33:試し紙――糸繰りの国のレベルチェック

 昨日から感じていたことだが、ユイはどうも気位の高いタイプのネコのようだ。安易に触ろうとすれば冷たくあしらわれそうだし、かと言って恩着せがましく強要するのもハラスメントになる。残念だが遠くから見守るのみにしようと誓う。これだけでかい街だ、モフらせてくれる野良ネコの一匹や二匹どこかにいることだろう。


 デザートまできっちり食べ終える。ユイの言ったとおり杏仁豆腐は絶品で、愁とタミコは感動のあまりしばらく魂が抜ける。

 食後に烏龍茶らしき苦味のあるお茶を飲む。タミコがぴちょぴちょ舐めて「にがいりす」と渋い顔をする。


「あの、みなさん」とノア。「このあと、お時間ありますか?」

「俺たちは暇っつーかなんもやることないけど」

「りすけど」

「僕たちも時間はとれます」

「だわな」

「じゃあ、話の続きは宿のほうで」


 宿に戻ると、布団は畳まれて部屋の隅に置かれている。床は淡い緑色の畳だ。五年間も岩に囲まれた生活だったので、これだけでも永遠に寝そべっていられる。

 仲居から熱いお茶の入ったポットを受けとり、みんなでちゃぶ台を囲む。ほうじ茶なのでタミコもいけるようだが、ユイはすぐには口につけない。猫舌だからか。


「オブチさん、ユイさん」とノア。「これから話すことは、ここだけの秘密でお願いできますか?」

「ぶひゅー……内容にもよりますが、みなさんがそう望むなら是非もありません」

「右に同じだわな」

「〝糸繰りの神〟に誓えますか?」

「……申し訳ないですが、僕はメトロ教団の教えにはあまり熱心じゃありません。神というものの存在を信じきれない。だから……僕は僕自身の命とユイ様にかけて誓いますよ。恩人であるあなたたちを裏切ることは絶対にしないと」

「じゃあうちも、うち自身の命とこのブタにかけて誓うわな。ついでに誇り高きケット・シー族の血と毛並みもかけとくわな」

「ありがとうございます。ちなみにボクも教団の教義には興味ないです。失礼しました」


 ノアが愁のほうを見る。


「アベさん、今からアベさんのレベルと菌職を確認したいんですが、いいでしょうか?」

「へ?」


 いきなり水を向けられて戸惑う愁。


「レベルと菌職? つーか菌職ってなんだっけ? なんだかんだまだ聞いてなかった気がする」

「アベさんはご自身の菌職をご存知ないんですか? あれだけの菌能をお持ちなのに……」


 オブチが驚いているが、愁としては曖昧にうなずくしかない。


「アベさん、その前にオブチさんとユイさんに話していただけますか? この五年間のことと、ご自分のことを」

「え、いや……いいけど……」


 果たして信じてもらえるものだろうか。

 戸惑いながらも、愁はここに至るまでの経緯を打ち明ける。自分が百年前の平成の時代の人間であること。目覚めたらオオツカメトロの五十階にいたこと。タミコとともに五年間そこで力を蓄え、道をふさぐボスを倒して上階をめざしたこと。ノアに導かれてようやく地上の太陽を拝めたのが昨日だったこと。そういうわけでこの世界の事情にも狩人の常識にも疎いこと。

 口を挟まずに聞き入っていたオブチだが、愁が話し終えると頭を抱えてうなだれる。太い首をかすかに横に振る。


「……にわかには信じがたいお話ですが……アベさんが僕らにそんな嘘をつく理由はありませんよね、ぶひゅー……」

「百年生きた人間となると……この国には今、三人しかおらんわな」

「え、いるの!? 俺の他にも、三人も!?」


 それには答えず、オブチはノアのほうに目を向ける。


「ようやく話が見えてきましたよ。イカリさんがなぜ僕らを巻き込んだのかも」

「はい。オブチさんとユイさんは信頼できる人だとわかりました。きっとアベさんの助けになってくれるって」

「俺は全然わかんないんだけど」

「あたいはわかるりすよ」

「一瞬でバレる嘘をつくな」


 ノアがお茶を一口含み、愁に目を向ける。


「すいません、アベさんにはちょっとややこしい話かもしれませんが……アベさんのためなので」

「俺のため?」

「順を追ってお話しします。まずはレベルと菌職をチェックしましょう」


 ちゃぶ台の上に、名刺サイズくらいの紙が並べられる。昔の藁半紙みたいな乳白色の紙片で、端に印鑑を押す位置を示すような円形のマークと、ものさしみたいな目盛りが描かれている。


「これは試し紙です。狩人のレベルを判別することができます。狩人ギルドで一枚十円。レベル100まで計測できるやつは二十円です」

「えっと……いきなり話の腰折って申し訳ないんだけど。そもそもさ、レベルってなんなの?」


 オブチとユイの目がぎょっとする。世間知らずが極まっていて恐縮だ。


「いやまあ、菌糸の強度がってざっくりは知ってるけど。でもそもそも論的に、人間とか獣にレベルがあるって、俺の時代じゃなかったんで……」

「昨日少しお話しましたが――」とノア。「百年前の〝超菌類汚染(パンデミック)〟で――既存の人類の大半が命を落とし、それに適応した生物だけが生き延びました。ボクたち人間や魔獣、メトロ獣の身体には超菌類の菌糸が宿っています。筋肉にも神経にも、あるいは脳にも、ボクらの身体中に菌糸は張り巡らされています。レベルというのは、その菌糸の強度や順応度、成長度などを表す指標と言われています」

「なるほど」


 ずっと前にタミコから聞いた気もする。


「他種族の胞子嚢を捕食することで自身の胞子嚢が反応・成長し、菌糸の性能が増し、操れる能力が増える……というのがレベルアップや菌能の習得のメカニズムの定説です」

「あ、人間にも胞子嚢はあるのね。あるとは思ってたけど」

「下腹部の奥のへんですね」


 ノアがへその下、骨盤の内側あたりを触ってみせる。


「でも、同種の共食い――人間が人間の胞子嚢を食べても、レベルアップや菌能の習得は起こりません。仮に可能だったら――なんて想像すると怖いですけど」

「確かに」


 そんな世の中に目覚めなくてよかったと思う。


「……ていうか、こんな風にボクも知ったかぶって話してますけど、詳しい仕組みは未だに解明されていないんです。昔の偉い人たちが『なんとなくそうだろう』って言ったのを、今の狩人ギルドがそのまま伝えてきたっていうか。でも実際、身体がビキビキとこわばるレベルアップの現象を経験するたび、身体は強くなり、菌能もより強力になります。狩人にとってはそれがすべてっていうか」

「はあ」

「というわけで、ボクら狩人の業界ではとても重要な指標になっています。所属支部内での序列だったりクエスト――業務依頼の受注可能な難易度とか、レベルだけじゃないけどいろいろ関わってきます」

「んで、それを測る方法があると」

「ボクが試しにやってみますね。こっちのレベル50までの試し紙で」


 ノアがてのひらから菌糸のナイフを出し、それで人差し指をぷすっと刺す。にじんだ血を、試し紙の円形の中に押しつける。

 赤いしみが、まるでひとりでに這うように、ずずっと右にまっすぐ線を描いていく。その下には目盛りのようなものがあり、血の進行は25の目盛りの手前で止まる。


「24ですね。昨日のカトブレパスで一つ上がったんで」


 ぽかんと口を開ける愁とタミコ。血を吸わせるとレベルを目盛りで知らせてくれる、ということらしい。


「すげー……どういう仕組みになってんだろう?」

「ボクもよくわからないです」

「製紙になんらかの菌糸植物が使われているそうですよ」とオブチ。「狩人ギルドと都庁だけがその製造技術を持っていて、彼らにしかつくれないんです」

「あたいもやってみたいりす!」

「うちら魔獣もレベルチェックできるわな。ぶっちゃけメトロ獣もできるし、そういう使いかたしてるやつらもいるわな」


 というわけで、タミコも挑戦する。ノアのナイフで手をちょっぴり切り、円の中に関取みたいに手形をつける。ずるずると動く線は、40の目盛りぴったりで止まる。


「タミコさんは40ですね。すごいです……その年で……」


 むんっと胸を張るタミコ。


「五十階の強敵の胞子嚢食いまくりだったもんな。でも、あれ、41じゃなかったっけ?」

「かぞえまちがいりすかね。こまけえこたあいいんりすよ!」


 ときどき大見得を切ったりサバを読んだりするから信用はできない。


「アベシュー、ちりょうだまほしいりす」

「舐めときゃ治るだろ」


 と言いながらも治療玉を出す愁。タミコがそれにかじりつき、汁で切り傷のついた指を濡らす。そのまま菌糸玉をかじかじして頬袋に詰めていく。


「――って、ええっ!?」


 オブチが身を乗り出してタミコに顔を近づける。驚いたタミコがぶっと噴き出す。


「……それ、昨日僕がいただいたときは暗くてよく見えなかったですけど……まさか【治癒】じゃなくて【聖癒】……」

「せいゆ? 名前とか知らないんで、治療玉とか呼んでました。タミコのおやつです」

「……【聖癒】がおやつって……」


 オブチがどすんと尻を落とす。タミコにスプラッシュされたものをてのひらで拭う。


「つーか、菌能の名前? 俺もタミコも全然知らなくて、適当なあだ名つけてたんだけど。正式名称? 通称? みたいなのってあるんだよね?」

「はい、狩人ギルドが定めた名前があります。それについてはあとで照らし合わせていきましょう。まずはレベルチェックを」

「あ、そうだね。ドキドキ」


 ナイフを借り、指にぷすっと穴を開ける。すぐに治ってしまうが、指に浮いた血の水滴を、100まで目盛りのついた用紙に落とす。 ノアとオブチとユイが食い入るように見つめるなか、ずるずると線が進んでいく。40を超え、50を超え、60を超え、65をすぎたところでストップする。


「68……ですね」

「おー! あれ? 思ったより二つ多い……ちゃんと数えてたんだけど。一気に二つ三つ上がったりしたんかな?」

「いえ。人間の場合、だいたいレベル1から5くらいのスタートなので、その誤差ですかね」

「あ、なるほど。種族的な初期値ね。俺は3スタートだったってことか」


 その発想がすっかり抜けていた。レベル1スタートだと信じて疑わなかった。


「カーバンクルもさいしょは1から3ってカーチャンいってたりす。だからあたいもズレたりす」

「なるほど。サバ読んでたと疑ってごめんよ」


 上にズレていたということは当然のごとく初期値を上に設定していたわけだこのリス。

 というか、初期値の設定があるということは初耳だ。教えてくれればよかったのに。


「さいしょのアベシューはよわよわのクソザッコwwwだったから、てっきりレベル1だとしんじこんでたりす」

「うん、それは否定できんわ」


 言われてみると、メトロ獣だと生まれたばかりのオーガで40超えとかだった。つまりそれが種族的な初期値。人間にもその設定があるという可能性に思い至るべきだったのかもしれない。まあオオツカメトロの強敵どもから見れば微々たる差だが。

 ともあれ、これで現時点のレベルがはっきり確定したわけだ。こうして自分の研鑽の証が数値として見られると、がんばってきたことを認められたみたいで嬉しい。阿部愁、これからレベル68を名乗ります。


 と、オブチとユイが口をあんぐりとしている。


「ぶひゅー……すごい。僕、初めて見ましたよ。レベル60オーバーの試し紙……」

「それなんすけど、レベル68ってのが狩人の業界? つーかこの国? でどんくらいの位置なんかなって」


 謙遜するわけでもないが、この世界のものさしを知らないので、レベル60の価値がイマイチわからない。


「あ、ちなみにオブチさんとユイさんはいくつなんすか?」

「僕はこないだ40になりました。タミコさんと一緒ですね」

「うちは37だわな。狩人の業界じゃあ中堅くらいだわな」


 となるとタミコも立派な中堅勢ということか。ちゃぶ台の上でにやりとしているタミコ。


「具体的に話すとちょっと長くなりますが――」とノア。「とりあえず言えるのは、レベル68は狩人の業界では達人とかマスターとか呼ばれます。相当すごい! と思ってもらえればだいじょぶです」

「ほー……達人級がどうとかってのはそれか。相当すごい、のね」


 いまいちピンとこないのも正直なところだが、そう言われて悪い気はしない。


「あたいのしどうのたまものりすね。シャシャシャ」


 あながち外れてもいないので労いをこめてこしょる。


「……ダメぇ……みんなみてるりすぅ……!」


 オブチが物欲しそうな顔でユイを窺っているが、ユイは気づかないふりをしている。

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