97:変異個体

 ウツキ・ソウと名乗る、見た目十一・二歳くらいのロリ娘。

 バフォメットのコロニー討伐部隊の一員というから、ちょっと信じられないが、こんな幼いナリでもレベル30以上のプロの狩人のはずだ。


「う、く……」


 愁の腕の中で、彼女の唇がか細いうめき声を漏らす。全身ボロボロだ。小さな身体は至るところ泥だらけ、擦り傷や切り傷まみれ。緑のジャージは血のしみでほとんど黒くなっている。痛みを堪えるように


「だいじょぶ? 【聖癒】いる?」


 愁が指先に白い菌糸玉を生み出すと、少女は指先をくわえ、ちゅぴちゅぴと吸う。

 腕に抱えたロリ娘に指先を吸わせている。これやばいわ。背徳感がストップ高。動画だったら個人特定祭り必至。


「ありがとう……ございます……えっと……」

「あ、スガモのアベ・シューです」

「タミコりす」

「はい、ありがとうございます。アベさん、タミコさん」


 一つで回復できたのか、彼女がそっと身体を離す。愁としてもちょっぴりドギマギしていたのでほっとする。


「あ、あの、失礼ですけど……念のため、カードを見せてもらってもいいですか?」


 カード、と言われて頭に「?」が浮かぶ。狩人の認識票か、とすぐに思い当たる。


「あ、はい。ちょっと待って」


 リュックのポケットに入れていた認識票を見せる。「あたいのも! あたいのもみせてりすー!」と耳をぐいぐい引っ張られるのでタミコの分も。


「……はい、ありがとうございます。あ、私のほうも一応……」


 ぱたぱたと自分の身体を触り、ポケットにないことに思い至る。これまでの様子だと荷物もどこかにロストしてしまっているのだろう。なので――。


「……すいません、お見苦しいですけど……」


 病的に白かった頬をほんのり赤く染め、おずおずと上着の裾をまくり上げる。

 うっすらと傷の残る白い肌が露わになり、「ぬおっ!」と愁の喉の手前あと一センチまで声が出かかる。ぽつんと小さなへその両脇に二種類の刺青――コマゴメの市章と狩人ギルドの組合章が刻まれている。愁の目はそこに釘づけになっている。


「コマゴメ支部のウツキ・ソウです。〝耳長人(エルフ)〟の亜人で……あの、恥ずかしいんですが、こう見えて三十歳で……」

「マジ!?」

「年をとってもあんまり見た目が変わらなくて……ほんとに狩人かってよく疑われちゃうんですけど……」

「三十……年上……」


 実年齢では愁のほうが一世紀分上だが、実質年齢で言えば年上だ。


「すいません、こんな見た目で……ほんとはいい年したおばさんで……」

「いやいや……」


(そうか……三十歳か……)

(JSでレベル30かよって思ったけど、それなら納得か)


「ひそひそ(タミコ、レベルは?)」

「ひそひそ(35くらいりすね)」


 見た目はロリ娘でもれっきとした中堅狩人なわけだ。討伐隊の条件はレベル30以上、彼女もちゃんとそれに当てはまっているということか。


 愁の不躾な視線になにか感じたのか、ウツキはいっそう顔を赤くしてもじもじする。愁も慌てて目を逸らす。

 逸らしたまま、頭の中でごちゃごちゃと考える。


(にしても、エルフかー)

(いるんだー、マジでいるんかー)

(〝豚人(オーク)〟もいるんだから当然かーエルフとセットだもんなー)


 ――合法ロリ。

 そんな単語が頭によぎり、ぶるぶると振り払う。


「あの……私、スガモにはたまに行くんですけど、お二人のことお見かけしたことがなくて……」

「まあ、五月に所属したばっかなんで」

「ああ、なるほど……」


 スガモで話題のカーバンクル連れのオールドルーキー。知られていたらなにか反応されるかと思ったが、愁の武勇も他支部にまでは轟いていないようだ。討伐隊の出発のタイミング的にも、オウジの騒動は彼らの耳には届いていなかったのかもしれない。ちょっとほっとする。


「でも、今回の調査をお受けしたということは、レベルもそれなりに……?」

「まあ、そっすね。そのへんは問題ないと思いますけど」


 もみじのように可愛らしい手が、愁の手をぎゅっと握る。

 うおお、柔らけえ。ちっこくてやらけえ。


「お願いします……あのバケモノどもを、一緒に……」


 必死にすがりつくその目を受けて、愁はタミコと顔を見合わせる。


「あの、まずは教えてもらえますか? 討伐隊がどうなったのか、ここでなにがあったのか――」

 

 

    ***

 

 

 ウツキの話によると、スガモとコマゴメの狩人三十人で構成された討伐隊がこのフロアに到達したのは九日前のことだった。


 事前調査ではここにコロニーの大半とボスがいるとされていたが、いざ腹をくくって踏み込んでみれば、(現在ほどではないが)ほとんどスカスカ状態だった。調査段階ではなにかの祭りかイベントかというほどひしめいていたヤギザルどもの大多数が忽然と姿を消していたのだ。


 討伐隊はこの広い五階全体をくまなくさがしつつ、襲ってくる不健康そうなやつらを駆除していった。結局、このフロアにはボスの姿は見当たらなかった。


 一同は相談の上、六階まで足を運んでみることにした。

 その決断が全滅という結果をもたらすとも知らずに。


「そこで待っていたのは……バフォメットの変異個体でした」

「変異個体?」

「大量繁殖に伴い、通常個体とも成長個体とも異なる、ユニークな個体が発生したんです。コロニー発生の際にはまれに起こるケースなんですが……」


 他の獣を食い荒らし、産み続ける。

 草木が朽ちるまで食い尽くし、産み続ける。

 そんな傍若無人な繁殖サイクルでコロニーは形成されていく。


 その中で、何百何千と生まれる命の中で。イレギュラーが発生する確率が一定であるなら、コロニーにおけるその膨大な試行錯誤の中でそれが実現してもおかしいことはない。むしろ自然な流れだろう。


「これは私たちの推測ですが……あの変異個体は、種族として通常のバフォメットとも異なる、変異の中でもさらに異質な存在だと思われます。その証拠に……あいつは通常ではありえない、共食いをしていたんです」

「うへー……」


 以前、ノアから聞いたことがある。シン・トーキョーの生物は、同種の生物の胞子嚢ではレベルアップは起こらない。だから、メトロ獣の間でも共食いはごくまれにしか起こらない。


「コロニーの爆発的な拡大など、慢性的なエサ不足に陥った場合では、まれに『食糧』として力の弱い同種が犠牲になるようなケースは見られます。ただ……やっぱり推測になりますが、あいつは共食いで力をつけていったんだと思います。逆に言うと、隔絶した種として生まれたからこそ、共食いでより強大に成長することができた……そうじゃないと、あの強さは説明がつかない……」


 あくまでも討伐隊の仮説ではあるが、そんな突拍子もない仮説でもないと納得がいかないほどの強さということか。


「えっと……ウツキさんの見立てだと、レベルどんくらいっすか?」

「……それこそ達人級でもないと、あれには歯が立たないと思います」

「マジすか」


 バフォメットの成長個体はせいぜい30やそこらと言われていたのに。その倍のレベルか。確かに化け物だ。


「加えて……あいつは十数匹の手練を配下にしていました。優秀なやつらだけを精鋭部隊みたいに自分の手足にしてるんだと思います。私たち討伐隊は……そいつらと正面からぶつかって……」

「ウツキさん以外、全滅……?」

「……取り巻きは半分くらい倒したんですけど、あの変異個体には届きませんでした……私は〝放術士〟で、後ろからみんなを援護してたんですけど……全滅寸前で仲間が逃がしてくれて……傷が深くて、ポーションとか荷物は全部置いてきちゃったんで……なるべく戦わずに時間をかけてここまで逃げてきたんです」

「なるほど」


 ひとまず、討伐隊の安否とコロニーの異変については現状を把握することができた。

 バフォメットのコロニーは、自分たちが生み出した突然変異種によってさながら癌細胞に蝕まれるように自滅。有象無象の大家族から、その変異個体を頂点としたエリート集団へと変貌し、活動継続中。それを討とうとした討伐隊は……無念なことに、ウツキを残して全滅。


(結構飛ばしてきたけど、間に合わなかったか)


 それはしかたがない。悔しいが、タイミング的にも、自分たちにできることはなにもなかったのだから。

 ともあれ、未だに村に現れるやつらや上階にいたやつらは、いわば前政権時代の生き残り。つまり烏合の衆の残滓のようなもので、放っておいても早晩いなくなると思われる。

 となると、問題は――その変異個体が、果たしてリクギ村や狩人にとって脅威となるのかどうかだ。


(んで、俺らはどうしたらいいんかな?)


 タミコにちらっと目を向ける。彼女も話は真面目に聞いていたようで、ちょっとだけ怪訝そうな顔になっている。耳がぴんとしているのは、こうしている間にも一応索敵をしてくれているということか。


「……話は理解できました。ウツキさん、一人で戻れます? できればリクギ村まで先に戻っててほしいんですけど」

「……まさか、一人で討伐に……? 失礼ですけど、アベさんのレベルは……?」

「あー……70です。一応」

「あたいは42りす」


 ウツキが目を見開く。


「ほんとですか!? そのお若さで……?」

「よく言われるんすけど……いろいろありまして」


 ウツキが堪えきれずにという風に目に涙を浮かべる。もう一度手を握ってくる。さっきよりも強く、ぎゅっと。

 なんだろう。ショロトル族の肉球とは別のベクトルの柔らかさ。はわわ不可避。


「ああ……〝糸繰りの神〟は、私を見捨てなかった……ありがとうございます……」


 メトロ教の信者だろうか。


「お願いします……私も一緒に……みんなの仇を……!」

「あー、いやいや……俺らの仕事はあくまで調査なんで。申し訳ないですけど……」


 なんとなく顔をそむけつつ、手を離しておく。


 レベル30以上の狩人三十人がかりでも討伐できなかった化け物だ、自分たちだけでどうにかできるかどうかは怪しい。しかも取り巻きはまだ半分残っている、「おっしゃ! 俺が一肌脱いだろ!」などと思い上がれるほど調子こきシューではない。


「別にウツキさんを疑うわけじゃないっすけど、いったん六階まで下りて、まずはそいつを確認してみたいなって。討伐隊の人たちの認識票とか拾えたら拾いたいし」


 自分たちでなんとかなりそうなら討伐してしまうのもアリだろうが、もちろん危なそうなら全力撤退でターンエンドだ。彼女の無念は理解できる、が……期待されて調子こきモードからの大ピンチ、というのは御免こうむりたい。自分たちの危険だけでなく、仕事を果たせなければ多くの人に迷惑をかけることにもなる。


 ウツキは少しの間目を伏せて、それから顔を上げる。


「……それでもいいです。私も、連れて行ってください。六階まで私が先導しますから」


 目に涙が浮かんでいる。肩が小刻みに震えている。


「いや、無理しないほうが……」


 怪我は治ったかもしれないが、ここまで生き延びるために気力も体力も相当消耗しただろう。なんだったらここで調査を切り上げて地上まで付き添ったほうがよさそうなくらいだ。

 というか、見る限りだいぶメンタルもやられている気がする。武者震いではなく、明らかに怯えが混じっている。


「……足手まといにはなりません。私だってプロの狩人です。あのときは最後まで戦うことができなかったけど……みんなのためにも……一矢報いたい……」


 噛み締めた唇に血がにじむ。未だに震える瞳に灯るのは、決意と覚悟の光だろうか。

 タミコを窺うと、彼女は小さくうなずく。

 愁も小さく息をつき、うなずき返す。


「……一応、俺の指示に従ってもらっていいですか?」


 彼女はぱっと表情を輝かせ、「はい!」とうなずく。

 その笑顔にちょっぴりどきっとしたのは内緒だ。

 

 

    ***

 

 

 ウツキの先導で、水上都市をこそこそと進む。めざすは六階行きの階段だ。

 彼女の華奢すぎる背中や、凹凸のない腰回りやぺったんこの尻が目に入る。不可抗力ながらなんとなく目を逸らせない。


 いやいや、と愁は内心首を振る。

 阿部愁の性的嗜好の中に、ロリ属性はない。


 確かに乳は大きいほうが好きだ。だがあくまでも、本質的には、貧乳だろうと壁乳だろうと「その人の存在そのものにマッチしているか否か」が重要なのだ。本当は大きいほうが好きだが、それが「その人の」すべてではないし、「好き」のすべてでもない。でも大きいほうが好きだ。


 というわけで、ツルペタならツルペタの魅力を見出すことは決して難しくない。乳は乳であるからこそ、その尊さと眩しさに貴賤はない。


(……とはいえ)


 さすがに、幼女趣味というのは。

 これまでの人生で一度も通ってきていない道だし、あえて通ろうとも思わなかった道だ。


 いやまあ、目の前の女性は幼女ではない。年齢こそ確かにストライクゾーンかもしれない。

 しかしボークすぎる。プレートを踏んでいないどころかマウンドの五メートル手前からぶん投げられているような反則感。わずかに残された平成人としての理性がスイングを拒もうとも無理からぬ話というやつだ。


 いやまあ、そんなこと考えている時点でセクハラか。「なに上から目線で品評しとんじゃ!」とか「彼女にとっては逆差別なんじゃ!」とか言われたらぐうの音も出ない。


 だからやめておこう。今はそんなことを妄想して楽しんでいる暇はない。なにかを察した相棒の視線が痛いのでやめておこう。


 というか、なるべく彼女を目に入れないようにしよう。

 なぜだかわからないが、彼女を見ていると調子が狂う。脳みそが思わぬ方向に回転を始めてしまう。変なことを考えてしまう。新たな扉が開けそうになってしまう。これはいけない。


(……あれ)


 思考を無理やり別の方向に持っていこうとして、ふと思う。

 今さらながら。そう、今さらながら。

 自分、今年で推定百三十二歳っす。

 ……これ、誰と付き合ってもロリコンってことにならね?

 還暦迎えたおばあちゃんでも年の差七十歳じゃね?

 はっはっは、おばあちゃんが曾孫のようだ。


(……やめよう。考えるのをやめよう)


 あとでじっくり時間をかけて、公式見解として百七年の月日をノーカンできる理屈を生み出そう。なんだったらオブチあたりの知恵を拝借してもいい。あれこれ考えるのはそれからでも遅くはない。


「……ん?」


 愁は足を止める。

 息を殺し、自身の感覚に神経を集中させる。


「……アベシュー?」

「タミコ、なにか聞こえなかったか?」


 耳に手を当て、アンテナを向けるようにゆっくり首を横に回す。


「……ケモノっぽいけはいはするりす。でも、みずのおとがピチャピチャしててわかりづらいりすね」

「そっか」


 愁の【感知胞子】も、うっすら立ち込める霧のせいで範囲が狭まっている。いつもの半分ほど、三十メートルもいかないだろう。

 その範囲内に、なにかが足を踏み入れたような感覚があった。ウサギだのネズミだののような小動物ではなく、バフォメットのようなある程度大きい獣だ。ノイズ混じりなのではっきりとはわからなかったが。

 今はその気配は感じられない。バフォメットの残党が近くで息を潜めているのだろうか。


「……アベさん? タミコさん?」


 先を歩いていたウツキが戻ってくる。


「……近くになんかいるかもって思ったんですけど」

「え?」


 不安げにあたりを見回すウツキ。


「いや、今はいないっぽいっす。でも、一応用心しときましょう」

「は、はい」


 そうして三人は再び歩きだす。

 

 

    ***

 

 

「……あはは。尾行がバレそうになったの、もしかしたら初めてかも」

「マジすか」

「なんらかの感知系能力か、それとも獣並みに勘がいいのか。どっちにせよ、あの兄ちゃん、うっすい顔して半端じゃなさげ」

「どうしますか?」

「距離を開けて行くかね。仕掛けるのは、あいつらがヤギザルどもとぶつかってからだな――」

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