54:岩人形の怪談と〝王殺しの銀狼〟
そんなこんなで酒宴は続き、双子による昔話に発展する。
「あたしらもここに通いつめて十年以上になるんだけどな」
「あの頃は狩人用のエレベーターができたばっかで」
「鉱夫や教団と揉めてばっかだったな」
「そのわりに助けないと『人でなし』とか言われてな」
双子によると、メトロのエレベーター設置には教団による強力な反対活動がつきものだという。神聖なメトロを人の手で過度に改造することを彼らは耐えがたい冒涜とみなし、神の報復を恐れている。「エレベーター設置は地下十階まで」という法規定も教団からの圧力があったからだそうだ。
「まあ、二十階にエレベーターつくられてもな」
「鉱夫がアリのように死んでくだけさね」
ここの採掘物が量質ともに低下している、というのは双子も感じているらしい。おかげで昔にくらべたら狩人の出入りは明らかに少なくなっている、と。
「それでも鉱夫は相変わらず多いよな」
「給料下がってるだろうけどな」
「昔は年端もいかん子どもまで駆り出されてな」
「そのへんのみなし児とか連れてきてな」
「工事やらゴーレム狩りやらで働かせるんだ」
「今は人権だのなんだので、そんなこともなくなったけどな」
「――ゴーレムのみなし児誘拐事件、なんてのもあったのう」
口を開いたのは老人コンビの片割れだ。
「二十年くらい前だったかの。みなし児がメトロ内で姿を消して、鉱夫やら狩人やら総出でさがし回ったんじゃが、なかなか見つけられんで。獣に食われたか、親方のいびりに耐えかねて逃げ出したかとな」
「けんど、その一週間後だったか。見つかったんじゃよ。生きとったんじゃ、このメトロの中で」
「かたわらにはゴーレムがおった。十階にいるはずのない、成長個体のゴーレムじゃった。わしらもそこにおったんじゃ、あれはほんに強かった」
狩人たちは徒党を組んでそれに挑んだ。少なくない被害を出しながらも、ついにそれを仕留め、子どもを無事に保護することができたという。
「あの子、蚊トンボみたいに弱りきって、言葉も発せないほどショックを受けとったなあ。あと数日遅れとったら助からんかったろう」
「それって、ゴーレムが誘拐したんすか?」
愁が口を挟む。
「自分の意思で逃げ出したんには違いないがのう、ゴーレムに見つかって監禁されとったようじゃな」
「ときおりあるんじゃよ。人間をさらって秘密の隠れ家に閉じ込めるんじゃ。あとでこっそり楽しむためにな、秘蔵のブランデーみたいに」
「マジすか……」
「マジりすか……」
ゴーレムの保存食。百舌の早贄。恐ろしすぎる。
「ブランデーと言えば、こないだわしの愛しいしとも嫁に見つかっちまってのう……あえなく没収じゃ……」
「痛恨じゃわな……しかし嫁の目も地下深くまでは届かん。今日は楽しませてもらおうぞ!」
嫁のせいで話題が変わってしまったが、恐ろしい話を耳にしてしまった。まさに怪談話、メトロ百物語。
不安げに尻尾を抱きしめているタミコ。今夜一人でトイレに行けるかどうか。しかたない、ついていってやろう。
それから間もなく宴会はお開きになる。仕事があるので深追いはしないようだ。みんなで後片づけをして、水場できっちり歯を磨き(狩人は歯が命)、口々に挨拶をしてテントに戻る。
「明日だけど、とりあえず二十五階くらいまで行ってみようか」
「そうですね……ただ、今さらですけど……」
「ん?」
「シュウさんならだいじょぶだろうって、軽い気持ちでオウジを提案しちゃったけど……やっぱりシュウさんの負担が大きすぎるっていうか。できる限りボクもサポートしますけど……」
「まあ、こんなでも俺も一応達人級だし。やっぱミスリルの武器とかほしいし」
「うーん……」
ノアの懸念はわかる。愁も同じ気持ちではある。命あっての物種、無根拠な蛮勇が冒険を無謀へ変える。
そこはバランスが必要になってくる。そしてその感覚を身につけるには経験と体験を積んでいくしかない。
「まあ、二十五階でもきついようなら潔く撤退。余裕があるならちょっとずつ潜ってみる……って感じが現実的かな?」
「……わかりました。ただ、絶対に無茶は禁物です。シュウさんがダメならどうあってもダメってことですから。調子こきモード禁止ですよ?」
「オッケー、重々承知。タミコもそれでいい?」
タミコは股間を押さえてもじもじしている。
「なんでもいいからトイレいきたいりす……いっしょにきてりす……」
「ったく、しゃーねえなあ。一緒に行ったるわ。俺もちょっとしたいとこだったからな」
渡りに船なんて思っていない。
キャンプ場のトイレは、岩壁に開いた穴に木の扉をはめこんだものだ。便器の代わりに地面に穴があり、その下には大量の菌糸植物。要はバイオトイレだ。下は乾いた砂地で、岩壁にしみ出る水を溜めた手洗い場もある。
メトロの菌糸植物の分解作用は非常に強い、死骸だって数日ともたずに骨と塵にしてしまう。排泄物の分解吸収など造作もない。
(そういや、スガモの下水はメトロに流してるって話だっけ)
(それも地下で菌糸植物とかの栄養になってたりするんかな)
あるいはメトロそのものの栄養――などというのは勘ぐりすぎだろうか。
寝る前ということで、ノアも参戦。メンバー三人、仲よく連れションだ。
トイレは男女共用だが、こういうとき男はどうしたらいいのだろう。「男のあとに入るのは嫌」という意見が多いと昔ネットで見た気がする。かと言って、女性としてはあとに入られるのも嫌なのではないだろうか。正解はどこにある? 誰もが幸せになれる道は?
「シュウさん、先にどうぞ」
「あ、うん? はい」
これが世界の答えか――などと感慨にふけりながら愁がドアノブに手をかけようとしたとき、向こう側からドアが開く。ぶつかりかけて慌てて飛び退く。
「――失礼」
出てきたのは、見知らぬ顔だ。
というか、人間ではない。
顔を覆う銀色の毛並み。突き出た鼻。鋭く細長い碧眼。三角に尖った耳。
(――オオカミ?)
オオカミが二足歩行し、狩人のジャージを着ている。
亜人だ――それもオオカミの。
ただ、同じ亜人であるオブチとは明らかに異なっている。面立ちに人間の混じるオブチとは違い、目の前の男は首から上が完全にオオカミそのものだ。
双子が言っていた「ロンリーウルフ」というのはこの男のことだろう。まさかここまで言葉どおりのウルフとは。
「すまなかった、だいじょぶかい?」
オオカミ男の声は涼やかで耳障りがいい。声からしても体型を見てもオスなのは間違いなさそうだ。
「あ、はい。だいじょぶっす……」
「よかった。では失敬」
彼が軽く会釈し、呆然とする愁たちの間を抜けて去っていこうとする。
「――ギ――」
ノアがなにか言いかけて口をつぐむ。オオカミ男の耳がぴくりと動く。足を止め、振り返る。
「……お嬢さん、今、私の名を呼ぼうとしたのかな? どこかでお会いしたかい?」
びくっと身をこわばらせたノアが、少し間を置いてから首を振る。
「……いえ……ボクもイケブクロ出身なので……」
愁の位置からは彼女の顔は見えないが、その声は普段よりもかたく感じられる。
「そうか、参ったな。同郷にはさすがにバレてしまうか。他の彼らには偽名で通していたんだが。どうかこのまま内緒にしておいてほしい、面倒は困るからね」
オオカミは苦笑して耳の裏を掻く。身を屈めてずいっとノアに顔を近づける。
「お嬢さん、お名前は?」
「……イカリ・ノア」
「イカリ・ノア……すまない、やはり憶えがないようだ。こんなに可愛らしいお嬢さんとあれば、以前会っていたら絶対に忘れないだろうに」
オオカミ男が彼女に近づき、その手をとる。イヌ科の尖った口を、手の甲に軽く触れさせる。
「ちょ――」
愁が言うより先に、ノアがその手を払いのける。オオカミ男は苦笑し、肉球のついたてのひらを見せる。
「どうもガサt……豪気な女性とは相性が悪くてね、酒宴も遠慮させていただいたんだけど。君のような麗しい娘がいるなら参加すればよかった。どうだい、私のテントで故郷の思い出話でも語りながら夜を明かさないか? 君となら久々に爽快な朝の遠吠えを――」
「はいはいはいはい!」
二人の間に割って入る愁。
「すいません、うちの子なんで」
ノアを背中に隠し、オオカミ男を睨みつける。
そうしてから気づく。
(……はいはい。どう見ても嫉妬ですわ)
保護者的な立ち位置だから、守らなければいけない対象だから。という自分への嘘をつく暇もなく、ストレートにそれを認識する。
そして秒で開き直る。嫉妬ですがなにか?
オオカミ男が顔を離して背筋を伸ばす。愁よりも十センチ以上は大きい、百九十くらいあるかもしれない。
「ああ、申し訳ない。素敵な女性を見かけるとつい視野が狭くなってしまってね。なんせイヌ科なもんで」
愁に手を差し出してくる。
「ギラン・タイチ。イケブクロトライブ所属だ」
「……スガモのアベ・シュウです」
毛深い指はきちんと五本そろっている。そして肉球は思いの外柔らかい。反感を忘れてちょっとだけはわわっとなる。
「あたいはタミコりす」
「おお、ここにも可愛らしいお嬢さんが。気づくのが遅れて申し訳ない」
愁の肩に乗るタミコとも握手を交わす。
「お嬢さんがたともう少し言葉を交わしたいところだが、こんな場所では少々色気に欠ける。というか引き止めるのも申し訳ない。私のテントはあそこだ。キュートな女の子はいつでも歓迎だよ、みなが寝静まったあとだろうとね。はは、では」
オオカミ男ことギランが去っていく。ふさふさの尻尾を振りながら。
「……なにあいつ……」
BBQを拒んで一人でいるくらいだから、孤独キャラか気難しいキャラを想像していた。思っていたのとだいぶ違う。
「……ちょっとむかつくけど、イケメンだったな……」
「イケメンりすね」
「あ、タミコの目から見てもそうなんだ」
「モフモフはせいぎりす」
「なるほど」
愁としても出会いかたが違えばモフらせてもらいたかったところだ。
「はじめてみたりす。あいつ、ニンゲンなのにレベル70よりうえりす」
「マジで!?」
結構ショックだ。イケメンだろうと口の回るナンパキャラだろうと「こちとら達人級だぞ」という自負心があったのに。
まあいい、こちとらチート菌職だ。菌能の質と数なら負けないはずだ。将来性だって――。
(……てか、なんで張り合ってんの?)
(あんなぽっと出の無関係なやつに)
(ノアにコナかけられたから?)
(確かに仲間だけど――別に俺のものってわけじゃないのに)
「……〝王殺しの銀狼〟ですよ」
愁が振り返る。ノアはうつむいたまま続ける。
「ウェアウルフ――オオカミの亜人で、イケブクロトライブでは最も有名な狩人です。八年前の内紛で族長を殺し、クーデターを完成させた立役者の一人です」
「……めちゃめちゃビッグネームじゃね、それ?」
とてもそんな大物然とした態度ではなかった。
「それって犯罪者ってことにはならないの?」
「経緯がちょっと複雑で……でも都庁政府は現体制を容認しています。前族長は、その、暴君なところがあって……新しい族長は領民にも結構歓迎されたりしてて……」
「リアル革命家やん、チェ・ゲバラやん……」
張り合うとかいう以前だ。前もって知っていたら楯突くのにさっきの百倍の勇気を要しただろう。
「ギランは現イケブクロ族長の懐刀で、近衛兵長も兼任してるって話です。なんでこんなところに……あいつが……」
ぎり、とノアが歯を噛みしめる。肩が小さく震えている。
「……あいつって……ノア、なんかあったの?」
はっと顔を上げ、首を振る。やはり目を合わせてはくれない。
「……いえ、別に。経緯が経緯なんで、イケブクロでも現体制への反対派も少なくないんです。ボクもその一人ってだけです」
「……そっか」
――ほんとに?
そう疑問に思っても、口にはしない。それ以上訊いても、今は答えてくれないように感じたから。
「アベシュー」
「ん?」
「もれるりす」
タミコが股間を押さえてぷるぷるしている。
「先にトイレ行きな」
「うごいたらもれるかもりす。ふむむ……」
「わかった、俺の手に移れ。そっとな。よし、ゆっくり行くからな。がんばれ、トイレまでもうすぐ……ちょ、待て、気を緩めるな。尻尾をくたっとするな。やめろ、やめ……アッー!」
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