76:戦争を始めよう

 愁の胸には水色の石のネックレスがぶら下がっている。

 三十階でドロップした寄生品の天然石を、シシカバ姉妹が綺麗に削って穴を通してくれたものだ。さすがは宝石店の共同経営者。


「しょせんは素人の加工だし、時間も器具もなかったんで、装飾品としちゃ二束三文だけどな」

「狩人の装備品としての性能は問題ないさ。仕上げはあとで本職にでもやってもらいな」


 表面は多少濁っていて形も歪だが、これはこれで観光地のお土産感があって悪くない。というか見た目はこの際二の次だ。


 姉妹曰く、どういう菌糸が寄生し、どういう効果をもたらすかは、その石の色や種類によってざっくりわかるらしい。鑑定スキルなどというコンビニエントなスキルは存在しないらしいので、業界が長年積み上げてきた検証と実績による推定ということになる。素晴らしい。


 水色のアクアマリンは瞬発力の向上。愁が持つことにする。

 ピンク色のモルガナイトは生命力の向上。傷の治りが早くなったりするらしい。色合いもノアにぴったり。

 灰色のイーグルアイは視力の向上。タミコにと思ったが、サイズ的に邪魔になるのでしかたなくクレに。


「あたいの……あたいのほーせき……」

「あとでちっこく削ってもらおうな」


 石は所有者の体内の菌糸と共鳴? 共振? して効果を及ぼす、というが、科学的に立証されているわけではないらしい。そして劇的な効果があるわけでもない。


「ほとんど誤差みたいなもんだからな」

「頼りすぎてもいいこたないからな、気をつけろよ」


 それでも多少は心強い。ほんの数ミリ、コンマ数秒。そういう紙一重が生死の境となるような戦場に、これから挑むのだから。


「――みんな、準備はいいか」


 ギランが、六人の狩人と武装した三十匹ワンちゃん――もといショロトル族の戦士たちに語りかける。あれか、映画で戦争の前に演説するやつか。


「これから我々は戦に向かう。待ち受けるのは、数百匹にも及ぶ命の理から外れた哀れな動く屍どもだ。諸君らの歴史と矜恃を踏みにじり、家と仲間を奪い、未来を喰らい尽くさんとする傀儡の軍勢だ。やつらは強い。その肉は痛みを覚えず、その目は恐怖も覚えず、我々の命を貪らんと迫ってくる」


 双子姉妹がシンクロ鼻ほじりというレディーにあるまじき振る舞いで退屈を訴えている。


「諸君、互いの尻尾を見てみるがいい。縮み上がっているのは君だけではないのだ。恐怖は我々に等しくのしかかっている――私とてな。この尻尾を見てみてくれ、今日という日の重圧ですっかり萎びてしまったようだ」


 ショロトル族たちは神妙な顔で聞き入っているが、あの役入りすぎオオカミは彼らの大半がそこまで日本語に熟達していないということを憶えているのだろうか。


「恐怖に震え、足が止まるときが来るかもしれない。矜恃をかなぐり捨て、逃げ出すときが来るかもしれない。だが、そんなときは、仲間を思え! 家族を思え、愛する者を思え! さすれば再び輝きをとり戻した牙は、必ずや岩をも穿つだろう! そう、我々は今ここに、う、う……」


 う?


「ウォオオオーーーーーンッ!!」


 興奮がピークに達して本能が剥き出しになる。遠吠え発射。


「マウーーーッ!」

「マゥウーーーッ!」


 チワワたちも続く。短い前足を掲げ、自らを鼓舞するように吠える。しかたなく人間とリスも「おーーーっ」「りすーーっ」と乗っかっておく。


 ふう、とギランが息をつきながらやってくる。


「これで少しは恐怖心を払拭できるといいんだが」


 確かに、ショロトル族たちのゾンビへの恐怖心は未だに根強い。口さがない姉妹に言わせると「三年ものの負け犬根性」ということになる。


 この数日間のゲリラ戦の勝利で多少拭えた感はあるが、それでも今朝の彼らのスズメバチに立ち向かうミツバチのような悲壮感あふれる表情はいたたまれないほどだった。なんだかんだこれで士気が上がったのだとしたら、国士ギランの面目躍如といったところか。


「つーか前口上いらなかったな、エロオオカミ」

「絶対どっかのパクリだろうな、テロオオカミ」


 ちなみに姉妹がギランの本名と本性を知ったのはここに来てからだが、知ったあとでも態度が一ミリも変わっていないのはさすがとしか言いようがない。

 ギランが愁の肩にぽんと肉球を乗せる。


「いよいよだよ、アベくん。君が頼りだ、いいかい?」

「オッス。力の限りやらせてもらいますわ」


 お前はこれから火薬庫だ。精根尽き果てるまで搾り出せ。


 愁はそう自分に言い聞かせる。袋詰めにされた朝イチとれたての胞子嚢を抱えながら。

 

 

    ***

 

 

 ビショップとその手下のゾンビの習性や能力についてはおおよそ見当がついている。検証班が有能だから説得力もひとしおだ。


 まず手下だが、こいつらは主に二つのグループに分けられている。食料調達係と警備係だ。


 前者は積極的に遺跡都市を出て密林を徘徊する。後者は遺跡都市をうろうろするだけ。近くに生き物の気配があればアリの巣の前に角砂糖を落としたみたいにわらわらと寄ってきて、問答無用で襲いかかる。

 どちらも相手を殺し、新鮮なうちにボスのところまで持っていくという点は変わらない。つまり実質的な違いは縄張りと行動範囲くらいのものだ。


 次にビショップ。能力面ではゾンビの生成と大量の【火球】を使うことくらいしかわかっていないが、これまでの観察でいくつかの仮説は立てられている。


 手下のグループ分けは、生み出したときに行なっているわけではないらしい。塗料でマーキングをしたゾンビが、昨日は食料調達係、今日は警備係、という具合に役割が変わっていたことがあった。すなわちビショップが意図して操作しているわけだ。


 テレパシーのようなものか、それとも他の生き物には聞こえない音や振動で意思を伝えているのか。どちらかは特に問題ではないが、わかっているのは「双方向でなくビショップからの一方通行」である点と「遠距離からの操作あるいは命令が届く範囲はぎりぎり遺跡都市内くらいまで」という点だ。


 前者はビショップに認識されていない状況でのゾンビたちの連携のなさや布陣の拙さから、後者はあえてビショップに見つかった際に動きが変わったゾンビたちの位置から想定したものだ。


 ビショップは中央の祭壇付近に潜んでいる。基本的にはそこから離れようとしない。ときおり空の石像を残して地面に潜っているとき以外は。


 そして、連日のゲリラ戦により、現在。

 手下の配置は防衛重視の形に変わっている。


 密林に出るゾンビは少なく、遺跡都市にはそれらが満遍なくひしめいている。シシカバ姉妹が建造した物見櫓からクレが【望遠】で覗いたところ、祭壇付近にもかなりの数。明らかに襲撃を警戒している。


 その数、推定三百匹以上。ショロトル族を含めて四十人程度の愁たちでは比較にならない戦力差だ。


「まあ、だが想定どおりだな」


 ギランはにやりと笑う。


「――見せてやろう、理性の皮を剥いだ人間の恐ろしさをな」

「悪役のセリフだわな」

「やっぱりオオカミは陰険だわな」

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