46:スガモ最強の狩人

「それでは、これから認識票用の写真撮影と、刻印の付与を行ないます」

「写真!?」


 愁は思わず声をあげる。


「はい、写真です。おわかりですか?」

「あ、はい……なんとなく聞いた気が……」

「これが私の認識票です、職員のものなのでみなさんのものとは若干違いますが」


 タナベが自分のそれをみんなに見せてくれる。免許証サイズの樹脂加工されたカードに、名前と所属支部、職員番号などの情報が記載されている。そして左側には彼女の顔写真。画質は粗いが淡い色合いのカラー写真だ。


「すげー、これが写真か」とクラノ。「俺、初めて見るっす」

「おねえさん、あたいよりちっこくなったりす」とタミコ。

「世間に流行りだしたのは十年くらい前からですね」とタナベ。「ただ、今でもあまり浸透はしていないし、身分証で写真入りなのはスガモ市を含めてごくわずかですよ」


 まあ、江戸時代末期にはカメラも写真も伝わっていたくらいだから、原理や知識さえ残っていればそう難しくはないのだろう。生粋の文系である愁には百年かかっても無理そうだが。


 ということで、別室に移動して撮影会になる。一人ずつ椅子に座らされ、大人の顔ほどのサイズの箱型のカメラでにこやかな顔を強要される。「はい、アベさん。もっと目を開いてー。もっと口の端上げてー。もうちょっと顔に凹凸出そうねー」。なぜかタミコだけ四枚も五枚も撮られるが、後ろで見守るアオモトの強権発動と勘ぐるのは穿ちすぎだろうか。


 さらに別室に移動して、ギルドの職員だけでなくスガモ市の職員も同席の元、刻印の付与――すなわち、所属する都市のタトゥーをもらうことになる(戸籍の発行は市側の手続きによるものであり、ギルドはあくまでも身元保証の代理人的な役割ということらしい)。


「じゃあ、こちらで横になってください」


 彫師と呼ばれる初老男性の指示に従い、愁は簡易ベッドに仰向けになる。タトゥーどころかピアスすら未体験の愁にはドキドキを通り越してガクブルだ。

 タナベもアオモトも、彫師の背中を複雑そうな目で見つめている。オブチ曰く、スガモ市長は過去に刻印による市民の管理について都庁に反対を表明した経緯があるという。結局はトーキョー法の規定であるということで突っぱねられたそうだが、職員や組合員も同じように快く思っていないのかもしれない。


 愁はというと――意外にもそこまで抵抗はなかったりする(痛みへの恐怖的なものはともかく)。

 彫られる図柄は直径五センチに満たないし、実務的な効果のあるものだ。身体から菌糸やら胞子やら出しまくりの半ゾンビ人間に成り果てたわけだし、魔獣やら亜人やらがいる世の中で、今さら模様の一つや二つ増えたところで騒ぎたてることでもない。

(まあ、大昔でも個人の判別とか犯歴の有無とかに使われてたらしいし)

(あの時代の先進国なら絶対ありえないだろうけど)

 人権の定義なんて結局、その年の流行ファッションみたいなものだったりする。普遍的な価値観など幽霊よりも存在しない。


 施術は五分程度で終わる。多少チクチクとしたが、痛みと呼べるほどでもなかった。けれど、左右の脇腹にはそれぞれきっちり刻まれている。

 左側はスガモ市の市章というやつで、市民の証となる。舵のような円形に八つのトゲが出た外枠に、真ん中に「モ」に似たマークが入っている。色は濃緑色だ。

 右側は狩人の組合章。オオカミに蔦のようなものが絡まった図柄で、色は黒だ。


「普通はもっと炎症になるんですけど、綺麗ですね……」


 彫師が驚いている。


「ああ、彼は【自己再生】持ちだからな」


 実は【不滅】のせいで刺青が定着しないのではと若干心配だったが、無事にきちんとプリントされている。菌糸を使った特殊な墨らしく、その効果で削ったりえぐったりしても元通りに浮かび上がってくるらしい。消せるには消せるが、同様の彫師による治療が必要とのこと。


「じゃあ、次はタミコさんですね」


 施術台にちょこんと乗るタミコ。ちょっと不安げだ。


「と言っても、これだけ体毛がフサフサですからねえ。てのひらに刻印する形でよろしいですかな?」

「いたくしないでりす……」


 愁に使っていたのよりもさらに細い針をとり出し、スポーツメガネのようなものを装着する。


「だいじょぶですよ、この針なら米粒にネコの顔だって彫れますからね。そしてこのハグキルーペなら大きく見えちゃうんです」

「すげえ不安」


 右手に狩人の組合章、左手にスガモの市章を入れることにする。


「きゃうん! く、くすぐったいりす!」

「肉球だからな」

「いぎー! ちくちくするりす! ビクンビクン!」

「ごめんねえ、ちょっとだけ動くの我慢してねえ」

「よし、じゃあ私が押さえよう」とアオモト。

「あんたはさわるんじゃねえりす! せなかもむなりす! キーキー!」


 ドタバタしつつもどうにか施術を終え、タミコは涙目で手をわなわなさせている。愁がハグキルーペを借りて確認してみると、肉球の部分にほんの小さく、虫メガネでかろうじて見える程度の大きさで同じ模様が描かれている。こんなにも小さく正確にできるなんて、まさに職人技だ。


「アベシュー、てがひりひりするりす」

「はいよ、【聖癒】」

「これで晴れて、君たちも我々の仲間というわけだ。君たちには即戦力として期待している。よろしくな、アベくん、タミコくん」


 アオモトに握手を求められる。愁とのシェイクハンズは一秒で終わり、タミコには熱烈な身体の撫で回しがつく。


「お祝いと言ってはなんだが、後日拙宅に招待させてくれ。極上のドングリを用意しておこう」

「おさわりはさんぷんまでりす」

「契約成立すんな」

 

 

    ***

 

 

 認識票は後日ここで受けとりになるという。今日の工程はすべて終わり、愁とタミコは一階に下りる。


「よお、新人さん。こっちこっち」


 立ち飲み席にいる男から声をかけられる。先に終えていた同期一名もそこにいる。


「お祝いっつーわけでもねえが、せっかくだから一杯奢らせてくれよ」

「あ、はい……ありがとうございます」


 同業者の先輩のお誘いなら断るのも野暮だろう。というか彼の手にしているグラスの小麦色の液体に目が行きっぱなしだ。


「ビールでいいかい?」

「はい! ぜひ!」


 彼がカウンターでグラスをとってきてくれる。


「ほんとは昼間は酒やってないんだけど、今日だけな。おチビちゃんはミルクでいいかい?」

「りっす!」

「あざっす! あざーっす!」


 なんていい先輩だろう。なんていい職場だろう。これだけで月十時間くらい残業プラスしてもいい(やるとは言っていない)。

 先輩と、すでに飲んでいたクラノと、「よろしく!」と景気よくグラスを合わせる(タミコはおちょこだ)。

(ああ……五年ぶりの……てか百年ぶりのおビール様……)

 思わず口から迎えに行き、一気に喉の奥に流し込む。


「んぐっ……んぐっ……っはあっ! はーっ、かーっ! くわーっ!」

「アベシューがこわれたりす」


 滑らかな泡のクリーミーな味わい、しっかりとはじける喉越し、爽やかな後味を演出するドライな辛さ。キンキンとまではいかないが心地いい程度には冷たい。総じてうまい。涙が出るほどうまい。


「ははっ、いい飲みっぷりじゃねえか。こいつは将来有望だ」

「あざす! 一生ついていきやす!」


 五十前後くらいだろうか。長身痩躯のワイルド系イケオジだ。白髪交じりの髪をオールバックにして額にサングラスをかけている。ジャージはド派手な銀色、なんともファンキーなナイスミドル。


「ひそひそ(アベシュー、こいつつよつよりす)」

「ひそひそ(どんくらい?)」

「ひそひそ(アベシューとおなじくらいりす)」

「ひそひそ(マジか)」


 レベル68前後……組合員代表のアオモトよりも上だ。

 ということは――。


「……シモヤナギ・ヘイヤ……さん……?」

「おっ、俺のこと知ってくれてんのか。光栄だね」


 イケメンはにかっと笑い、櫛で髪の毛を掻き上げる。

 オブチから聞いている。この人が、スガモ市で最も名の売れた狩人。

 シモヤナギ・ヘイヤ。通称〝撃ち柳〟。

 シン・トーキョーでも屈指の〝狙撃士〟だとか。


「アベ・シュウくんとタミコちゃんだっけ? この子らから聞いたよ、ルーキーなのに28と40だって?」

「あー、えー……」

「そう遠くないうちに仕事とか一緒するかもね。よろしく」

「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 愁は差し出された手を握る。

(――え?)

 なんとなく、ごく普通の人間の手なのに、なにか引力のようなものを感じる。

 へその内側から引っ張られるかのような、吸い込まれるような人間の厚みというか。相手が大物だと知っての錯覚だろうか。


 戸惑う愁が顔を上げると、シモヤナギの顔から笑みが消えている。

 ぐいっと手を引っ張られ、耳元でささやかれる。


「……君さ、もしかして俺より強くね? 何者?」

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