42:スガモの横綱クイーン

「どすこいっ!」


 カイケが変なテンションで軍配を振り上げると同時に、パーの張り手ではなく普通にグーパンチが飛んでくる。愁の頬の横数センチで空を切る。


「ちょ――(さっそくかよ!)」

「土俵でよそ見はいかんでごわすっ!」


 謎の薩摩弁とともに黒髪が躍る。懐に潜り込んでのフック、からの肘打ち。回避し、手で捌いたところで飛び膝が迫ってくる。たまらず愁はバックステップ、だが――。


「あっ! セフセフ!?」


 ラインを踏んでしまう。カイケ行司が軍配を振り、抑揚のない声で「ノコター、ノコター」と催促。ラインを完全に越えない限りセーフのようだ。とはいえこの土俵、ちょっと狭すぎる。


「どすこいっ!」


 一瞬の隙をついたアオモトが上段回し蹴りを放つ。かわせない、愁は腕を上げてガード。ビリビリと震えるほどの威力をわずかにサイドステップして減衰させる。


「まだまだぁ! 屁の突っ張りはいらんのだよっ!」


 さらにアオモトが追撃。至近距離からの細かい打撃で愁の捌きをかいくぐろうとしている。

 その血走った目を見ればわかる、完全に本気だ。本気でKOを狙いにきている。スモジョの意味を履き違えた女が怖い。


「うおっ、のわっ!」


(――つええ!)

 レベル差で言えば一回り以上。身体能力の差は思った以上に大きい。

 それでもやはりと言うべきか、対人戦の経験値と徒手空拳の技術がそれを補っている。カイケ「ノコター、ノコター」。土俵での位置どりと相手の追い込みかたがうますぎる。丸い土俵をも己の武器の一つとし、相手の動きを制限しつつ自分は加速したかのように見せる。まさに横綱、スガモ番付の頂点にふさわしい足捌きだ。


「ふははっ! どうした、レベル68はそんなものか!? 遠慮せずに打ってこい! スモーとは魂のぶつかり合いだ!」


 この脳筋女、明らかにケンカに酔っている。これが新人面接の一環であるという趣旨を完全に忘れている。薄々気づいていたがそういう人種か。もはや人災ではないか。


「ふうっ、ふうっ……」


 いったん距離が開き、二人は呼吸を整える。カイケ「ノコター、ノコター」。ぜえぜえと喉を鳴らすアオモトと違い、一つも手を出していないクリーンヒットももらっていない愁はまだ余裕がある。


「ぜえ、ぜえ……どうしたアベ関、逃げ回るばかりじゃないか……前に出ない者に、土俵の神は微笑まないぞ」

「誰がアベ関っすか……」

「それともなにか? 女に振るう拳は持ち合わせていないとでも? それは横綱にとっての侮辱だぞ!」

「いや、まあ……」


(んで……どうすんべ?)

 ここまで様子見した感じ、被弾覚悟で突っ込めばおそらく押し切れる。【不滅】が露見しない程度の負傷なら構わない。

 だが――別にそんなに勝ちたいモチベはない。面接を無事にパスできればそれが一番の大金星だ。

 相手こそが面接官、そしてこれから自分たちの上司になる彼女。どうにか穏便に済ませたい。

 試合とはいえ女性を殴るというのも気が引けるし。


「ノコター、ノコター」


 これだけ猛攻を捌いたのだ、レベルどおりの実力は示せたはずだ。わざと負けるのも手か。

 だが万が一、手を抜いたとバレれば直情脳筋女の顰蹙を買いそうな気がする。

 どうにか適当に反撃しつつうっかりリングアウト負け、が得策か。

(よっしゃ、次押し込みが来たら場外!)


「行くぞっ! アベ氏!」

「オッス!」


 と、受け止めた拳が重い、てのひらのガードを押し込んで顔に当たる。顎を打ち抜かれる。


「んぐっ!」


 今までにない重さだ。腕を畳んでガードをかためるが、デタラメにぶつけられる拳の雨はやはりこれまでにない重みを帯びている。


「これが私の本気だ! 一気に決めてやるっ!」


(使ったなこの野郎! 【剛力】とかいうバフ系スキル!)


「土俵は戦場だ! 力こそが正義だ! スモーは強いんだよぅ!」


 よだれを垂らしながらラッシュをかけるアオモト。もう興奮しすぎて我を忘れている。

 一瞬の油断で膝が脇腹に刺さる。「うぐっ!」。コンビネーションのアッパーが顎先をかすめる。

 さらに畳みかけてくる拳を横にいなし、土俵際まで距離をとる。


(――くそ! もういい!)

 あちこち痛くて腹が立ってきた。考えるのがめんどくさくなってきた。カイケの「ノコター、ノコター」もなんかじわってきた。

 ノアたちには申し訳ないが――こうなったら。

 愁はぐっと身を屈める。前に進むために。

 この横綱バーサーカー女に本物の相撲を見せてやる。


「――ワシは……横綱に勝つんじゃ!」


 面接? ここは土俵だ。

 

 

 

 阿部愁のケンカの歴史はというと、幼稚園時代まで遡る。些細な行き違いで友だちと多少ポコポコ叩き合ったりした程度だ。

 誰かと本気の殴り合いなどしたことはなかった。このシン・トーキョーに目覚めるまでは。

 思えばあの野盗の頭領は強かった。鋭く、狡猾で、躊躇がなかった。

 目の前で狂ったように拳を振り回すアオモトは、レベルこそあの頭領には及ばないが、それでも(菌能含めて)やつよりも強いかもしれない。あくまでもこの土俵の上なら。


 ――パチィッ!

 そのアオモトの目の前で音が爆ぜる。


 冷静さを欠いたせいか、ラッシュのモーションが大きく単調になっていた。ヘビのようにしつこくずる賢い頭領とは対照的に、嵐のように繰り出される拳は予測しやすい。拳と拳の隙間に愁は両手をねじこみ、彼女の目の前で叩いた。アベシュー、渾身のネコだまし。


「そおいっ!」


 瞬きさえしなかった彼女を称賛しつつ、それでも生まれた一瞬の硬直。愁はその隙をついて懐に潜り込み、まわしをとる。意外と乳がとか着痩せするのねとか邪念は振り払う。ここは土俵、神のおわす神聖な場所。


「ぐっ!」

「どっせい!」


 足を引っ掛け、力任せの上手投げ。

 完全にとった、と思いきや。

 アオモトは片足で強く踏み出し、自分からぶわっと跳躍して前に降り立つ。

 すかさず身体を引き寄せて足払い。これも愁の膝を蹴るようにして外し、「があっ!」と腕ずくで振りほどいて距離をとるアオモト。


「へっ! 伊達に横綱じゃねえな!」

「きっ! 君こそやるじゃないか! いいだろう、受けて立つ!」


 狩人の面接に来たんだよな、と頭の隅で誰かがつぶやくが気にしない。

 そこからは打撃戦から一転、がっぷり四つの真っ向勝負となる。どちらが土俵に膝をつくか、投げと崩しの応酬だ。雄々しく美しい相撲。愁が仕掛けた渾身の投げは、図らずも横綱のプライドをくすぐったようだ。

 鈍い音とともに衝突する肉体。飛び散る汗。裂帛のおたけびが部屋を震わせる。

 狩人の身体能力が実現したド迫力の投げ技の数々。卓越したバランス感覚で堪え、床を砕かんばかりに踏みしめて耐える。相手の全力を受け止め、相手に全力をぶつける。


「しゃあっ!」

「まだまだっ!」


 攻めているのは愁のほうだ。

 アオモトの【剛力】による強化を加味しても、単純なパワーは愁のほうがわずかに上。反射速度は明らかに愁が優っている。必然的に果敢に攻め込む形になる。

 それでもさすがは百戦錬磨の大横綱。アオモトはあらん限りの技術を駆使して愁の力をいなす。暗闇に身を潜める獣のように、攻勢に打って出るその一瞬の隙を窺っている。


 闘志が鎬を削り合う。魂が互いを認め合う。それが相撲だ。

 二人の熱が伝導したのか、身を起こして食い入るように見つめるリス。カイケ「ノコター、ノコター」。


「おおおおおおおおおっ!」

「あああああああああっ!」


 愁はケンカをしたことがなかった。

 だが、だからこそというか。精神的モヤシっ子ならではの格闘技信仰。

 それほど熱烈というわけではないが、地上波で総合格闘技やキックボクシングが放送されていれば欠かさず観たし、休日の夕方はNHKを垂れ流しつつビールとつまみで優雅なひとときをすごしてきた。格闘マンガもたくさん愛読してきた。

 自分には到底真似できないと憧れ、胸を焦がしてきた、文字どおり別の次元の必殺技の数々。

 今なら、今の自分ならそれができる――。


 ガクン。


「ぅあっ!?」


 眼の前の好敵手から一瞬外れた意識。そこを横綱は見逃さない。

 技でもって愁の体勢を崩したかと思うと、残りの力を振り絞って愁の身体を引きつける。


「終わりだぁあああっ!」


 アオモトの渾身の上手投げ。バリッ! と歯を食いしばり、低く踏ん張って耐えた愁。


「あんた……強かったぜ……!」


 下手から腰を払って相手を浮かせ、頭に手をかけて背負う。


「鬼車ぁあああああああああっ!」


 アオモトの身体が宙に浮かび、背中から真っ逆さまに落ちていく。

 ズンッ! と部屋が揺れる。ぱらぱらと天井から埃が舞い落ちる。

 仰向けに倒れたアオモトが、ギリッと歯を噛みしめる。投げの最後で愁が力を緩めたことに気づいたのだろう。


「……いい勝負だった……私の、完敗だ……」

「……ありがとうございました……!」


 カイケ行司の軍配が愁に上がる。体力と気力を消耗し、ふらつきながらも――勝者としての誇りを握りしめ、愁は天高く右手を突き上げる。


 タミコは白けた目をしている。

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