95:水のメトロ

 ヤギザルことバフォメット。

 先史時代の各種フィクションではおなじみのヤギ頭の悪魔。邪教徒がドンドコ宴するど真ん中に鎮座しているイメージが強い。

 いかにも悪魔的でシンボリックな偶像だが、シン・トーキョーにおいてはだいぶ生き物感というか野生感を持った獣として実在している。


 通常個体だとメトロ獣としてのレベルは概ね15~20。オオツカ基準で言えばゴーストウルフや青ゴブリンよりちょいつよ、赤ゴブリンよりちょいよわとなる。あくまでレベルを基準とすれば。


「メエッ!」

「メェエッ!」


 それほど広くない滝裏の洞穴を、三匹のバフォメットがぴょんぴょん飛び跳ねながら迫ってくる。二足歩行とボルダリングで鍛えたたくましい脚で岩壁を蹴り、宙を躍るようにしてローリングソバットを繰り出してくる。


 メトロ獣の殺傷能力はレベル――体内の菌糸の強度や成長度だけには依存しない。体格、筋力、知能、生まれ持った種々の特徴。それらが補正値として働くため、見た目や推定レベルだけでは計れない。

 バフォメットはというと、その同ランク帯の獣たちと比較して、「ゴブリンほどの狡猾さはないが、瞬発力と跳躍力に優れ、肉弾戦を好む脳筋種族」ということになる。従来のスピリチュアルなイメージとはだいぶ乖離した野生児の集団だ。


 一般人や低レベルの狩人がこれに相対する場合、遠距離からの射撃や投擲で仕留めるのがセオリーだが、近接戦に持ち込まれると危険度が飛躍的に上がってしまう。同レベル帯の〝騎士〟や〝闘士〟などの近接職でも手を焼くトリッキーでアクロバティックな足技を見舞われることになる。


 まあ、レベル70からすれば、大した脅威にもならないのが現実だが。


 べしゃっと地べたに落下したバフォメットが、ワンテンポ遅れて蹴り足を失ったことに気づき、「ベェエエエッ!」と耳障りな濁声をあげる。


 悲鳴がわんわんと響く中、残りの二匹も愁の頭上から襲いかかってくる。右側はまっすぐに足の裏を突き出す飛び蹴り、左側は愁の脳天を狙って振り下ろす踵落とし。奇をてらうそぶりもない直線的な攻撃だ。


 蹴撃がブォンッ! とうなりをあげ、空を切る。

 愁の身体は半歩下がり、頭は斜め下にかいくぐっている。


「しっ!」


 短い呼吸とともに、【戦刀】が斜めに振り上げられ、間髪入れずに振り下ろされる。空間の狭さを考慮したコンパクトな振りだ。


 右側が脇腹から脳天にかけて、左側が肩から腰にかけて、それぞれ両断されて地面に落ちる。くぐもった声が漏れるが、すぐに止む。


 最後の一匹は壁際にもたれ、メエメエと悶えながら腕を使ってずるずると後ろへ身体を引きずっている。見下ろす愁を睨み返す目はすでに戦意を喪失しているが、ヤギらしく瞳孔が横に伸びていてちょっと不気味だ。


「ごめんな」


 とす、とその喉に切っ先を突き刺す。間もなく悲鳴が途絶え、あたりは滝の水音だけが――


「アベシュー!」


 返事をするより先に愁は身を翻している。後ろから飛びかかってきた四匹目と目が合う。


 横薙ぎに振るおうとした【戦刀】が岩壁にぶつかる。

 位置どりでそれを狙ったのだとしたら、このヤギザル、脳筋にあるまじき策士だ。


 足の裏がまっすぐ伸びてくる。蹄のない、サルというか人間にも似た形の足だ。軌道の先には愁の鼻面がある。


「おおおおっ!」


 気合とともに【戦刀】が岩壁を破砕する勢いで振り抜かれ、愁に迫る足を根元から吹き飛ばす。返す刀で正眼から振り下ろした二撃目が角ごと唐竹に割り、大量の血しぶきを壁に撒き散らす。


「……ふぃーっ」


 前後左右、おまけに天井までチェックし、伏兵や増援がいないことを確認。それでようやく愁は一息つく。


「一瞬ちょっと焦ったわ」


 思わぬ形で虎○流奥義を開眼しそうになった。今度は指で挟んでやってみよう。

 というか、【感知胞子】を解除したままだったのが愁のミスだ。滝裏に入る際、スペースの狭さと水飛沫の鬱陶しさのせいでいったん【感知胞子】を解除し、突然とはいえそのまま戦闘に入ってしまった。


「あたいも、あのみずのおとできこえなかったりす」


 奇襲者とのレベル差で大事には至らなかったが、一つ反省だ。オウジ深層の濃霧でもそうだったが、水飛沫や水煙が舞うような場所は【感知胞子】のフィードバックにノイズが走り、範囲も狭まってしまう。滝の音ほど派手になればタミコの強化聴覚にも影響が出る。次からは注意しないと。


「さて……」


 お待ちかね。オウジメトロ以来の胞子嚢もぐもぐタイムだ。

 バフォメット四匹。わりと綺麗に仕留められたので、唐竹に割った四匹目も合わせて胞子嚢はすべて無事だ。


「クラノにもらったおにぎりは夜食にして、こっちが晩ごはんな」

「りっす……」


 狩人が定期的にメトロに潜るのを推奨される理由の一つは、この胞子嚢のまずさだと愁は睨んでいる。地上のメシの味に慣れてしまうと、このもちゃもちゃした食感と舌に貼りつく苦味はメトロから足を遠ざける要因になりかねない。人間とは美食の堕落に弱い生き物なのだ。ああまずい、もう一個。


 計八個、ピンポン玉よりちょい小さめくらいのサイズの胞子嚢。タミコに一つと半分食わせ(「まだたべてるとちゅうりすが!」と嫌がる口に無理やり詰め込み)、残りは愁が平らげる。


 レベル差もあって大した経験値にはならないだろうが、胞子嚢のお残しはギルティーなのが狩人の嗜み。命のやりとりをした相手への敬意の表明としてありがたく頂戴する。そしてなおありがたいことに、胃に流し込むための水ならそこら中に湧いている。


「こんなときノアが……ノアがいてくれたら……」

「妹分に押しつけようとすんな。吐くほどまずいのは一匹目だけだ、こっから先は普通にまずいだけだ」


 こいつもすっかり舌が肥えている。腹だけでなく舌も。定期的にメトロブートキャンプさせないとデブリス一直線だ。


 ちなみにヤギザルの肉はおいしくない。適当に火を通した程度ではくさくて(ノアしか)食えない。村ではカヤが丁寧に下ごしらえして生姜焼きや大和煮にしてくれて、それは結構うまかった。


 角は売りに出すこともできるが、コスパとしてはあまりよろしくない。ユニコーンのように薬の材料になるわけでもなく、単なる工芸品や日用品の素材に加工される程度だ。申し訳ないが、胞子嚢だけいただいて、あとは端に寄せておく。合掌。


「アベシューがたきのうらをみたいとかぬかすからりす」

「そらアレよ、見たくなるのが人のSAGAよ。実際バフォメット隠れてたし」

「ひとをおそわないやつだったかもしれないりす。ひっそりイッカダンランしてただけかもりす」

「そんなもん、オマエ……」


 人畜無害なメトロ在住のお宅にお邪魔してお前らを晩ごはんにしてやろうかーしてしまったのだとしたら、ちょっと後味が悪い。


「あ、でも向こうもかなりやる気満々だったし。やっぱり飢えてたんじゃないか?」


 バフォメットは基本的に雑食で、人間でもなんでも食う。だが意外と慎重で警戒心の強い面もあり、脳筋のわりに好戦性は他の獣と比較してもそこまで高くない。やつらが今暴徒化しているのは、ひとえに個体数増加による食糧事情が大きいのだ。


「いきなりヘンなしおがおがはいってきたら、だれでもびっくりするりす。やるきマンマンでおいだそうとするりす」

「なんでそんな、塩顔のアレを……」

「うらむならアベシューをうらむりす」


 並べられた死骸に手を合わせ、なむなむするタミコ。なんとなく愁はその場に穴を掘りはじめる。墓前にはおにぎりを一つ供えておこう。

 

 

    ***

 

 

「にしても、うごきがキレてたりすね、アベシュー」

「お? わかる?」


 愁はドヤる。さすがは相方、違いのわかるリス。伊達に五年も見守ってきてくれたわけではない。

 オウジで二つレベルが上がり、晴れてレベル70の大台に到達。二つというと劇的な変化とまではならないが、それでも運動性能は明らかに向上しているし、菌能もわずかにパワーアップしている感触がある。


 オウジを出てから何週間か経つが、それまでなにもしなかったわけではない。定期的に身体を動かして馴染ませてきたし、【蓄積】についても慣れるよう特訓しまくってきた。

 過信するつもりはないが、オオツカを出てもまだまだ成長できていることを実感している。俺はまだまだ強くなれる。


「そろそろ新しい菌能もほしいな、なんて言ったらノア先生に怒られるか。強くなったって言っても俺らまだまだ狩人としちゃ半人前だし、ここでの経験も今後に活かさないとな」

「けんきょでよろしい。これからもハゲむように」

「お? おお」

 

 

 

 濡れて金色に光る岩壁を下りていくと、今度はマングローブのような木の根が足場代わりの湿地帯が広がっている。


 天井のひびから霧のような雨が降る丘。巨大な蔓が橋のようにかかる池。ふよふよと浮かぶしゃぼん玉の中で小魚が泳ぐ草原。


 歩を進めるたびに姿を変えていく風景に「ほえー」「りすー」といちいち感嘆する一人と一匹。まるで幻想郷だ。


「ノアにも見せたかったねえ」

「りすねえ」

「あそこの池で魚釣りとかしてみたいなあ」

「りすなあ」


 不人気メトロだというが、これだけファンタジックな景観があるなら、もっと人が来てもよさそうなのに。まあメトロは観光地ではないし、わざわざそれを求めに来る狩人も多くはないということか。あるいはオオツカやオウジがオーソドックスすぎただけで、こういった不思議な景色はシン・トーキョーでは珍しくないのかもしれない。


 もちろん愁たちも観光気分だけではいられない。おなじみのサハギン、オオツカでも出没したヤドカリ系やテンタクル系、ヒレで地面を歩きまわる巨大ピラニアなど、メトロ獣はそこかしこに徘徊している。


 【退獣】を発動すればほとんど寄ってこない。それでなくても獣たちはどことなくおどおどとして、絶えず周囲を警戒しているように見える。


 原因はわかりきっている。バフォメットだ。


 写りたがり屋かとツッコミたくなるほど、どのシーンにもこぞってカットインしてくる、だらだらとよだれを垂らしたヤギ頭ども。【退獣】を発揮しても躊躇いがちにじりじりと近づいてくる。仲間を呼ばれるのも面倒なので逐一すみやかに処理するようにしているが、やはりというか数が多い。


 息を呑むような風景ばかりではない。木の実や葉っぱが食い荒らされたり、肉片のついた獣の骨が転がっていたり、池には魚の死骸が浮かんでいたりと、剥き出しの現実もそこら中で目につく。増えすぎたバフォメットによる獣害といったところか。


 メトロ獣をはじめ、メトロの動植物の生命やその循環は、愁の知る常識的世界ではありえないほど力強い。それらは弱肉強食とメトロの変動の中で絶えず栄枯盛衰を繰り返し、ときにはメトロの周辺までをも巻き込み、独自の生態系をつくりあげている。


 スライムだらけになっていたオオツカメトロ四十九階を思い出す。一種族のイレギュラーな爆発的増殖は、そのバランスにさえ大きく影響を及ぼすということだろう。この状況が長く続けば、天敵のいないヤギやら鹿やらの繁殖過多によって緑豊かな山が禿山になっていくのと同じように、このメトロの環境も大きく変わっていくのかもしれない。


(メトロ教団ならなんて言うんだろうな?)


 「メトロの趨勢はメトロの意思に身を委ねるべきだ」とか?

 それとも「メトロの生態系の保全のため、急激な変化には多少の介入もやむなし」とか?

 前者のような気がするがどうだろう。


 その点、狩人や都庁政府は教義ではなく「人々の生命と財産」がものさしになっている(はず)。今回の仕事にしても、リクギ村に被害がなければほったらかしだっただろう。

 相手は自然(あるいは超自然)であり、獣だ。夥しい獣害が発生しようとも、それは決して悪ではない。正義は大義名分にはなりはしない。


 ――相手が魔人でもない限り。


 ふと足元に、食い散らかされたアルミラージの死骸を目にする。それを虫やネズミがついばんでいる。


「……アベシュー?」

「……いや」


 ぺちぺちと自分の頬を叩く。

 あれこれ考えすぎないほうがいいか。


 感情論がどうであれ、立ち位置がどこであれ。

 結局、善も悪もない。

 異種族間の利益と生存をかけた戦い。それだけだ。

 狩人として仕事をまっとうする。それだけだ。


「あそこ、四階の階段だ。気をつけて行こう」

 

 

 

 幾度かの小休止を挟み、メトロ進入から三時間ほど経った頃。

 愁とタミコはいよいよ地下五階に足を踏み入れる。

 そこで、新たな〝悪〟が待っている。

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