96:生存者

「ニンニン! ニンニン!」


 保護色の能力で体表の色を周囲に溶け込ませたクノイチリスがてとてとと戻ってくる。まさか偵察中ずっとニンニンりすりすつぶやいていたのではと一瞬疑うが、ヤギザルどもを引き連れていないのでバレてはいないようだ。


「お疲れタミコ」

「ニンニン!」

「どうだった?」

「うーん……このちかくは、ポツポツとしかみかけなかったりす。なんかしずかりす」

「やっぱそっか。うーん……」


 おかしい。

 三階から四階へ、そしてようやくたどり着いた五階。

 深く深くと潜っていくにつれ、その違和感はますます強くなってきている。


 今回のバフォメットコロニー、討伐に先駆けた事前調査では、その中心には二体のボス――巨大な成長個体がいるとされていた。戦ったわけではないので推定レベルは不明だが、通常個体よりも明らかに大きく、威厳があり、偉そうにふんぞり返っていたという。番なのかどうかもわからないが、とりあえず姿を確認された成長個体は少なくとも二体以上。


 バフォメットはメトロ獣だ、魔獣のような知性を持たず、群れても文明的な集団になったりはしない。それでも獣の群れとしての統率性は強く、ボスを守ることと群れを拡大させることで意思は統一される。


 とはいえ、それも絶対的なものではない。数が多くなれば必然的にエサは足らなくなり、あぶれる者が出てくる。地上付近に出没するのはそういったやつらだというのが当初の見立てだった。


 しかし、三階に下りたあたりから、愁の頭になにか違和感がつきまとうようになった。


 コロニーに近づくにつれ、バフォメットの数は増し、統率性は強まり、より厳しく行く手を阻む――という当初の想定は見事に裏切られた。むしろ上階よりも数が減っているのではと思うくらいだった。


 そしてそれは、四階に下りたところでより顕著になった。数の暴力を笠に着てイキるヤギザルの姿はそこにはなかった。むしろ他の獣を見かけることが多くなった。


 バフォメットは数匹単位の群れで行動することが多いが、群れと群れの間で連携するようなそぶりも見せなかった。言ってみれば核家族化が進行したような感じだった。一番懸念していた「一度姿を見られたらメエメエ鳴かれてどんどん仲間が増えていく」というような事態は一度も起こらなかった。


 愁とタミコのレベルもあるが、ここまで苦戦するようなシチュエーションには一度も見舞われなかった。仮にコロニー内での連携がきちんとなされていたとしたら、今頃はこの階層の個体にも剣呑な侵入者の情報は下りてきて、こんな風に呑気にはしていられなかっただろうに。


「やっぱりなにか、イレギュラーが起こってるってことかな。討伐隊の人たちにも影響するようななにか……」

「ニン?」

「……とりあえず、この階を見て回ろう。なにが起こるかわからない、気を引き締めていこう」

「にっす!」

「混ざってるぞ」

  

 

    ***

  

  

 リクギメトロ地下五階。

 ここはオウジメトロ三十一階と似ている。あそこほど広くはないだろうが、フロアを一つの部屋が占める巨大な疑似屋外フロアだ。そのタイプだけでなく、見た目もなんとなくあそこの都市部分と似通っているところがある。


 オウジ三十一階は「広大な森とアステカっぽい古代遺跡群」だったが、リクギ五階は「水没した神殿都市」といったところだろうか。わかりやすくたとえるなら、王族の令嬢を連れて散策しながら「俺のポケットには大きすぎらあ!」とつぶやきたくなるような感じだ。もっとも今そばにいるのはク○リスではなくデブリスだ。「あたいのほおぶくろにはおおきすぎりすらあ!」。よくわからなくなってきた。


 意匠としては古代ヨーロッパ風だ。石造りの歩道、煉瓦を積み上げた建物、無意味にそびえ立つ石柱。

 歩道に沿って水路が張りめぐらされている。もちろん水のメトロらしく枯れてはいない、緩やかな水の流れが今も生きている。しかも水底に目を凝らすと、そこにも別の通路が見られたりする。


 建築物は半壊し、石と石の隙間から草木が茂っている。柱や壁には苔が生し、人型の石像らしきものは頭がもげて見る影もない。あたりに立ち込めるうっすらとした霧、鼻をつく濃密な水と緑のにおい。緩やかに流れるのはやや淀んだ水だけ。

 水と菌糸植物に呑まれ、時の狭間に置き去りにされた古代都市。コンセプトとしてはそんな感じか。


(いっつも思うけど)

(なんだってメトロはこんなもんつくるんだろうな)


 洞窟然としたダンジョンの中に突如現れる、異質な人工的空間。

 誰がどんな意図をもってこんなものをつくるのか。そこに意思や動機といったものは存在するのか。

 本当にメトロの神やら糸繰りの神やらが存在するなら、言い分を聞いてみたいものだ。


「……ほんとに少ないな」

「……りすな」


 霧のせいで【感知胞子】の距離は半減しているが、それでも鳥や虫などの生き物の気配や、獣の息遣いを肌で感じることができる。


 だが、バフォメット。やつらは一匹二匹ぽつぽつとそのへんをうろついているだけで、一大勢力を形成しているようには見えない。イメージとしては「イキりまくり関東最強の暴走族集団」だったが、ここにいるのはむしろ「そいつらにシメられてしょぼくれた底辺弱小チーム」のような覇気のなさだ。


(どうするかな)


 試しに数匹狩ってみるか。そうしたときの反応を見てみたい。


 血のにおいや同族の声で「カチコミじゃあ!」とわらわら集まってくるだろうか。そうなると厄介だが、コロニーの現状を知るにはどうしても通らなければならない道のような気もする。いや、先にボスの姿を確認してからでも遅くはないかもしれない。


「……いや、やろう」


 このフロアに起こっていることを知る。あくまでもそれが仕事だ。

 今なら四階への階段もそう遠くない、万が一があっても上へ逃げるくらいはできる。リスクがあるなら早めに済ませておくほうがいい。

 物陰に隠れ、孤立している一匹のヤギザルにロックオン。


「あいつをやろう。瞬殺じゃあ意味がないから、あえて仲間を呼ばせてみよう」

「じゃあ、あたいがやるりす」

「できるか?」

「みくびるなりす。あんなザコ、あたいのカロリーをしょうもうさせたらたいしたもんりす」

「よし行けデブリス」


 ほっぺたに「りすこいっ!」と突っ張りを受ける。わりと重い。

 タミコが肩から飛び降り、てとてととバフォメットのほうに近づいていく。対峙する両者。


「メエッ、メエエッ!」

「きっ、きやがれりす!」


 成人男性並みの体格を持つ二足獣と、その足元で「シャー!」と尻尾を逆立たせるリス。ぱっと見だけなら弱いものいじめ感満載の絵面だが、そこはスガモが誇るつよつよリス。この程度のザコ相手では前歯の錆にもならない。


 よだれを垂らし、おたけびとともに襲いかかるバフォメット。その攻撃をひらひらとかわし、目的のとおり時間を稼ぐタミコ。最近の肥えかたからして、それなりに食いでがありそうなワガママボディーになりつつあるが、持ち前のすばしっこさは失われていない。動けるデブリス。


「邪ッ!」


 茶色い閃光がまっすぐに放たれ、バフォメットの首筋をかすめる。

 バフォメットが一瞬動きを止める。その首から大量の血が噴き出て、ヤギ頭が地面に伏す。勝負ありだ。


「お疲れ」


 愁が駆け寄ると、タミコは顔についた血を手で拭い、べろりと舐めとる。


「……ヤったりすよ……」

「だから声にドス利かせんな」


 ゴアリスはともかく、即座に死体を捌き、胞子嚢を摘出。かじりながら増援を待つ。

 ――きた。


「……メェエ……」

「……メェエエ……」


 わりと派手に声をあげさせ、血のにおいも撒き散らした甲斐があった。物陰からヤギ頭を覗かせるバフォメットたち。その数――三匹。


「少なくね?」


 【戦刀】を出しながら愁は首をひねる。もっとわらわらと集まってくるかと思っていたのに。

 やはりエサが少ないのか、どいつも飢えた目をしている。【退獣】は使っていないが、使えば追い払えるだろうか。それでも食欲に勝てず襲いかかってくるだろうか。


 先手必勝。近くにいた二匹を斬り伏せ、残り一匹は【白弾】で眉間を撃ち抜く。十秒もかからない。

 死体をまとめ、さらに待つ。それ以上の増援が来る気配はない。


「……どうなってんだ?」


 すでにコロニーは壊滅していたりするのだろうか。

 だが、このあたりには戦闘の痕はない。死体もない。

 そして、なにより、なぜ討伐隊は戻ってこないのか。

 動けないほどの傷を負ってしまっているとか。だとしても、全員? 助けを呼びに戻る人が一人もいないのは?

 となると、相討ちで全滅とか? あるいは、それ以外のなんらかの理由でコロニーが消滅したとか?


 ――と。


 愁とタミコが同時に振り返る。愁は【感知胞子】で、タミコは耳で、その気配を感じとる。


「……いた」


 人だ。ヤギザルではない、人間の輪郭だ。

 ぴょんっと向かいの塀を乗り越えると、草むらに立っている者がいる。


「……女の子?」


 ノアよりもさらに小柄な、子どもと言ってもいいくらいの女の子がそこにいる。二つに結った薄い金髪のおさげ、病的なまでに白い肌、つんと尖った耳。人間、いや、亜人?


「……狩人、ですか?」


 少女が口を開く。頬は恐怖に引きつり、見上げる目は涙に濡れ、全身泥や血糊で汚れている。緑色のジャージはボロボロだ。


「うん、スガモの狩人だけど。君は?」

「……助かった……」


 彼女の顔がふっと緩み、その場に膝から崩れる。愁が慌てて駆け寄る。

 受け止めた身体は羽のように軽い。吹けば飛んでしまいそうなほど。


「……はい、私も、狩人です」


 愁の腕の中で、彼女が答える。か細く、かすれた声で。


「コマゴメ支部所属……ウツキ・ソウ。今回の……バフォメットコロニーの討伐隊の一員でした」


 ようやく見つけた。

 討伐隊の生存者だ。


「……でした?」


 彼女はこくりとうなずき、薄い唇を小さく動かす。


「私以外の人は……みんな殺されました。あのバケモノに……」

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