕が振りかぶる。

 ――同時に、ボスメットが蝙蝠羽を大きく広げている。

 赤いボールが放たれるより先に、羽が空を打つ。

 風が、まるで壁のような突風が、愁の身体を叩き、背中を石像に押しつける。


「――っ!」


 声にならない。全身を、顔面を打つ豪雨のような水の礫。思わず腕で顔をかばうしかない。


「……ュー!」


 かすかに聞こえた、タミコの声。風と雨が通り抜けた瞬間、間近に迫る巨影が愁に覆いかぶさっている。


 とっさに菌糸腕の握る【火球】を――頭上の左右に放つ。

 飛びかかってきたザコメット二匹の胴体に当たり、ボゥッ! とけたたましく爆ぜる。


 同時に地面に向かって飛び退く。通過した巨刀がジェンガでも崩すかのようにいともたやすく石像を粉砕する。


「っっぶなっ!」


 【感知胞子】は付着したものの位置や輪郭を愁の脳にフィードバックする。先ほどの風と雨で周囲の【感知胞子】は洗われてしまったが、ボスメットやザコメットに付着したそれが機能したままだったので接近に気づくことができた。


(にしても、突風と水弾のコンボかよ)


 すばやく身を起こしつつ愁は歯噛みする。

 あれも菌能か、それとも変異個体ならではの能力か。


 身体にダメージはないが、一瞬身動きがとれなくなるほどの剛風だった。台風の日に畑を見に行く恐怖感を味わえた。


 あのとき――ザコメットの最初の奇襲のとき、飛びかかってきた二匹が空中で急加速してぶつかってきた。あれも先ほどの羽ばたきの効果だろう。部下の背中を後押しという名のもろとも吹き飛ばし。どこのメトロでも獣のブラック会社っぷりは健在か。


 シンプルな能力だが、牽制とバランス崩し、そして目つぶしと投擲封じ。一粒で四手分もおいしい攻防一体の技。厄介極まりない。


 これで遠くから【火球】で焼き殺す目は消えた。はじき返されたらむしろこちらが丸焦げになる。【煙玉】での撹乱も通用しない、煙など一瞬でかき消されてしまう。

 接近すれば巨刀を振り回し、そこから間合いを詰めれば蹴り。離れれば羽ばたきで崩して再度接近。シンプルだが厭らしい、自分の得意を押しつける超ゴリ押しな立ち回りだ。


 愁としてはそういう正攻法な相手との相性は悪くないと自認しているが、これほど高レベルでそれをやられると、なかなか一筋縄ではいかないだろう。


(どうすっかな)


 今後とりうる選択肢について、すばやく思考をめぐらせる。


 【跳躍】でタミコたちを抱えて逃げるか? いや、これまでの立ち回りを見る限り、あの極太腿は飾りではない。アクロバットな動作に定評のあるヤギザルのボス、その機動力はかなりのものだ。上階まで追いかけられれば、ますます状況を悪化させることになる。


 今さら撤退はできない。背中は見せられない。

 となると、戦うしかない。三人の安全のためには確実にここで仕留めなければいけない。


(どうやって勝とうか)

(チャージ【白弾】メインで当てていくか?)


 愁の手持ちで最大火力を誇るチャージ【白弾】だが、射程というか命中性能の問題を解決できていない。遠くからだとまず当たらないし、遮蔽物ごしでも貫通して狙えるが余計当たらない。その原因は「殴って発動」というトリガーの雑さと愁自身の当て勘の拙さに、その両方だ。


 加えてチャージには未だに四・五秒ほどかかる。これまでの試行錯誤で(調子がよければ)一秒ほど短縮できるようになったが、それを何度も連発できるほど、この強敵から隙を見いだせるだろうか。


「……ブルル……」


 ボスメットが蒸気を吐き出しながら愁のほうに向き直る。

 ザコ二匹も愁を左右から挟むようにしてにじり寄ってくる。【火球】をくらったほうの二匹はちぎれた半身から焦げくさいにおいを立ちのぼらせている。半ばドサクサで倒せたのは幸いだったが、残ったほうは同僚と同じ轍は踏むまいと警戒しているようだ。愁にとっては地味に鬱陶しいが――。


 ボンッ! とザコメット二匹の足元で菌糸玉が爆ぜる。【火球】だ。


「アホウツキ! 〝ほーじゅつし〟のくせにヘタクソりす!」

「上官口調で急かすからでしょーこのおデブリスー!」


 屋根の上できゃいきゃいと姦しい女子二人。先ほどのあれはウツキの【火球】のようだ。

 ギロリと睨め上げ、「メェエッ!」「メェエエッ!」と威嚇するザコメット。「ほらー怒らしちゃったしー! あのヤギ目で睨んでるしーあーもー!」と涙目のウツキ。これが素なのか、口調がだいぶ崩れている。


 一瞬ボスのほうをちらっと窺ってから、ザコ二匹が石像を蹴るようにして跳び上がる。タミコたちのいる屋根の上へと。


「タミコ!」

「まかせるりっす!」


 ザコメットの背中が消え、頭を引っ込めた二人と屋根の上で戦闘が始まる。


 愁は一瞬迷う。加勢に向かうべきか。ザコメットはザコでも選抜された? レベル30。動きも知能も、これまで道中で仕留めてきたザコとは一味違う。ウツキは明らかに後衛職だし、果たして二人だけで対処できるだろうか。


 だが、今追いかければ漏れなく、


「ヴェェエエ……」


 こいつもついてくる。ヒツジ頭のキングボ○ビーのごとく。そのほうが二人にとっては危険かもしれない。


「……任せろ、か」


 あいつも立派なつよつよリスだ。

 飾りでもマスコットでも非常食でもない(最近ボリューム増大中)。狩人で、そして相棒だ。


「ヴェエエエエエエエッ!」


 おたけびとともに突風が愁を襲う。小石ほどのかたい水の礫が顔面を打ちつける。耳がちぎれそうなほど痛い。

 それでも愁は目を閉じたまま、顔を庇うこともない。

 風が途切れ、巨刀を振りかぶったボスメットが地を蹴り――その左角がはじけ飛ぶ。


「ヴェエッ!?」


 くぐもった悲鳴とともに、角を根元から削ぎ落とされた頭部に触れる。頭皮も頭蓋骨ごとえぐれ、黒ずんだ血がどくどくと溢れている。


「……なめんなって。同じ手を食うかっつの」


 愁は殴りつけた体勢から戻り、びしょ濡れの顔をてのひらで無造作に拭う。

 ――チャージ【白弾】。右の菌糸腕で生み出したそれを、ボスメットの突進に合わせてカウンターで放った。


 【感知胞子】からのフィードバックで、目をつぶっていてもタイミングとおおよその位置は把握できた。頭をぶち抜いて一撃で終わらせてやるつもりだったが、案の定外れたので先ほどのセリフは百パーセント負け惜しみだ。


 だがまあ、想定内ではある。

 左の菌糸腕でチャージしていた【戦刀】を、ボスメットのだんびらに負けない巨大な肉切り包丁を、愁自身の手に持ち替える。


 任せろ、とタミコは言った。


 普段はサディスティックな上官ロールを見せていても、根っこは臆病で、誰よりも仲間――家族を失うことを恐れている。

 強敵を前には戦わないこと、逃げることを提言するのも珍しくない。


 その彼女が今、力強い言葉とともに身体を張っている。「任せろ」と告げて、背中を守ろうと必死に前歯を振るっている。「強くなろう」と誓ったその言葉を、そのちっぽけな毛玉ボディーにこめて。


 愁は【戦刀】の柄を両手でぎゅっと握りしめる。


「いいよ、やろうぜ。真っ向勝負」


 その手から青白い光が伝い、無骨な刀身を覆っていく。胸に灯った仄かな熱をそこにこめるように。


 一瞬の静寂、そして。

 対峙する人間とヤギ頭の巨獣、同時に地面を蹴る。

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