77:猛威を振るう愁のタマ
人間とショロトル族の連合軍の本陣は、遺跡都市の東側に置かれている。
普段よりも立ち込める霧は薄い。「戦争日和だな」などとオオカミが牙をぎらつかせる。
密林にいたわずかなゾンビを静かに排除しつつ、東の大通りから都市に入っていく。ギラン率いるショロトル族十五匹のイヌ科歩兵隊、モフっと進軍。
「そら、お出ましだぞ!」
さっそくあたりのゾンビが察知し、全速力で駆け寄ってくる。ミノタウロスとサハギンの混成部隊、十匹ほど。
「まだだ、よく引きつけろ」
【大盾】――体長五十センチほどの彼らサイズの菌糸盾が前線に並ぶ。巨躯のミノタウロスの前では玩具の兵隊のようにちっぽけな壁だ。このままでは突進の勢いであっけなく吹き飛ばされてしまうだろう。
「――一番から三番、放て!」
「「「マウッ!」」」
ギランの合図で後衛の手から真っ赤な球体が放たれる。彼らの手には大きなそのボールがミノタウロスとその周辺にぶつかり、けたたましい爆発音とともに火柱が生じる。前線の盾を熱風が襲い、その傘に隠れられないギランの毛並みを焼く。
「あっち! あっちっ!」
その威力は絶大。三発でミノタウロス二体を薙ぎ倒し、二体の腕や足を吹き飛ばしている。
「いやいや……さすがは達人級の菌能といったところか。もはやちょっとした攻城兵器だな」
ギランも自身で握るそれ――アベ・シュウ由来のチャージ【火球】を、近づいてきた一体に投げつける。ボディーに真正面からぶつかり、ドゴンッ! と岩の破片が飛び散る。巨体が仰向けに倒れ落ちる。
「直撃すればミノタウロスでも一・二体倒せるな。にしても――男が出したタマを投げつけるってのは……言い回しの問題か?」
「そうですね、これはシュウくんが出したタマなんですよね」
隣で【火球】に頬ずりをするクレ。そのまま爆発したらいいのにとギランは思う。
爆発音にゾンビが反応し、奥のほうからも続々と集まってくる。ショロトル族たちがマウマウと恐れを含む声を漏らす。
「さあ、ここからだな」
それでもギランは笑い、【戦刀】を前方に突きつける。
「恐れることはない、このまま進むんだ! 威風堂々、英姿颯爽、真正面から敵陣を突き進め! 我々はここにいると知らしめんばかりに、もっと派手に花火を打ち鳴らそうじゃないか!」
「マウ?」
「マゥウ?」
「うん、なんとなくわかってくれればいいから」
遺跡都市は中心の巨大祭壇から放射状に八本の大通りが伸びている。
東端で起こった巨大な破壊音に、その南側、北側、そして中心付近のゾンビたちが反応する。
通りを隔てる廃屋や瓦礫の隙間の路地を、機敏な死体たちがわらわらと移動していく。
――その頭上からボールが降ってくる。剥げた肌にぶつかり、つぶれ、爆ぜる。
「チビども、お客さんだぞ」
シシカバ・ミドリはアベ・シュウの【火球】でお手玉しながら、配下の五匹に指示する。
屋根の上から放たれる【火球】。あちこちで爆発と火柱が生じ、土埃と石礫が飛散する。
ゾンビたちの身体がひきちぎられる。無事なものも、瓦礫や味方の残骸が障害物となって行く手を遮られる。爆音でおびき寄せられたやつらで渋滞が起こる。
「ぎゃはは! 押さないでくださーいってか! マナーってのは大事だなあ――え?」
ミノタウロスがむんずと瓦礫を掴み、ミドリへと投げつける。「どわっ!」とミドリは自身の頭ほどもある岩塊を寸前でかわす。
別のミノタウロスが味方を踏み台にして屋根に登ってくる。狭い足場をたどたどしく伝ってミドリらに迫る。
「ちっ――」
ミドリが【戦槍】を投げつける。頭に浅く刺さり、よろめいたところへ「だらぁっ!」と渾身の飛び蹴り。巨体が傾き、路地へと落ちていく。
「ざまあみやがれ腐れ牛頭が! あたしらは上、てめえらは下だ!」
などと啖呵を切りつつも、ミドリの背中は冷たい汗がにじんでいる。
(やっぱ無理だわな)
残弾に対して敵の数が多すぎる。一人と五匹でカバーできる範囲もたかが知れている。本隊に向かう足を止めきれない。ここも長くはもたない。
「無駄弾は撃つなよ! 地形を利用してやつらを分断しろ! 石頭どもに弱者の知恵ってやつを教えてやろうぜ!」
「マウッ!」
「マウーッ!」
北のほうで爆発音。妹のアオイが受け持つあたりだ。
同じ遺伝子を持つ彼女も、今頃は似たような苦境にあることだろう。
「もうちょいふんばれ! 弾切れしたらオオカミのところまで退くぞ!」
自身の縄張りである都市の一角で、これまでにない激しい戦闘が繰り広げられている。
祭壇の広場から動かずとも、伝わってくるその音で、振動で、ビショップはそれを感じとっている。
メトロ獣の中でも比較的高い知能を持つゴーレム、その中でも変異個体としての特性と三年に及ぶここでの経験により、ビショップは知性――それも論理的な思考能力に近いものを身につけつつある。
連日、庭をちくちくと荒らし、手足であるゾンビを狩っている複数の敵性存在。それらがついに本性を現し、牙を剥いたのだと、乏しい自我が認識し、警鐘を鳴らしている。
ビショップの行動原理はたった二つだ。
同種以外の餌を捕食する。自身の庭を脅かすものを排除する。ただそれだけだ。
自身にさえ、あるいは他の同種にさえ聞こえない音波が放たれる。
それを受けとった端末が、命令のままに走りだす。鈍重な足音が重なって庭中をびりびりと叩く。
石造りの建物が吹き飛ぶ。ぱらぱらと瓦礫をまといながら立ち上がったのは巨大なトレントゾンビだ。獲物の捕獲に向かないため、使わずに眠らせておいた手駒、全部で十五体。
ビショップに高度な戦略性などは持ち合わせてはいない。それを学び、養うような相手はこれまでに存在しなかったから。
この決断もそれに類するようなものではないが、それでも彼は自身の中のなにかが変わりつつあることを、言葉にならない予兆として感じている。芽生えつつあるものの蠢きを感じている。
「まったく、ここへ来てトレントとは――」
ギランは尖った爪で頭を掻く。わりといろんなところに出没する昆虫型メトロ獣だが、あの二階建てサイズとなるとここ以外でお目にかかったことはない。
そのゾンビともなれば、脅威の度合いはミノタウロスどころではない。あの巨大怪獣が痛みも恐れもなくしてがむしゃらに巨大な脚を振り下ろしてくるわけだ。ショロトル族の壁が機能するレベルではない。
すでに双子妹の部隊は本隊に合流し、群がるゾンビを【火球】と肉弾戦でどうにか退けている状況だ。ここにトレントが入り込めば一気に蹴散らされてしまう。
(対ルークの奥の手なんだが、出し惜しみしている場合じゃないな)
埃っぽい空気をマントで払いながら、大きく吸い込む。
「ウォオオオーーーンッ!」
咆哮が轟き、あたりをびりびりと震わせる。間もなく頭上を小さな影が横切る。怪鳥に乗って空を駆ける二騎のショロトルライダー。
〝放術士〟系統には【調教】というレアな菌能がある。菌糸玉をメトロ獣に食べさせることで飼いならすことができる能力だ。
対象のレベルが低いこと、高い知能を持たないこと、獣の種別などいくつかの制約はあるが、食べさせれば食べさせるほど従順になり、主人以外の者にも懐くようになったりする。地上で使役される輪入道やギガリザード(通称ワニバス)はそうして繁殖・品種改良された獣だ。
ショロトル族が乗る怪鳥は三十二階に出没する個体だ。それをシシカバ・アオイがこの日のために数日かけて飼いならした。結局使いものになったのは二羽だけだったが、そこにアベ・シュウ爆弾が加わることで戦略上の重要性が飛躍的に向上した。
「マウッ!」
トレントの頭上を飛び交うライダーから、縄でくくられた三つの赤い球体が投下される。昨日一日しか訓練できなかったが、アオイのスパルタが奏功し、見事トレントの胴体に着弾。巨体がぐらりと揺らいで薙ぎ倒される。
「あははっ! いいじゃないか! 戦争とはまさに火力がものを言う。そうは思わないか、シシカバ妹よ!」
「言っとくけど、質量差は雲泥だからな」
トレントを二体静止させたのはいいが、時間が経つにつれてゾンビ軍団はどんどん数を増している。当初は三百匹と目算したが、明らかにそれより多いだろう。
対して、アベ・シュウが用意できた【火球】は手持ちが尽きようとしている。
いかにレベルが高くとも、無限に生み出せるわけではない。一つ生み出すための所要時間や有効期限もある。いくら胞子嚢を食べようとも失われた体力がすぐに全快するものでもないし、人間の胃袋には許容量というものもある。グロッキーとなったアベ・シュウの口に仲間の女子二人が無理やり胞子嚢を詰め込む絵は見ていて楽しくもあり羨ましくもあった。
やがて姉も本隊に合流するが、彼女らも素寒貧らしい。〝騎士〟らしく【戦槍】を抜き、ショロトル族の壁を飛び越えてクレが奮闘する最前線へと切り込んでいく。
(まあ、やれることはやったか)
(これだけの手勢だ、派手にやって引き寄せた甲斐はあったか)
「シシカバ妹、指揮を頼む」
ギランは【戦刀】を眼前に掲げ、力をこめる。白い刀身が赤い炎をまとい、オレンジ色に煌めく。〝聖騎士〟のみが習得しうる【炎刃】だ。
「〝王殺し〟のギラン・タイチ。逆賊たる英雄の太刀、受けてみよ」
自然と口の端が持ち上がり、牙が覗く。結局最後はこうなる。手練手管を尽くしたのちに問われるのは、実にシンプルな道理だ。果たしてよりどちらの暴力が強いのか。
まあいい。どのみち自分たちは捨て駒なのだから――。
「……頼むぞ、
迫る屍の軍勢へ赤い刃を向け、銀狼が走る。
***
ガコッとマンホールの蓋のような石版を持ち上げると、がらんとした南の大通りに出る。ここ数日の渋谷のハロウィンかというほどのゾンビパレードが嘘のようなもぬけの殻だ。
「ギランさんが派手に引きつけてくれたおかげかな」
「りすね」
いくらギランや愁が高レベルでも、がむしゃらに相手の本丸を狙って突っ込んであれだけの軍勢に包囲されれば、本命を叩くどころではなくなる。
なので、本隊は陽動。そして別働隊が手薄になった本丸を突く。まさに王道な戦術だが――最悪の想定の一つ、トレントゾンビが実在し、所狭しと暴れまくっている。果たして彼らがどこまで耐えられるか。
薄暗い地下道での待機もなかなかに忍耐を強いられるものだった。おかげで搾り尽くされた体力を回復させる時間ももらえたわけだが。
ひたひたと足音を殺して駆ける。間もなく巨大な祭壇をぐるりと囲む広場にたどり着く。
「よお、久しぶり」
愁が挨拶すると――表情のないはずの岩人形が、驚いたように人型の顔を向けてくる。
取り巻きとして残っていたミノタウロス五体が身構える。
ノアとマッコがチャージ【火球】を握った腕を振りかぶる。
タミコをノアの頭に乗せ、愁は肩に担いだ巨大【戦刀】を正眼に構える。
「悪いけど、速攻で終わらせるから」
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