44:一人と一匹、スガモの狩人
「ちなみに、お父様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あー……アベ・コウです」
とっさに出たのは生みの父、リアル父の名前だ。
「えっと……自由民の世捨て人みたいな感じだったんで、誰も知らないと思いますけど」
「でも、すごい狩人さんだったんですよね」
「そうですね……立派な親父でした」
本物は缶詰工場の経理部の平社員だ。立派は立派でも、嫁には一ミリも頭の上がらない人だった。月の小遣い三千円と聞いたときは泣きそうになった。
「以前住んでいた集落には?」
「え、いや……帰ってないです。家も集落も、もう残ってないと思うんで……」
細かい指摘が飛んでくる。若干冷や汗。
「タミコさん。お母さんとその相棒さんのお名前はわかりますか?」
「カーチャンはキンコりす。あいぼうは……ウスイ・カツオ? だったとおもうりす」
「どこのトライブ所属だったかは?」
「きいてないりす」
彼らは地上で活動していた実在の狩人で、そこに至る経緯にもタミコの出生の流れにも嘘はない。ギルド本部に調べられても綻びが出ることはないだろう。
そうですか、とカイケは口の中でつぶやき、かりかりとペンを走らせる。そのまま一分ほど、誰もなにも発さずにすぎていく。
「そうですね……自由民の方にお越しいただくことは少なくありませんが、レベル68というのも先ほど伺った身の上話も、はっきり申し上げて前代未聞です。私の一存では……アベさんの合否も含めて、判断を下すのは難しいです」
「マジすか」
予想外。背筋が凍る。
「お話しいただいた内容を元に、私どもの上司と相談の上、改めて組合員登録や戸籍発行の続きの可否を判断したいと思いますが、それでよろしいでしょうか?」
オブチ曰く、自由民に狩人への登録を許可しようとする場合、ギルドは信用をいっそう重視する。市役所側への戸籍の代理発行という側面もあるからだ。
とはいえ、可能な限り優秀な人材を確保したいというジレンマもある。それは支部としての成果と市への税収という形での還元につながるから。危険人物ではないと判断してもらえさえすれば、レベル68という即戦力性は登用における大きすぎる武器となる。
穏健派の面接官の場合は諸刃の剣になりうるともオブチは懸念していたが、それが実現しそうになっている。ちょっと困る。仕切り直しになり、「念のため改めて試し紙を――」などという流れになった場合、ここまで積み上げたものがすべて崩れてしまう。なんのために異世界相撲までとったというのか。
「……カイケさん。ちょっと外で話さないか? すまないが二人はこのまま少し待っていてほしい」
アオモトが立ち上がり、カイケを伴って部屋を出ていく。おそらくこの面接を続けるか否か、相談するつもりだろう。アオモトから得た好感がいい方向につながってくれればいいが。
「ツレションりすか?」
「たぶん違うかな」
***
「ここではっきりと合否を判断できなければ、別の支部に彼らをとられてしまうかもしれない。彼の能力は本物だ、引く手はあまただろうからな」
「そうですが……」
「【自己再生】の菌能持ちだろうと、刻印は肉ごとえぐっても消せないのはあなたも知ってるだろう? 彼は間違いなく生粋の自由民だ。前科もない。であればいつもどおり、信頼に足る『よき民』かどうかを面談で判断し、可否を決定すればいい」
「でも……」
「ここで彼が別の支部で受け直すと言いだした場合、貴重な人材の流出を許すことになる。とりわけ今のこの街の状況を考えれば――その損失は痛い」
頭を掻くカイケ。
「それに、ただでさえスガモ支部は歴史が浅く、名実ともに他の支部に一歩も二歩も遅れをとっている。私のような若輩が組合員代表を務めるくらいだからな」
「いえ、そんなことは……」
「まあ、彼が大ペテン師の極悪人である可能性もゼロではないけれどね。手合わせをして、そして彼の言動をここまで見てきた限り、私にはどうしても悪人には見えない……いや、どちらにせよ君ならわかることだろう?」
カイケが少し困ったような顔をする。
「なら、いつもどおりの面接で、彼がスガモ支部の名の一端を背負うに値する人物であるかどうか、私たちで判断すればいい」
「……わかりました。この目で見定めさせていただきます」
***
二人が戻ってきて、また向かいに座り直す。
愁はそわそわと落ち着かない。タミコもさすがに空気を読んで神妙にしている。
「……お待たせして申し訳ございません。このまま面接を続けましょう。その上で、この場で登録の可否を判断させていただきます」
「ありがとうございます」
愁は内心ほっとする。ちらっとタミコと目を合わせると、彼女もうなずく。こいつなりにきちんと状況を理解しているようだ。
これで、ノアたちが最も懸念していた「〝糸繰士〟の露見」と「偽の身の上話の看破」というルートを回避したまま、面接を続行できる。
真面目で善良そうな女性二人に経歴詐称をぶちかましたのは大変忍びないことではあるが、誰も不幸にしない嘘ということで勘弁してもらいたい。晴れてスガモの狩人になれた暁には、きっとこの支部に貢献してみせる(決意)。
(さあ、あとは質疑応答だ……大っ嫌いな……)
当然と言えば当然だが、狩人は信用を重視する。この面接で相手の人となりを看破し、「悪しき者」を仲間に加えるようなことは防がなければいけない。
もちろん完璧ではないのだろう(どこかの支部では先日の〝腕落ち〟のようなやつも通過させてしまったわけだから)。だからと言って簡単に見逃してもらえるわけがない。とりわけ面接能力E(超ニガテ)な愁にとっては最後の山場になること必至だ。
――ところが、意外なことに。拍子抜けなことに。
そのあとはある意味普通の面接的なというか、耳慣れた質問が繰り返される。
「狩人をめざす動機は?」
「自分はどんな作業に向いていると思うか?」
「メトロ獣を狩ることに抵抗はあるか?」
「野盗などの犯罪者の命を奪うことに抵抗はあるか?」
「これまでで最も感動したことは?」
「逆に最も辛いと感じたことは?」
「なにをしているときに生きがいを感じるか?」
などなど。
――こんな質問でなにを分析するのだろう。
などと思いつつ、愁は一つ一つ時間をかけて無難に、しかしなるべく嘘にならないように答えていく。
タミコがボロを出さないか心配でヒヤヒヤするが、意外にも「脳みそに浮かんだことをスポーンとそのまま吐き出す」いつもの彼女とは違い、慎重に言葉を選び、質問の意味を理解できないときは「わかんないりす」と正直に言う。ユイとの仲睦まじい特訓の成果が活きているようだ。
カイケは回答のたびにかりかりとペンを走らせる。アオモトは腕を組んで愁とタミコを交互に観察している。
「じゃあ、最後の質問です。お二人は将来、どんな狩人になりたいですか?」
愁は数秒考えて、思ったことを正直に話す。
「あんまり具体的には考えてないですけど……せっかく生きて地上に出られたんだから、どこへでも自由に冒険したいですね」
この国を覆う壁の外へ、という言葉は呑み込んでおく。わざわざ禁忌に触れるつもりはない。
「アベシューのりっぱなあいぼうになりたいりす。カーチャンみたいに」
思わずタミコに目を向けると、彼女はちらっと顔を上げ、笑う。
「……はい、ありがとうございます。質問は以上です」
カイケがアオモトと目を合わせる。二人とも小さくうなずく。
「……澄んだ白と、さまざまな淡い色合いの混ざり合い……お二人とも、綺麗なマーブル模様ですね」
「へ?」
「いえ、なんでもありません」
カイケがはぐらかすようににっこり笑う。ぺらぺらとボードの上の紙をめくり、一人何度かうなずく。
「はい、問題なさそうですね……お二人とも、スガモ支部の狩人として登録を許可させていただきます」
「マジすか!? やった!」
「やったりす! ぴぎー!」
急激に肩が軽くなり、愁はタミコと手をとり合ってはしゃぐ。
「実際の活動が可能になるのは研修のあとからになりますが……同じスガモ支部の一員として、これから一緒にがんばっていきましょう。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
「よろしくりっす!」
「明日、ここで研修と刻印の手続きをさせていただきます。同じ時間にまたお越しいただけますか?」
「はい、だいじょぶです!」
「だいじょぶりっす!」
さっきから興奮しすぎて声が上ずりまくっている二人。カイケがくすっと笑う。
「では、明日またお願いしますね。本日はこれで終了とさせて――」
「待った」
アオモトが鋭い声で遮る。
「一つ忘れていたんだ。大事なことを」
唐突な物言いにそわそわとする二人。せっかくどうにか奇跡的に無事に終わったというのに、これ以上のゴタゴタは勘弁してほしい。もう一番とせがまれてもさすがにさっきのような熱量は出せない。
「……アベ氏の刻印の確認は行なった。だが、タミコ氏のほうはまだだったな。疑うわけじゃないが……面接官としてはやはり確認しなければならない」
アオモトが立ち上がる。こつ、こつ、とゆっくり近づいてくる。
「あたい、コクイン? ないりすよ」
「わかっている。君のようなモフ――違う、体毛豊かな魔獣の場合、刻印を入れるスペースは限られているし、なにかしらの装飾品の発行で代替することも多い。とはいえ……面接官としては改めざるをえないんだ。理解していただきたい」
「なにをするりすか?」
「すまないが、君の身体を改めさせてもらう」
アオモトががばっとタミコに掴みかかり、鼻息荒く顔面を近づける。
「ああっ! やっぱりモフ――じゃない! ここにはない! じゃあここか!? こっちか!?」
彼女の指がタミコの身体をまさぐり、わしゃわしゃと毛の奥を這いずり回る。
「やめるりす! そんなもんないりす! そんなとこさわるんじゃねえりす!」
キーキーとタミコの悲鳴が部屋に響く。これは正当な検査なのかとカイケを窺うが、彼女は自分のメモ書きを読み込んで気づかないふりをしている。
「ああ、なんたる触り心地……手に吸いつくようなフィット感……永遠ににぎにぎしたくなるこの尻尾……! すまない、もう指が止まらない……!」
目を血走らせてリスにむしゃぶりつくアオモトに、横綱にふさわしき威厳も組合員代表としての矜持もない。要はオブチと同じ人種だ。絶えずタミコに送っていた視線はそういう類のものだったのだ。
「カイケさん、この人もしかしてポンコツですか?」
「でも愛されキャラですよ」
ポンコツであることは否定しないカイケ。
人望ある系のポンコツか。それを人はマスコットと呼ぶ。
「ああもう可愛い! 違う、すまない! あとでお詫びのドングリを山ほど、いや違う、これは正当な検査だ! 刻印はどこだ!? このふわふわのお腹か!? はあはあ、この純白の雲を掻き分けた先に刻印があるのか!?」
「ぴぎー! おなかもむんじゃねえりす! きもちわるいりす! きもち……ああ……アベシュー……みないでぇ……!」
「落ちんな。そしてネトラレ感出すな」
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