幕間:永遠の少年と魔人アラト
愁たちがゾンビ軍団との決戦に挑む、前夜――。
「まったく、いつ来てもけしからんな、ここは」
メトロ教団のオウジ地区担当説教師、エハラ・フミヒコの愚痴を、見習いのヤノ・アンナは苦笑いを噛み殺しながら聞いていた。
「あの双子のせいで酒と肉のにおいがしみついとる。神聖なメトロを場末の行楽地のようにしおって」
二人はオウジメトロ地下二十階のキャンプ地を訪れていた。開発が進むメトロ内の視察と、メトロへの畏敬の念を疎かにする不届きな狩人たちに説教を聞かせるために。
(聞くわけないんだけどなあ、狩人みたいな人たちが)
(この人にしても、信仰に熱心なのはいいんだけどね)
エハラは四十五歳にして未だ第二階――教団の神職における下から二つ目の階位のままだ。若い頃は出世欲もほどほどに持ち合わせていたと聞くが、その融通の利かない頑固な性格、教義の話題となると上位の者にさえ噛みつく狂信――いや狂犬ぶりで、教団内でも覚えが悪いことで有名人だった。
一方、アンナは今年で三十歳。三年前、狩人を辞めて教団へ入信し、本人たっての希望でオウジへ着任した。上司のエハラが一向に出世しないので、アンナの見習いの身分もなかなかとれないままだった。もっとも、アンナ自身としてはそれほど頓着することでもなかったが。
「おい、君たち――」
エハラが話しかけたのは、若い男女の狩人コンビだった。
「シシカバ姉妹はいるか? あそこの忌々しい酒樽の数々を持ち込んだ、鏡写しのようなそっくり顔のあば――女二人だ」
あばずれと言おうとして思いとどまれる程度の良識は身についたようだ。遠き第三階へ一歩前進だ。
「あー、あの二人……」
男女が顔を見合わせた。二人とも初めて見る顔だ、公私ともにパートナーなのかな、などとアンナは邪推した。
男のほうがちらちらとアンナにもの言いたげな視線を送り、それに気づいた女のほうに肘で小突かれた。アンナにとってそのような野暮ったい視線を向けられるのは日常茶飯事だった。
「それが……戻ってこないんですよ、あの人たち」
「戻ってこない?」
「最後に見かけたのが、十日くらい前だったかな? ここで軽く懇親会みたいなことやったんですけど」
ふん、とエハラが鼻にしわを寄せた。アンナは申し訳なさそうな表情で先を促した。
「そのときに、アベさんって人が『ミスリルがほしいから深層に行く』って言ってて、その人たちがここを出た翌日くらいかな。『ちょっと心配だから様子見てこようかな』ってシシカバさんたちも追いかけて」
「私たちはこのへんでずっと狩りしてるんですけど、そのまま戻ってきてないんです。シシカバさんたちも、アベさんたちも。私たちもちょっと心配してたんですよ、下でなにかあったのかなって」
そのアベという人物はともかく、シシカバ姉妹はオウジでは知らない者はいないほどのベテラン狩人だ。アンナも何度か言葉を交わしたことがある。深層のメトロ獣相手でもじゅうぶんに渡り合える実力を持っている。
だが、その彼らが帰ってこないとなると――確かになにか、不測の事態があったのかもしれない。
「確かに心配ではあるが……たとえなにかあったとしても、それもまた狩人の勤め……今はまだメトロに還るときではないことを祈るしかないな」
「……先生。地上にお戻りの際は、このお二方をお頼りくださいますでしょうか?」
「は?」
「私が様子を見てまいります。このとおり、きちんと装備も整えてきておりますし」
「……まあ、君が優秀な狩人であることは誰よりも承知しているが……大丈夫か?」
「ご心配には及びません。エハラ様の下を離れることを、有事とはいえ教徒としての我が使命を手放すことを、何卒ご容赦ください」
「しかし……」
三年前、アンナの前任の付き人は、オウジの深層へ向かったきり帰ってこなかった。そのときのことは彼にとって深い心の傷になっていた。
「大丈夫ですよ、先生。必ず戻ってまいりますから」
大抵の男ならため息もののアンナの微笑だが、それでもエハラはあくまでも恩師としての表情を崩さなかった。
「……気をつけて行くんだぞ。決して無理はしないようにな」
「ありがとうございます。また地上でお目にかかりましょう」
***
アンナの前任の付き人、ツツイ・ジロウは、ここオウジ界隈とゆかりの深い男だった。
二十二年前、彼は九歳にしてこの場所で鉱夫見習いとして働いていた。
そこで――ゴーレムに拉致され、秘密の部屋に監禁された。
ゴーレムは、子どもを匿っていた。目についた子どもを、片端から。アルミラージの子どもを、ロックウルフの子どもを。ジロウだけだったが、人間の子どもも。
どうしてあのゴーレムがそのような思考に至ったのか。「非常食」「食糧庫」と口さがない大人たちは恐れおののいていた。
だが――ジロウは違った。
あのとき、そこに、あのゴーレムの祈りを見たような気がしたのだ。
じりじりと真綿で締めるように進む、メトロの開発。その中で淘汰されていくメトロ獣の命。あの頃、十階までのゴーレムを除く獣は急速にその姿を消していた。
あの部屋は、ゴーレムが守ろうとした、命の揺り籠だったのだ。
それを壊したのは、大勢の狩人だった。大人たちは寄ってたかってゴーレムに白い刃を向け、岩の身体を砕き、無垢な色の魂を抜きとった。
子どもだったジロウは必死に攻撃を食い止めようとした。しかし大人たちに引き離され、拘束された。最後に目にしたのは、崩れ落ちていく岩の抜け殻だった。
彼はあのゴーレムに、どれだけ焦がれても手に入らなかったもの――本当の父性さえ投影していた。
数日後。ジロウは義父の下から逃げ出し、教団の孤児院へ入った。率先して心身を鍛え、十五歳になるとすぐに狩人の資格を得た。
将来を見据えた勉強と訓練の土台があったとはいえ、それからの十年で彼は異例のスピードでレベル45にまで到達した。
すべては、再び父のようなゴーレムと出会うために。
どれだけ肉体が成長しようとも、ジロウの魂はいつまでも、あの部屋に囚われたままだったのだ。
オウジ深層でも比較的安全を保てる程度のレベルとなり、いよいよオウジへの着任を嘆願した。気難しいエハラが付き人を次々とっかえひっかえしていたのが幸いだった。ジロウは新たな指導者の下で布教活動に勤しむかたわら、メトロに潜ってゴーレムの研究と観察に励んだ。
必死に磨き上げてきたその強さは、ゴーレムに殺されないための、ゴーレムを殺さないための強さだった。
そして、三年前――オウジメトロ、地下三十階にて。
オウジに着任して二年が経つも、彼のような知性のあるゴーレムとはお目にかかれていなかった。焦りと疲れが募りはじめていた頃だった。
しかし、そんな中――ほんの偶然。
群れて襲ってきたメトロ獣を退けたあと、【火球】によって生じた岩壁の亀裂に、ほんのわずかに空気が流れ込むのを察知した。
こつこつと叩いてみて、少し掘り進めてみた。間違いない、その奥はなにかしらのスペースに続いているようだった。
(まさか――あのときみたいな隠し部屋が?)
(この先に……彼のようなゴーレムが……?)
思わぬ発見に目を輝かせたジロウだったが――その直後、背筋が凍りついた。
「へー、隠しエリアか。こんなところ、よく見つけたねえ」
後ろに誰かが立っていた。
まるで気づかなかった。足音も気配も感じられなかった。
なぜか振り返ることができなかった。身体が動かない、動くことを本能が拒否しているような――。
「君、いいね、すごいね! ご褒美にいい子いい子してあげる!」
頭に手が載せられた。指とてのひらが頭蓋をしっかりと捉え、くりっと動いた。ジロウの頚椎が百八十度回転した。
暗転する視界に最後に映ったのは、美しい女性の笑顔だった。
***
そして今、ジロウはアンナ――いや、〝魔人アラト〟を構成する一部となっていた。
胞子嚢は菌糸を通じて脳までもつながっている。魔人は人間や魔獣の胞子嚢を捕食することで、その者の遺伝子情報だけでなく、人格や記憶までもとり込むことができる(まるごとすべて、とまではいかないが)。
ジロウのねじくれた精神――狂気にも似たゴーレムへの執着を、あるいは手の施しようのないほど倒錯した父性への憧れを、アラトはいたく気に入った。ここへはたまたま遊びに来ていただけだったが、来るべき二度目の戦争の手駒を育てる計画――ジロウへの敬意を評して、それにゴーレムを採用しようと決めた。
(まあ、それも結局、遊びの一環にすぎないけどね)
新天地にゴーレムを放ったあと、アラトはそのままオウジに留まることを決めた。閉ざされた地下の楽園への扉を再び開く者が現れるかどうかを監視するために(もっとも、蓋を開けるときの楽しみのために、自身で決めた期日まで様子を見に行ったりするつもりはなかったが)。
狩人を引退し、教団に入信し、エハラの下についた。あの滑稽な朴念仁(あるいは悲劇的なこじらせ男)との生活は、それなりに退屈しないものではあったが――。
(あのへんはそこそこ強いゴーレムが出るし)
(みんな仲よく干からびて鯉のぼりみたいになってたりして)
(それとも、ひょっとして……見つけちゃってたりして?)
深層に向かったというのは、アベ・シュウというミスリルを求める男と少女、そしてカーバンクル族の三人組。
彼らを追いかけたベテランの女狩人二人組、シシカバシスターズ。
赤髪の男とオオカミの亜人も姿を見せていないというが、関係があるかは不明だ。
(あの場所を見つけたなら、今頃うちの子たちと遊んでたりして)
放牧を始めた時点で、狩人基準でレベル60程度の強さはあった。それから三年、順調に成長してくれているなら、そんじょそこらの狩人など「おやつが向こうからやってきてくれた」程度のものだ。
だが、万が一――あの子たちの脅威となるようなら――。
「いやまあ、別にいいんだけど」
あくまで遊びだ。戦争も殺戮も、あくまで手段であり、目的ではない。
混沌を愛し、混沌を生むことに喜びを見出す。他の者たちの見解はともかく、それこそが魔人としての
たとえあの子たちが狩人に仕留められたとしても、それはそれでしかたがない。お気に入りのおもちゃが一つ壊れてしまった、ちょっぴり残念、ただそれだけのことだ。
だが――自身の一部となった彼が、岩人形に魂を囚われた永遠の少年が、アラトの中で必死に訴えていた。
今度こそ、僕がゴーレムを助けてあげるんだ、と。
「……だよね、ジロウ。私たちが助けに行ってあげなきゃね」
アラトは自身の内側にささやきかけ、笑った。地上では誰にも見せることのない、口の端を耳まで持ち上げるような、邪悪な笑みだった。
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