98:ボスメット

 それは、阿部愁とタミコは当然、ウツキや討伐隊の面々も、あるいは十年前に訪れた都庁の調査団でさえ知らない、リクギメトロ地下五階に潜むものの話。


 都庁による調査において、目ぼしい資源や希少なメトロ獣などが発見されなかったことが公式に発表されて一年。近隣都市の狩人の足は遠のき、リクギ村も一時期の熱狂からずいぶん冷めてきた頃の話。


 入るものと言えばせいぜいリクギ村の住人、それも薬草などを求めて一・二階をうろつく程度。以降のフロアはほとんど獣たちの楽園と化していたところへやってきたのは、アサクサ市所属の初級狩人四人組だった。


 低レベル向けのメトロに乏しい地元を出て、手頃な狩り場をめぐる遠征の旅の途中。立ち寄ったコマゴメ市の支部で「去年できたばかりの低層メトロ」の噂を聞いた。

 地元の狩人にとっては大した成果も上がらないそこに、四人は興味を持った。


「〝水のメトロ〟か……まさに俺たちにぴったりの場所だな」


 アサクサ市はスミダ川から流れ込むスミダ湖の畔に浮かぶエキゾチックな水上都市だ。西のアキハバラ(メトロ教団が本部を構える大都市だ)、東のカメイドトライブ領、北のセンジュトライブ領や南のダイバやシナガワといった各都市との交易の中心地でもある。


 シン・トーキョー有数の観光地、〝水の都〟に生まれ育った四人にとって、〝水のメトロ〟という呼称は因縁めいたものを感じさせるのにじゅうぶんだった。


 詳しく情報を集めてみたところ、リクギメトロは彼らにとってますますお誂え向きの物件だった。

 生息するメトロ獣は、レッサーサハギンやバフォメットといった初心者向けの獣が中心。せいぜい深層のほうにカトブレパスが出る程度。まだ二級、平均レベル20強の三人にとってはちょうどいい修行場だ。


 コスパが悪いという評価も、幸い路銀には困っておらず、実入りのほうを心配する必要はない。むしろ他の狩人とかち合う可能性の低い穴場であり、じっくりレベルを上げるにはうってつけだ。


 その日のうちに彼らは食糧を買い込み、長丁場に耐えうる準備を整えた。「ダチョウくさい」と噂の村には立ち寄らず、そのままリクギメトロへと踏み込んだ。


 探索はそれなりに順調だった。レベルは高くなくとも、十歳の頃から一緒に見習いをしていた彼らの連携は決して中堅狩人にも引けをとらず、血肉を求めて襲いくる獣たちをものともしなかった。アップダウンのきつい地形だけは辟易したが、幻想的な風景が目につけば疲れも吹き飛んだ。年若い彼らはそれらにいちいち感動し、「来てよかった」と口々につぶやいた。


 じっくり数日かけて地下五階まで進み、そこでバフォメットの群れと遭遇した。


 機動力に優るやつらに背を向けることはできない、逃げるという選択肢はなかった。思いがけない数に苦戦を強いられながらも、四人は一丸となって立ち向かった。リーダーの〝騎士〟を中心とした堅実な陣形で粘り続け、少しずつ敵勢を削いでいった。


 三十匹以上の群れの半数を仕留めたところで、それ以上に厄介な乱入者が現れた。深層で出没すると聞いていた、カトブレパスだった。


 黒ずんだ体表を持つイノシシの怪物。カメイドのメトロで見かけたそれよりも一回りも二回りも大きな個体。獰猛な目つきで人間とヤギザルを交互に睨みつけ、両陣営を蹴散らすように割って入ってきた。


 三つ巴の混戦。バフォメットは怒り狂ってますます跳ねまわり、カトブレパスは自分から乱入してきたくせに向かってくるザコどもを鬱陶しそうに払い除け、狩人四人組は防御に徹して撤退の機会を窺っていた。


 ――最後のスイッチを押したのは、果たして三者のうちの誰だったのか。


 その階層に潜むものが姿を現し、その場の誰しもが息を呑んだ。

 狩人たちが見上げたそれは、長大な首をもたげた水竜のようだった。


 一時間後。

 猛威を振るったそれが姿を消すと、あたりは静まり返っていた。あちこちでぽたぽたと水滴の落ちる音だけがささやかに響いていた。


 そこには誰もいなかった。死体も血痕も残っていなかった。

 まっさらに洗われた石畳の廃都市が、ヒカリゴケの光を仄かに反射していた。

 

 

    ***

 

 

 ロリエルフことウツキの後ろについて十分も歩くと、朽ちて菌糸植物の苗床になったバフォメットの死骸がぽつぽつと目につくようになる。いわゆる「メトロに還った」やつらだ。変異個体とやらの食べ残しだろうか。


 五階に入って三度目の蹴撃を退けたところで、いったん建物の陰に並んで座って小休止。残りのおにぎりを補充する。


 ウツキは相当腹ペコだったらしく、おいしいおいしいと涙を流して頬張る。どこかの親をブタにされた女の子のようだ。最後の一個も彼女の赤らんだ頬袋に収まり、元祖頬袋も負けじと白米をぱんぱんに詰め込んで張り合う。ちなみにタミコはおにぎりの具は器用に除けて食べる。クラノら肉体労働者向けのおにぎりなので、具のメトロゴキブリの佃煮や梅干しはタミコには塩気が強すぎるらしい。


「それにしても――」とウツキ。「ここに来てもらえたのがアベさんたちでよかったです。疑ってたわけじゃないですけど、動きを見るにほんとに達人級みたいだし。そんなに若いのに、どうやったらそんなに強くなれたんですか?」

「いやまあ……なりゆきっつーか、生きるのに必死だったっつーか」

「あたいのしどうのたまものりすね」

「そこはほんとにそうなんだよね」

「今度詳しく聞かせてくださいよ。お酒でも飲みながら」


 彼女がぴとっと肌を寄せてくる。ロリっ娘によるあざとい上目遣い。

 なんか無駄にドキドキするのでご遠慮願いたい。これ以上新しい扉を開きたくない。リスっ娘の頬袋をつんつんむにむにして気を落ち着かせる。ああ落ち着く。


「ああでも、あれっすよ。俺らの仕事はあくまで調査なんで。そのバフォメットの変異個体? とやるかどうかは、実物見てから決めるんで」

「はい、もちろんです。できれば私もみんなの仇はとりたいけど、どのみち私じゃワンパンで返り討ちだし……でも、あれは放置しとくとやばいです。できるだけ早く仕留めておかないと、いずれ〝名持ち〟級に成長しちゃうかも……」

「〝名持ち〟って……サタンスライムとかでしたっけ」


 愁たちが倒したオオツカメトロ四十九階のボス、サタンスライム。

 その呼称は種そのものを表すものではなく、あの個体固有のものだという。


 そういった固有の名称を持つメトロ獣は〝名持ち〟や〝ネームド〟などと呼ばれる。

 MMOゲームなどでいう「固有名称を持つ強いモンスター」だ。狩人にとっては魔人に次ぐ危機的事案であり(五大獣王は敵性ではないものもいるので除外)、その危険度や討伐の必要性に応じて首に懸賞金がかけられたりすることもある。


 愁が免許取得時の講義で聞いた例で言えば、〝龍の茸巣じょうそう〟中層に巣食うワイバーンの変異個体〝腐敗旋風〟、イチガヤメトロの大ボス〝死霊剣聖〟。イケブクロトライブ領内にも「代々名前をつけられる固有種」なんてものもいるらしい。


 ちなみに、ただの成長個体や変異個体にはいちいち名前はつけられない。また、青ゴブリンと赤ゴブリン、レッサーサハギンとランドサハギンといった呼び名の違いは、同一カテゴリーの別種ということになる。トイプードルとドーベルマンの違いのようなものだ。基本はそこで交配は起こらないが、交雑種が一般化したり強力な変異個体が生まれることもまれにあるという。


「〝名持ち〟のまま放置されるメトロ獣ってあんまりいないんですよね」

「そうですね。基本的には達人級の人とかが出張ってやっつけちゃいますし。でも、名前がつけられた時点でよっぽど被害とか出てるってことなので……そうなってからじゃ遅いですしね」

「確かに」


 地下五階や六階をねじろにしているとなると、ヘタをしたら地上まで出張ってくる可能性もある。サタンスライム級の獣がのしのしと人里に現れたりしたら、阿鼻叫喚、どれだけの被害が出るか想像もつかない。


「〝名持ち〟になれば、討伐した狩人は報奨金とか二つ名をもらえたりとかしますけどね」


 たとえばトーキョー湾近海に出没したリヴァイアサン(巨大な肉食カバ)の変異個体を倒した狩人は、〝海魔殺し〟と呼ばれて有名だという。そのへんは実利というより名誉とかロマンの類だろう。


 ちなみに、サタンスライムを討伐した愁はそのどちらももらえていない。実際に討伐したかどうかの確認にはまだまだ時間がかかるだろうし、そもそも確認してもらえないかもしれない。まあ、〝スライムスレイヤー〟とか呼ばれても微妙だし。

 それ以上に残念なのは、不人気メトロの深層のボスということで討伐重要度が低く、懸賞金すらかかっていなかったということだ。残念。


「もしもアベさんがここの変異個体を倒せたら、私から推薦しますよ。あれは〝名持ち〟にふさわしい敵だったって」

「いやー、別に二つ名とかいらないっすけどね」

「〝バフォメットスレイヤー〟……いやシンプルすぎますね。〝贄貪るアブソリュート黒山羊をナイトメア葬りし者ジェノサイダー〟とかどうですか?」

「厨ニかよ」


 実際にはネームドを討伐せずとも、達人級になったり何段に到達したり周囲に認められたりすれば勝手に二つ名はついてくる。ギランの〝エロオオカミ〟、違った〝王殺しの銀狼〟もそうだし、スガモNo.1のシモヤナギの〝撃ち柳〟もそうだ。

 愁もそのうち誰かに勝手に命名されるだろうし、それが公然と広まれば事実上それが二つ名となるのだろう。〝童貞〟とか入っていたら怒りの矛先はどこに向ければいいだろうか。


 ともあれ、ウツキとしてはどうしても愁に変異個体を討伐してもらいたいようだ。仲間の仇をとりたい気持ちはわかるが、愁としては自分とタミコの安全が第一だ。自分の仕事を果たすことが優先だ。無理をするつもりはない。


「ふん。なもちだかおもちだかしらんりすけど、まえばのサビにしてやるりすわ!」

「頼りにしてるよ、〝深淵の果実ドングリ喰らいし頬袋イーター〟」


 

 

    ***

 

 

 オウジメトロ三十一階ほどではないが、やはりここも結構広い。

 建物がひしめいているし、ところどころ通路が水没しているのでまっすぐに進めないのもあるが、フロアの中心付近までたどり着くのに一時間ほどかかる。


 あれから【感知胞子】の間合いには不審な気配は現れなかったが、それでもタミコはなにか異変のようなものを感じとっているらしく、しきりに首をかしげている。


「……アベシュー、いるりす!」


 ウツキを制止し、手近な建物の屋根に登ってあたりを窺う。


 ――いた。


 そこは円形の広場になっている。色違いの石畳が緻密に配置され、幾何学模様のようなものを描いている。それを囲むように、円周上に大きな人型の石像が六体立っている。中心に背中を向け、まるで外敵の侵入を見張るかのように。

 そこに、バフォメットがいる。合計五匹。


「……なんでここに……」


 ウツキがつぶやく。


「……階段上ってきた、ってことっすかね」


 彼女が唇を噛んでいる。愁もあえて言わないが――。


「ウツキソウをおいかけてきたりすかね」

「言わんでいいから」


 四匹はこれまでのやつらとそれほど変わりはない。多少上背があり、体格ががっしりしていて、毛色が若干濃いくらいか。


 だが――その中心にいる個体は明らかに違う。もはや別の生き物と言っていいくらいに。

 体長は周りのやつらよりも頭二つか三つ分大きい。三メートルくらいはありそうだ、オーガよりも大きい。

 これまでのヒョロガリの栄養不足っぽい印象は皆無。指先まで、鋭利な角の先端まで、体毛の一本までエネルギーに満ちている。細マッチョの上半身以上に、プロ野球のスカウトなら絶対放っておかない極太の下半身。

 また、背中にはコウモリを思わせる羽がある。これぞまさにバフォメットという姿だ。


 ひと目でわかる、わからないはずがない。

 あれこそが、コロニーを食い尽くし、討伐隊を壊滅させた変異個体だ。


「タミコ」

「まわりのやつらは30ちょいくらいりす。でも……」


 一呼吸置き、くぴっと小さな喉が鳴る。


「あいつは……まんなかのやつは、63くらいりす」

「そうか」


 ウツキの達人級という評価に相違はないようだ。

 だが――愁はその肌で感じている。

 数字上は愁よりもレベルは低い。それでも――感じる。

 あのサタンスライムに迫る威圧感を。

 オウジのボスゴーレムたちにも引けをとらない存在感を。

 レベルでは計れないなにかを、あいつは持っている。


(ちょっと……想像以上だな)


 単なるレベル60程度なら、ささっと全力を出して狩っていこうと考えていた。だが、こうして実物を見て……そんな簡単にはいかないことを理解している。


(なにげに取り巻きも結構めんどいな)

(ボスは見るからに近接系な気がするけど)

(取り巻きが遠距離系の菌能とか持ってたらかなり厄介だ)


 このまま仕掛けるべきか、それとも相手が気づいていないうちに退散するべきか。

 ちらっとウツキのほうに目を向けると、彼女は顔面蒼白で震えている。全滅のトラウマが甦っているのだろうか。


(このままだと戦えないな)

(せめて彼女だけでも逃がすk――)


「――ぴぎっ!」


 突然、タミコが耳を押さえてうずくまる。


「タミコ、どうした?」

「……おとがしたりす」

「音?」

「ピーッってかんだかいおと……みみがいたかったりす……」


 愁にはなにも聞こえなかった。ウツキの困惑した顔を見るに、彼女も同じだろう。

 気のせいか、それともタミコにしか聞こえないような音がした、ということか。


「――やべ」


 背筋がゾクッとして、愁は慌てて振り返る。

 バフォメットたちがこちらを見ている。横向きの瞳孔を持つ目がきろりと見上げている。

 ――気づかれた。


「ウツキさん、逃げ――」


 瞬く間に駆けた取り巻きたちが跳躍する。愁たちの眼前に迫っている。

 同時に飛び出した愁が、空中で両手に【戦鎚】を生み出す。


「ふっ!」


 短く吐いた息とともにハンマーがうなりをあげ、組みかかってきた二匹をはじき飛ばす。

 残り二匹が眼前に迫り、蹴りでふっとばそうとしたとき――二匹の影が

 いや、違う。加速して一気に距離を詰めてきたのだ。

 とっさに【戦鎚】を交差させてガードするも、空中なのでふんばれず、もろとも石畳へと叩き落される。


(……なんだ今の?)


 愁はすぐに態勢を整えながら考える。

 後続の二匹が急に加速した。空中で、羽もなしに。

 しかもその二匹も満足に着地できずに落下した。メエメエと非難がましくうめきながら身を起こす二匹は、なぜか全身ずぶ濡れになっている。


(――あいつか)


 振り返った先には、ボスバフォメットがドヤ顔でふんぞり返っている。ぼたぼたとよだれを滴らせ、熱い息を蒸気にして吐き出している。


「アベシュー!」


 背後の屋根からタミコがさけぶ。


「タミコ! ウツキさんを守れ!」


 振り返らずにさけび返し、愁は大きく息をつく。

 およそ十メートルほど先にはボスバフォメット――略してボスメット。

 愁がぶっとばしたやつらも致命傷ではないらしく、起き上がって愁をとり囲んでいる。ザコメット四匹。


「……やるしかないね」


 もはや逃げられない。逃げるわけにはいかない。

 【戦鎚】を握る手に力をこめる。白い柄を青白い光が覆っていく。

 背中に意識を集中する。肩甲骨のあたりからしゅるしゅると腕が伸びていく。


「……やる気満々だよな」


 バフォメットたちがじりりと近づいてくる。【退獣】を使わずとも愁の実力と圧力は伝わっているはずなのに、退く意思は感じられない。

 自分たちなら勝てるという自信からか。それとも飢えを満たすための欲求か。あるいは闘争を求める本能か。


 同僚たち三十人を壊滅させた、憎き仇。

 ――という風には、なぜだか見られない。

 彼らを知らないせいか。その光景を目の当たりにしていないせいか。


 どちらにせよ、やつらにはやつらの正義がある。生きる意思がある。脅かすものを退ける覚悟と力がある。

 目の前にいるのは邪悪ではない。危険に満ちた獣、排除すべき脅威。ただそれだけだ。


 だから愁は、いつものように宣言する。


「――恨みっこなしな」


 狩人になる前と後と、いつでもそれは変わらない。生存と利益をかけて戦う、それだけだ。

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