45:糸は縁、糸は運命
ノアが昼食の準備をして待ってくれている。ベージュ色のエプロンが反則的に似合っている。
合格を伝えると、彼女は我がことのように大喜びしてくれる。両手で愁の手をとってぶんぶん振り、タミコと抱き合う。
「あれ、姐さん。全身すごい寝癖みたいになってるよ?」
「あたい……けがされちゃったりす……」
それでもお詫びと称して彼女の事務机に保管されていた大量のドングリをもらってきたので、収支はとんとんだろうか。なぜそんなものが常備されていたのかも理解できないし、「君にではないぞ、タミコ氏のものだぞ。ネコババはいかんぞ」と愁に手渡すときに意味不明な念押しをするあたり近年まれに見るポンコツだと言わざるをえない。誰がドングリをネコババするものか。
「お昼まだですよね? すぐに麺茹でますね」
面接開始が十二時すぎ、終わったのが二時だった。アオモトとの大一番と愁の生い立ち(偽)の話が長引いたせいだ。あとに控えていた青年には悪いことをした、おじさん呼ばわりされたことも許してやろう。
ノアが乾麺を茹で、ベーコンとキノコと合わせて炒める。
ペペロンチーノ的なパスタが完成。にんにくのいい香りがする。
「うまうま! からうま、しょっぱうま! ちゅるちゅるがとまらんりす! あぶらべとべと!」
「にんにくちょっときつめですかね? ボクとしてはもう少しにんにくくっさくても――」
「だいじょぶだよ、おいしいよ」
実際にうまい。麺は若干アルデンテで小麦の味を感じられる。塩とコショウの加減も絶妙だし、油でテカテカな見た目ほどしつこくない。ベーコンの甘みとキノコのシャキシャキ感もいい。
「ノアは料理うまいよね」
「ひいじいによくつくってましたから」
愁の架空の身の上話の前半は、ノアがひいじいと一緒に暮らしていた頃の生活がベースになっている。彼女は実際にイケブクロの近くの集落で生まれ、母を失ってからは狩人であるひいじいに育てられてきた。ひいじいが亡くなった理由については、「いろいろあって……」と言葉を濁されてしまい、今も聞けないままだ。
「ひいじいのおかげで助かったよ。嘘の話をするのは正直アレだったけど、どうにかバレずに済んだみたいだし」
「それならよかったです。しっかり準備した甲斐がありましたね」
「あ、そういや……最後変なこと言ってたんだよね。二人は綺麗なマーブル色だとかなんとか。あれってどういう意味だったんかな?」
ころん、とノアの手から木のフォークが落ちる。
「……まさか……【心眼】の菌性……」
「ん? なに? シンガンノキンセイ?」
「菌性ってご存じですか?」
「しらんりす」
「知らんアベ」
当然のごとく知らないオオツカメトロ育ち。
「菌性、アビリティなんて呼ばれたりもしますが、一部の狩人に発現する菌能とは別の能力です」
「うおお、アビリティ! そういうのもあるんだ!」
菌力(レベル)、菌能(スキル)、菌職(クラス)と来て菌性(アビリティ)。ゲーム要素のそろいぶみだ。
「スキルとはどう違うの?」
「菌性は一人につき一つ、それも菌職持ちの誰もが発現するものじゃないし、その条件とかも全然解明されていません。ボクも残念ながら未所持です……いつか開花すると信じたいところですけど……」
「開花するといいね」
「あー余裕ですねー! ぶっ壊れクラスでたんまりチートスキル持ってるズルシューさんはー!」
「だからごめんて」
「ふふ、ジョークですよ」
「ジョークに聞こえなかったよう」
「いっしゅんノアこわかったりす」
こほん、とノアは気をとり直して続ける。
「菌性と菌能の違いは……あんまり明確じゃないんですけど、一人一つなのと、基本的には菌糸武器や菌糸玉を出すような能力じゃないことです。【跳躍】や【剛力】みたいなバフ系とか、姐さんのリスカウターみたいな特殊知覚系とか、あるいは菌糸武器が他の人より強くなったり菌能の体力消耗が少なくなったりとか。いろいろありますけど」
「なるほど。個々人のオプション的な能力か」
「いくつかの種類は確認されてて、菌能事典にも載ってます。そのうちの一つが【心眼】です」
「へー、カイケさんがその希少な菌性持ちなのか。つーか狩人だったのか」
「レベル12くらいだったりすね」
「【心眼】は……相手の感情を見ることができる菌性です……」
からん、と愁の手からフォークが落ちる。
「……そんなん、マジ?」
「はい……超レアな能力です」
感情を見る能力。心を読むような能力ということか。
一瞬にして背中に大量の汗がにじむ。
そして――その力で愁たちの感情を見ていたのか。
「……もしかして、壮大な嘘ぶっこいたの、全部バレバレだったんじゃね……?」
「いえ、そういうものじゃないと思います。怒りとか敵意とか、恐怖とか悲しみとか、そういう感情を捉えられるとか。完全に心を読むような能力じゃないから、そのへんはだいじょぶかなって……たぶん……」
それでも、べらべらとありもしない与太話を延々話し続けていた愁の感情から、なにかを見出したのではないだろうか。後ろ暗さや焦りや恐れなどなど。
あるいは重ねられた質問への回答から、愁の真意や本心を見抜いていたのではないだろうか。
「普通の面接なら、相手の人となりとかをその場で見定めるんです。少し話したくらいじゃあ厳密にはいかないでしょうけど、そこは支部としても人材は貴重で、そのへんバランスとりながら……だけど、まさかそんな超レア能力持ちの面接官で出てくるなんて……完全に予想外でした……」
とはいえ、カイケは合格の判断を下した。愁たちの感情とやらを見抜いた上で。
どこまでバレていたのだろうか。どこまでバレた上で、彼女はそれを許容したのだろうか。
彼女の真意はどこにあるのだろうか。
「……わかんねよえな……人の心なんて」
そうだ。
少々考えたところで、少々言葉を交わした程度の人の気持ちなんてわかるはずもない。
わかるのは――真に恐るべきだったのは、横綱ウーマンよりもゆるふわガールだったということだ。
***
翌日、営業所の二階に上がると、昨日の待合室に通される。
昨日の青年もいる。彼も合格したようだ。
「少し早いですが、全員そろいましたので、新人組合員講習会を始めさせていただきます」
カイケやアオモトではなく、メガネの女性職員だ。
「スガモ支部職員、タナベと申します。みなさんにも一人ずつ簡単な自己紹介をしていただきます。お名前と年齢程度で結構ですので」
そうして始まる新人同士の自己紹介タイム。
愁をおっさん呼ばわりした青年はクラノ・アツシ、十八歳。東門の外の農民の出。
遅れてきたルーキー、アベ・シュウ。「二十八歳です」。「よっ、おじさん」とクラノ。人生の先輩としてアルハラ責めに遭わせなければと心に誓う。
そして「タミコ、じゅっさいりす!」と愁の手の上でむんっと胸を張るタミコ。なぜか後ろに集まってきた職員たちから今日一番の喝采を浴びる。後ろで熱い拍手を送っているのはいつの間にか現れたアオモトだ。
そのあと何枚かのプリントを渡される。今日の講習のレジュメらしい。
最初はこの国の法律――トーキョー法の狩人に関わる条項の話で、早々に飽きたタミコは船を漕ぎはじめる。あとできちんと復習させるとタナベに誓ってお目こぼしをいただく。
狩人に関わる法律はトーキョー法による大枠のみで、あとは本部と各支部ごとに定めたルールがあるという。菌能で人を傷つけるなとか私闘はするなとか、平成出身者でも理解できる常識の範囲内のルールだ。むしろ若干緩いというか歯抜けになっている気もするが、崩壊後のアナログな世界としてはこんなものなのかもしれない。
任務依頼――クエストの受注方法、報酬の受けとりかた、狩猟での成果物の売買の方法。そのあたりも理解するのにそう難しくはない。
ところが税制の話になるといささかややこしくなってくる。大雑把に言えば組合費という名のギルドへの上納金と、スガモ市への市民税の二つを毎年払う必要があるという。
「市民税はスガモ市では前年の所得に応じてうんたらかんたら」
「収入と経費をきちんと狩人手帳に記入して、年末に税務署でうんたらかんたら」
「申告漏れが発覚したら追徴課税がうんたらかんたら」
ああ、税金。百年後の世界でもお付き合いすることになろうとは。
影のようにどこまでもつきまとい、夜闇のように切ない気持ちにさせる。それが税金。
アナログ世界である以上、抜け道なんていくらでもありそうな気がする。けれどそのへんの小ずるさを発揮できる自信もないし、あとでオブチに節税対策を教わりたい。
「――というところで、講習は以上になります。最後になりますが……こちらをご覧ください」
タナベが指差した先に、縦長の額縁が飾ってある。和紙にミミズののたくったような字が筆書きされている。
「額縁に入っている文字、読めますでしょうか?」
「アベシューのうんこりす」
「うんこじゃありません。字です」
「すいません」
むぎゅーと隣の頬袋を引っ張る。
「狩人ギルドの創始者――初代本部長の残した書です、これはレプリカですが。『糸は縁 糸は運命』……そう書かれています」
――糸は縁、糸は運命。
「我々はその身に菌糸を宿す〝糸繰りの民〟です。その糸は、人と人との縁を紡ぎ、我々を運命の道へと導く……そんな意味がこめられた言葉です。我々がここで出会ったことも、みなさんがこのスガモで狩人になったことも、すべては時とともに手繰る糸の結びつき……この先に紡がれるものが、幸いと実りの豊かな道であることを、同じ道を織りなす仲間として、祈っています」
不覚にもほんの少しだけ、胸が熱くなってしまったのは内緒だ。
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