オウジメトロ編

47:ジゴクアリジゴクと阿部愁の野望

 半日以上歩きずくめで、さすがに心身ともに疲労が溜まってきている。

 すでに日は落ちて久しく、木の葉の天井の隙間から覗くのはどんよりと曇った夜空だ。


 星も月もなく、ノアの【光球】――光る菌糸玉による照明でほんのりと明るい程度だ。【感知胞子】がなければ、こんな森の奥深くを歩くことなど叶わないだろう。後ろに続くノアのために藪や茂みを掻き分けているが、彼女もまた疲労で三十分くらい前から口を開いていない。


 しかし――ついに目的の場所を感知範囲の端に捉えたことで、若干緩みがちになっていた集中力が一気に引き締まる。


「ノア、ここで待ってて」

「……はい、気をつけて」


 タミコを肩に乗せ、愁は慎重に歩を進める。

 木々がぷつりと不自然に途切れ、その先には腐葉土と化した地面が広がっている。鬱蒼とした森の中で、まるでそこだけ空から切りとられたかのように、不自然なまでに綺麗な円形を描く広場だ。

 直径二・三十メートルほどのエアポケット、その中心はすり鉢状に窪んでいる。子どもの頃に軒下で見かけた小さなアレによく似ている――アリジゴクの巣。間違いない、ここだ。


「タミコ、レベルを確認したらすぐにノアのところに戻れ」

「りっす」


 愁はこきこきと首を鳴らす。マントと上着はノアに渡してある。臨戦態勢はすでに整っている。


 周りに誰もいないことを確認し、指先に赤い菌糸玉を生み出す。燃える玉改め、【火球】。

 ピッと手首のスナップで放る。赤い玉がすり鉢の中心へ吸い込まれていき――ボンッ! と爆ぜる。重い響きと眩しい光を撒き散らす。

 ずごご……と中心に土砂が吸い込まれていく。

 そして、ドンッ! と先ほどの数倍の衝撃。もうもうとした土埃を巻き上げながら、それが姿を現す。


「……でけえなおい……」


 たとえるなら、「クワガタの顎とザリガニのハサミを持った巨大なムカデ」といったところか。オオツカメトロの強敵・オニムカデも全長十メートル以上の大型獣だったが、こいつの全長は明らかにその倍以上、頭の大きさや胴回りはオニムカデの三・四倍はある。ちょっとした怪獣だ。


「おやすみのとこ悪いけど、狩らせてもらうよ。これ以上でかくなると困るってさ」


 ジゴクアリジゴク。

 本来ならメトロの中層から深層に潜む中ボス的な強敵。ごくまれに地上でタマゴが孵化し、樹海にちょっとした災害をもたらすという。

 愁たちの今回のターゲットだ。


「タミコ!」

「45くらいりす! けど――」

「ああ、わかるよ」


 レベルだけならオニムカデと同格だ。けれどそれは、あくまで体内の菌糸の強度にすぎない。

 種族的なものだろう、間違いなくこいつは、その数値以上に強い。

 威嚇するようにハサミを持ち上げるこいつの威容を前に、五年に及ぶ地獄が磨き上げた勘が愁の中で警鐘を鳴らしている。


「タミコ、ノアのところに」

「アベシュー、きをつけるりす!」


 肩からタミコが離れていくのを見届けて、愁は両手に【戦刀】を生み出す。


「ギィイイイイイイイイイイイイッ!」


 鋭く尖った一対の顎から、金属の弦を引くかのような不快な咆哮が放たれる。

 愁の手に握られる一対の刀が、青白い光を帯びる。【光刃】。


「――恨みっこなしな」

 

 

 

 ジゴクアリジゴクは半身をすり鉢の底に置いたまま、半身を伸ばして愁に襲いかかる。

 顎の間から液体が放射される。嫌な予感がして後ろに飛び退くと、液体が撒き散らされた地面からじゅううと煙が立ち昇る。強酸の体液か。


「ギィイイイッ!」


 ハサミが地面に突き刺さる。間一髪でかわした愁が【戦刀】を振るう。引き抜かれたハサミと衝突し、ガギッ! と鈍い音が響く。

 手応えはあったが、かわしざまの反撃では両断できない。かなりかたい。


「んげっ!」


 酸で焼け焦げた地面がざらざらと崩れ、斜面が広がってしまう。足をとられてバランスが崩れたところに追撃のハサミが伸びてくる。【戦刀】で正面から受け止める、その足元がさらに崩れて靴が土砂に埋まりかける。砂漠の砂地獄のようなさらさらの砂というわけではないが、細かく砕かれた土砂は柔らかくふんばりが利かない。


「があっ!」


 力任せにハサミをいなし、【跳躍】ですり鉢から一気に脱出。

 相手の追撃よりも先に刀を放り出し、【火球】と【雷球】を三つずつ同時に放つ。発火と電撃で目が眩むほどの光が迸る。


「……効いてんのかな……?」


 とっさの判断なのか、ハサミを交差させて頭をガードしていた。ぷすぷすとわずかに焼け焦げてはいるが、それでもおいしく召し上がれそうなほどに火は通っていないようだ。

 ジゴクアリジゴク。思った以上にかたい。タフネスはオオツカメトロ五十階のメトロ獣以上だ。


「ギィイイイッ!」


 ヘイトを募らせたことでさらに苛烈さを増す攻撃を避けながら、愁は思考をめぐらせる。


 このまま遠距離攻撃で削っていけば、いずれは倒せる気がする。こちらの体力が尽きるより先に。

 だが――相手のあの形状を見たときから、その方法は最後の手段にしたいと思っていた。できるだけ状態のいいお土産を残すために。


 とはいえ、敵はなかなかガチンコの殴り合いに応じてくれない。

 ハサミによる攻撃はリーチを活かしたヒットアンドアウェイで、それを断ち切らせるほどの隙を見せてくれない。威力よりも速度と回転数に重きを置いているようなのがいやらしい。


 あるいは酸を吐き、地面を柔らかくしてハサミで耕す。そうやって自分に有利な地形を広げることに腐心している。カイケの言っていた〝森を穿つ者〟という二つ名にふさわしい職人気質だ。

 足場が狭くなれば回避も迎撃も難しくなる。

 となると――。


「一気に決めるか」


 正面から、正々堂々と。英雄譚にできそうなくらい真っ向から難敵と斬り込む。性に合っているかどうかわからないが、それが一番手っ取り早そうだ。


 愁は足を止める。片手の【戦刀】にいっそう光をまとわせる。

 ハサミが両側から伸びてくる。チョロチョロとうるさい人間を挟み込み、バツンッ! と閉じる。

 空振りだ。ハサミがあと数センチのところまで到達したとき、愁の身体は弾丸のごとく前へ放たれている。

 【跳躍】した愁の向かう先。大顎を備えたジゴクアリジゴクの顔面。

 やはり反応がいい。愁の動きを目で追っている。

 大歓迎と言わんばかりに顎を開いて待ち構える。


「ああああっ!」


 両手のハサミよりも鋭い、刀剣のようなフォルムのそれが閉じて愁を両断する、その寸前。


「ギッ!」


 ジゴクアリジゴクが声を詰まらせる。顎が止まっている。それ以上閉じなくなっている――横にした【大盾】に遮られて。

 メキメキと【大盾】が軋み、砕けるのと同時に、愁は固定された盾を足場にした二度目のジャンプで後頭部に到達している。


「――悪いね」


 光をまとった刀が、かたい外殻を破って突き刺さる。「ブギュッ」とつぶれたような悲鳴が漏れ、体液が噴き出す。


「ギュィイイイイイッ!」


 愁を吹っ飛ばそうと巨躯がうねる。吹っ飛ばされまいと愁は刀を握りしめる。アトラクション感の強い「坊やよい子だ寝んねしな」状態。


「いいから……死んどけぇっ!」


 自重を預けるようにして刀を下へ、頭の先へ斬り進める。足に全身の力を集め、【跳躍】。

 ズガガガガガッ! 一直線に切り裂いたところで刀が抜け、そのまま斜面に急降下する。どうにか身体を捻って足から着地。柔らかくて助かる。


 巨大ムカデの無数の足がわなわなと宙を引っ掻く。頭を半分にかち割られたそいつが、仰向けに、ゆっくりと崩れ落ちていく。すり鉢の外の木にぶつかって地面を揺らす。


 文字どおり叩き起こされた鳥や虫がにわかに騒がしくなる。それが収まると、ようやく森に静けさが戻ってくる。

 

 

    ***

 

 

「ふっ、まさか一日で討伐を終えてくるとはな」


 狩人ギルドスガモ支部の営業所内、組合員代表にあてがわれた小さな部屋に、愁とタミコはいる。

 二人の前には事務机に尻を置いてアオモトがいる。


「ジゴクアリジゴク、それも発見が遅れたためにかなり成長しきった個体だったと聞いた。本来なら中堅どころのコンビ二組がかりというところかな。それを実質君一人で、か。つくづく可愛げのない新人だ」


 腕組みをして満足げに鼻を鳴らす。その凛とした佇まいは、面接時に垣間見せたポンコツ感は鳴りを潜め、組織のトップ然とした貫禄と威厳を湛えている。


「君たちにはここまで三つのクエストをお願いしてきたが、文句のつけようのない活躍ぶりだ。組合員代表として鼻が高いよ」


 愁たちが面接をパスしてスガモ市所属となったのが十日前。即日から狩人としての活動は可能となったが、認識票の発行までメトロなどへ遠出するわけにもいかず……という手持ち無沙汰なところで、アオモトとカイケからの推薦でクエストを受注することになった。


 一つ目は、市の西側のメトロから出てくるゴブリンの撃退。

 西側に出現したメトロに、色とりどりのゴブリンが多数――それこそ数千匹という規模で――生息しているらしく、そこからエサを求めて這い出てきたやつらが近隣の集落やこのスガモ市にまでやってきている。

 最弱と称される緑ゴブリンだけならいざ知らず、お馴染みの青や赤、そしてまだ見ぬ黒や白などの「比較的危険度の高いやつら」も出没するので、ここ最近のスガモ市の悩みの種になっている。余談だが、人間の女性をかどわかしてなんとか袋に――などというダクファンな展開はないらしい。

 愁たちもその撃退任務に駆り出された。三日ほどかけて赤を三匹、青を五匹、緑は十数匹退治した。日当一人一万円のわりにはよく働いたと自認している。


 二つ目は、市の南東にある集落――リクギ村の警護任務。

 ここもメトロ獣害だ。十数年前に出現した近隣のメトロに、数カ月前からヤギザルことバフォメットのコロニーが出現し、畑を荒らしたり家畜を連れ去ったりと狼藉を働いているという。

 ご近所のよしみでスガモ支部が立ち上がり、「コロニー討伐部隊」が結成されることになった。それまでのつなぎに愁たちは交代制の警備係として三日間、泊まり込みで夜の見回りに加わった。

 青ゴブリンとどっこいレベルのヤギザル(ヤギの頭と下半身にサルの胴体)の群れと格闘。日当は一人一万五千円、成果はノアがレベル25に上がったくらいか。村長は若く美人で老人たちは気のいい人たちばかりだった。名物すいとん汁と芋焼酎おいしかったです。


 そして三つ目が、昨日のジゴクアリジゴクの討伐だ。

 放置しておくとどんどん森を削るしあちこちに繁殖したりするので(あれが成虫らしい)、シン・トーキョーではそれなりの脅威として恐れられている。

 討伐に赴くはずだった中堅チームが諸事情でキャンセルとなり、アオモトの推薦で愁たちが出張ることになった。成功報酬はなんと七十万円。鼻血出る。


「ありがとうございます。光栄です」

「……ふむ、そのわりには嬉しそうじゃないな? どうした、さすがの君もお疲れか?」

「あー、いえ。当てが外れたっていうか……いや、なんでもないっす」


 この人に愚痴ってもしかたがない。勝手に期待したのが悪いのだ。


「ふふっ、それほどの化け物相手でも君の腕を満足させるには至らなかったということか? さすがは私を負かした男、仮発行の認識票持ちのルーキーとは思えないふてぶてしさじゃないか」

「いや、まあ……」


 そういうわけではないが、説明するのも面倒なので曖昧にうなずいておく。


 と、彼女の視線が横に滑る。愁の耳元、肩元に。

 タミコは彼女から身を隠すように愁の後頭部にしがみついている。だからノアと一緒に下で待っていればよかったのに。


「……いぢめるりす……?」

「いぢめないよぉ」


 アオモトがジャージのポケットからドングリをとり出す。タミコがシャッ! と彼女の手に乗ってドングリを頬袋に仕舞い、またシャッ! と愁にひっついて元の位置に戻る。耳元でゴリゴリとドングリを削る音がうるさい。


「そういうことであれば、もっと骨のあるクエストを用意してもいいぞ。こちらとしては願ったりだ」


 アオモトが鼻血を拭いながら続ける。


「これまでは特例というか、私とカイケさんの推薦で序列に合わないクエストも受けてもらってきたが、これからはその必要もなさそうだしな」

「へ?」


 事務机の引き出しから二枚のカードがとり出される。

 キャッシュカードサイズの、透明な樹脂でかためられたカード。右上に画質の粗い画像がプリントされている。ピンボケした塩顔とどアップのシマリス、いや愁とタミコだ。


「おー……これが……」

「十日間も待たせてすまなかったな。君たちの正式な認識票だ。記入情報に誤りがないか確認してくれ」

「あたいの! あたいのニンシキヒョーりす! ぴぎー!」


 興奮したタミコが愁の肩で反復横跳びを始める。愁はカードを手にとって内容を確認する。もちろん多少というか結構嬉しいが顔には出さないように努める。

 ――と。


「あの、えーっと……最初って三級からスタートですよね? これって……?」


 狩人にはギルドの定めた序列制度がある。いわゆる「金の冒険者」とかいうやつだ。

 ルーキーは三級から始まり、二級、一級ときて初段、二段、三段……最高位は五段になるが、名誉段位なので現役では最高四段ということになる。

 クエストの達成度や収獲の売却手数料の収めた金額、納税額などを元にギルドがランクアップを認可する形になっている。序列が上がれば受注できるクエストの幅も広がるし、社会的信用だけでなくさらなる収入アップにつながる。ほとんどクエストをこなしていないというノアも、そして新人の愁とタミコもまだ三級――のはずだが。

 愁もタミコも、「一級」と書かれている。


「ふふ、ようやくその塩顔を驚かせることができたな」


 アオモトがイタズラっぽく笑う。


「登録時のレベルに応じて最初の級位を上げるのはわりとよくあることさ。君なら初段どころか二段スタートでも足りないくらいだが、なにぶん前例がなくてな……慣習どおり一級からスタートとさせてもらった。穏便に済ませるしかなかった私たちのふがいなさを責めてくれていい」

「いや、そんな……じゅうぶんです、ありがとうございます」


 本当にありがたい。序列と初任給は高いほうがいいに決まっている。


「ほら、タミコも」

「……いぢめるりす……?」

「いぢめないよぉ」


 新たなドングリが提供される。ポンコツ呼ばわりしてきたことを心の中で詫びるのはまたの機会にする。


「一級ともなれば、受注できるクエストもそれなりに違ってくる。君にとってはまだまだ役不足かもしれないが、その場合は私や職員に相談してくれればいい。対応できる部分はさせてもらおう、もちろん支部にとっての利益になればだがね」

「はい、ありがとうございます。しばらくしたらまたクエストを受けてみようと思います」

「ふむ? しばらくはお休みか?」

「いえ、まだ仲間と相談してないんですけど……どこかのメトロに潜ってみようかなって」


 前々から密かに胸に秘めていたものがあった。


 ――武器がほしい。


 せっかくモンスターのはびこるファンタジーな世界に覚醒したのだ。そして冒険者としての登録も叶ったのだ。

 そうしたら次にやるべきは、レベル上げか装備品の調達ではないか。当然ではないか。ゲーム世代なめんな。


 まあ、普通に考えれば「菌糸武器あるんだからリアル武器いらなくね?」となるのはわかる。異論は認める。

 だが、そういうことではないのだ。腰に帯びるのはロマンだ。エモさだ。厨二心だ。

 それに、この世には菌糸による特殊効果つきのアイテムというのも存在する。愁たちのカトブレパスマントがそうだ。それなら特殊効果つきの武器もあるはずだ。手に入れたくないはずがない。

 実用面で言うなら、短剣類が望ましい。刀よりも短い間合いでの立ち回りに特化した武器。短剣二刀流とかできたらなおエモい――。


 そんな野望を抱きつつあった矢先、あのジゴクアリジゴクとの邂逅。

 あの恐るべき顎と強靭なハサミ、あれこそまさに「いい武器になる素材」だと歓喜し、なるべく傷をつけないように仕留めた。のに。


 今朝、戦利品の顎とハサミをオブチに見せたものの、芳しい答えは返ってこなかった。「どう加工してもアベさんの菌糸武器には勝てない」「農耕具向きの素材かも」ということだった。


 こうなったら意地でも見つけたい。強くて長持ちしてエモい特殊効果つきの武器。

 それが無理なら防具でもアクセサリーでもいい。とにかく装備品がほしい。装備品に身を包まれたい。


(レベル上げも兼ねて――腐るほど素材狩ったるわ!)


 新たなメトロへの挑戦が始まる。

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