43:とある自由民の秘めた過去

 さあ帰ろう。

 横綱との死闘を制し、この上ない充足感に包まれている。今日のごはんはおいしく食べられそうだ。


「アベシュー、めんせつわすれてるりす」


 アホリスに至極真っ当なツッコミをされて我に返る。身体から立ち昇っていた国宝級のオーラがふっと消える。

 みんなで面接室を元の形に戻す。部屋の外で支部の偉い人から説教を受けていたアオモトが戻ってきて、ようやくまともな面接が再開される。


「ごほん、えー……それでは、アベさん」とノコターカイケ。「面接を再開させていただきます。先ほどは試すような真似をして大変失礼しました。あなたの実力を試すためとはいえ、正規の試験から多少逸脱があった点は否めません。職員としてお詫び申し上げます」

「すまなかった」とアオモト。「君があまりにも強かったので、私もつい本分を忘れて勝負にのめり込んでしまった。こうして謝罪するのも何度目だろう、重ねてお詫びする」

「いえ、こちらこそ……なんか興奮して無礼な口聞いてた気がするし……」

「いいさ。だがこれだけは言わせてほしい。技術でも経験でも、明らかに私が優っていた。だが勝負を覆したのは純然たる君の強さ、積み上げたそのレベルだ。君は本物だったよ、アベ氏」

「いえ、アオモト関こそ本当に強かったです。今度は……もしスガモの狩人になれたら、支部大会の決勝で会いましょう」

「ああ! 私もそれまでは無敗を貫こう。君も私以外の誰かに負けたりするなよ、アベ関!」


 タミコとカイケの生ぬるい視線をよそに、激闘を称え合って握手を交わすライバルの図。愁としては若干下心あり。これでアオモトの判定を少しでも有利に持ってこれるはずだ。


「アベ関、じゃないアベさん。あなたがそのレベルと菌職に見合う実力者であることは納得しました。申込書によると、イケブクロトライブ領北東の集落出身ということですが……これまでの経緯をお聞かせいただけますか?」


 ここからだ。つい熱くなったがスモーはどうでもいい。ここからが本当の勝負だ。


「はい。少し長い話になるかもですけど……」


 ここからが、愁自身の弁舌力の見せどころだ。

 不安? ここまで来たら勢いで乗り切るしかない。

 

 

    ***

 

 

 アベ・シュウはトーキョー暦七十九年(今から二十八年前)、イケブクロトライブ領にほど近い十世帯前後の小さな集落で生まれ育った。


 集落の民はほとんどがイケブクロに籍を置く領民だったが、シュウたち親子だけは無戸籍の自由民だった。

 父は狩人だった。人付き合いの苦手な変わり者のためギルドに所属せず、優秀な力と技術を持ちながら群れることを嫌い、どこの都市にも属さず、自らの腕っぷしのみを恃んで生きていた。母親についてはシュウも知らない、父は一度も話さなかったから。


 自由民の子であるシュウは学校には通えず、父から直接文字と知識を学んだ。父はその父から同じようにして学んだらしい。父が狩りに行っている間は、市内の小学校に通う同世代の子どもたちや、彼らが借りてきてくれた数々の本がシュウのよき先生になってくれた。

 息子が狩人になれる素質を持っていると早々に気づいた父は、五歳になるのを待って森への狩猟に同行させるようになった。畑と家畜を頼りに暮らす近隣住民と互いの恵みを分け合いつつ、その緩やかで安定した暮らしはシュウが十二歳になるまで続いた。


 ある日、シュウたち親子が獲物を携えて集落に戻ると、そこには崩壊した家々と住民たちの無残な死骸が転がっていた。辛くも生き延びた人々曰く、どこからか大型の強力なメトロ獣が現れ、大人たちの抵抗も虚しく、好き放題に蹂躙していったという。


 父はシュウを置いてそのメトロ獣を追っていった。夜になっても父は帰ってこず、シュウは祈るような気持ちで眠れぬ夜を明かした。翌朝、父は手傷を負いながらもその獣の首を持って帰ってきた。

 集落を再び襲うかもしれない脅威をとり除くため、というわけではなかった。父を含め、生き延びた人々はこの集落での暮らしの限界をすでに悟っていた。父としてはこの十数年、苦楽をともにしてきたよき隣人たちへの手向けのつもりだった。


 生存者たちの世帯は散り散りになった。ほとんどが少ない蓄えをはたいてトライブ領内へ転居するということで、父はその獣の首を土産に持たせた。これまでよりも多くの困難が待ち受けるであろうと予想される生活へのせめてもの足しになればと。


 そうして、集落に残ったシュウと父二人きりの生活が始まった。森や山や手近なメトロでの狩猟と、勉強も継続した。将来を狩人になるものとほぼ決まっていたシュウに、それでも父が鉛筆を握らせ続けたのは、それが人として生きる上でいつか必ず役に立つと信じていたからだった。

 座学と訓練と実践、過酷ながらも充実した青春時代は瞬く間にすぎていき、シュウは十四歳になった。レベルは15に到達していた。


 ――あと一年、十五歳になれば正式な狩人ギルドに登録できる、真っ当な市民として生きていける。


「お前には可能な限り私の知識や技術を与えてきた。それを人生においてどのように使うかはお前次第だ。お前はお前の道を選べばいいさ」


 そんな話をして、父が初めてシュウのコップに酒を注いでくれた。最初で最後の父との晩酌、うまくはなかったが喉を通すたびにポカポカと温かくなったことだけは憶えている。


 翌日、二人はオオツカメトロに入った。

 父のレベルは55。〝騎士〟としては一流に入る腕前だった。カトブレパスや大型のメトロ獣でさえ寄せつけず、数日かけて地下三十階まで下りても、二人に危機らしい危機は一度も訪れなかった。道中での狩りでシュウはレベルを一つ上げ、父の背中を守ることに手応えを感じつつあった。


「ここの四十九階に、強力なボスがいるらしい。できればそれを討伐したい。だが、ここから先は険しい道のりになる。下に進むたび、獣は強く狡猾になっていく。メトロとはそういう場所だ。お前に恐れがあるなら、ここで引き返そう」

「父さん、恐れがないと言ったら嘘になります。ですが、それ以上に俺は、父さんを信じています。目の前に道があるのなら、その先に狩るものがいるなら、進みましょう」

「そうか。ではお前の信頼にかけて、私の命に代えてもお前を守ろう」


 結果として、その約束は守られることになった。父はその身をもってシュウを守り、そして散った。


 四十階台後半に巣食う不定形の不気味な水塊の群れ、その王たるスライム。当時はサタンスライムというあだ名も知らなかったが、この世の誰より強くたくましい父の力をもってしても及ばない、まさしく魔王(サタン)の名にふさわしい化け物だった。

 壮絶な死闘の末、父は足を奪われ、トラップの扉によって退路も絶たれ。逃げることも倒すことも叶わないと悟った。最後の力を振りしぼり、息子を五十階への階段へと逃した。


 父は食われ、息子はさらなる危険地帯へと突き落とされた。


 悲しみと絶望を抱え、凶悪な獣のひしめくメトロの深層で、シュウはたった一人で生きることを余儀なくされた。

 やがて父の仇を滅し、再び地上の太陽を拝むまでに、十四年の月日を要することになるとは、そのときのシュウには思いもよらないことだった。


 まあ、これ全部嘘なのだが。



    ***



 上手に嘘をつくならば、ひとかけらの事実を混ぜるといい。

 今日び使い古されたテクニックではあるが、愁は今それを実践している。


 面接官二人に話しているのは、愁自身の「リスと二人で五年間メトロ漂流記」と「ノアから拝借した本人の少女時代の身の上話」をミックスしてつくったアベ・シュウの伝記だ。すべてが愁の本当の生い立ちや経緯、能力を隠すための都合のいい展開に偽造されている。三人と二匹が何度も推敲を重ねた合作大長編であり、そのリアリティーたるやそこらの現代ダンジョンものばかり書いているネット小説家も裸足で逃げ出すというものだ。


 二人はほとんど口を挟まず、息を呑んで悲運の少年アベ・シュウの壮大な冒険譚(嘘)に聞き入っている。これだけ真剣に耳を傾けられると、愁としてはそれなりに心が痛む。背中も脇も汗びっしょりで、膝は小刻みに震えている。顔色はどうだろう。

 そんな愁の様子を、追憶の痛みをこらえているようにでも捉えているのか、アオモトは若干同情を帯びた目で見守っている。


「――それから俺は、十四年間を五十階で生き延びました。幸運にも獣に見つからない隠れ家を手に入れることができて、地道にコツコツと、狩れそうな相手だけを狩って着実にレベルを上げていきました。最初の頃はゴーストウルフや青ゴブリンにも手こずるくらいで、オルトロスやオーガなんか尻尾巻いて逃げるのが精いっぱいだったけど……」

「想像を絶する過酷さだな……」とアオモト。「メトロの深層に、十四歳でたった一人でとり残されたなんて。十四年どころか一カ月生き延びられただけでも奇跡というものだ……」

「……必死でした。『命に代えてもお前を守る』と言ってくれた父を嘘つきにしないためにも、俺は死ぬわけにはいかなかったんです」


 自分が絶賛大嘘ぶっこき中なのは全力で棚に上げておく。


「【自己再生】や【大盾】を習得してからはある程度無理も利くようになって。地上に出るだけじゃなく、父の仇を討てる力を得るまではって、その一心でひたすらメトロ獣との戦いに明け暮れました。それから九年後――今から五年前に、タミコとはその五十階で会いました」

「りす?」


 タミコが顔を上げてよだれを拭う。面接中だというのに爆睡していたアホリス。メンタルつよつよか。

 アオモトが怪訝な顔つきでタミコを睨んでいる。ぐぎぎ、と歯ぎしりが聞こえそうなほどだ。


「ひそひそ(あのひとときどきにらんでくるりす)」

「ひそひそ(リスに嫌な思い出でもあんのかね?)」

「どうかしましたか?」

「いえ……タミコの母親と相棒の狩人がサタンスライムに挑んで、残念ながら狩人のほうは殺されて、母親だけが五十階に逃げ延びたそうです。そこで腹の中にいたタミコを産んで、親子二人でメトロの隙間を縫うように暮らしていた。それが十年前のことらしいですけど、五十階が思いのほか広かったせいか、あるいは俺が五十一階以降に足を伸ばすことも多かったせいもあって、俺もタミコ親子もお互い全然気づかなくて。俺たちが出会ったのはタミコのカーチャンが亡くなってから一年後、今から五年前でした。それから一緒に行動して、二人で協力し合って生きていきました」

「そうなんですね」

「そうなんりすか?」

「そうなんだよ(焦)」

「君たちのレベルが異常に高いのは……そんなにも長い間、メトロ深層の強力な獣たちと渡り合ってきたからか。それほど日常的に死線をくぐり抜けてきたというのなら、その若さで68まで到達したというのもうなずける話だ。正気の沙汰とは思えないけどな。百人の狩人がいたら百人が生還を諦める状況だ、私も含めてな」

「でも……その十四年のおかげで、父の雪辱を果たすことができました」


 アオモトががたんっと身を乗り出す。


「倒したのか!? サタンスライムを、君一人で!?」

「あたいもいたりす」

「ああ、すまない(じー)」

「サタンスライムの討伐……それが事実なら、本部に報告する必要がありそうですね」

「まあ、証拠とかはなんもないんですけど……あいつがどっしり構えてた場所は空っぽになってると思うんで……」


 愁は内心焦る。無用な注目を浴びるきっかけになるかもしれない。別のストーリーを用意しておけば、いやまあ、倒したことに嘘はないので胸を張っておくしかない。


「……とにかく、それで君たちはようやく地上に戻れたというわけか」

「あ、はい。途中で知り合った狩人の若い子が、浦島太郎状態の俺たちによくしてくれて、この街にも連れてきてくれました。それが先週の話です」

「ウラシ――ああ、先史のお伽話ですか。よくご存じですね」

「あ、いや……父が昔寝る前に話してくれて……」


 下手なことを言うものではない。内心ひやっとする。


「先日、このあたりに潜伏していたという〝腕落ち〟の野盗を、通りすがりの狩人と自由民が討伐したという報告があったが、それは君のことか?」

「はい。ちょっとだけ手を貸しました」

「ちょっとだけ、ね」

「あたいもてつだったりす」

「そうか(じー)」

「これが俺のすべてです。信じてもらえないかもしれないけど」


 さて、これで事前準備は全弾撃ち尽くした。あとは二人がこの冒険譚(嘘)と、目の前に座る男とリスをどう受け止めるかだ。

 アオモトは背もたれにどかっと身を預ける。大きく息をつき、深くうなずく。


「つくり話にしては荒唐無稽すぎる、まるで絵本で読んだ英雄譚のような話だ……けれど、だからこそ信じるしかないのだろうな。アベ氏、いやアベ関の強さと能力は本物なんだから」

「ありがとうございます……アオモト関……」


 土俵が結んだ絆。

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