41:シン・トーキョーの国技

 カイケが壁際の棚から新しい試し紙を持ってくる。アオモトがひったくるように画鋲を手にとり、その先端をジャージの袖でよく拭き、自分の指に刺す。丸枠に垂らされた彼女の血は、52の目盛りの手前で止まる。

(おー、すげえ)

(オブチさんとあんまり年変わらなそうなのに、52か)


「……紙に問題はなさそうだな……さあ、もう一度やってくれれ。そっちのかw――カーバンクル族もだ」

「あたいはタミコりす」

「あの、もっかい画鋲借りていいですか? 俺――じゃなくて私? 【自己再生】持ちなんで、もう傷ふさがっちゃってて」


 またしてもカイケとアオモトが目を丸くする。実際に指を差し出すと、アオモトがその手を掴み、鼻が触れんばかりに顔を近づける。

 実際は【自己再生】(白いカビが傷口に浮くらしい)ではなく、その上位の【不滅】の効果だが、青黒いカビさえ見せなければバレることはない。


「あの……いいですかね?」


 なにを思ったか、アオモトがなんの断りもなく愁の指に画鋲を突き立てる。


「いてっ! ちょ、なにすんの――」


 返事も謝罪もなく、愁の指に試し紙をこすりつける。その紙をテーブルに置き、カイケと二人でじっと凝視する。そして青ざめる。


「……68……ですね……」

「……50どころか……68……ありえない……」

「あたいもやったりすけど」


 タミコももう一枚おかわりしていたが、誰も見ていなかったことに不服そうだ。


「えっと、アベさん?」とカイケ。

「あ、はい」

「未登録の自由民、というのは本当ですか? どこかのトライブで狩人をしていたとか……」

「いえ、どこにも」

「服を脱げ!」とアオモト。「上着だけでいい、裸になれ!」


 年上(仮)のお姉さんに高圧的に「服を脱げ」と命じられる。普通なら反発するところかもしれないが、若干高ぶるものがないわけではないのは内緒だ。


「あたいはけがわしかきてないりす」

「君はいい」


 言われたとおり上着を脱ぐ。この時代になってから手に入れた細マッチョボディーをたんと見せつける。

 カイケとアオモトが愁の周りをぐるぐる回りながら、あらゆる角度から身体をチェックする。

 ノアたちから聞いた話によると、このシン・トーキョーでは身体につける刻印(特殊な刺青)で身分を証明することができるという。有戸籍者の場合、身体に「どこの都市の生まれか」を示す刻印がある。それに狩人なら狩人の刻印もプラスされる。殺人や強盗などの重犯罪で裁かれた場合もそれに相応する刻印をつけられるらしい。

 全国民強制タトゥー。銭湯ガー人権ガーと喧々囂々としていた平成の世なら泡を吹いて卒倒しそうな文化だ。

 刻印は特殊な菌糸植物由来のインクを使用し、たとえ皮膚ごと削りとっても除去することはできないらしい(その菌糸の効果らしい)。役所や狩人ギルドのような刻印を扱う人たちのみの企業秘密的技術だ。


「……ありませんね。刻印も、それを除去した痕跡も……」

「……ああ……ブサイクな乳首しかない……」

「きったないちくカビりす」

「ほっとけや」

「申込書の記載のとおり、狩人未登録の自由民、ということになりますね……」

「そうなるな……」


 美人のお姉さん二人に裸をまじまじ観察されるボーナスタイムが終了し、二人ともソファーに戻る。カイケは若干戸惑ったような感じで、アオモトは未だに信じられないといった表情だ。


「えーと……あ、すいません。もう着ていただいて結構です」

「あ、はい」


 ガッカリなんかしていない。


「あ、タミコ。【聖癒】いる?」

「いるりす」


 愁が指先にしゅるしゅると菌糸玉を出すと、タミコがそれをもぎとり、少しかじってにじんだ汁に指をつける。傷が治ったのを確認してから、残りをしゃくしゃくと頬袋に詰め込んでいく。唖然とするカイケとアオモトを尻目に。


「本物の【聖癒】……」

「ということは、アベさんは〝付術士〟ですか……?」


 ――来た、釣れた。

 愁は首を振る。


「いえ、アレです。上位菌職です」


 愁はてのひらを上向け、そこから【戦刀】を出す。カイケがのけぞり、アオモトが中腰になる。


「あ、すいません。いきなり武器なんか出しちゃって」


 それを床に置き、ついでという感じで【円盾】、続いて【解毒】も出す(【解毒】はタミコに食わせる)。


「〝聖騎士〟です。〝闘士〟と〝付術士〟が混じってます。他に【大盾】と【戦鎚】と【光刃】、【跳躍】と【退獣】も使えます」

「【自己再生】、【聖癒】、【戦刀】、【円盾】、【解毒】、【大盾】、【戦鎚】、【光刃】、【跳躍】、【退獣】……十個も……」


 カイケは腕に抱えたボードの上の用紙にがりがりとペンを走らせている。ばっちり記録されている。


「待ってくれ、えっと、アベくん。【光刃】だって? 見せてくれ」

「りっす。じゃない、はい」


 愁は床に置いた【戦刀】を手にとり、そこに胞子光をまとわせる。

 立ち上がり、足で【円盾】を垂直に蹴り上げ、光る刀身を振り下ろす。【円盾】が真っ二つになって床に落ち、からからと転がる。

 カイケは「きゃっ!」と頭を庇うように身を縮め、アオモトは口をあんぐりと開けたままぶるぶる震えている。


「……確かに【光刃】だ。ということは、間違いなく〝聖騎士〟……レベル68というのもうなずける……」


 アオモトはうなだれるようにして頭を下げる。


「……アベくん、疑ってすまなかった……組合員代表を名乗る身でありながら、数々の非礼……このとおり、お詫び申し上げる……」

「いや、そんな……全然だいじょぶっすから……」


 などとひらひら手を振りながら、愁は内心「しゃああああああああ」「想定どおりキモティいいいいいい」と絶叫。

 ここまでの流れ、ほぼすべてがこちらのシミュレーションどおりだ。


 愁にとって今回の面接の最大の障壁は、「いかにして菌職用の試し紙を使わずに面接を終わらせるか」だった。それを使えば〝糸繰士〟であることが一発でバレてしまうから。

 そこでオブチが面接の流れを同業者からヒアリングしてすべて洗い出し、「いかにしてごく自然にそれをスルーするか」を検討してくれた。要は試し紙を使わずに自分の菌職を明かし、それを信じさせることができればいい、ということだ。


 元職員とやらの情報によると、「試し紙は必ずしも書類として保存されるものではない」ということだ。その場で面接官がレベルや菌職をチェックして、書類の形に書き留めた用紙のほうが保存される。今カイケがそうしているように。試し紙とは特殊な菌糸植物を素材としており、使用済みのものはそう長くもたずに腐ってしまうからだ。


 新人にあるまじきレベルを見せた時点で面接官が動揺することは想定内だった。そしてそれが戻りきらないうちにタミコに【聖癒】を使ってみせることも事前に仕組んだ流れだった。

 極めつけは【光刃】だ。一部の〝聖騎士〟のみが習得できる超レアな菌能――これを自然な形で披露することで、愁の菌職が〝聖騎士〟であると信じ込ませることができた。これで菌職の試し紙を使う必要はなくなったわけだ。


 もっとも、ノアたちの想定では面接官は「職員が二人」だった。現役の狩人が付き添いだというのは愁も正直焦ったところだった。だが結果的には逆にアオモトが大げさに騒いでくれたおかげで、より説得力を演出することができた。


 カイケもアオモトも、〝聖騎士〟のユニークスキルである【光刃】を見せたことでもはや愁が〝聖騎士〟であると信じ込んでいる。カイケが自身の用紙にそれを記入している。これで菌職用の試し紙を使う必要はなくなったようだ。


 愁は内心で大きくガッツポーズする。

 最大の障壁だった第一関門は、これでクリアだ。


「……だが、やはりどうしても……前代未聞すぎる……」

「へ?」


 アオモトががたっと立ち上がる。


「申し訳ないが、アベくん……私とスモーをとろう。残されたわずかな疑念を晴らすために、君の力を体験してみたい」

「へ?」


 ないと高を括っていた「お前の実力を見せてみろ!」イベント、まさかの勃発。

 にしても、スモー? 相撲?



    ***



 アオモトがソファーとテーブルを端にどかし、カイケが床にチョークで直径五・六メートルほどの円を描く。円の中心に、愁はアオモトと向かい合って四股を踏まされている。

 ちなみにタミコはソファーの背もたれに寝そべっている(涅槃のポーズ)。上官は高みの見物ということらしい。最近思うがこいつ、人里にいるせいか野生を忘れてどんどん人間くさくなってきている。


「あの、確認なんですけど、スモーって?」

「スモーも知らないのか。シン・トーキョーの国技だぞ」

「すいません」


 これが平成なら「女性は土俵に上がらないで!」とか茶化すところだがきっと通じないだろう。むしろ〝東京審判〟を経て角界が前進した証だと喜んでおく。


「アベさんは自由民の方なので」とカイケの助け舟。

「そうだったな、失礼した。ルールは簡単だ。土俵――この円の中で、お互いの肉体のみで強さを競う。菌糸武器や菌糸玉の使用は禁止。アクション系の菌能も禁止だが、自己強化系のバフはありとするところが多い」

「菌糸武器も【跳躍】も禁止ってことっすね」


 どのみちこの狭さで【跳躍】など使ったら天井を突き破るか場外負けのどちらかだ。


「ちなみに私は〝獣戦士〟で、【剛力】などのバフを備えている。レベル差のハンデだ、遠慮なく使わせてもらうぞ」


 近接戦闘向けの上位菌職。文字どおり「相手の土俵」感。


「あとは自由だ。相手を土俵の外に出したら勝ち、土俵に膝をつけさせても勝ち。一本とったりノックアウトしても勝ち。以上だ」


 待ってほしい。思ってたのと違う。


「一本とノックアウトってなんすか?」

「絞め技での一本や殴り倒してのノックアウトだ」

「なにそのバーリトゥードルール」


 古事記の角力か。


「あとは目突きと金的なしがスガモ式だな。狩人の業界では健全な力くらべの手法として広く流行しているし、支部によっては組合員で大会を開いたりもする。君も狩人になりたいのなら、まわしの一つや二つ嗜んでみるといい」


 そうしてカイケから革製のぶっといふんどし(まわし)と、綿の詰まったオープンフィンガーグローブを渡される。

 ボキボキと指を鳴らすアオモト。バイオレンス感がストップ高。「美人さんと相撲かよー、いろんなとこ密着しちゃうじゃんちょっとー」などというほのかな期待はとうに砕け散っている。


「ちなみにこう見えて私は、前回前々回のスガモ支部大会優勝者だからな。体格もレベルも格上の猛者どもにも土をつけてきた。〝スガモの横綱クイーン〟としてスモーの奥深さを見せつけてやろう」

「(なにそのダサい二つ名)つーか趣旨変わってないっすかね……?」

「すいません、アオモトさんスモー大好きなんで……自分より強い人に挑戦するのが生きがいなんで……」


 面接関係なしにただスモーとりたいだけのようだ。時間の無駄すぎ。

 カイケが軍配のようなものを持って間に立つ。行司か。というが軍配がなぜ面接室に常備されているのか。

 タミコは寝そべり姿勢を崩さないまま「アベシューがんばるりすー」と眠そうな声で言う。相棒の勝利を確信してのリラックスと信じたい。


「にぃしぃ~」

「すまないカイケさん、時間がないから省略しよう」

「あ、はい」


 若干残念そうなゆるふわガールをよそに、カイケが拳を胸の前に構える。愁も適当に身構えるがもう少し心の準備がほしい。

 アオモトがぺこりと頭を下げる。


「スモーに限らず、武道とは礼に始まり礼に終わる。それが単なる暴力との違いだ。互いに禍根を残さない試合をしよう」

「あ、はい。恨みっこなしで」

「見合って見合ってー! ハキヨーイ、ノコター!」


 なんか片言っぽい掛け声で始まる、強者と強者のぶつかり合い。

 スガモの狩人の道へと至る大一番だ。

 と思いたい。

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