93:出発

 玄関から外に出ると、あたりは日が翳り、少し涼しくなってきた気がする。湿気が強いのでほんの気持ち程度だが。


「俺らももうすぐ一カ月になるんで、そろそろ上がりなんすよ」

「休みの日にダチョウ借りてスガモ帰ったりしてたんすけど、ここでの暮らしも全然悪くないんすよねえ。スガモほど文明的じゃないし娯楽もなんもないけど、村人はいい人だし、メシはうまいし」

「みんな訛りまくっててときどきわけわかんねえけどな」

「今回の騒動が治まれば、村の人たちも安心して暮らせるんすけどね」

「だよねえ」


 その事前調査、重要な任務だ。


「お気をつけて! アベニキ、リスネキ!」

「リスネキて」

「あたいのシャテーになりたけりゃ、かえってくるまでにゴクジョーのドングリよういしとくりすよ」

「オッス! リスネキ!」


 クラノたちの見送りを受けて、次に向かうのはコマゴメ市の狩人が使っている小屋だ。一言挨拶だけしようと戸をノックしようとして、「いびきがきこえるりす。ねてるりすね」ということなのでそっとしておく。


「じゃあ、カヤさんに一言言って出発するか」

「りっす!」


 などと言ったとたん、ダチョウを引いたカヤとばったり遭遇する。


「こん子がちぃっと爪割れちまってぇ。樹脂を塗ってやっかつんでぇ」

「はあ」


 自分の任務のことや最近の獣害について話をしつつ、近くにあるダチョウ舎までついていく。

 入り口脇に藁の積み上げられたダチョウ舎。入り口から覗くと馬房のように一羽ずつ分かれて結構くさい。


「くっせえべな? まあ動物っちゃみんなくっせえもんだかんな」

「まあ」


 自分も少し前までは獣じみた生活をしていたので偉そうなことは言えない。


「でもなぁ……ガキん頃から一緒におるでなあぁ…………」


 カヤがダチョウの首にしがみつき、羽毛に顔を埋める。

「むしろ今は……こんにおいがたまんねぇっつーか……毎日キメねぇと落ち着かんくてな。むっふふ……」

「グルッフゥ……」

「ダチョウ戸惑ってね?」


 ノアと類似属性だ。


「あ、アベさん。ちょっとこん子、押さえててもろってええべか?」

「あ、はい」


 胴体に腕を回し、もふっと羽毛を感じながら動かないように押さえつける。愁がそうしなくてもダチョウはおとなしい。世話係であるカヤが爪の表面に筆をこしょこしょするのを、首を曲げてじっと見つめている。


「こいつらって、タクシー用のダチョウ? それとも産卵用?」


 ダチョウの卵と騎乗用ダチョウ、両方ともこの村の名産だ。

「産卵用っすなぁ。今は産卵期じゃねえけんど。でっけくて味が濃ぉて栄養もいっぺぇで、スガモでも人気なんだぁ」

「食ってみたいな」

「カヤのタマゴやきはゼッピンだったりす。あまあまでふっかふかだったりす。じゅるり」

「前につくったんはコッコのやつだけんどなぁ。秋になったらつくってやっからなぁ。元気な卵産んでけれよぉ、モンジョビーノ」

「クェエエッ」


 理解しているのかいないのか、モンジョビーノが頭をカヤにこすりつける。名前の癖がすごい。


「うちん村は畑と薬草とダチョウがほぼ全部だべなぁ。十年以上前にリクギメトロがでけたときは、狩人とか都庁ん調査団とか来てぇ賑わっちゃりもしたんげっちょな……結局なぁも変わらんかったがや」

「菌糸植物が豊富って聞いたけど」

「それもまあ、傷薬とか簡単な解毒剤とか、あんまし高くねえ素材ばっかつーかな。メトロ獣もお宝も珍しいもんはねぇがら、あっちゅう間にカンコドリ? ってやつだぁ。ジジどもババどもがダチョウまんじゅうとかリクギ煎餅とかいろいろつくったんに、ほとんどうちらのおやつだったなぁ」

「なるほど」

「……今回の獣害が治まれば、そっからまたいつもどおりだ。うちがババんなるまで、のんびりのどかなリクギ村だぁ」

「りすなぁ」


 愁としてはそろそろ辞去しようかと思っていたところが、彼女のちょっとだけ寂しそうな横顔を見て、せっかくなので一つだけ尋ねてみたくなる。


「……カヤさんは」

「はい?」

「……えっと、気を悪くしないでもらいたいんですけど……この村のこと好きですか?」


 彼女の手がぴたりと止まる。顔は上げないままだ。


「どーゆー意味ですっちゃ?」

「いや、なんつーか……前にも聞いたけど、古くからの風習で村長に選ばれたんですよね」


 リクギ村は「シン・トーキョー最古の村の一つ」を名乗る歴史ある村だ。

 トライブ戦国時代の荒波に揉まれ、〝魔人戦争〟時の徴兵・出兵で働き手を失い、度重なる疫病や獣害に苛まれてきた。それでも一度として他のトライブや都市に属することなく、独立した一個の集落として今日まであり続けてきた。三十年前のスガモ市創立にも労働力として深く携わったことは村人にとっても自慢の種の一つとなっている。


 そんな由緒ある古村だが、昨今では若者をスガモを始め各都市に奪われ、高齢化と少子化に悩まされている。極端に言えば限界集落予備軍ということになるのかもしれない。前回滞在した際には、「一緒に昼メシでも」とやってくるお年寄りに「若いモンはみんな出ていっちまいよる」「これも時代かのう」などとさんざん愚痴られたりした。


 一方、村には古くより「菌職持ちが村を治める」という風習があるという。カヤは前村長の娘にあたり、彼女自身も〝狙撃士〟に生まれた。幼い頃から村を統率する人材として育成され、父の病死を機にその地位を継ぐことになったのが二年前、二十歳のときだった。


「家畜の世話とか村の警護とか、すごいがんばってるけど……なにか他にやりたいことがあるんじゃないかなって……」


 同年代の若者が村を去っていく中、彼女にその選択肢は与えられなかった。彼女にとって出自は宿命であり、才能は呪縛でもあった。

 ほんとは村を出たいと思ってるんじゃないか……とストレートには訊けないが、なんとなく気になってしまった。


 カヤは筆を置き、爪にやすりをかけはじめる。


「狩人になりてぇ……と思ったことねぇがな? うちは荒っぽいことは向いてねぇべっから」


 ダチョウは手入れが終わるのを催促するように、首を左右に振っている。


「じゃあ他に取り柄あんのがって言われっと、料理と畑仕事とダチョウの世話くらいで。文字も大して読めねっし、都会モンみてえに学もねっしな。どっかに嫁に出るくれぇがせ、せ、関の山? だしなぁ。つってもこんなガサツな田舎娘、もらってくれる変わりモンなんかメトロん中さがしてもおらんかんなぁ」


 カヤがおどけた風に首をすくめる。愁としてはフォローしたほうがいいものかとちょっと悩む。訛りと獣臭フェチはともかく、じゅうぶん若いし美人だし気立てもいい。貰い手なんかいくらでもありそうなのに。


「つーかなぁ、うちはこん村んことが好きっちゃなぁ。ちっこい頃はいろいろ悩んだりもしたげっちょ……今はもう、ここ以外で生きこうなんて思っちょらんしなぁ。むしろ村長っちゅー役目が、うちが外に出ていかんでいい口実になっちょるちゅーか。あっはは……でも、ただぁ……村を出てった子がぁ、アベさんたちがぁ、ちびっと眩しく見えんのも事実だげっちょなぁ」


 彼女の少し困ったような笑みが、やや傾いて赤みを帯びた日の光に照らされる。

 その目が柵の向こう、森の向こう、遠くへと向けられる。

 その横顔を見て――愁の胸に、ぽうっと点るものがある。


「……すいません、なんか変なこと訊いちゃって」


 愁は、少しうつむいて、表情を見られないようにする。

 胸に点ったささやかな熱を、マントごときゅっと握りしめる。


「あっはは、全然だなぁ。うちもこったらこと他の人に言えねぇべから、話せてよかったわぁ」


 カヤが立ち上がり、ダチョウの首を撫でる。すりすりを受けながら、愁と正面から向き合う。


「アベさん、タミコちゃん、気ぃつけてなぁ。無理ばしちゃいかんげなぁ。無事で帰ってきたら、うちがうんめぇメシつくったるべなぁ」

「はい、がんばります」

「まかせるりっす! カヤのタマゴやきたべたいりっす!」

 

 

    ***

 

 

 リクギメトロは全体としては小規模なメトロだが、複数の出入り口を持っている。リクギ村から出て西側、南西側、南側の三つだ。


 バフォメットは南西側と南側からやってくるケースが多い。そいつらの駆除はクラノたちの仕事であり、愁の仕事は地下六階にあるとされるコロニーとその周辺の様子をさぐることだ。ということで、なるべく会敵しないよう、【退獣】を発揮しつつ西側の出入り口から潜ることにする。


「……アベシュー、なにかんがえてるりすか?」


 村の外れ、西側の門を出たところで、タミコがそんなことを尋ねてくる。


「ん? なにって?」

「なんかへんりす。さっきカヤとはなしてから」


 さすがは相棒、鋭い。伊達に五年も寝食をともにしていない。


「ひょっとして……カヤにヤリチンりすか? ドーテーのくせにヤリチンりすか?」

「いやいや違うし。つーか使いかた微妙におかしいし」

「ハクジョーするりす! ヨメにかくしごとはギルティーりす!」

「誰がヨメだ。痛い痛い、わかったわかった」


 ぺしぺしとリスビンタ滅多打ちを頬に受け、木の幹に寄りかかる。歩きながら話すのは獣を刺激する恐れがある、メトロに向かう前に済ませてしまおう。


「いや、そのさ。なんつーか……人間ってすげえなあ、って思ったんだよ」

「りす?」


 説明してわかってもらえるだろうか。自分自身、わりとふわっとした感情なのに。


「前の時代でもさ、よくあるっちゃある話でさ。限界集落とか、出ていく若者とか。将来の夢とか持てなくて悩んでる子とか。俺だって地元じゃ就職できないからって東京の大学に行ってのほほんと勉強して、大した取り柄もなくて唯一内定とれたとこに入って……っていうのはともかくさ」


 振り返ると、村のほうで明かりが点いている。モエツクシのカンテラの光だ。あたりを見渡せるほどの明るさはまだ残っているが、家畜を誘導するのに使っているようだ。おそらくカヤだろう。


「なんていうかさ、おんなじなんだよな。時代が変わっても、文明が滅びても。みんなで寄り合って、家つくって村つくって。メシ食って仕事して、笑って悩んでケンカして、ときどき間違って。人間って結局似たようなこと繰り返しながら生きてんだなって。百年も経って一度文明崩壊してんのにさ。だから……人間ってすげえんだなあ! って改めて思ったりして」


 この村で見てきた風景。働くカヤの姿。老人たちの笑顔、愚痴。家畜たちの走り回る姿。

 それらは特別なものではないのかもしれない。けれど――どこにでもあるからこそ、それはきっと尊いのだろう。


「なんかさ、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。スガモだってリクギ村だって、全部人間がつくって、そこに人間が暮らしてて。そういう大事なもんを守るのが俺たち狩人の仕事なんだとか思っちゃって。今さらだけど、そういうのをきちっと胸に仕舞えたっていうか。いっそうやる気出たっていうか」


 ぽかんとしている相棒の頭をむきゅっと撫で、愁は笑う。


「要はさ、仕事がんばるぞって話だよ」

「ニンゲンすごいけど、あたいもすごいりすから。やってやるりすから」

「頼もしいね」


 もう一度村のほうに目を向ける。カンテラの明かりを手にしたカヤと、それに引かれたダチョウの群れが見える。


「カヤさんたちのために、俺たちの仕事をしよう。よろしくな、相棒」

「りっす! あたい、たよれるリスネキりす!」

「ちょっと気に入ってんのかい」


 そして。

 いざ、リクギメトロへ。

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